06. フリッツとの再会 3
「どういうことだ、クラルヴァイン殿」
カールの声には険がある。
王太子を害するなんてという非難が込められていた。
「殿下をうっかり酔い潰しました。少々性質の悪い酔われ方をしましたので、人目につかぬようお泊めしたいと」
ただ眠り込んだだけなら、だらしないとはいえ問題ないから、そのまま王宮に送るだけで良い。
だけどグズグズと泣く上に私の名前を呼んでいるのを他人に聞かれると、言い訳が難しいのだ。
「元から泊まる予定だったと思わせるために、バッヘム殿はこっそりと王城に戻り、着替えを持ってきていただきたいのです。護衛の方々も今晩はこちらで客間を用意いたします」
「しかしだな……」
カールが言い淀むのもよく判る。
我が家でフリッツと接点があるのは私と母だけ。
もし泊まるとすれば私と何かあったと勘繰られるのが普通だから。
「バックハウス様もこれから呼び寄せます。久しぶりに会う機会ができたから、泊まりで語り合ったとすればどうでしょう? もちろん酒を過ごしたからではなく、最初から時間をゆっくり取るために泊まりの予定だったと」
「苦しくはあるが、まあ体裁は整うな」
逡巡した後に言葉が出てきたが、顔は険しいままだ。
当然だ。主君の醜聞になるかもしれないのだから。
「アウラ、あまり勝手をするな」
「でも本当に他人に見せられないのよ、酔い方が酷くて」
バルトルトの苦言ももっともだけど、フリッツの寝言を聞かせたくない。
「そもそも何で二人きりになった?」
「ディートハルトが同じ部屋にいたから二人きりじゃないわ。それに客間には私は入ってない。醜聞は避けられる筈よ」
二人してギリギリ許容範囲だという顔をする。
「取敢えず確認させてもらっても?」
「ええ、客間に行きましょう」
先ほどと同様、使用人用の階段を上る。
客間は複数あるから、どの部屋を使ったのだろうと思っていた。
でもディートハルトが見張りよろしく部屋の外に立っていたからすぐに判る。
「ありがとう、見ていてくれて」
「殿下は?」
カールは心配そうだが、ディートハルトは溜息をついただけだった。
「もし殿下のことを哀れだと思うなら、そっとしておいた方が良いと思う。流石にちょっと見るのが忍びない」
「それはどういう……」
「場末の酒場で管を巻いて手が付けられない状態というか、絡み酒が可愛く見えるって言葉から察して欲しい」
かなり湾曲表現を用いつつ、フリッツの品位を貶めないように気遣ってくれる。
ディートハルトの言葉で、二人は何かを察したようだった。
「事情を知るのは最小限で。一応、両親には話しますが、元乳母なので事情は察するでしょう」
私が主導権を握って構わないか問うように、一旦言葉を区切る。
三人は小さく頷いて同意を示した。
「バッヘム殿は王城に戻り、殿下と同僚の着替えを持ってきてください。私はバックハウス殿を連れてきます。同僚の方々はバックハウス殿が来てから、彼の方から話をしていただきましょう」
私とサシで呑んで酔い潰れ、管を巻いているのは隠し通すのだ。
酔い潰れた事実は知られるが、それはあくまで楽しく酒を呑み羽目を外した結果であり、若気の至りと笑って済む程度でなくてはいけない。
「しかし護衛は……?」
もっともな疑問だった。
「騎士ほどではなくてもバルトルト義兄上なら腕が立ちます」
「流石に騎士相手にどうにかなるほどではないぞ」
「一刻半です。一刻半以内にすべて終わらせます」
単純な往復だけなら王城まで半刻もかからない。バックハウス伯爵家の街屋敷なら往復だけで四半刻ほど、馬車の準備をするなら歩いた方が早い。徒歩なんかで行ったら門前払いされるから歩かないけど。
「ディートハルトは馬車を二台用意させておいて。バッヘム殿は申し訳ありませんが、厨房を抜けて裏口から出入りをお願いします。私は着替えてからバックハウス殿を迎えに行きます」
護衛と判らぬように盛装姿のカールを、使用人が行き来する厨房や裏口を使わせるのは申し訳ないけど、目立つ訳にはいかない。
「……仕方ありませんな」
最初に折れたのはカールだった。
護衛にも見せられない醜態という状況に、折れざるを得なかったのだ。
「バックハウスならアーベン伯爵家とギルマン侯爵家の夜会をハシゴすると聞いている。この時間ならギルマン侯爵家だろう」
「助かります」
行き先が判ったお陰で実家に行かずに済む。一軒立ち寄らないだけでも随分時間を節約できるだろう。
「ではディートハルトと先に行ってください。私は着替えてから追いかけます」
補佐官繋がりという言い訳を用意するのなら、男装でいるのが正しいだろう。何せ私は男装令嬢として通っていたのだから。
言い終わると返事を待たずに自室に向かう。女性の盛装は一人で脱げなくはないけどとても大変だ。ほんの僅かな時間でも無駄にはできなかった。
馬車に乗ったと思った直後、目的地に到着した。
ローレンツが顔を出す夜会の会場だ。参加する夜会はカールが知っていた。現在一人しかいないフリッツの側近だからなのか、予定を知っていたのだ。今夜、二ヶ所に顔を出すと言っていたその二ヶ所目である。時間的に二軒目に居るだろうと思ったが当りだった。
クラルヴァイン家の従僕にバックハウス家の従僕の振りをさせて、案内役の使用人にローレンツを呼び出してもらう。
「申し訳ない、火急の用にて偽りの呼び出しをさせていただいた。道すがら話すから乗って欲しい」
「男女が二人きりで?」
「仕事だ。誰にも聞かせたくない。諦めてくれ」
そういい切ると、ローレンツは溜息をついた後、馬車に乗り込んだ。
「フリッツ殿下が我が家で酔い潰れた。醜聞になりかねない事態なので、バックハウス殿も一緒に我が家に泊まってほしい。夜遅くまで話し込む心算で、最初から宿泊予定だったという話にしたい」
「随分と無理のある話だな。寝たまま王城に運べば良いだけだろう」
カールと同じことを言う。
しかし難しい。
「それが、寝言が酷すぎて使用人に聞かせられない。最善の策が朝まで部屋で寝させることなんだ」
ローレンツが少し間抜けな顔になる。何を言っているんだという表情だった。
「寝言か……」
「寝言だ」
「……」
簡潔に確認した後、絶句する。
「そういう訳で泊まりだ。殿下の着替えは護衛の一人に取りに行ってもらっている。後でバックハウス殿も屋敷に着替え一式を届けさせてほしい」
そう説明すると、再び溜息をつかれた。
屋敷までは僅かな時間で到着する。客間の前で別れてから戻ってくるまで、一刻どころか半刻とかからなかった。カールはまだ戻ってきていない。王城の方が遠い上、殿下の着替え一式と、同僚三人分の着替えを用意するのだから、時間がかかるのは当然だ。
ローレンツは我が家の夜会に顔を出した実績を作るため、一人で広間に行ってもらう。私も着替え直した後にもう一度広間に行く予定だ。
手早く着替えるために母上の侍女も借りて、ローラと二人がかりで着付けてもらい、一旦解いた髪を手早く結い上げる。最初の髪型と違うのはご愛嬌だ。
どうせ客は誰も私の髪なんて気にしない。
「お久しぶりです、バックハウス殿」
広間に戻ってすぐに、アウレリアは微笑みながらローレンツに挨拶する。
お久しぶりどころか先ほどぶりなのだが、それを知るのはこの場でたち二人だけだ。
「見違えたな……! 初めて見たが、普段から着ないのは勿体無いのではないか?」
「驚かせたなら、ご招待した甲斐がありました」
世辞が上手い。流石、宰相の甥。幼い頃から本家で教育を受けていただけある。
しかし驚きは本物だ。少々、驚きすぎでもある。私だってたまには着るのだ、多分。
「どうでしょう、久しぶりに殿下を交えて三人で話でもしませんか?」
自然に笑えているか判らないが、できるだけ親しみを込めた顔を作る努力はした。
「良いですね。寂しかったですよ、お会いできなくて」
歯の浮くような言葉が気障ったらしくて嫌味を感じるのは、穿ち過ぎだろうか?
腕を差し出し自然にアウレリアをエスコートする辺り、やればできるのだなと思う。補佐官時代、一度たりとも誰からも女性扱いされたことはなかったが。
奥の応接室に向かいそのまま素通りした。
「申し訳ない、使用人用の通路で。大階段を使えないので我慢してほしい」
「事情は判っているから構わない」
私たちはそれきり無言で客間に向かった。
部屋の前を守るバルトルトには、着替える前に軽く顔を合わせているから、私の帰宅は把握している。カールを送り出したディートハルトも、義兄の横に待機していた。
「中に入っても?」
「義弟が言うには「場末の酒場で管を巻いて手が付けられない状態というか、絡み酒が可愛く見える」らしい。情けがあるなら顔を見ないというか、寝言は聞かないでそっとするのが良さそうだ」
義兄の言葉を聞くなりローレンツは私に向き直った。
「殿下に何をした」
低く底冷えするような声だった。
普通の貴族の令嬢だったら身が竦み固まるところなのかもしれない。
でも口だけ男だと知っている私には通じなかった。
「何も。明日、殿下に直接聞けば何があったか判るだろう」
ローレンツの苛立ちに気付かない素振りで客間に案内した。