02. 王妃陛下
短めの話です
「フリッツはいないのかしら……?」
扉を叩く音と同時に入ってきたのは、部屋の主の母親であり、この国の王妃その人だった。
「グレーデン殿に案内されて、城下に行かれたようです」
書類から顔を上げ、王族への敬意を込めて対応する。
といっても茶の一つも出せる部屋ではないので、態度を改めるくらいしかできないが。
「そうなの。それでアウレリアは一人で何をしているの?」
主人のいない執務室で、乳姉弟が何故いるのかと問いただされる。
「殿下の書類の清書を。書類を回されなければ、清書はできませんから。その後はナレント王国の大使を招いた狩猟の会の資料をまとめる予定です」
実際のところ、清書というには雑すぎる書きなぐりで、しかも抜けの多い書類だけど、それを指摘すれば可愛げがないだとか、そんなだから側近たちから疎まれるだとか、あれもこれもと不満をぶつけられるので、一番返ってくる言葉が少なそうに説明した。
ボクちゃん可愛いを言いたいのなら、ママンとしてもうちょい何とか手綱を握ってくれませんかね?
そう言いたいところをぐっと堪えて。
「確かにそうね、あの子は悪筆なのだけが欠点だものね……」
悪筆なのはまだ可愛い方です。
とは言わないでおく。
「仕事熱心なのは良いことだけれど、仕事は程ほどにね。ただでさえあなたは可愛気がないのだから、疲れた顔をしていたら見られたものではなくてよ」
悪気がない、というのは理解している。
思ったことを思ったように言っているだけだというのも。息子の傍にいる異性は、たとえ恋情がなくても牽制したい人なのだ。
王妃陛下はアウレリアの同僚たちと違って、仕事ができる上に自分に厳しい人だから、多少の理不尽なら我慢できる。何より人として尊敬できることが大きい。
自分に対するのと同様、他人にも厳しいところは改善してほしいと思うものの、自分に甘く他人に厳しいより、よほどいいと思っている。
そんな王妃の最大の欠点が息子に甘いことだった。溺愛ぶりは城下にまで知られている。一人息子なのだから仕方がないのかもしれない。
とはいえ間近で対応すれば疲れるのはいかんともし難いのだが。
「残業代目当てで遅くまで仕事をするのは止めてちょうだいね。怒られるのはフリッツなのだから」
「残業代はもらっておりません。どれだけ働いても給金は変わりませんから、例え徹夜になっても問題ありません」
変に勘繰られたくないので、きっちりと説明しておく。
「あら? そうだったの……。それもそうよね、仕事ができないから残業しているのに、余計にお給料を貰えるなんて、変な話だものね」
一人で納得して、息子ちゃんが居ないなら帰るわと、早々に執務室を後にするのを見送った。
最初から残業代込みの給金だから残業手当が出ませんとは、わざわざ口に出す必要がない。
ちなみに給料は補佐官の最低額の五倍で、これは過労死寸前まで働いている上級官吏の給金相当だ。人使いの荒い上司の下でこき使われて死にそうになっている官吏は、給金くらいしか引き止める術がないから、すごく給料が高い。
正直、危険手当込みのために王城勤務で一番給料が良いとされる騎士でも、残業がほぼない仕事量の者よりも、アウレリアの方が給料が良い。当然、騎士で側近のイザークや残りの側近たちよりも給料が上だったりする。
騎士の中でアウレリアと同等の給金になるのは、部下を百人ほど預かる大隊長から上だ。
このことはフリッツにも側近たちにも言っていない。
国王陛下から「済まんね、息子を頼むよ」と言われて、フリッツが我侭を言うたびに給料が上がっていった結果だ。
王家に永久就職しないかと勧誘も受けているけど、そちらは丁重にお断りして、給料だけをありがたく受け取っている。でも正直なところ、そろそろ王城を辞して自分のために時間を使いたいとも思っているところだ。
既に歳は十九歳を過ぎ、年内には二十歳になる。
いい加減、結婚しないと行き遅れだ。
アウレリアは生後数ヶ月で母がフリッツの乳母として王城に上がって以来、実家は訪問する場所で、帰る場所ではないのが嫌だった。本当なら母がお役御免になったときに、一緒に宿下がりする筈だったのに、フリッツが泣いて嫌がったから、アウレリアは未だ王城住まいだ。
「さてと、もうひと頑張りしますか」
王妃の相手をするとガリガリと精神力を削られてやる気がなくなっていく。国王の補佐としても、女性の頂点に立つ人としても有能過ぎるほど有能だけど、一人息子のこととなると、ポンコツというか、盲目的に溺愛しすぎて、ボクちゃんサイコー!なママンになって扱いがやっかいなのだ。
王妃がこれほど一人息子に盲目的になるのも仕方がないと判っていても腹が立つ。結婚してから何年もの間、子を授からず周囲から責め立てられた上、ようやく生まれたのは息子がたったの一人。
しかもその一人息子が唯一の王位継承者ともなれば、過保護にならない方がおかしいくらいだ。
だからアウレリアのことも、たかが幼馴染の分際でボクちゃんにべったりくっつく、よからぬ虫扱いなのも仕方ないのかもしれない。
とはいえ――
(やってられない……!)
心の内で愚痴を呟きながら、もう少し、食堂が開いてるギリギリの時間まで仕事をしようと決めた。




