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10. 養子縁組

少し長めの話です。

 ディートハルトと共に義父の執務室に呼ばれたのは、社交のシーズンが始まる少し前だ。

 私が得た情報では、高位貴族の隠し子ではなさそうだというまでしか出自を洗えなかった。


 先代子爵が少々羽振りが良かったというのは判った。長女の持参金は子爵家としてはかなり高額だったため、良い家と縁付いている。


 しかし不審というほど高額でもなく、普段の生活で節制していれば捻出できる程度だった。

 その後も何度か情報屋を使ったが、まるで判らないまま時間だけが過ぎた。義父と二人で出した結論は、ブレーミヒ前子爵の平民の友人夫婦の子ではないかというものだった。


 義父の方でも調べてみたようだけど、(よう)として出自は判らなかったらしい。

 それなりに大きな街に住む平民ならともかく、流石に優秀な情報屋でも、小さな村の住人まで調べるのは難しい。子爵家の領地の村に住んでいたのなら尚更だ。


 小さな村の住人と子爵家の当主の接点など一見わからないだろうが、幼少期の男の子が領民の子供と一緒になって遊ぶのは、珍しい話ではないらしい。この歳になるまで領地を訪れたことがないから、義父から聞いた話でしかないが。


「君を私の養子に迎えることにしたよ。手続きが終われば、二度とブレーミヒ子爵家の者がちょっかいをかけてくることはないだろう」

 義父は人好きのする顔で新たに息子として迎える相手に告げた。


「しかし養子ではクラルヴァイン家に迷惑をかけるのでは?」

 ディートハルトにとってはありがたい申し出ではあるが、一も二もなく跳びつきはしない。きっと自分よりも相手を気遣う癖がついているからだと思う。幼い頃から常に母や兄たちの顔色を伺って育ってきたから。


「牽制だよ。先方が仕掛けようと思っても、家格差から躊躇するだろう? 何かあれば家として対応されると思えば、手を出すのも憚られる。我が家はさほど政治的な権力を持ち合わせていないとはいえ、領地の大きさも資産も子爵家に負けるような脆弱さは持ち合わせていないからね」


 暗に何かあれば力で押し潰すと言っているのだ。なかなか好戦的な言葉である。

 ブレーミヒ子爵家とクラルヴァイン伯爵家、たった一階級しか違わないが、高位貴族と下位貴族の間には高くて超えられない壁がある。


 それにクラルヴァイン家は侯爵家の平均と変わらないほど領地は大きく豊かだ。

 今まで特筆するような国への貢献がなかったから伯爵位のままであるだけで、何かあれば直ぐにでも爵位を上げるだろうといわれている。


 義父は私や母に対して常に甘くて優しいけど、きっと他人に対しては容赦のない一面があるのだと思う。


「よろしいのでしょうか?」

 ディートハルトが遠慮がちに尋ねた。


「養子にでも迎えないと、彼らは引かないだろうからね。これが最善の策だ」

 効率重視の言葉だけど、貴族の血がそれほど軽くはないのを私もディートハルトも知っている。予め義父の心の内を聞かされていたとはいえ、改めて大きな決断をしたと思う。


「我が家には既に息子が二人いるしね。君はそう先ではない将来に独立するだろう? だからさしたる影響は出ないんだよ」


 ディートハルト自身がブレーミヒ家との一件のほとぼりが冷めたら、家を出て独立するつもりだと公言している。言葉だけでなく、自分に何ができるのか模索を続けている姿は、屋敷中の者が見ていた。


 身を隠している状況ではできることが限られていて、義父の手伝いくらいしか仕事はないが、うっかり手が空くと執事から仕事を貰おうとしたり、屋敷の補修など日常以外の仕事を引き受けようとしたりする。


 荘園の屋敷を一人で改装したところから、どんな労働でも厭わない性格だというのも知っている。

 だからきっと自由に出歩けるようになれば、本当に仕事を見つけて独立するだろう。時が来たら籍を抜こうとするかもしれない。


「息子たちが戻ってきたら紹介しよう」

義兄(あに)上たち、戻ってこられるの?」

 義父の実子二人のうち一人は国外、一人は国内の辺境に赴き、何年も家を空けている。


「遅くても半月以内に戻ると手紙がきたよ」

「いきなり義弟(おとうと)が増えてたら驚くわ」


 私は二人の義兄を思い出す。もう何年も会っていなかった。新しく家族になった義妹を蕩けるほど甘やかす、優しくて大好きな義兄たちだ。




 義父が出かけてからずっと、私は何も手が付かないほど落ち着かない。

 ――義父上の話し合いは上手くいったのか?


 ブレーミヒ子爵が王都入りしたとの一報を執事のトビアスから伝えられたその日に面会を申し入れ、翌日の今日、話し合いのために子爵家に向かった。書記官と弁護人を引き連れて。


 一度の話し合いで確実に決着をつける気満々である。

 書類は既に作り終え、義父と証人欄は記名も済だ。「上手くいくと嬉しい」という私に「交渉なら任せなさい」と頼もしい言葉が返ってきた。


「君の母上を口説き落とすより難しい案件はそうないのだよ。ソフィーアはとても手強かった」

 少し懐かしい目をした義父に、私は苦笑するしかなかった。


 当時、既に王宮を辞した母とは、たまにしか顔を合わせていなかったけど、十歳を超える娘がいることや出戻りであることを理由に、頑なに求婚を拒んでいたと聞いている。


 母の実家を継いだ伯父や王宮に住む私を口説き落とし、外堀を埋めてようやく首を縦に振ったのだと、結婚のための顔合わせの席で、勝利の笑みを浮かべながら語っていた。


 先妻を亡くして既に十年近く経ち義兄たちも成人を迎えていたから、クラルヴァイン家側に再婚への障害はない。母の気持ちだけが問題だったのだった。


「旦那様がお戻りになられました」

 トビアスの言葉に、私は執務室に向かう。


 (上手く行ったんだろうか……)


 大丈夫だと思いつつも、心の片隅に不安が残る。

 入室するのと同時に首尾を尋ねた。

 既にディートハルトも室内に居る。


「どうでした?」

「勿論、上手くいったよ」

 不安そうな私に、義父は満面の笑みを返す。


「良かった!」

 ちらりと横を見れば、当事者であるディートハルトもほっとしていた。


「クラルヴァイン伯爵、アウレリア殿、ありがとうございます」

義父(ちち)や妹に対して敬称を付けるのはどうなのかな?」

 頭を下げて礼を言うディートハルトに、義父は優しい笑みを見せた。


「えっと……義父上」

 少し照れたように言うのが可愛い。年上だけど、時々、子供のようにぎゅっと抱きしめたくなるほど可愛いのだ。


「じゃあ、義兄(あに)上?」

「止めてほしい。全然、年上らしくできていないのに。ただのディートハルトと」

 困ったように苦笑するところが、やっぱり可愛い。


「では、私のこともアウレリアと呼んで」

 私も少し照れが入る。出会い方が普通とは言えないし、今更、兄妹という雰囲気でもない。なのにお互い名前を呼び合うことで、一気に距離が縮まった感じが半端ないのだ。


「ようやく家の外に出られるようになったのだから、明日、一緒にでかけない?」

 領地ですら安全のためにと外出を控えていた。出るのは精々が屋敷から数歩程度しか離れていない場所。

 荘園では割と気楽に出歩いていたとはいえ、二ヶ月以上前の話だ。


「王都は初めてだから案内してくれると嬉しい。お勧めの場所はある?」

「カフェかしら。ショコラーデが美味しいの」


 初めてなら私のとっておきを紹介したい。物販とカフェは別の建物で営業している。カフェには一度しか入ったことがなくて、物販の方は一度も行っていない。


 ほかにも文房具のお店や、壁紙を扱う店にもいきたい。あと家具屋も。

 ディートハルトと一緒に、荘園の屋敷用のあれこれを買うのは楽しそうだ。


「そういえば昨日、注文した食器が届いていたね」

「ええ、さっそく棚にしまいました。明日買ってくるけれど、ショコラーデを飲むのは義兄上たちが揃ってからにしましょう」


 義父上の実子である二人の義兄は、何年もの間、仕事の関係で国外と地方に行ったきりだったけど、偶然にももう直ぐ帰宅すると連絡があったので、楽しみに待っているところだったりする。


「ちょっと待って、ショコラーデってとても高価なのでは…・・・?」

 声を上げたディートハルトが少し焦ったような顔をしている。


「金貨を飲む感じ?」

「毎日、昼餐の後で家族揃って飲もうと言われたら駄目だと言うけどね、たまに飲む分には構わないよ」


 確かに高価なものだけど、王族でもなければ飲めないというほど高価でもない。

 義父上や母上に飲みたいとおねだりすれば、月に一度か二度飲むだけなら問題ないと返される程度だ。


「ディートハルトは飲んだことは?」

「ないよ、そんな高価なもの!!」

「じゃあ初めてね」


 子爵家の収入では難しかったのかもしれないし、不遇をかこっていた所為で贅沢とは無縁だったのかもしれない。


 でもクラルヴァイン家の養子になったのだったら、ちょっとの贅沢くらいはさせてあげたいと思う。


 カフェに入る分くらいなら、私の貯蓄からでも十分に賄える。義父に頼らなくてもある程度までなら二人で遊べるのだ。


「カフェは昼を過ぎると混雑するから、早めに出ましょう。その後は一緒にお店を回りたいわ」

「え……」


「大丈夫、一人くらい養える程度の貯えならあるの」

 ディートハルトは焦ったような不安そうな顔になる。


 義父の手伝いをしているとはいえ、屋敷の中から出られなかったから収入がない。買い物に行こうと言っても、手元不如意では困るだけだろう。


 (そんな顔をさせたい訳じゃないのに……)


 ただ笑ってほしいと思っているだけ。今は無収入だから好き放題に使うのは控えないといけないけど、初めて王都を街歩きするのだから、お金を気にせず楽しませたい。


「アウラ、根本的に間違ってる」

 義父の言葉に「はて?」と思う。


「いくら家族でも淑女に財布を出させるようでは、立派な紳士だとは言えないよ。確かにディートハルトは自分の金を持っていないけどね、この二ヶ月ずっと領主の補佐をしていたのだから、遊びの資金くらいは私から出す。これは正当な報酬なのだから、受け取ってくれないと困る」


「しかし匿っていただいた上に身の安全の確保と身分の保証までしていただきました。これ以上を望むのは傲慢ではないでしょうか」


 ディートハルトは謙虚だ。

 荘園で金貨を渡したときも、自分の私物を買うためには一切遣わず贅沢もしなかった。クラルヴァイン邸に身を寄せてからも贅沢は無縁で、服を始めとする身の回りの物を用意しても、申し訳なさそうにしていた。


 今はまだ受け入れるだけで良いのにと思う反面、生来の性格が真面目すぎて、一方的な好意に甘んじるのを良しとしないのかもしれないとも思う。


「義父上の仕事を手伝っているのだから、正当な報酬だと思うわ。それに養子になったのだから、親に甘えても良いと思うの。私だってそれなりに大きくなってから養女になったのだけど、義父上に甘えてばかりなのよ」


 私の場合、実母の再婚相手だからという事情はあるけど、為さぬ仲の父子という意味ではディートハルトと一緒だ。


 実際のところ父の財布を当てにしたのは、ショコラーデ専用の食器を買ったのが初めてだったけど、今は言う場面ではない。


「クラルヴァイン家の一員になったのだから、我が家に相応しい体面を保つのは必要経費だ。謙虚も倹約も大切だが、同時に面子を保つのも必要なのだ。判るね?」


「ディートハルトの初めてに私が立ち会えるなんて嬉しいわ」

 冗談めかして言えば、困った顔をしつつも、それ以上何も言わなかった。

まだ固形のチョコレートが開発される前、薬として飲まれていたチョコレートに砂糖が入り嗜好品として注目された直後くらいのイメージです。

高価なので少量でカップの転倒や揺れ防止のために、ソーサーにカゴみたいなものが付くなどしたようです。

『マンセリーナ』や『トレンブラーズ』と言います。

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