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09. 情報屋

 王都に戻ったその日の外出に、両親も侍女も良い顔はしなかったものの、情報収集に行くと言えば、それ以上の引き止めはなかった。


「晩餐までには帰ってくるから」

 侍女のローラに言付けて、着慣れた服を纏ってクラルヴァイン邸を徒歩で出る。


 相手を警戒させないために、腰に剣を佩きはしていないが、上着や外套に短剣などの武器は仕込んである。本格的な訓練は受けていないとはいえ、護身術程度には剣から暗器の遣い方まで教わっていた。


 いざというときに自分の身を守るというよりも、王太子であるフリッツの盾になりつつ守るという意味が強い。

 今から向かう先は下町で、女が一人歩きするには少し危なかしい場所だから、自衛手段は必要だった。


 貴族街を抜け平民街に向かい、そのまま慣れた様子で下町に向かう。

 人気の無い場所で物陰に隠れて、足首近くまで丈のある外套を裏返して羽織れば、服装だけなら下町に住む庶民に早替わりだ。


 表通りから裏通りに入り目的地に向かう。何度も来た道だから迷うことはない。この街の住人だという顔をしながら、当たり前のように堂々としていれば、不審な目を向けられたり怪しまれることはなかった。


 それにここら辺ならば、まだ日のある間なら女が一人で歩いていても(かどわか)される心配はない。

 慣れた手つきで一軒の店に入った。扉を開けると「カラン」とベルが鳴る。


「売りモンは? それとも買いモンか?」

 古物商らしい口調で主が問う。

 アウレリアは既に滅んだ国の金貨をカウンターに置いた。


「ブレーミヒ子爵家の事を知りたい。先代の当主と今の当主、それと今の当主の兄弟たちのこと。特に先代の遺産に関して」

「先代は亡くなってるってことか? 少し時間が要るな。三日後、また来い」

 お互い必要な事だけしか口にしない。

 用が済めば黙って店を出た。


 この店は古物商だが、骨董の類のほか情報も扱う。たまに盗品も。

 取り締まるのは王太子の補佐官の仕事ではないし、完全に潜られて盗品の流れが判らなくなるより、ある程度見えているところで取引されている方が好ましい、という理由から見逃されている。


 店を出た後は何度か角を曲がり、もと来た道を引き返して、尾行されていないか確認する。

 本職にかかれば児戯みたいなものだが、たまに間抜けが引っ掛かるので無駄ではなさそうだ。


 今、出たばかりの店では取引情報は秘匿している。客の情報を売るような真似はしないが、一歩、店を出れば客ではない。

 場末の裏家業では、それが当たり前だった。


 (そろそろ次に行けるか……)


 後ろをつけられていないのを確認した後、次の店に入る。先ほどの店よりも薄暗く治安の悪い地域だ。


 看板にはジョッキに入ったエールの絵が描かれている。ほかの店の看板も文字はなく、絵だけの看板ばかりだ。


 この辺りでは識字率はぐっと下がる。文字が読めない客のために、絵だけで何の店か判るようになっているのだ。


 中に入れば客は(まば)らだった。夜の帳が下りれば混むのかもしれないが、貴族の女であるアウレリアは、例え同伴者がいたとしても、この界隈を暗くなってから歩くのは危険すぎて無理だ。足を踏み入れたが最後、二度と明るい場所に戻ってこられないだろう。


「何にする?」

「ゲエンナを」

 手っ取り早く酔うための酒の名を出す。味は二の次なので、お世辞にも美味しい酒ではない。ただ酒精が強いだけだ。


「止めときな、まだ早い」

 店の主はアウレリアを見ることもしないで、にべのない返しをした。


「地獄の業火に焼かれたい気分なんだ」

「そうか……話を聞こうか」


 この店では普通に酒を呑みに来る客の方が多い。

 そのため情報を売買する客は符牒で選別するのだ。


「この国の公爵家と侯爵家の庶子の所在を。二十五年前から十五年前に生まれた子を全員」

「多いな。しかも古すぎる」

 僅かに店主が眉を顰めた。


「死体が上がった。身元不明だがこの国の高位貴族の庶子らしいとしか」

「行方が判らんのが、死体の正体か」


「多分ね」

 死体は物言わぬ。

 身元が判らないのであれば、判るものを消去法で消していけば良いのだ。


 もっとも野垂れ死んだのは、一人や二人ではないだろうと思う。貴族の嫡出子ならともかく、庶子が不審な死を迎えるのは珍しくない。


 だが数を絞れればどうとでもなる。

 ディートハルトは死んでいないが、実の親が判らないのは変わらない。


「所在が判るのも上げてくれ。こちらの情報と突合できる」

 金貨を指で弾いて店主に渡した。


 必要なことを言い置いて裏口から店を出ると、先ほどの店を出たとき同様、尾行を撒くように移動して表通りに戻る。


 暫く歩くと石畳が手入れされ始め、道幅はやや広く明るい雰囲気になっていく。

 ここら辺までくると治安も良くなっており、下町とはいえ夜間、女が歩けるくらい安全で健全な通りだ。


 表通りから一本裏に入っても、表通りより家賃が安く手軽に商売を始められるという意味しかなく、後ろ暗いから怪しげな土地に店を構えるという意味はなくなる。


 アウレリアは表通りに戻る前に、外套を再度裏返して質の良い方の服地を表に出している。少しだけ歩き方を変えただけで、先ほどまでの平民らしさは影を潜めた。


 街の中心まで来た後、道を一本奥に入った場所の建物に入る。看板が出ていない隠れ家的な店だ。目抜き通りの至近なのに、ほんの十歩ほど奥に入っただけで驚くほど静かな店だった。


「いらっしゃいませ」

 慇懃な態度で店員が近づいてくる。


「お連れ様と待ち合わせでしょうか?」

 柔らかな笑みを胡散臭いと思うのは、アウレリアがこの店の売りを知っているからかもしれない。


「ええ、待ち合わせなんだ。先ずはパルフェタムールをいただけるかな?」

「では個室にご案内いたします」

 先導する店員はアウレリアを二階の個室に通す。


 この店は一階が料理屋で二階が連れ込み宿になっている。食事の後に個室を利用する場合は晩餐を意味する古語セーナを、食事無しで個室を利用する場合は愛と美の女神ヴェネラの名を告げる。菫色の酒の名はそのどちらでもなく、情報屋として利用したいという意味だ。


 目的が目的だけに、一階の席もほかの客から顔が見えないように工夫されているが、割と照明が明るく料理が美味しそうに見える。


 連れ込み宿なのに食事が美味しい意味があるのだろうかと言えば、雰囲気作りが大事なのだと情報屋が笑いながら語った。「まだお嬢さんには早いから判らないかもしれないが」と言われて、当時十六歳だったアウレリアは、確かにお嬢さんで色事は判らず、早いという言葉に成程と思っただけだった。


 通された部屋で少しの間、寛いだように待つ。隣室では楽しんでいる男女がいるのだろうが、壁が厚くて声が聞こえてくることはない。今まで何度も利用しているが、ただの一度もないのだから、よほど防音がしっかりしているのだろう。


「お待たせしました」

 ソファに腰かけほっとした直後、情報屋が入室してくる。


 首元の詰まったシャツと自分サイズに仕立てた服を、パリッと着こなした様子は金持ちの商人風だが、ただの商人は足音を立てずに歩いたりはしない。


「どのようなご要望でございましょうか?」

 商売人らしい笑みを浮かべてアウレリアの向かいに座る。


「アルホフ公爵の子供の情報を。表に出てこない庶子がいる場合はその子も。特に女児ばかりだけど息子が本当に生まれなかったのか、噂でも構わない」


「男児がいなかったかが知りたい、ということで宜しいでしょうか?」

 情報屋の言葉に頷いた。


「王兄にとって男児は現状をひっくり返す切り札だ。秘かに育てていてもおかしくない」

 前二軒よりも少し言葉が多い。話しすぎたかと思わないではないが、どうせアウレリアの素性は知れている。国王派の立場であれば、王兄を調べても何らおかしくはない。王城の調査部を使わないのかという疑問は持たれるかもしれないが、与えられた権限は王城勤務の侍女や女官、官吏、騎士から上がってくる報告書のなかで王太子に関係するものだけで、密偵を使って得たような極秘情報に当たることはできなかった。


 だから市井の情報屋を使うのは不自然ではない。実際、補佐官としてフリッツの横にいた頃から、何度となく利用している。

 そして補佐官を解任された今でも、アウレリアは国王派でありフリッツの絶対的な味方のままだ。


「五日ほど時間をいただければ」

「それでよろしく頼む」

 金貨を差し出しながら了承した。



 * * *



 五日後、全ての情報が返ってきたが、ディートハルトの素性に繋がりそうなものはなかった。

 若くして亡くなった高位貴族の庶子は何人もいたが、不審死した者も行方知れずになった者もいない。アルホフ公爵に庶子はおらず、男児が生まれた形跡も、子が入れ替えられた形跡もなさそうだった。

 利用したのは町の情報屋だけど精度は高く優秀だと自負している。


 さすがに国王直属の諜報部隊には劣るけど、貴族家の使う諜報員と遜色が無いかより優秀だ。何軒もの情報屋を当たって、出自に憂慮するべき情報がないのなら、多分、これからも問題は出てこないだろう。


 一般の貴族家だけでなく、一応王族とはいえ国王と対立する立場の王兄が抱える情報屋より、アウレリアの利用する情報屋の方が優秀だとも思っている。何せ宰相閣下の側近から教えてもらった店なのだ。


「お義父様、ディートハルト殿はバルヒュット公爵やアルホフ公爵の縁者でも、ほかの高位貴族の庶子でもなさそうです」


「だったら我が家で保護しても危険はなさそうだね」

 柔らかい笑みを浮かべながら「養子縁組の手続きを取らないと」と続けた。


「よろしいのですか? 権力闘争には関係なさそうだとはいえ、彼の出自が判らないのは変わりませんよ?」


 本音を言えば、ブレーミヒ子爵家の面々から自由になって、外に出られるのは手放しで歓迎したいところだ。


 しかし素性が判らない相手を家に引き込んで、義父を始めとするクラルヴァイン家の人たちに迷惑をかけたくない。


「アウラが調べて大丈夫なら、きっと問題にはならないだろう? 勿論、ブレーミヒ子爵が王都に来るまで、もう少しこちらでも調べてみるよ。別に猶子(ゆうし)でも構わないが、家名を変える方が良さそうだと思わないかい? 何よりどこかの家に取り込まれない限り、先方は彼が無害だとは納得しないだろうね」


 猶子(ゆうし)でも家名を変える場合はあるが稀だ。単に後見を努めるというだけのものと、家名を変え、家族の一員として迎える養子であれば、より強力な後ろ盾になるのは後者だ。


 ディートハルトの兄たちは、彼が家名を名乗るのも弟であるのも許せないだろう。養子に迎えて家名から何から捨ててしまった方が、両者にとって良い結果であるのは間違いない。


「社交のシーズンが始まれば、ブレーミヒ子爵も王都に滞在するだろう。到着を確認次第、手続きに入ろうと思っているよ」

「ありがとう義父上」


「どういたしまして。可愛い娘のお願いは、全力で応えないとね」

 為さぬ仲の父子だけど、義父は何時でもとても優しくて甘かった。

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