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01. アウレリアと王太子

「リア、あの書類どこにいったかな?」

「治水の件でしたら、既に清書が終わって関係部署に送りました」

「じゃあ大使を歓迎する件は?」

「ナレント王国の大使歓迎の宴に関しては儀典部に、宿の手配は外交部に提出済みです」


 あれから十四年、一度たりともフリッツはアウレリアを放さず、共に机を並べて学び、長じては補佐官として横に並ぶようになった。


 立太子し何人もの側近が用意されたにも関わらず、一番近い場所は相変わらず乳姉弟のものだった。

 アウレリアは長い髪を後ろで一つにまとめ、男装姿――王宮を走り回っても良いように動きやすい格好である――で、常に弟分の尻拭い、もとい手伝いに走り回ることが多いのだ。

 今日も王太子の作成した書類とは言えない書付を清書し、関係部署を回って書類を渡している。


「そっか、じゃあもう今日の仕事は終わりかな?」


 ニコニコとしながら席を立つ。

 これから遊びに行くのだと丸わかりだ。


 だけど何も確認せず野放図に遊びに行かせる訳には行かない。清書をしてくれと渡してきた書類に目を通しながら、足りない書類を確認する。


「まだ狩猟の会の準備と、その十日後からの視察の計画書が出来上がっていませんよ」


 ナレント王国ではわが国以上に狩猟が盛んで殿方の嗜みでもある。

 当然、歓迎する立場としては、気持ち良く会談に臨んでもらうために、獲物を猟場に解き放ったり、一緒に狩りを楽しむ貴族を選定したりと、やることは残っている。


 所謂(いわゆる)、接待外交だ。


 花を持たせて気持ち良くなっていただいたところで会談の席について貰い、少しでもこちら側に有利な交渉をするのが目的であり、断じて遊びに興じるのが目的ではない。

 王太子の仕事の大半は、官吏に任せてしまっても別に問題はない。


 しかし一つ一つの仕事の流れを知るためには、下準備に関わるのが有用なのだ。官吏に言われるがまま、国璽を押すだけの愚王にならないために、王太子時代にできる限り様々な仕事をこなすのが、この国の方針だった。


 特に外交は他国の文化を知り国際情勢を見据えるために、最重要案件と位置づけられている。

 以前、国王陛下は王太子時代の方が忙しかったと言っていた。重圧は即位してからの方が何倍も大きいとも言っていたが。王太子であれば失敗しても下の者がフォローしてくれるし、何かあれば国王に頼れるが、国王自身は頼る相手がいないのだから当然の話である。


 実際、回ってきた決済書類の数字がおかしいと国王陛下が指摘し、横領が発覚した例もある。

 抜き打ちで書類を確認すると、数回に一度は不正が見つかると語っていた。


 宰相やほかの大臣たちも同様の抜き打ち調査をしている上、内部監査室も存在するが、やはり国王が目を光らせているという圧力は別格らしく、即位後、不正が一気に増え、抜き打ちで調査する度に不正が減っていったと苦笑しながら。

 だからこそ王太子への仕事の割り振りなのだ。


「そんなのリアが適当に……」

「できる訳ないですよね?」


 じっとフリッツの目を見据えながら問えば、ふっと目を逸らされた。

 都合が悪くなると目を逸らすのは悪い癖だ。


「このようなこと、本来は王太子殿下がするべきことではない。乳姉弟というだけで能力関係なしに側に侍る者がやればいいだろう」

 酷い言われようだけど、これがフリッツに助け舟を出す側近の言い分だ。


 言った当人であるイザーク・グレーデンはその中でも一番口が悪い。

 騎士だから持って回った言い方が苦手と言えば聞こえが良いが、要はただの脳筋なだけだ。腕は立つけど警備計画などを立てさせると穴が見つかる。

 その穴を受けるために一からやり直すのはアウレリアだったりするから面倒臭い。


「最重要国の大使を接待するのが瑣末事だとは、なかなか愉快なお考えですね」

「どう接待するかは裏方の仕事であり、王族の仕事ではないと言っているのだ、愚か者が!」


 言い返せば何倍にもなって返ってくるのは判っていたが、それでも諌めるためには仕方がない。溜息をつきたいのを我慢しながら反論した。


「その裏方仕事は国王陛下も王太子時代に経験し、重要だと思ったからこそ直々にご下命されたのですけどね。イザーク殿はご自分が陛下よりも賢いとお思いなのですね」


「なっ! 陛下の威を借る知れ者め!!」

 案の定、激昂したイザークが怒鳴る。アウレリアが煽ったからというのも、多分にあるのだが。


 (それにしても一々、罵倒語を入れないと気がすまないのだろうか?)


 武人らしい率直な物言いは好ましい面もあるけど、短慮で感情的なところはいただけない。直ぐに考えが顔に出るところも。


「それで、殿下は即位した後、役人の言われた通りのことしかできない愚王になるのですか? 殿下を駄目にする素晴らしい側近です」


 即位すれば自由に城下を歩けるような気楽さはなくなる。

 だからお忍びで外出するくらいは好きにさせてあげたい。

 でも「時間が許せば」であって「仕事をサボって」ではない。


「殿下、隣国の要人を持て成すためには、文化や慣習を知る必要があります。そのために裏方仕事と呼ばれるものは有用ですよ。何より交渉を有利に進めるために、事前の根回しがどれほど影響を与えるのか知る、良い機会でもあります」


 国王陛下も同じことを考えたからこそ、フリッツに仕事を振り分けたのだ。


「でも明日でも間に合うんだから、少々出かけても良いだろう?」

「ええ、明日でも明後日でも何なら十日後でも、指示が下りてきた役人は間に合わせますよ。幾晩徹夜になっても、何日自宅に帰らなくても、絶対にやり遂げます。しかし恨まれるでしょうね、遊びの皺寄せが自分たちにきたのだと知ったら」


 フリッツだって両陛下が二人の時間を優先した結果、決済書類が遅れて自分が徹夜になったら、怒るし抗議するだろう。自分の立場になって考えれば判る筈だ。


「いい加減、そうやってフリッツを縛り付けるのは止めろ、クラルヴァイン」

 冷や水を浴びせかけるような言葉を投げつけてくるのは、イザークと同じくアウレリアを快く思わない側近の一人である、ヨハン・ゲーベルだ。王太子の乳姉弟を、悪筆な主人の書類を清書し雑用をこなすだけの無能で、立場を嵩にきて側仕えとして居座る厚かましい女だと思っている。


 ほかの側近たちも同様の考えを持っていて、アウレリアに対する当りが強い。

 側近同士が火花を散らしても意に介さないのは、フリッツが鷹揚だから……ではなく単に鈍感なだけだ。


「リアの方で案を出してくれないかな? それを選ぶんだったら僕が決めたことになよね?」


 少し上目遣いでお願いするのは、昔からのフリッツの手だ。

 この顔をされてしまうと、つい甘やかしてしまう。駄目なのは判っているのに……。

 しかしここで心を甘えん坊の天使に売り渡してはいけない。


「殿下、いつまで経っても成長できなくてもよろしいのですか? 頼りない国王だと侮られたいとか?」

「完璧でなくても良いのですよ、殿下。完璧ではない王のために我々側近が控えるのです」


 フリッツが返すよりも早くヨハンが口を挟んだ。

 甘言に目をキラリと光らせたのは「やった!」と思っているからだと、手に取るように判る。


「側近……そう、補佐を頼るのは良い案だね」

 そして楽しい方に流されようとしている。


 (まったく……)

 腹立たしい思いはあるけど、心の内を表に出す気はない。


 しかしそのまま遊びに行かせるのも業腹だ。

 他意のなさそうな笑みを浮かべてヨハンの言葉に同意してみせる。


「ということは、代わりにアーリンゲ殿が考え、草案を出されるのですね。頑張ってください。私は手元にある書類の清書をしたいと思います」

 言うのと同時に仕事に戻る素振りを見せた。


 きっとフリッツのほかは側近四人の中、同い年のイザーク、ヨハンともう一人カイの四人で出かける予定だと予想しているけど、慮って差し上げる理由はない。

 ちらりと四人の顔を見れば、驚きのあまり固まっていた。


 (浅はかだなあ。どうして私が進んで仕事を押し付けられてあげると思ったんだろう?)


 言葉を失くしたフリッツたちを放置して仕事を始める。

 四人がかりで私一人を論破できないような頭しか持ち合わせていないなら、それなりの遊びだけにしておけば良いのだ。


「リア……お願いなんだけど――」

 しばらくして遠慮がちな声が上がる。


「……リア?」

「どうしました、殿下?」

 書類から顔を上げずに応えた。


「できれば四人で遊びに行きたいなーなんて……」

「言葉に対する責任は、発言者以外が責任を取れませんよ。ですから側近を頼るように進言した本人が、仕事を引き受けるのが筋でしょう」


 フリッツ以外の三人が私に言い返すことはない。

 罵倒はできても、理詰めでの「話し合い」に分が悪いのを知っているから。


「でも、四人で一緒に行きたいんだ。ほら、独身のときにしか街に行けないのは一緒だからさ」

「私も遊びに行きたいですね。お気に入りのカフェに行きたいですよ。もう何ヶ月も行けていませんが。そう言えば最後に休みを取ったのがいつだったか思い出せません」

 王太子の仕事の中で、私が引き受けられる分に手を出しているから忙しくて行けないのだ。


「じゃあお土産を買ってくるから、お願いできないかな」

 ちらりと横を見れば、見慣れた甘え顔の幼馴染の顔がある。


「……」

 私はこの顔に弱い。何度も言うが。


「まったくもう……」

 溜息をつきながら、フリッツの提案を了承してしまった。


 (自分も大概甘やかしてるな)

 本人のためにはならないのは判っている。

 しかし少し前に失恋した弟分を癒したい気持ちもある。


「仕方ないですね。『黒い恋人亭』のショコラーデで手を打ちましょう。一番、大きな箱でお願いしますね」


 海を渡った南大陸からもたらされるとても高価な飲み物を所望した。たった一杯で金貨が飛ぶ。

 元は薬として苦いまま飲まれていたけど、最近になって砂糖を入れ甘くする飲み方が考案されてから、爆発的な人気で品薄だ。お陰で元から高いのに更にお高くなった。お試し用の一杯分、お土産用の五杯分など手軽なものもあるけど、一番大きな箱は領地に帰る貴族がよく買う大きさで確か三十杯分だったと思う。


 箱も中身に負けない作りになっているから、こちらだけでも中々高そうだ。馬車に積み込むことを前提に、丈夫な木箱に入れているという体裁だけど、木箱というより小型の箪笥と言った方が正しいような作りになっている。四本の猫足に支えられ、金具は全て金箔、飾りは螺鈿細工だ。


「えっと、もう少し手加減して欲しいな。陶器の方じゃ駄目かな?」

 フリッツの声が少し震えた。


 王太子とはいえ使える金額に上限はある。ショコラーデの大箱は間違いなく一か月の上限を超えた価格だ。

 大箱以外は全部、陶器製だ。こちらも王室御用達の工房で作られている。彩色は熟練の職人が手がけるのは一緒だ。


「大箱は冗談ですよ。『黄色い花』のをお願いします」

 蓋に描かれている花の画で量が決まる。一番少ない一杯用は黄色、次いで青い花、赤い花だ。

 貴族令嬢とはいえ、金貨を飲んでいる気分になるようなものを何杯分も強請るほど金銭感覚はズレてはいない。


「ありがとう、リア。いつも頼りになるね!」

 ほっとした顔をした直後の嬉しそうな表情に、自分まで釣られそうになるのを咳払いで誤魔化した。


「今日はどちらへ?」

「イザークに街に連れて行ってもらうんだ」

 街、と言うときに少しの間があった。


 (あまりよろしくないな……)


 きっと下町か花街か、そういう類だろう。

 護衛を撒いたり、王太子に相応しくない悪い遊びを、若気の至りと言って憚らない男の考えそうなことだ。

 男同士の付き合いは大いに結構、いつまでも自分に構ってばかりよりも、同性の友人との交流を深める方が大切だと感じているけど、なんだかなあという気持ちだ。


 確かに仕事の最中は書記という名目で一番近くにいるとはいえ、年頃の少年が妙齢の女の子を連れたまま遊ぶには窮屈で、遠ざけられるようになっている。


 しかし反対すれば反発されるだけなので、フリッツたちの遊びの内容に口出しはしない。

 そろそろ巣立ちの時期なのかなと思えば、少し寂しい気もするが、これが正常な関係なのだと思えば応援したくなる。


 とはいえ護衛に声をかけずに、抜け道のようなところからこっそり王城を出るのは、如何なものかと思う。

 アウレリアにとってフリッツはどこまでいっても出来の悪い弟でしかないのだ。


「門限は晩餐ですからね。ちゃんと着替える時間も考慮してください」


 流されて許したのではなく、外出を阻止したところで今日は仕事にならないと、判断したからだと体裁を整えながら、一言物申しておく。


 半月ほど前、晩餐ギリギリに帰ってきたフリッツが、身だしなみも整えずに食堂に向かったのを覚えている。

 そのとき叱られたのは何故かアウレリアで、一緒に遊び歩いた側近たちは無罪放免だったのは、未だに釈然としない。


「程ほどに遊んでくるよ、時間までには戻るからそうカリカリしないで、お土産を買ってくるからさ! それと今日の分の書類。清書よろしくね!!」


 その言葉にヨハンを始めとする側近全員がイラっとした顔をする。

 渡されている書類は十枚。残業確定だ。

 溜息をつきたいが、吐いたらついたで嫌味が返ってくるだけだからぐっと我慢する。


「判った、あまり遅くないようにね。王妃陛下が心配するから」

 もうじき二十歳を迎え、既に公務をこなしている男に言うべき言葉ではないが、言わないと羽目を外し過ぎるから仕方がない。


 フリッツの後姿を見送ると、猛然と仕事に取り掛かった。

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