05. 吹雪の中で
森の中で実家に帰ろうと決めた翌日、外は吹雪だった。
「もう雪は降らないと思っていたのに……」
「この時期、何日も吹雪きますよ……って、お嬢様は領地にお戻りになったことがないんでしたっけ?」
毎年のことだと言うローラは、言った後に私がずっと王都に留まっていて、領地に来たことがないのを思い出した。
本当なら今朝ポーラに帰郷を告げて荷造りを始め、翌日は帰る予定だった。
だけど何日も吹雪くなら、当初の予定通りあと数日は滞在しないといけないだろう。荘園はクラルヴァイン伯爵領と隣の領地の境界にあり、早朝に馬車を出したら、日暮れ前に屋敷に到着するくらいの距離になる。
さほど遠くないとはいえ、視界の悪い吹雪の中で移動するのは自殺行為だ。
「本当はお母様が再婚したときに来たかったんだけどね、中々帰省もままならなくて」
成長してからもフリッツは私を手元に置いておきたがったから、デビュッタントまで一度として実家で寝ることもできなかった。帰るのは年に数回、日帰りなのが当たり前で、母が再婚した時、実家に三泊したのが、二度目のお泊りだった。
その後、あまりに帰省しなさ過ぎると周囲から諭されて、フリッツが折れる形で年数回、実家に泊まりで帰省するようになったとはいえ、毎回たった一泊しかできなかったから、領地に足を踏み入れるのは適わなかったのだ。
だから地方視察の時に私を置いていくと聞いて、ようやく姉離れができたと手放しで喜んでいた。
結果的にアウレリアが退職に追い込まれる結果を作っただけだったが。
「貴族の方は働かないと思っていましたけど、王城勤めは大変ですね」
「貴族と言っても跡取り以外は財産分与がないから、働かないと食べていけないよ。それに王族の肌に触れて良いのは貴族のみと決まっているから、王族の侍女は全員貴族女性だ。騎士団の総団長は代々、エルベン公爵家の当主だし」
総団長はいわばお飾りなので、公爵家の当主という肩書きがものを言う。実際の指揮権限は各騎士団の団長であり、総指揮は第一騎士団の団長が執る。
お飾りだから戦場に赴くことはない完全に後方勤務だ。
しかし予算を分捕ったり、閣僚たちに根回ししたりといった王城での戦いでは、実に有能だと評価が高い御仁でもある。
「そんなもんなんですねえ」
へぇと軽く驚いた声を出す。
案外、貴族の常識というのは、庶民に知られていないらしい。逆に私は庶民の生活を知らないのだから、こういうものだろう。
「お嬢様、薪木の補充が終わりましたから下がりますけど、くれぐれも節度を持ってくださいね」
雪と共に一段と冷え込んだから、今日一日を居間でディートハルトと過ごす。唯一の上級使用人であり、一人きりの侍女であるポーラは階下でほかの使用人と過ごすのだが、部屋を出る前にきっちりと主人に釘を刺した。
ついでに無言でディートハルトに「判っているな」と言いたげに一睨みしてから退室した。
「あなたの侍女はしっかり者だな」
「単に職を失いたくないだけだと思う。下級使用人と上級使用人では給金から待遇までまるで違うから」
私がはしたない真似をすれば、ポーラは下っ端に逆戻りだ。もしかしたら職を失うかもしれない。彼女のディートハルトに対する態度は褒められたものではないが、未婚の男女が一つの部屋で過ごすのだから、仕方のないところもある。
今日のように寒い日は主人と同じ部屋に控えるために、火から遠い場所に待機するより、竈の火に温まりながら、気の置けない同僚と過ごしたいのだろう。料理人は下級使用人とはいえ料理長の下で長年仕事をしており、独り立ちする日も近いらしいから、立場的には似ている。使用人の中でも割と仲が良い方らしい。
「取敢えずお茶でも飲んでゆっくりしよう」
火に掛かっている薬缶が、シュンシュンと良い音を立て始めていた。暖炉の横には補充用の薪がたっぷりあり、一日中、火を絶やさないくらい贅沢をしても足りなくはならないだろう。
手際良く茶を淹れて出す。葉はアウレリアのお気に入りの物で、王都を出る前に数ヶ月分を買い込んでいる。買ったときは木箱に入っていた葉は、陶製の容器に移し済みだ。
「美味しい、良い葉だね。さすが伯爵家だ」
「クラルヴァイン邸で飲まれているかは判らないな、私のお気に入りなんだ。王城で上司のために用意されている茶葉の中から、お気に入りを買って持ってきた」
「王城で飲まれているのと一緒なのか、とても贅沢だ」
「お父上が生きていた頃なら、実家で飲んでいた程度の品だと思うけど?」
ディートハルトの佇まいは高位貴族と言ってもおかしくない。相続問題で家を出たとした聞いておらず、家名は知らないけど、所領の大きな家だろう。
「子爵家の出だからさして裕福ではないよ。もし高位貴族だと思われてたら、家庭教師が良かったんじゃないかな」
(裕福ではないのに、有能な家庭教師?)
公爵家の分家とか古い家門から分かれた家の出身だろうか?
優秀な家庭教師なら大抵はコネの多い貴族が数年先まで抑えている筈だ。
「実家はブレーミヒ子爵家だ。一応、両親の実子の扱いにはなっているけど、実際は養子だ」
声を一段落とす。扉も窓も閉じているから、扉の外で耳を付けて盗み聞きしようとしても無理な声量だ。
「それは……揉めるね、絶対に」
私も同じように声を落とて返しながら、素早く貴族年鑑を頭の中で検索する。
ブレーミヒ子爵家は国王派の貴族であり、忠誠心は高いけど所領はさほど大きくなく、平均的な子爵家の規模だ。確か先代子爵は若い頃に王城務めをしている。子は四人。末子は上三人と歳が離れていた。
王城は人が出入りする人が多いから、不審者も紛れ込みやすい。
だから貴族の家族構成は大体のところが頭に入れて、身元が怪しげな相手を通さない必要が出てくる。
「父の遠縁の子らしいんだけどね。僕が生まれる直前に父が事故死して、母はショックで産気づき、その後、産後の肥立ちも悪くて儚くなったとか」
普通は両親の親兄弟が引き取るところだけど、経済的に厳しかったり、そもそも一人っ子で親も早くに亡くしていれば、近しい親戚の元に送られる場合もある。
ディートハルトはそういった事情で、ブレーミヒ子爵に引き取られたのだろう。
「問題はブレーミヒ家の母が、僕を父の実子だと思ったことなんだ。愛人との子を家に連れ込んだと思ってね。父は何度も違うって言ったんだけど。お陰で両親の仲は冷え込むし、僕たち兄弟の仲は最悪だ。あまりに関係が拗れた所為で、僕は十五歳から国外に留学していてね。昨年、二十歳になって帰国したら父は亡くなっていた」
ディートハルトは寂しそうな顔をする。
当然だろう、長い間離れて暮らし、ようやく再会できると思ったら亡くなっていたと知ったのだから。
「国を出るとき、父からすまないって謝られたよ。家族の温もりを与えたかったのにできなかった、辛い思いをさせて申し訳ないと。多分、母や兄たちにも詫びていたと思う」
様子が目に浮かぶようだった。
原因が血の繋がらない赤ん坊を実子と偽った先代子爵にあるとはいえ、まさか相続を巡って弟を殺そうことまでは及びもつかなかったのだろう。出生を偽るのは違法ではあっても、問題が発生しない限り黙認されれる程度に軽い罪だ。大抵が当主が外で作った非嫡出子を嫡子と偽って、身分を確立させるためだからだ。
非嫡出子に嫡出子としての身分を与え、財産を相続させたり後継者に据えたりするのは、ないがしろにされる嫡出子にとっては不幸だが、家の外にはさしたる影響はない。
そして家庭の問題は家庭で解決すべきという目で見られるから、他人が口を出すこともない。
「お父上は優しかった?」
「ああ、とても優しかった。でも溺愛とは違うかな。悪いことをしたらキツく怒られたよ」
現在のディートハルトからは想像もつかないけど、幼い頃はヤンチャだったのかもしれない。
「兄君たちとは?」
「十歳になる前に一緒に暮らしたのが最後かな。あまりに仲が悪過ぎたから僕は父上と一緒に領地で暮らして、兄たちは母上と一緒に王都で暮らすことになったから。姉上はその頃すでに嫁いで家に居なかったけど」
一緒に暮らしていなかった姉にしても、仲は良くなかったのだろう。実家の話に出てくるのはお父上だけで、それ以外の人物が出てきたことは殆どない。
「上手く行けばもう二度と会うことはないよ。分かり合えないままの別れになるのは心残りかもしれないけど、貴族ならよくある話の一つでしかない」
「……まあそうだね」
アウレリアの言葉は慰めにならなかったが、これからの楽しい記憶で、実家の辛い記憶を上書きしようと心に誓うのだった。