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02. 荘園の朝

 朝、まだ日が山の稜線に隠れている時間に目が覚める。

 貴族の朝としてはかなり早いけど、毎日の日課が身体に染み付いていた。


 空気を切る音が小気味よい。

 素振りを一通り終えたら次は型を取る。


 フリッツが私と一緒でなければ嫌だと泣いたから、付き合いで始めさせられたものだけど、身体を動かすのは気持ち良く、強制されなくなっても続く日課だ。


 今となっては逆に剣を振らなくては一日が始まらない。身体を動かしているお陰で太りにくく、食べたいものを我慢する必要がないのも、剣の鍛錬を続ける大きな理由だった。

 もっとも長年、剣を振っているけど腕前はほどほどだ。


「お早いですね」

 声をかけられた方向を見れば、村人が屋敷の手前にいる。掃除や洗濯といった下働きのために、毎日人を寄越すように村長に声をかけてあるのだ。人選は任せてあるから、毎日同じ人が来るとは限らないけど顔ぶれは固定していて、数人が交代で通っている。


「毎日の日課だから、やらないと調子が出なくてね」

 笑って返すと村人は会釈して屋敷の中に入っていった。


 都会住まいの貴族の令嬢の間では、男装して剣を振り回すのが流行しているのだと思ったかもしれない。

 勿論そんなことは全くないのだけど。


 意識を剣に戻して、また構える。

 流れる汗をそのままに無心で剣を振りステップを踏む。

 フリッツの顔が目の前に浮かび、打ち消すように振り下ろす。

 何かにつけ「女の癖に」という王太子の側近たちに蹴りを入れる。

 剣なんて女の子らしくないと嫌がった、幼い自分を横薙ぎに払う。


 汗が目に入った。

 一瞬、視界がぼやけるのも気にせず剣を振り、身体を捌く。

 肩で息をする頃には、少しだけ気持ちが落ち着いていた。




 ゆっくりと湯浴みで汗を流して食堂に行けば、既にディートハルトが席についていた。

 朝食は半分ほど無くなっている。

 どうやらのんびりし過ぎたらしい。


 機嫌良く挨拶するディートハルトは、昨夜に続きとても美味しそうに食べている。

 見ていて気持ちが良い。


「久々に朝から料理人の食事を食べられるのは良いね」

「我が家の料理人の味を気に入ってくれて何より」


 普段は村人の食事だから、黒パンと塩だけで味付けした炒った卵と茹でた腸詰くらいしかないらしい。

 私が訪れるときは、クラルヴァイン邸から料理人見習を同伴するとともに、白パンや肉の加工品やその他食材を持ち込むから、村人の料理ではなくなる。


 ディートハルトの存在を両親に内緒にしているので、私が居ない間は実家から連れてきた使用人を置くことができない。そのせいでどうしても食事の質が落ちてしまう。


「私ものんびりと出来たての料理を食べられる機会はあまりないから、朝から落ち着いて食事ができるのは嬉しい」

 見習いとはいえ賄い料理を一人で任される経験と腕前があるから、町の料理屋と比べても十分に美味しかった。

 香辛料や香草のたっぷり効いた腸詰は肉の臭みが全くなくて肉汁が滴り、オムレツの中からは蕩けたチーズが溢れ出す。


 王城の料理も美味しいけど、勤め人が多く一度に何十人分も用意する所為か、出来立てを食べられるのは稀だった。貴族階級出身の上級官吏や上級使用人専用の食堂を使っていたから、実家で食べる料理と遜色ない食材と料理人のものを食べていたけど、やはり湯気の立つ料理には敵わないのだ。


「この後、直ぐに遠駆けで大丈夫かな?」

「ええ、問題なく行ける」


「朝から随分と熱心に剣の鍛錬をしていたみたいだけど?」

 どうやら見られていたらしい。

 食堂からは見えない位置だから、私室から見下ろしていたのだろう。


「毎朝の日課だから。汗を流した後の食事は美味しいでしょう?」

 ニヤっと笑って返せば、思い切り納得された。

 少し普段より鍛錬に力が入っていたのは、この際置いておく。


「食事は美味しく食べたい派で嬉しい」

「気が合うね。料理を美味しく食べないなんて、人生の半分を損していると思ってるよ」


 打てば響くような返し。

 良いな、美味しいものを美味しいと言い合いながら食べられるの。


 しかも誰かと一緒に食べられる食事はかけがえがない。

 大勢が利用する食堂だったけど、誰かと話しながら食べるというのは、母が王城を辞してからは一度もない。フリッツは基本的に両親と一緒だから食事は別だった。


「良い食べっぷりだね」

「普通の令嬢よりも身体を動かしてるから、遠慮しないで食べられるんだ」

 異性の前で小食なところを見せて女性的だと披露(アピール)する気は毛頭ない。

 もちろんはしたないなんて気持ちも。


「良いことだ。体形を気にするなとは言わないけど、直ぐに倒れるほど食べないのは身体に良くない」

「あれはね、本当に身体が弱いのではなくてね、都合が悪くなったときの逃げなんだ。見たくないものを見ずに済むし、何よりその場から逃げられる上に、目覚めたら大抵は事が終わって、事後報告を聞くだけで済むから」


「――!! そういうことなのか」

 暴露すれば、思った以上にビックリしている。案外、男性には女性の事情は知られていないのだろうか。


「デキる殿方としては、女性の身体が傾いだら、床に落ちる前にそっと抱きとめて寝台まで運ぶことと、作られた弱さに気付かない振りで気遣うことができれば十分。心配するのは素振り以外必要ないよ」


「なんというか……身も蓋もない言い方だね」

「実際、身も蓋もないから。確かに小鳥が啄ばむくらいしか食べてない令嬢は身体が強くない。特に最近は柳腰が流行だから、食事制限がキツいらしいよ。私には理解できないけどね」


「僕にも理解できないよ。身体は丈夫な方が良い。直ぐに倒れるなんて心配でしょうがない」

 私の朝食の量はきっと普通の令嬢の三倍はあるかなと思いつつ、食事を終え、のんびりと食後のお茶を楽しむ。

 私よりも随分と早く食べ始めたディートハルトも、食べ終えるのは私と同じくらいだった。


 こういうさり気ない気遣いが嬉しい。

 席を立つときは晩餐のとき同様、椅子を引かれる。

 淑女として扱われるのが新鮮過ぎて、思わず赤面しそうになるのを抑えるのが大変だった。

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