10. 断罪
「リア! クラーラに嫌がらせはやめてくれ!!」
朝、執務室の手入れをしている時間帯に怒鳴り込んできたのは、部屋の主その人だった。
「顔も合わせていないのに、嫌がらせも何もないと思うんだけど?」
フリッツと三人でお茶を楽しんでから約一か月、クラーラの行動を抑制した覚えはなく、二人の逢瀬に干渉した覚えもない。
「身に覚えが無いとは言わせない!」
「覚えがないかな」
即答した。
感情のままに怒鳴るというのは、王族として厳しく自分を律するように教育されたフリッツには珍しい。
だが今は怒りに身を任せている。
「そもそもどうやって嫌がらせができる? 彼女が王城に赴くときは、必ずフリッツが傍に寄り添っているのに」
今は怒りで冷静になれていないが、落ち着けば判りそうなものだ。
そんな下らないことに費やす時間なんかない。あったとしてももっと有意義な時間の使い方をするか寝る。まともな休日は月に一日もなく毎日残業しているのだから、寝るほうが余程有意義だ。
「一体、何があった? 何故苛める必要がある? フリッツは両陛下の一人息子で妃を決めるのが急務なのに、どうして国益を損なうような真似をしていると思った?」
早く結婚しろと思っている王太子の妃候補を苛める理由がない。
「クラリス・アットリートの名に覚えはないか、茶会に招かれた客なんだが」
「フリッツの最初の見合い相手だね。筆頭公爵家の令嬢だから、妃候補を招いた茶会なら当然呼ばれると思う」
妃候補を参加させる茶会の人選用の名簿に挙げていた。
しかも一番上に。
「ドーリス・アンデルス、エルゼ・バッヘム、エーファ・ハーケン、ヘルマ・ハイドリヒ、イレーネ・ヘリングの名は?」「皆、宮廷行事に招かれるような家の令嬢だね」
「君がクラーラを苛めるために選んだ令嬢たちだろう! 何でそんなに他人事なんだ!! 可哀想にお茶会で泣かされて帰ってきたよ!」
(令嬢たちを招いたお茶会で嫌な思いをしてフリッツに泣きついたのか。王太子の名で開かれた場だから、私が手配したと思い込んだってこと……)
実際に手配したのも招待状を送ったのも王妃陛下かその侍女だ。お友達候補を選んだのは私だけど、誰が選んでも外さないような人選だったし、特に嫌がらせの意図はない。
「私が選んだのではなく、王妃陛下が選んだのでしょう? 令嬢たちの実家や社交界での立ち位置を考えれば、誰でも同じような人選になるだろうと思うよ」
私の言葉に「やっぱりリアの差し金か!」と怒りを増した。
そうじゃないだろうという言葉は、言ったところで耳に入らないだろう。
「クラーラ様が恋人止まりならお友達だけで固めるけど、婚約者なら妃になってから必要な人脈を優先する。それだけだよ」
「もういい、君には失望したよ」
私も失望したと言いたいけど、言い争って良いことなど一つもない。
「馘ってことで良いかな?」
「ああ、今日からもう仕事はしなくていい」
乳姉弟という立場は、主の寵愛だけで職に就いている。だから寵愛を失うというのは、そのまま失職と同義だ。
「判った、あとで辞表を中書省に出しておく。私室の片付けが済み次第、出て行くよ」
私は執務室の鍵をフリッツの机に置いて退室する。
生まれて直ぐに王城に住まいを移してから二十年、ずっと王城住まいだった。
お母様が乳母を辞め実家に戻るときには、私も一緒について行くと大泣きしたけど叶わなかった。
まさかこんな形で王城を出て行くとは思わなかったけど、実家暮らしは夢だった。
こんな機会でもなければ、きっと実家に戻るのは何年も先になっただろうと思うと、機を逃しては駄目だという気持ちが優先した。フリッツとの仲違いは寂しいけど、生まれてからずっと一緒だったのだから、きっとまた姉弟のような付き合いができるだろうと楽観している。
「二十年、ずっと住んでいた部屋だけど、大した荷物がなくて助かった」
仮住まいだと思っていたから、荷物は増やさなかった。ほかの令嬢のように着飾る必要がなかったのも、荷物が少ない理由の一つだ。
フリッツがデビュッタントのときに「似合わない」と言ってから、ずっと男装で通していたのが、思わぬ利点になるとは。
ドレスより動きやすくて、楽でいいと思っていたというのもある。
何せフリッツは書類を届けさせるのを急かすことが多かったから、走ることも多かったのだ。ドレスではとてもではないがやってられなかった。
それに一切、社交を行わなかったから盛装は一枚もなく普段着ばかりだ。流行があるから季節の変わり目に衣装を新調する。だから衣装棚には今季のものしかなく、荷造りは簡単だ。
ほかは誕生日にフリッツから送られた小物や、自分が気に入った文具などだから大した量ではない。実家に馬車の手配と長持を二つ用意してくれるように頼むだけで事足りた。片付けの人手は不要で、荷物持ちが何人かいれば済む。
私室に戻り、国王への最後の報告書を送れば、もうやることは残っていなかった。




