如月正明の受難1
お読みいただきありがとうございます。
御門が亨と出会う少し前のお話です。
今日は恋人の誕生日だった。
如月正明は、出張で会えないと彼女に伝えていたが、実はこっそりと彼女の家で待ち伏せをしてサプライズをしようと決めていた。
付き合って半年だが、年齢的にも結婚を視野に入れた付き合いに発展させたいと思い始めるほどに、如月は彼女との交際を真剣に考えていた。
ロマンチックな演出が大好きな彼女の為に、最高のサプライズでプロポーズしようと、如月は心に決めていた。
『出張でお祝いはできないけど、君が帰宅する19時頃にプレゼントを届けるようにしたので受け取ってほしい』
事前にそう連絡をしていたから、真面目な彼女はきっと仕事が終わると真っすぐに帰宅するはずだ。
彼女の帰宅時間は大体いつも18時半から19時である事は把握しているので、如月は18時からずっと彼女の部屋の近くの階段に潜んでいた。
彼女の住むマンションは、ワンフロアに4つしか部屋がない。2戸ずつがエレベーターを挟んで向かい合わせに作られていて、そのエレベーターの隣に如月の潜む非常階段はある。
18時45分。彼女の部屋がある8階にエレベーターが止まった。
時間的にも彼女だろう。
逸る心を抑えて、如月は彼女のフロアから階段を上った踊り場に隠れてフロアの様子を見守った。
刑事という仕事上、こう言った張り込みは得意だった。
ましてや、人畜無害を体現したような平均的で特徴もない外見は、ぱっと見ただけで誰かの印象に残るような存在感はほぼない。
その存在感の無さが今はこうして役に立つのだから、人生は面白い。
エレベーターが開くと、会話が聞こえてきた。――会話?
「――本当にいいわけ?彼氏からプレゼント届くんじゃないの?」
若い男の声だ。
「だって受け取らなきゃバレるじゃない。――ほんと、誕生日も仕事とかありえなくない?」
彼女の声が続く。
「だからって彼氏の留守中に男家に連れ込むなんて、真綾も悪い女だよな」
「だって、公務員だから結婚相手にはいいかもしんないけど、ぶっちゃけつまんないんだもん」
「体は俺の方がいいんだろ」
如月は目の前が真っ暗になる気がした。
彼女から普段聞くことのない、甘ったれた声が鼓膜を容赦なく揺さぶる。
如月は手にした指輪の入ったケースを黙ってポケットに仕舞うと、ゆっくりと階段を降りた。
「え――正明……なんで」
「げっ」
如月に気付いた真綾は、取り出した鍵を落とすほど驚き、男は硬直している。
「サプライズ――のつもりだったんだ。君、そういうのが好きだって言ってただろ?」
驚いたのは俺もだけどねと、如月は乾いた笑いを浮かべながら二人に歩み寄ると、手に持っていた花束を真綾に渡した。
「誕生日おめでとう。俺は邪魔みたいだからこれで」
そう言うと、如月はまだフロアに止まっていたエレベーターのボタンを押した。
「ちっ違うの!」
何が違うというのか、会話も全て聞こえていたと言うのに。
開いたドアからエレベーターに乗り込むと、如月は黙って閉じるボタンを押した。
「ってかさー、何人目よそれ」
食前酒のスパークリングワインを流し込むように飲みながら、呆れた顔で大和御門が吐き捨てるように言った。
「5人目だよちくちょう」
如月もまた食前酒のマティーニを苦い顔で飲み干しながら答えると、御門はわざとらしい溜息をついてみせた。
「そのたんびにこうやって付き合わされる身にもなれよな」
「いいじゃないか。ここの予約中々取れないんだよ。東雲さんに口きいてもらってやっと取れたんだからキャンセルするのもったいないじゃないか」
二人は如月がプロポーズに使おうと思っていた、真綾が行きたいと言っていた高級レストランに来ていた。
半年先まで予約で一杯だとふれこみの通り、ひと月前に電話したところで当然予約なんか取れなかったと、東雲に愚痴ったところ、3日後東雲から「予約が取れたよ」と笑顔で伝えられた時は、東雲と長い付き合いの如月もさすがに驚いたものだった。
「本当、あの人何なんだろうね――顔はいいわスタイルはいいわ仕事はできるわ……高級レストランの予約までやっちゃえるわ……」
がっくりと肩を落として、如月は自分と東雲の違いをいやという程痛感していた。
「あのおっさんは胡散くせーからな。比べるだけ無駄だって」
御門の言葉に如月は納得したものの、それでも持って生まれたものの違いのせいなのだろうかと、増々落ち込みそうになったので、料理が来るまでに一旦頭を冷やそうとトイレに行くと言って席を立った。
不必要に豪奢なトイレで用を足して出ると、トイレの前でフロアマネージャーの男性が如月を待っていた。
「本日はお連れ様のお誕生日のお祝いと――その、プロポーズとお聞きしています。タイミングとしてはどのあたりかお伺いしてもよろしいでしょうか」
マネージャーの言葉に如月は目の前が真っ暗になるのが分かった。
マネージャーに事情を説明して席に戻ると、御門が退屈そうに座っているのが見えた。
周囲の客はもちろんだが、スタッフまでもが男女問わず御門の姿を盗み見ている。
――そうだ。こいつも東雲さんに負けず劣らずの美形だったんだ。
如月は全てが嫌になる気持ちを押し殺して席に戻ると、運ばれてきた料理を砂を噛む気持ちで処理し続けた。