第1話 新しい世界(上)
夕方。
インターホンの音に玄関の扉を開ければ、そこには同じクラスのイオリが、不機嫌な仏頂面で立っていた。
「はい、プリント。今回のぶん」
「いつも、ありがとう」
病弱で、ために学校を休みがちな僕は、近所に住んでいるイオリに、いつもこうしてプリントを届けてもらっている。近所と言っても、それなりの距離があるために、下校の道を少し変えねばならないイオリは、毎度のことながら不服そうだ。
僕も悪いとは思っているけれど、好きで休んでいるわけじゃないんだけどな……。
差し出されたプリントを見て、にわかに僕は気がつく。量が多いためなのか、紙は透明なファイルの中へと、無造作に入れられていたのだ。
「わざわざ、ありがとう!」
「先生がね」
訂正ではなく、強調するかのようにして発せられた一言に、僕は何も返せなくなる。おまけに、聞こえるか聞こえないかくらいの、とても小さな声でつぶやかれた、「私がするわけないじゃない」という辛辣な言葉を、運悪く耳にしてしまった僕は、なおさら居たたまれなくなっていた。こうもはっきりと、自分の好きな子から袖にされるというのは、情けないことだけれど、とても辛い。そういえば、僕は病気も辛かった。まさに、泣きっ面に蜂。……ちょっと、あんまりだ。自分の不運を、少しだけ呪いたい気分だった。
「そっか……いつも、ごめんね」
僕は泣きそうになりながら、逃げるようにして家へ戻ろうとした。だけれども、そこに玄関はなかった。というよりも、家自体がなかった。……なんなら、僕の知っている場所でさえなかったと、そう断言できるだろう。
見渡す限りの青い海。広すぎて、心なしか頭がくらくらしてくる。よろけながら足元に視線をおろせば、そこには砂浜がある。白いビーチに埋もれるようにして、僕のサンダルが心なしか輝いていた。ずいぶんと、夏らしいじゃないか。……ますます、僕は病気になりそうだ。
暑い日差し。「夕方じゃなかったの?」という、僕のとんちんかんな発言を、かき消すように思い切り叫んだのは、もちろんイオリだった。
「どこよ、ここ!」
……そりゃそうだ。時間帯なんて、心底どうでもよかった。問い詰めるように、イオリが僕のほうへずんずん近寄ってくるが、あいにくと同じ気持ちだ。僕にだって状況はまるでわからない。
そのまま僕を通りすぎて、イオリは靴が濡れるのも気にせずに、浅瀬のほうへと入っていく。そうして周囲を見渡しているが、やがてはここが絶海であることを知って、少しだけ顔からは血の気が引いていた。
悪態をつきながら戻ってくるイオリを、僕は茫然と見守っていた。やがて、イオリが海とは反対のほうへ、進んでいくことに気がついた僕は、大慌てでその背中を追ったのだった。
そこは森だった。見たこともない木々が乱雑に生えている、深い深い森だった。
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