旧校舎の籠女
女性の笑い声。澄んだ声音から、その声の持ち主は年若い女であることが伺い知れた。それこそ國男たちと同年代の少女。ここは学校だ。女子生徒が居ても何らおかしくはない。
同時に思う。
何故、喜善はこの声に反応しない。
いや、と國男は即座に否定する。反応しないのではない。そもそも、反応できないのだ。何故なら、少女の声は喜善には届いていない。
つまり、この声の主はーーーー
「佐々木、佐々木……さっきからどうしたんだい? 黙り込んだと思ったら、そんな難しい顔をして。君は大柄で顔付きも厳ついから、正直怖いぞ」
「……誰が厳つい顔だ、誰が」
國男は更に顔をしかめた。
ほら厳つい顔をしているじゃないか、と喜善は苦笑する。全く仕方がないな。彼はわざとらしく頭を振って、したり顔を浮かべた。
そのふざけた面を殴ってやろうか。本日、何度目かの台詞を右掌を握ったり開いたりしながら、國男は心の中で毒づいた。呑気な奴め。何とも癪に触る。こいつは分かっていない。アレはけっして、そんな楽しいものなんかじゃない。そんな言葉を呑み込み、國男はスッと目を細める。人一倍、感覚が鋭い人間である自分自身が恨めしかった。
ーーーー後に、居る。
「ふふっ、それに気が付くとは驚きだ。なかなかどうして、良い感をしている。そうとも、私の七不思議には先がある。……ああ、久しぶりだ。こんなに胸が踊るのは」
今度はずっと近く、真後ろから声が聞こえた。その声に反応しないように、國男はぐっと唇を噛む。
「…………」
「おーい、佐々木。佐々木君、本当に大丈夫かい? 怖くなっちゃった? もしかして、ビビってる? へい、ビビってる?」
「うざいな。ビビってなんかいねぇーよ」
うん、そうだね。喜善は素直に頷いた。頷いて、歯を見せて笑った。
「意趣返しに言ってみただけだ。ほら、君は感情をどこかに置いてきているだろう?」
「ーーーーっ」
無言のアイアンクロー。
めきり、と喜善の頭が軋む。
「いた、いででででっ! すいません。調子に乗ってすいませんん。離してくださいぃ!!」
「今度言ったら握り潰すからな」
ぴぃ、と喜善は鳴いた。か細い雛鳥のような鳴き声だった。それを聞いてから、國男は彼の頭から手を放した。
馬鹿力め、と喜善は頭を撫で擦りながら、取り繕うように咳払いをひとつ。
「……こほん。んん、えっと、七不思議の続きなんだけど」
「おい、それまだ続けるのか。旧校舎を出てからでも話せるだろうが」
「いや、折角旧校舎に来たんだから、すぐ帰るなんてもったいない。それに、佐々木はさっきから嫌になるくらい僕を帰らそうとするよね。……もしかして、何か見たのかい? なぁ……君、本当は見えるんだろう?」
何が、とは聞き返さない。
心臓が大きく跳ねる。
「ーーーー見える?」
後から、戸惑う少女の声が聞こえた。
(……止めろ。俺を見ないでくれ。俺に気付かないでくれ)
じっとり濡れた視線を背中に感じながら、國男は心の中で祈るようにその言葉を繰り返した。
「馬鹿言え。俺は何も見えない」
「ふうん。まぁ、良いけどね。それは置いておいても、佐々木は感が鋭そうだし、何か見たら教えてくれよ」
「見えないって言ってるだろうがっ!」
國男の怒鳴り声に、臆した様子もなく喜善はマイペースに話を続ける。怒ることさえ許してくれないヒラヒラとした柳のような彼が、國男は心底苦手だった。
「それで、かごめかごめの続きなんだけど。佐々木はどう思う?」
「どう思うって……」
國男は勢いを削がれ、気まずそうに口をへの字に曲げる。どうせこれ以上彼に何を言っても、暖簾に腕押しというやつだ。観念して、とっと終わらそう。そう思い今度は真剣に旧校舎のかごめについて考える。
……不吉なことが誰かによって引き起こされた。
不吉なこと、それを引き起こす者。それは歌の視点、かごめ……籠女の視点によって、印象が変わってしまう。國男はもう一度、七不思議を思い浮かべた。
『旧校舎の籠女籠女、回りに回って終わらない』
視点によって変わる。つまり籠女がどちらの立場にいるのかという話だ。
籠女が目を塞いで、逃げられず座り込んでいるのか。それとも、後の正面に立って、籠女を見下ろしているのか。
…………それとも、両方か。
まだ、背中に気配を感じる。國男はそれを誤魔化すため意識して、片足に体重をかける。ぎしりと、ささくれた廊下の床が悲鳴を上げた。
後の正面だあれ。まるで、今みたいな状況だ。喜善と後に居るナニか。國男は腕を組んで、浅く息を吐いた。
本意ではないが、かごめかごめをする上で必要最低限の人数が揃っている。全く、最高に最低な気分だ。
七不思議は、大抵胸糞が悪いものだ。だから、最悪な想定で考えるに越したことはない。
両方の視点で旧校舎の籠女を読み解くならば、捕らえられ踞っているのは籠女であり、後の正面も籠女だ。そして、回りに回って終わらない。
つまり、籠女は連鎖する。だから、終わらない。いや、終わることができない。そういう事象が旧校舎の七不思議。
「……後の正面のやつが、次の籠女になる、とか」
へぇ、喜善は感嘆の声を上げた。それから、ぱちぱちと軽く拍手をする。やるじゃないか、とでも言いたげに何度も頷く。
「なるほど、なるほど。それは面白い考えだ。七人ミサキ方式だね」
「七人ミサキ?」
「海辺や川辺に現れる怪異のことだよ。『七人ミサキ 』誰かを一人取り殺すと一人が成仏し、その数が常に七人のまま変わらないってやつ」
「随分と傍迷惑な怪異だな」
「怪異なんて大概そんなもんだよ」
知ってるか。お前も怪異と変わらないくらい傍迷惑な奴だぞ。國男はそう思い喜善に向かって不機嫌に鼻をならした。




