はじまりの夕暮れ
「なぁ、佐々木。水橋学園七不思議って知ってるか?」
昼休み机に突っ伏し眠ることは、佐々木國男にとって学校で唯一幸せと感じる時間であった。故に、頭上から降ってきた声を無視した。邪魔されて堪るかと、ぐっと歯を食い縛った。
「なぁ、佐々木。起きてるだろう?」
――無視。
「おい、おーい、佐々木、佐々木、佐々木ぃ!」
――――無視。
「なあなあ。こら、早く顔を上げろよ。佐々木、佐々木~っ!」
――――――む、し
「ぐっ、だああぁ、うるさいっ!」
限界だった。
國男は机から顔を上げ、飄々とした表情を浮かべる折口喜善を睨み付ける。
「何だ、やっぱり起きてるじゃないか」
「ふざけんな。あんだけ叫ばれたら誰だって起きる」
「そんなことより、どうなんだよ。佐々木は七不思議のことを知ってるのか?」
「そんなことよりって、お前な後で覚えとけよ。……で、七不思議って、動く人体模型とかそんやつだろ?」
「それは、一般的な七不思議だ。僕が言ってるのは、水橋学園七不思議だよ」
「……知らん」
「ふふん、なら教えてやるよ」
「別にいい、興味ない」
「まぁ、そう言うなよ」
國男の言葉を無視して、語り続けようとする少年を心底鬱陶しいと思った。
喜善はどこまでもマイペースで、空気を読まない。いや、彼はあえて空気を読まないのだろう。何故って、そうした方が楽しいからだ。それ以上でもそれ以下でもなかった。
楽観的な快楽主義者が一番厄介な存在である、と國男は喜善から学んだのだ。一生学びたくはなかった、今でも思っている。
國男が黙り込んだことに気分を良くして、喜善は言葉を続けた。
『中庭の蠢く影、ずっと離れず付いてくる』
『回廊さ迷う白装束、手に持つ斧は真っ赤か』
『世にも綺麗な桜の木、そこに何が埋まってる?』
『渡り廊下の先の先、未知の屋敷へご招待』
『プールの水底、揺蕩う赤子、お迎えはまだ来ない』
『家庭科室の料理人、肉をさばいておもてなし』
『旧校舎のかごめかごめ、回りに回って終わらない』
そこまで言って、喜善は國男を見やった。
「これが三橋学園七不思議だ」
「……ぶっそうなもんばっかだな」
「七不思議ってそんなもんだろ。だから、面白いんだ」
「そんなもんか」
頷く。
共感した訳ではない。ただ、話が長くなりそうだったから、素直に反応してことを早く進めようとしただけだった。
最初から無視して教室を出たら済む話なのだが、それはあまりにもな対応だと思う程度の良心は持ち合わせていた。だからと言って、相手のノリに付き合う善人にはなれない。
「佐々木っていつも冷めてるね。もっと熱くなれよ」
「低燃費と言ってくれ。というか、お前が暑苦しすぎんだよ」
そうかな? と、首を傾げる喜善に嫌気が差し、國男はしかめっ面では腕を組んだ。
「……で、折口。そんなこと言うために、お前は俺を叩き起こしたのか?」
「いや、これは前置きだよ」
「なんの?」
喜善は國男の質問に対して、人の悪い笑みを浮かべた。只の笑みじゃない、満面の笑みだ。嫌な予感がする。
「僕はね。この七不思議を解き明かしたいんだよ!」
「……そうか、頑張って解き明かしてくれ。勿論、ひとりでな」
「それで、佐々木には僕を手伝って欲しいんだ」
「おい、折口。お前、俺の話を聞いてたか?」
「うん、聞いていたとも。聞いた上で、聞かなかったことにしただけだよ」
「一番たちが悪い」
「さて、佐々木も納得してくれたところだし、行こうか」
「納得してない」
「今から全てを回るのは不可能だから、まずはひとつに絞ろうと思う」
「こいつ……はぁ、もう好きにしてくれ」
頭が痛い。顔をしかめる國男を気にも止めず喜善は、好きにするとも、と大きく頷いた。
「……で、最初は順番通りでいくと中庭か?」
「いや、旧校舎に行こうと思う」
「旧校舎?」
「うん。僕は好物は最初に食べる派なんだ」
「つまり、旧校舎の七不思議が一番興味があるってことか」
「そうとも言うね」
「そうとしか言わねぇよ」
溜め息を短く吐き、頭を掻いた。それから、諦めをない交ぜた瞳で喜善を見やる。
「さっさ終わらせよう」
「楽しみだね」
「…………」
数秒の沈黙がせめてもの反抗だった。
「うん、じゃあ行こうか」
軽快な足並みで歩く喜善の後ろ姿に、國男はふとした疑問を投げ掛けた。
「――なあ、何で俺だったんだ?」
一拍おいて、喜善は首だけ振り向いた。
「あんまり深い意味はないんだけど。……しいて言うなら、君がいつもつまらなそうにしてたから、かな。佐々木ってさ、気が付けば顔を伏せてるよね。ねぇ、何か見たくないものでもあるのかい?」
「……っ、別に」
唇が微かに震えていた。その事を自覚して、唇を噛む。お前に俺の何が分かる、國男は吐き捨てるように心の中で毒付いた。
「……ふうん。まあ、良いけどね」
たいして興味がなさそうにそう呟き、喜善は教室を後にした。
「くそ、人の気も知らないで……っ!」
自分勝手で、独善的、刹那の快楽を何よりも尊ぶ……誰によりも人間らしい人間。
――――何て、羨ましい。
國男はどこか昏く淀むような眼で笑った。
学校の怪談や七不思議にワクワクするタイプ。