居酒屋
「それで? どうするつもり?」
気にかけるように話しかけられた。
「不思議よね。あの歌姫さんの顔は覚えてないのに、歌声はしっかり思い出せるわ」
「僕も同じだよ」
「そう? やっぱり声に、なにか力があるのかしらね。あの子には幸せになって欲しいって、なぜかそう思うもの。貴方なら、余計にそうでしょ」
大袈裟に着色された歌姫のはなしよりも、ありのままのライアを僕はこの目で見てきた。知りもしないで、弄んだみたいな言い方はあまり好きでは無い。それにいくら聞こうが、この人たちに、ライアの今の状況なんて知るわけもない。だったらこれ以上の長居は無意味だ。話すことなんて、なにもない。
「ねぇ。こんなに時間取らせて、どう返してくれるの?」
距離を詰められ余計に鼻につく香水の匂いと、勝手に触れてくる指先に嫌気が増した。馴れ馴れしく腕に巻き付いて来る手が鬱陶しい。いい加減にしてくれと言っても聞きやしない。
「バカね。この人はお客になってはくれないわよ」
「え〜〜」
「話せることはないから、もうこれで終わりね。私たちも真面目にお客を探してるから」
「でもさ、こんな堅物さんと遊ぶのも案外面白そうなのにな」
「……勘弁してくれ」
……とは言っても、この人たちだって今夜の食事を得るのに必死なのも知っている。
「これで、お礼代わりにしてくれないか」
内ポケットに手をやり、財布を取り出した。時間を取られさたのも事実で、多少は実のある情報も貰えた。彼女たちが求めるなら一晩の代価として二人に渡すことにした。相場なんて一切知らないけど、なにも手は出してないから、額が少ないも何もないだろ。少なくても今晩の夕飯を確保できるくらいにはある。
「まぁ! いいの?」
「じゃ、今度は遊んで行ってよ」
「今度もないよ。今日は、話を聞かせてくれたお礼ってことでお終い」
「ふーん。こんなに断られたの初めて」
彼女たちは少しだけ不服そうにしながらも、受け取ったお金を大事そうにしまい、絡めた腕を解いた。
このお金は本来、僕がお世話になった孤児院のために。今も働いたお金はほとんど全て仕送りをしていたけど、無くなってしまったから、急に使い所が分からなくなったのも本音。彼女たちが今夜だけでも客を取らずに済んだなら、僕としても意味があったとも思う。
「ねぇ、お兄さん。もしかして歌姫を探して欲しいって頼まれたとか? 理由は知らないけど、それならそっとするように雇い主に言った方がいいわ」
媚びるのをやめた女性は、すっと落ち着いた顔をして僕に言った。その言葉に、息が詰まりそうになる。
「どうして?」
「だって。きっと噂どおりその子も、屋敷で幸せに暮らしてるはずだもの」
「……そんなじゃない」
数秒たって、やっと僕は反論した。
彼女たちの姿が遠くになるのを確認すると、ふいにさっきも居た花売りの少女が目に入った。夕食と帰りの汽車代を確認して、残りの額を少し、女の子に手渡した。みんなもこのくらいの年頃だと思うと、きつくなった。こんなことで孤児院のみんなを助けられなかった罪が消えることはないけど、なにかせずにはいられなかった。
少女の頭を撫でると、自分の手が震えてることに気づく。その手で拳を作り力で震えを抑え込み、僕はすぐに酒場へと走った。
“歌姫”として噂されていた女の子は、絶対にライアのことだ。なぜか確信があった。嫌な確信だけど。だってライアは歌うのが好きで、周りもそれを認めているほどだったから。
心を込めて幸せそうに歌うから、その眼差しと姿から目が奪われ、耳を傾けずっと聴いていたくなる。嫌なことを忘れていられんだ。今も、思い出せばその時の歌声が鮮明に蘇る。僕らの居た孤児院は、そうやって暖かい歌声でいつも満たされていた。
時には酒場や広場で歌い、孤児院の幼い子たちのために一人で稼いでいた。自分もそこまで大人じゃないのにさ。だからライアが居れば絶対に孤児院は、廃墟にはならない。させはしないはずだ。ライアがみんなを置いて、貴族の暮らしを選ぶとも思えなかった。何処にも行かず、此処でずっと弟たちを守るのがライアの生き方だったから。
――だけどどういわけか、ライアは姿を消している。歌姫の話は、作り話ではなく、貴族に連れていかれたのも本当なんだろう。
それとも、僕の考えすぎで、もしかしたら、移転に伴い別の場所に居るだけかもしれない。ライアも、弟たちもなんの心配もなく、みんな無事なんじゃないか。そんな淡い期待を頭のどこかでした。
大通りの少し裏手に入ったところ。ここから数分で目的地に着いた。なんせ東部の一番端の街程じゃないけど、働き口に多少困る景気の悪い街だ。不景気だと店の存続も心配になるが……。
「……在った」
思わず、ほっとして見つけてそのまま口に出てしまった。
あの時と同じように、店の外にも少しテラス席が並ぶ酒場が変わらずそこに在った。
「コニーさん!」
勝手は知ってるので、そのまま真っ直ぐ店主の方へ向かう。走った勢いが消えずそのまま、カウンターにひざがぶつかり、前のめりになった。
「此処で歌っていた少女……ライアが貴族に連れていかれたって本当ですか!?」
言ってしまった僕を、店主はまじまじと見る。
「なんだ一息によ、来てそうそう。誰だてめぇは! 歌の上手いだ? ライアを調べたいなら他所に……って、んん?!……お前!! フロンか?」
僕を見つめ品調べしたコニーさんの、グラスを拭いていた手が止まる。コニーさんの元で働かせてもらったり、なにかとライアや僕のことを気にかけてくれた人だ。一年間くらいしか僕はこの街に居なかったこど、五年経った今も覚えていてくれたらしい。
二人して声を荒らげたせいか、周りにいた客も数人、それに反応して視線がこっちに集中した。
「バッカヤロー、お前!! 今まで何をしてた!」
「ら、ライアは……?」
「ったく。あいつは、行っちまったよ。貴族さまに連れてかれてな。お前がここに居れば、どうにかなったかもしれないのにな。馬鹿なヤツだお前は」
コニーさんは、すごい剣幕で怒鳴り僕を睨む。叱りつつも二言目には、もう声は張り上げていない。同情するかのように、かけられる声のトーンと表情が逆に突き刺さる。
「……っ結婚したんですか、ライアは……」
「さぁ。聞いてねぇよ。ライアからその後、手紙は来てない。したならさすがに教えてくれる、と思いてぇが」
「………………分からないってことですか」
「お前がのこのこ来て、責める立場でもないだろよ」
ごもっとも。
また手に震えがもどり、拳に力を入れた。
「この街じゃ良い仕事は見つからないが、それでも街に留まって生活するくらい、お前ならやりようによってはできたんじゃないか」
「……それは…………」
収入の面だけでは無い、どうしてもできなかった。今もそうだ。ライアと一緒に暮らすのを想像しようとしたけど、それさえ心が拒否している。ライアと居た時のことをありありと思い出し俯くと、「相変わらず肝の据えられない野郎だな」と、頭をどつかれた。
――お前が、ライアと一緒になるとばかり思ってた。
それはこの街を出る時に、酒場の店主から言われた言葉で、孤児院の弟にも似たような事を言われた。なんでライア姉を置いていくんだ、と問いただされたのを今でも覚えてる。
ライアとは一緒になるつもりは、最初からなかった。それだけは、どうしても僕にはできなかった。それでも、その中で精一杯のことはしたはずだった。どうしたら良かったのか。僕にどうしろというのか。……できることなら、僕もライアの傍にいてあげられる人間でいたかった。
「なにもその気のない奴に、ライアのために一緒になれだとか、なにかしろとは口うるさく言わねぇ。好きでもないなら、それまでだ。だけどな、俺はお前に期待してたんだ。わかるか、フロン? 昔のことはいい。今、てめぇ自身の気持ちはどうなんだ? 貴族の男に連れていかれて、何を思う? どうしたいんだ?」
僕の? 一瞬気が迷い、首を心の中で振る。
「ライアを見つけるため、屋敷に乗り込みたい」
「その先は、どうする?」
コニーさんはさらに切り込む。答えられずお茶を濁す言葉を返した。
「会ってどうする気だ。屋敷から連れ出すのか? その後はどうだ? どうせまたライアの前から消えちまうんだろう? それとも今度はちゃんとするか? 答えろ」
半端な回答は許さない。店主は僕の曖昧な返事を逃そうとしてくれそうになかった。好きだとかそんな名前をライアとの間に付けたくない。会いに行って、どうするつもりかも何も約束できない。一緒になる未来なんて、考えたこともない……。けれど、ライアを助けに行きたい。
「ライアをどう思ってる?!」
「ら、ライアは大切な家族だ」
今、行かなきゃ絶対に後悔する。
僕の言葉に、酒場に心底呆れたため息が立ち込める。
「ったく。そんな眼をしておいて、まだそれを言うか。言葉と合ってねぇんだよ。なんで好きだって、たったそれだけの事が言えない?」
「考え叩き直すまで会わせたくねぇけどよ。ライアは、お前に……。約束もしてくれない青二才野郎だとしても、それでもそんなお前に会いたがってるだろうさ」
悪態をつきながら店主は背を向けた。確かここに仕舞ったはずだ、と奥へ引っ込むとガサゴソと音を立てた。そして少しして、「これだ」と言いながら戻ってきた。それを僕に手渡す。もとい、その前に持ってきた『それ』で僕の頭を軽く叩いた。特に痛みはなく、紙だと分かった。
「ライアに会いに行くって言ったな。その言葉に嘘はないな」
「はい」
「本当は、すぐにでも教えてやろうと思ってたのに、お前、五年消息不明だからよ」
言い返す言葉もない。孤児院のために外で働くとそれぽいこと言って、ライアから離れたのは僕自身だ。
「フロン、ライアに住所も教えてなかったみてぇじゃねぇか! ライアが手紙の送り方を知らないだけかと思ったら、そもそも住所も教えてないとはな。この馬鹿が」
「あの時、もう会わないつもりで出たから」
あの時の決意を口にすると、開き直るな! とぴしゃりと叱られた。
「ところがお前はライアの危機に、血相変えて飛んできた。それが答えなんじゃないのか」
認めたらどうなんだ? と、何度も圧をかけらているのを感じる。そのたびに心の中で考えないように流している。少しでも考えようとすると、嫌なことを思い出しそうなって思考が停止する。
渡されたのは、小さな白い封筒。封筒を開けて手紙に視線を落とす。
『フロンへ』と最初に書かれた文に、なぜかそれだけで身が引き裂かれる思いがした。僕が知っているライアは、読み書きがあまりできずにいた。僕が教え、街を出た後もあれから努力していたんだろう。前より綺麗になってるが、それでもすぐ分かる。
「……ライアの、字だ」
「感謝しろよ? フロンが戻ってきた時に、渡してくれて頼まれて、ずっと持っててやったんだからな」
頷いた気がする。でも僕は、一刻も早く読もうと手紙に夢中になり、ちゃんとお礼を言ったかあやふやになった。
その手紙には、僕がどこにいるのか問うことも、連絡を一切しなかったことへの不満も、何でいてくれないのかと責めることも、愚痴だって何一つ書かれていない。ただ短く、誰の屋敷に行くのか必要なことだけが綴られていた。会いに来て欲しいとか、遠回しの期待の言葉も添えられてはいない。五年前の別れ際に“また会いにいく”と言うのを一切拒んだ僕に、ライアはこれが最後になるとしても、なにも言わずに気を遣ってくれたのが分かる。
本当は、不安だってあっただろうに、それさえも一切書かれていない。唯一、あと一行添えられた言葉は、“もしなにかあったら、みんなをよろしく頼むね”とそれだけだった。
素っ気ない手紙なんかじゃない。僕がそうさせている。ライアが、どんな思いでこの手紙を書き残し孤児院を後にしたか、想像するだけで胸が締め付けられて痛くなった。
「ライア……」
「分かったか、大馬鹿野郎」
「ライアは、屋敷で幸せになったと思いますか?」
「それなら、さっきも言ったがライアなら手紙をくれてるだろうよ。幸せになったから、迎えに来なくていいってよ。嘘でもそんな手紙寄越さないのは、今も誰かさんを待ってるからじゃないのか?」
思わず指先に力が入り手紙がくしゃくしゃになる。
「お前が一番分かってんだろ? この街出る時、ライアとなに話したか知らねぇけど、もう一度会いに行ってやれよ。会って全部、どう思ってるのか聞いてやれ」
ガツンと咳が出そうになるほど強く叩かれた背中が、全身を熱くさせた。
「そして、貴族のヤロウからライアを連れ戻して来れるように、神さまに祈って待ってるからな!」




