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孤児院の前



 ――今の、誰のことだ?


 孤児院の前で。いや、孤児院だったはずの廃墟の前で、どのくらい立ち尽くしてしまっただろうか。孤児の歌姫だって? 身に覚えのある人が会話に出てきた気がして、はっと我に返った。真っ暗だった世界が、その瞬間から一気にたくさんのものが流れ込んでくる。


 秋から冬にさしかかる空の下、夜のうす暗闇と肌寒さ。ガス灯の灯りと、少し霧がかるぼやけた風景。仕事を終えて駆け出す誰かの石畳の音。全身黒くすすまみれになった煙突掃除の少年が吐く、白い息。まだ仕事を続ける花売りの少女の、恵みを乞うか細い声。馬車が先を急ぐようにして駆ける振動。

 ――そして一際耳に届く、まるでどこかにありそうなロマンス小説に華を咲かせる声。

 

「……っ! あのっ」


 その話は、僕にとってとてもじゃないけど、笑い話なんかじゃなかった。まさに今、自分自身がその場に居合わせたように感じ、血の気が引いた。


「すみません、今の! 歌の上手い少女って言いました? さっきこの街でって。連れていかれたって…その子の名前は!」


 女性二人のおしゃべりに矢継ぎ早に急に話掛け、びっくりさせてしまったのか、会話が止まる。けれど、顔を見合わせてすぐに声を出して笑い出した。そのうちの一人が肩のショールをかけ直しながら、僕に向き直る。


「やだぁ。本当に、お兄さんから話しかけて貰えるとは思わなかったわ」

「だから言ったでしょ。やってみるものだって!」

「ユリアは又聞きのくせに」


やれやれと肩を窄めた彼女を横に、ユリアと呼ぼれた女性はお構い無しに僕の手を無許可に取った。


「ねぇ、あなた! その辺の男とは違いそうね。それによく見ると格好いいし。ローゼも見て」

「そういえばそうね。どこかの侍者とか? 今日はお休み?」


 二人は距離を詰め僕を囲むように立つ。垂らした髪を見せるように耳にかけ、香水の甘い香りがふんわりとした。思わず、手を振りほどき一歩下がり距離をとる。


「もう一度、その話を聞きたいのですが」

「そんな大真面目な顔しちゃって。なぁに? その子と知り合いなの? え、まさか惑わされちゃった人の一人?」

「っ! 僕は、そんなんじゃない」

「もぅ、つまんない。怖い顔。冗談通じなそうなお兄さんには、残念だけど。あたしたち、男の人と寒い夜に立ち話したいわけじゃないの。分かるでしょ?」


 女性は僕の頬に人差し指で触れ、首を傾けた。というより首筋をわざと男に見せるような素振りだった。違和感は感じてたけど、そこまでされて、やっと気づく。慌ててたし、陽が落ちていてすぐには気づかなかったけど、改めて二人を見ると、眼を惹く化粧に、指先の紅。歳は僕より少し歳上で二十は超えているように見える。誘う雰囲気でこの人達は娼婦だ。……普段なら近づかない相手だったけど、今はそうも言ってられない。僕は僕で確かめたいことがあるし。咳払いをし、改めて聞いた。



「その話、誰から聞いたんですか」

「……はぁ、もう面倒な人ね」

「いいから早く」

 女性は仕方ないわねと言いたげに、あからさまにため息をしてから話す。


「多少、尾ひれの着いた噂だけど。私はずっと、この街にいたから知ってるの。確かに歌の上手い女の子はこの街にいたし、人気だった」

「! じゃその、貴族が来た時も見ていたのか」

「えぇ。何度もこの孤児院に足を運んでいたのを覚えているわよ。相当、好きなのねってみんなで見てたの」

「なんで、その子が屋敷に行くことにしたんだ?」

「さあ? 本人同士が何を話していたかなんて、そこまで私が知るわけ無いでしょ。別に友達じゃないんだから」





「私は詳しくは知らないかなぁ。でも、歌っていた少女が、昔本当にいたみたいね」

話には入って来なかったもう一人の女性が、言う。


「他の人も言ってた居し。その日から、街で聴こえていた歌声はパタリと消えた………って。こんな生活から助け出してくれる貴族さまと、身分違いの恋に落ちるのも無理からぬ事ね! 私だって、迷わず貴族様の手を取るわ」

「本当にそう。私なんて、17歳位の時に、彼氏から花売りなんて辞めて娼婦になれよって言われたんだから。笑っちゃうでしょ」


ケラケラと笑って言う彼女は、もう諦めの境地さえも越えたんだろうか。

「路地裏の生活なんてそんなもんよね」

「まぁね。嫌々だったけど、きっと遅かれ早かれ娼婦になってたと思うから」


目を伏せて懐かしむような表情。すっかり今の生き方に染まり、麻痺してるのかと思ったけど、そんなことは無かったと知り、キリキリと傷んだ。


「で? 他に聞きたいことあったら、今のうちにどうぞ」

「え?」

「客にならないけど、もう良いわよ。私の負け。昔を思い出したついでだし」


甘く絡むような接し方だったさっきまでとは違い、彼女は少し親身になった。


「ライアが屋敷に居るのが本当なのは……、分かった。孤児院が無くなるほどのことがあったのも」

「……ライア? あー、確かにそんな名前だったかも。よく知ってるのね」

「……っ」

「待って。あなたの顔、よく見せて」


ガス灯の光を頼りに、彼女は僕の顔をまじまじと見た。

「今の声の感じ。聞き覚えがある。ねぇもう一回‘ライア’って言ってみて?」

「うそぉ。知っている人?」

「ユリアは静かにして」

もう一人の女性も一緒になって僕を眺める。真剣な顔で記憶を手繰り寄せているようだった。


「“フロン”」

「!」

「――確か、あの子はそう呼んでた。顔は五年前のことだからあまり思い出せ無いけど、歌姫が特に仲良くしてた男の子が居たわ。確かそんな名前よ」

「まぁ!」

「……」

「孤児院の子じゃない。別の街から来た子だったはず」

「よく覚えてるわね。名前なんて、真っ先に忘れそうなのに」


そう言われてもう一人の女性がはっとする。


「それもそうね。…………なんでかしらないけど、そのライアって子のことば()は、耳に残るの」

「なにそれ、魔法?」


冗談混じりにくすくすと笑う。


「歌姫自体が目に留まる存在だったし、その子の横に居た男の子だったから自然とね。それにあの時から、育ちの良さそうな雰囲気だったし、この街では余計に目立つもの」

「……もういい」

「傍から見て、とてもいい感じに見えたけど」

「――そんなわけ」

「その男の子が、この街から出ていったの。それ以来、誰も見てないわ」


ついだ。あからさまに反応してしまっては、そのフロンが僕だと言ってるようなものだった。

じっと彼女は僕の返答を待つように見つめた。どうせ僕が肯定しようが否定しようが、関係ないという目だ。


「顔は確かなことは言えないけど、雰囲気はこんな感じだったかも」

「こんな感じ?」


不思議そうに眺めるもう一人の女性に対し、彼女は教えるように僕の顎に無遠慮に触れる。思わず、嫌な気分になった。


「そう、こんな感じ。人を寄せ付けないっていうか……特に、異性が苦手なのは分からないみたいね」

「なにそれ! 歌姫の知り合いも知り合い。当事者じゃないの!? 貴族さまが現れるよりも前に、そんな恋の話があったなんて!」


えー、でもどうするの? そのライアちゃんって歌姫とご子息さまは、もう恋仲なんでしょ?」

「しっ! もうからかわないであげなさいよ。折角帰ってきた元彼の前なのよ?」

「だって気になるじゃない。どうして街を出たのか。なんで今になって戻ってきたのか、とかね。どうするの貴方、屋敷に乗り込んじゃうの?」





 こっちは笑い事じゃないんだ、本当に。本当かどうかもわからない、当事者じゃないからこそ盛り上がる。夢物語ならどんなに良いだろう。


「まぁ。あんまり気を落とさないで? 私たちもあれこれ言ったけど。ほら、あの子がご子息さまを好きかどうかは、あくまで噂でしかないから。この街の羨望みたいなものね」

「そうは言っても、期待を持たせるのも現実的かしらね。あなたとは五年会ってないんでしょ? 歌姫の気持ちが今どこにあるかなんて、それこそわかったもんじゃないわ。貴族さまが孤児にゾッコンなんて、物語だけだと思ってたからね。まさか本当に起きるなんて! あーあ。私も見たかったのにぃ」

「ユリア……。あんたはもう」


 背にしていた廃墟をもう一度見るため、ゆっくりと振り返った。

 誰もいない、居なくなってしまった朽ちた孤児院。手入れの行き届かなくなった小さな庭は、ゴミで散らかり、雑草も鬱蒼と荒れ果てている。窓も割れたまま修繕などされていなくて、あの頃賑やかだった幼い子供たちの声は、今は全くしない。なによりも、ライアのあの歌声が。なにもかもなくなった。それだけでも受け入れ難いと言うのに――。


「まぁ。そうね。ここでなにを言っても、なんの解決にもならないわね……」



 なんで、繋がるんだよ……っ。

 廃墟になった孤児院と、身寄りのない少女と貴族の噂。こんな噂、作り話だと笑いたくても、この二つが僕に事実だと突きつける。


「気を落とさないでって言っても無理な話よね……」


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