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テラリウム  作者: 鈴神日月
1/1

黎明の天使

初投稿です。生暖かい目で見てやってください。


1


家出した。きっと養父であるコルクはオーアを気にかけてすらいないだろう。寒くて抱えた膝の打撲痕を抑える。コルクに殴られたあとだ。本当の親は知らない。オーアは少し不思議な力を持っている。一瞬だけ、見つめたものの動きを止められるのだ。きっとそれが原因で、本当の親はオーアを捨てたのだろう。

だいたい三歳くらいの頃だったと思う。それ以前のことは全く覚えていないが、その頃に、コルクに拾われた。コルクは、金の髪に金の目をしたそれを、【オーア】と呼んだ。

コルクはオーアを捨てはしなかったものの、愛してもいなかった。オーアは赤貧のコルクに働き手として育てられたのである。オーアはコルクにあの力を一度だけ使ってしまったことがある。ただでさえコルクに嫌われているのに、変な力を見せて住む場所すら追われることになってしまうと思っていた。しかしコルクは別段気にしてもいなかった。それほどまでにコルクはオーアに無関心だったということなのだろう。オーアは自分を誰にも見られていない事実を突きつけられ、それからは日に日に心の中が虚しさでいっぱいになった。

日雇いで稼いだ少ない金でコルクのための酒を買う毎日。金が足りなくて酒が買えない日は、コルクに殴られ、酒を1本買うまでは家には入れてもらえなかった。

飲んだくれのコルクの元にいたら、いずれオーアは死んでしまうということを齢十ながらにも悟らざるを得なかった。

そして家を飛び出したのだ。

日雇いの仕事には慣れている。切り詰めればその日一日なら生きられるだろうが、雨風を凌げる場所がないと……、いや、無理に生きなくてもいいんじゃないか……。と、オーアは考えては辞め、考えては辞め、を繰り返しながら、行く宛もなく、フラフラと歩き続ける。

生きる意味も見いだせない自分に少し悲しくなった。

そのうち歩くのも嫌になって、汚い路地裏にうずくまった。このまま餓死してしまえば、誰かに殴られることもないし、無理に生きようとする必要も無い。このまま目が覚めなければいいのにと思い、そのまま眠りについた。

どれくらい眠っていただろうか。とん、と小さく肩を叩かれて、目が覚めた。暖かい手だった。目を開くと、長く美しい青髪を頭に高く括った、つり目がちの少女が、オーアを覗き込んでいた。自分より少し年上の十二歳くらいに見える。

「どうした?」

口笛のように澄んでいて、それで且つハスキーな声だった。オーアはどう答えたらいいかわからず、目を少し伏せた。

「行くところがないの?」

また少女が問いかけてきた。簡単な質問だった。はいかいいえで答えればいいのだから。でもオーアは声を出すことすらも億劫で、首を小さく頷かせた。

「なら私と一緒に来ないか?」

「……やだ。」

死にたいんだ。邪魔しないで欲しい。そう声にしたかったが、それすらも億劫で、声など出なかった。

「警戒しなくていい。ちょうど、あんたみたいな身寄りのない子どもたちが、自分たちの力だけで生活してる廃教会がある。私はいつも兄ちゃんと一緒に、そういう子どもたちを探す手伝いをしていたんだ。目がいいからね。でも、兄ちゃんは大人になったから、少し前にそこを出ていっちゃったんだ。他にも姉ちゃんが一人いるが、私が次期最年長として、みんなを守らなきゃいけない。そこであんたを見かけて、行くあてがないなら、家族になって欲しいなって思ったのさ。」

オーアは興味が湧いた。しかし、もう疲れたから、何もしたくない。そもそも、身体にあまり力が入らないから、歩くのもやっとだろう。

「……大人たちの勝手な理由で死のうとしなくていい。親が私たち子どもを捨てたとしても、私たちは死ぬわけじゃない。大人は子どもの生命力を舐めすぎだよな。子供だって、自分で生きようと思えば生きられる。親が必要なら私が親になるし、兄弟姉妹が欲しいなら私たちがなる。大人なんかと生きるより、ずっと楽しそうじゃないか?」

「……うん。」

胸が暖かくなった。オーアでも家族が出来るのだと、楽しい生き方が出来るのだと、期待してしまった。

「じゃあ、行こう!」

霞んだ目で少女を見つめ、出された手をゆっくりと取って、立ち上がった。

「少し歩いた所に、ここまで連れてきてくれた幌馬車があるんだ。そこまで行けば休めるから、もう少し耐えてくれ。」

「…ありがと」

掠れた声で返事をする。餓死するつもりだったから、オーアは過度な栄養失調で、足が覚束なかった。少女に肩を貸してもらって、やっと歩けるほどだ。

「私はヒュアシントゥム。みんなは私をヒュアとか、ヒュア姉ちゃんって呼ぶんだ。好きに呼んでくれて構わないよ。」

「僕は……オーア。よろしく、ヒュア。」

「ああ! よろしく!」

ヒュアは物知りで、頼り甲斐がある子だった。幌馬車までの道で、これから行く廃教会について色々と教えてくれた。

廃教会の子どもたちの集まりに正式な名前はなく、子どもたちはお互いに家族として接している。

カクタスというスラム出身の青年が、十三歳の時にスラムの仲間と共に、廃教会に住み始めたのがきっかけだそうだ。もっとも、初めは孤児を集めるつもりは無かったらしいのだが、捨てられた赤ん坊や、親が死んだ子どもたちを仲間に引き入れて、だんだんと増えていったらしい。

この街では男は十五歳、女は十七歳になると、日雇い以外の長期的な仕事が出来るようになるため、その年齢になると廃教会を出ていく。出ていったあとも、子どもたちと遊びに来たり、稼いだ金を寄付してくれる。また、子どもが出来ない夫婦が、子どもを引き取っていったこともあったらしい。

廃教会なので、以前教会として使われていた頃の書物があり、文字の勉強が出来る。ただ、いまは国王が定めた新しい文字が普及しているため、あまり使い道はないが、年寄りや田舎なんかではまだその文字を使っている人もいるようだ。教養にもなるし、子どもたちは面白がって本を読むようになる。

子どもたちはみんなで簡単な農作業をして自給自足をする。比較的年上の、と言っても、十二歳から十五歳だが、その子らは教会の裏の山で鳥や獣を狩ったり、山菜や薬草を採って売ったりしている。たまに親切な人がおすそ分けに来たり、廃教会出身の人が世話に来たりする。そうやって子どもたちだけで収入を得て、人とふれあい、生きているのだ。

閑話休題。話を聞いているうちに、幌馬車に着いた。やはりヒュアは語り上手なようだ。オーアは聞いていただけだったのに、楽しかった。

幌馬車の荷台には、帽子をかぶった白ひげのおじいさんが桃を剥いていた。

「おう、おかえり嬢ちゃん。そっちの子は新しい家族かい?」

「ああ、オーアって言うんだ。それより、休ませてあげないと。」

「ちょうどいい。ほれ、食えるか?」

おじいさんはそう言って、ちょうど剥き終えた桃をオーアに手渡した。そしてもうひとつ桃を剥き始めた。

幌馬車の荷台に座って桃を手に取った。柔らかすぎないが、よく熟れた桃だ。一口齧ると、優しい甘みが口に広がった。どうしてこうも、今日は優しくされすぎているようだ。オーアの中で優しさが飽和して、パンクして、全て無くしてしまいそうだ。

涙は出なかった。体が水分を絞り出そうとしても、涙が作れるほど血液が余っていないような感じだ。

涙が出るかわりに、齧った桃から果汁がぽたぽたと垂れて、薄汚いズボンにシミを作る。もったいない。

「美味いだろ? ウチの果物は大人気なんだ。タダで食えてラッキーだったな。」

おじいさんは剥き終わったもうひとつの桃を齧りながら、自慢げに笑ってみせた。

「いつもありがとう。クラレットさん。」

「いいっていいって! 子どもは元気すぎるくらいがちょうどいい! かわりにまた鳥肉をちっと分けてくれよ?」

「もちろん」

「……ありがとう、ございます……本当に。」

種だけになってしまった手のひらのものは、大事に取っておこう。今日を忘れたくない。クラレットと呼ばれたおじいさんはオーアの小さな感謝の言葉に返事をすることはなく、代わりに大きな手でオーアの頭を少し乱暴に撫でた。

「馬車を出すぞ!」

クラレットさんのハリのある声を合図に、オーアはまた眠りについた。

ガタガタと心地よい揺れに身を委ねて、久々に熟睡していたようだ。

暫くして目が覚めると、幌馬車は止まっていてた。もう着いていたのかと寝ぼけ眼を擦ると、目の前に座っていたヒュアがいなかった。馬を引いていたクラレットさんもどこかに消えていた。外を見やれば、クラレットさんは荷台に積んでいた果物を店に納品しているようだった。しかしヒュアはどこにも見当たらない。

「クラレットさん」

「お、起きたか嬢ちゃん。」

嬢ちゃん? クラレットさんは確かにオーアを見てそう言った。髪をずっと切っていなく、伸ばしっぱなしだったため、女と間違えられたのだろう。

「……僕男だよ。」

「お? ホントかい? いや、悪いね。可愛らしい顔してっから、嬢ちゃんかと思ったよ。んで、どうしたんだい?」

「ヒュアはどこにいるの?」

「ああ、お使いに行ってきてもらってるんだ。しかし、まだ帰ってきてないのかい? ちと心配だねぇ……。」

「……僕、探してくる」

「おいおい、まだ身体が弱ってんだ。そこにある水飲んで休んどけ。俺が見てくるから、しばらく待ってろな?」

「……うん」

「おばちゃーん。ちょっと馬車見ててくれ!」

「あいよー。」

クラレットさんは店主にそう言って、どこかに行ってしまった。またひとりぼっちになった。馬車に繋がった二頭の馬は、オーアのことなんかお構い無しに地面の端に生えた草を食べている。

クラレットさんに渡された水を少し飲んで、一息ついた。大丈夫。二人とも戻ってくる。

手のひらにある桃の種が、ヒュアとクラレットさんの顔を思い出させて、ここに二人はいないよ、と言ってきて、寂しさがどんどん増していった。一人で居るのは慣れているはずなのに。

あれから二時間くらい待っているが、ヒュアとクラレットさんが帰ってくる様子がない。クラレットさんに貰った水を飲んでも、喉の乾きが癒せない。もしかして、二人はオーアが作り出した夢だったのだろうか。いや、そんなことはない。桃の種は本物だ。二人がいたという事実を証明している。

もうすぐ帰ってくる、もうすぐ帰ってくる……。そう思いながらも、差し込む日が赤く明るさを落としていくごとに、とんでもない不安感に襲われて、いてもたってもいられなくなってしまった。

そして、ついに幌馬車を抜け出したのだ。

もう馬車が見えないところまで走ってきた。どこにいるのか検討も付かないまま、当たりを見回す。ヒュアの髪色は珍しい青だから、クラレットさんはすぐに見つかるだろうと思ったのだろう。

青い髪を探しながら、道行く人の間をすり抜けていく。

「…アウルム?」

ふと、そんな声が聞こえて、前を横切ろうとした人に腕をかなりの強さで掴まれた。

「…! 離せ!」

そう言えばパッと手を解放してくれたものの、急に離されたので、反動で尻餅をついてしまった。

「ごめん! 大丈夫?」

手を離した人は、老人のような真っ白い髪の毛に黒い目をした、優男風の青年だった。

「知り合いに似ていて、つい……。本当にごめんね。」

「……大丈夫。それより、青い髪の女の子と、白ひげに帽子をかぶったおじいさんを見なかった? 探してるんだ!」

「うーん、おじいさんは見なかったけど、女の子なら見たよ。さっきそこで、男の人に連れていかれて、そっちの角を曲がって行ったはずだ。その女の子、すごく嫌がっていたから、よく覚えてるよ。何かあったのかい?」

オーアはサッと立ち上がり、それに答えず、お礼も言わずにその角に向かって走っていった。

青年の言った通りに向かうと、小汚い大男に、ヒュアが一束に纏めた髪を掴まれていた。かなり引っ張られているようで、ヒュアの顔は痛々しげに歪められている。

「うぐっ……! 」

助ける算段など全くないが、オーアは感情に任せて声を上げて止めに入ろうとした。

刹那、大男がナイフを取り出し、ヒュアの髪の毛を切った。ブチブチと嫌な音がする。あまり切れ味が良くないナイフのようで、切ると言うよりは、ちぎられているようだった。

あまりの痛みのせいにヒュアは声すらも上げられず、恐怖の色に染まった目が涙に濡れていた。

オーアはそれを見た途端、男の動きを止めていた。あの不思議な力で。

「ヒュア!」

その隙にヒュアを連れ出し、男の手から逃げ出した。

男の動きが戻った時にはオーアもヒュアもそこにはいない。その時の男は訳も分からずにヒュアの髪の毛を持って走り去って行った。

道の段差にオーアとヒュアは腰をかけていた。

「うっ……っ……」

ヒュアはあれからずっと泣きじゃくっている。髪はすっかりまばらに短くなってしまい、オーアを連れ出した時に見せた頼れる姿はどこにもない。オーアはただ隣に居るだけで、ヒュアを慰めることは出来なかった。慰め方を知らない。下手なことを言ってやっと出来た繋がりを自分の手で壊すのではないかという恐れもまた、それを拒んだ。

「……オーア、……ありがと。」

いくらか落ち着いたのか、赤く腫れてしまった目を真っ直ぐにオーアに向けて言う。夕日がヒュアの後ろから差していて、逆光でヒュアの涙が反射して見蕩れるほど美しかった。

それはともかく、何も礼を言われることなどしていない。オーアは何も出来なかっただけだ。ヒュアの髪の毛をむざむざと持っていかれ、逃げ出せたとしてもヒュアを慰めることすら出来ないのだ。自分の無力さが胸に滲み出て、後悔が後を絶たない。

「……あの男、急にお金を渡してきたんだ。それで、金をやるからお前の髪を寄越せと言ってきて、襲って来た。私は金を返せば良かったんだが、怖くて逃げてしまって、ずっと追いかけられていた。」

「なんで髪なんか欲しがるんだろ……?」

「さあ?なんでかは知らないが、私の髪色は珍しいからな。珍しい髪は高く売れるらしい。ま、金貨二枚も貰えた事だし、くよくよしても仕方ない! この金でオーアの歓迎会ついでにみんなにいいもの食べさせるよ!」

「そんな、いいよやらなくて。……でも、せっかく綺麗な髪なのに、」

「……ふふっ、兄ちゃんにも同じことを言われたんだ。それで伸ばしていたんだけど、オーアもそう言うなら、また伸ばそうかなぁ……。」

髪を弄りながら微笑むヒュアにオーアも自然と口元が緩んだ。

「さ! 馬車に戻ろう! きっとクラレットさんも心配している。」

「うん」

幌馬車に戻ると、クラレットさんが果物屋の店主と話していた。どうやら、オーア達の行方を懸念して、気が気でない様子だったようだ。

オーアとヒュアがクラレットさんの目に入ると、こちらに向かって駆け出し、二人の肩をがしりと掴んだ。

「大丈夫かお前ら! 一体何があったんだ?」

「ごめんなさい、クラレットさん。」

「嬢ちゃんその髪どうしたんだ!?」

「……売ったんだ。金貨二枚も貰えたよ!」

『売った』はあながち間違いではないが、かなり無理やりだった。ヒュアはクラレットさんを心配させないために半分嘘を言ったんだろう。

クラレットさんは目を見開いたものの、深く追求しては来なかった。オーアとヒュアの頭に手を置いて、フッと小さく笑った。

「これじゃあ、どっちが男でどっちが女か分かんねえな!」

「……え!? オーアは男だったのか!?」

「えぇ……そうだよ……今更」

「それより、早く出発しねえと真っ暗になっちまう。ガキどもが待ってるんだろ?」

「うん。オーア、帰ろう。」

まだ行ったこともない場所に帰るなんて、妙な気分だが、すっかりヒュアに絆されてしまって、『帰る』という言葉はどうにもしっくり来た。

「うん。」

幌馬車に乗ると、オーアは倒れるように眠ってしまった。

出発する前に、眠るオーアをよそにして、ヒュアの髪はクラレットが綺麗に切りそろえてくれた。短いところに合わせたせいか、余計にボーイッシュになってしまったが、これもまた似合うそうなので良しとしておこう。

馬車が動き出した。軽くなった髪を弄りながら、ヒュアは考えていた。

(髪を持って行った男は一瞬動きを止めた気がする。あの時一体何が起きたんだ……?)

あれはオーアが起こしたことなのだろうか。あまりにも信じ難いことを考えながら、オーアの寝顔を見た。

ヒュアもまた、不思議な力を持っているのだ。オーアには、『目がいい』と言ったのだが、その目の良さは常軌を逸している。遠くの物をいくらでも先に見通せるのだ。もはや『目がいい』という言葉で片付けることなど出来ないほどである。ヒュアは自分と同じような、不思議な力を持つ人をこれまで見たことがなかった。もし、オーアが不思議な力を本当に持っているのならば、ヒュアと出会ったのは必然だろうか。

(……まあ、いいか)

深く考えることを辞めたヒュアは、そんな『もし』を思い描きながら見たオーアの安らかな寝顔につられ、いつの間にか眠ってしまっていた。

「おかえりー!!」

空が鮮やかな朱色と飲み込むような濃紺を半分ずつ分け与える時間。夕飯を食べていた子供たちの声が一斉にこちらに向く。ヒュアの帰りを待っていたようだ。

「ただいま」

「ヒュアお姉ちゃん髪の毛どうしたの!?」

「ふふっ、イメチェンってやつだ。似合うだろ?」

「まじかよ、まるで男じゃねえか。」

「あれ? こっちの人……もしかして新しいお姉ちゃん!?」

オーアは四歳くらいの小さな女の子にまたしても女と間違られた。

「僕お姉ちゃんじゃない。男。」

「この子はオーア。新しい家族だ!」

「よろしくねぇ、あたしはルーナ。」

「よろしく、オーア。ソールだ。」

「あたしステラ!」

次々と子供たちが自己紹介をしていく。オーアは勢いに飲まれてしまい、多少どもってしまったが、元気がある八人の子供たちはそんなことはお構い無しにオーアを取り囲む。

「こっちに座れよ! 一緒に飯食おうぜ!」

戸惑っている僕の横にヒュアが来て、小さく笑って言った。

「オーア、おかえり!」

「……ヒュア、僕に居場所をくれてありがと。それと…ただいま!」



2


「じゃあ行ってくるね。ルーナ、オリバー、カメリア、ステラ、ロス、ミスト、グレイ。」

「みんないい子にしてるんだぞ。」

ヒュアとオーアが出会ってから五年の月日が経った。今日は十五歳になったオーアと、十七歳になったヒュアが廃教会を出る日である。二人は大人になったので、街に出て働くのだ。

「ヒュア姉ちゃん行っちゃヤダー!」

「姉ちゃんどこ行くの?」

八歳になったばかりのステラはヒュアが廃教会を出ていくのが寂しいようで、ずっと駄々を捏ねていて、カメリアがおんぶする三歳のグレイは今日がどういう日か分かっていないようである。

ステラがヒュアの元へ走って行く。ステラが扉を出た拍子に、扉の近くに置いてあった鍬が倒れて、走っているステラの足元に引っかかってしまった。

「ステラ!!」

オーアはステラの時間を『力』で止めた。その隙にステラに駆け寄り、『力』が解けたと同時にステラを抱きとめる。

「はぁ、良かった。」

「オーア兄ちゃん! 大丈夫?!」

ステラの下敷きになったオーアはステラに怪我がなくて安堵のため息をついた。

「平気だよ、ステラ。それよりほら、ヒュアの所に行くんでしょ?」

「うん!」

ステラはオーアの上から降りて、またヒュアの方へ。

それにしても、ヒュアが人気すぎるせいか、オーアも廃教会を出るというのに、あまり気にかけて貰えない。

(……僕って存在感ないのかなぁ)

少しがっかりしていると、隣に立っていた十一歳の弟ロスがオーアの肩に何か言いたげに手をポンと置き、フッと嫌な笑みを浮かべた。そしてロスですらもヒュアの方に行ってしまった。

「ロスぅぅぅぅ……! お兄ちゃん寂しい……!」

家族と別れてしんみりするのは嫌だが、かと言って気にして貰えないのは余計に寂しい。五年前は一人だって平気だったはずなのに、今ではそれがとてつもなく辛い。この数年でオーアは立派なブラコン、シスコンに成長したのである。

オーアは家族が出来て、一緒にご飯を食べたり、遊んだり、喧嘩したり……いろいろなことを体験した。一人では出来ないことばかりである。それがどれほどオーアを変えたのだろうか。

「ルーナ、オリバー、年下達のこと、頼んだぞ。喧嘩はしてもいいが、ちゃんと仲直りすること。出稼ぎの時と、緊急事態のときはクラレットさんに頼ること。それに……」

「ヒュアは心配しすぎだ!」

「お姉ちゃん、それもう聞き飽きたわぁ。」

「俺とルーナは二人が次の最年長なんだから、二人がやってたみたいにできるさ! そりゃあ、二人の『力』がないと狩りは大変だけど……。」

オーアとヒュアは狩りが得意だった。普通の人では抱えきれないほど大きな猪を狩ってくることもあったくらいだ。『力』を使い、ヒュアは目で獲物を探し、オーアは獲物を止めてヒュアの矢で射止める。鳥なんかはよく獲れるので、家族が多くとも飢えることはなかった。

「最年長はあたしだけどねぇ。」

「うっせ! ちゃちゃ入れんな!」

「こら、こんな日くらい喧嘩はするな。それに、私の目でお前たちのことはいつでも見れるんだからな。あまり心配させてくれるなよ。」

「……うん。」

オリバーは顔を伏せて、小さな声で言う。もう十三歳なのに、未だにルーナとの喧嘩に負けると泣いてしまう泣き虫なオリバーである。きっと前髪で見えない伏せた瞳は涙に濡れているのだろう。

「ヒュア、そろそろ行かないと、馬車が来ちゃうよ。」

「ああ。」

「おい兄貴、ヒュアにばっか頼んじゃねぇぞ!」

「分かってるよ! むしろヒュアが僕のこと頼ってくるからね! 絶対!」

涙を拭ったオリバーはムッとした顔でオーアに憎まれ口を叩いた。オリバーはヒュアがいつも無理をしていることに気付いているからか、次に会えるのは随分後になるのに、オーアへの餞別の言葉は厳しかった。

ヒュアは兄妹達の方を振り返り、かっこよく頼り甲斐のある微笑みで言った。

「みんな、お金に余裕が出来た時は、時々帰ってくるよ。 じゃあな。」

「みんな! 行ってくるね!」

ヒュアはすっかり伸びた青い髪を翻して、オーアと共に街への一歩を踏み出した。

お馴染みのクラレットが街まで馬車で乗せて行ってくれた。街につくと、オーアとヒュアは仕事を探すため、聞き込みを始めた。

「悪いがうちは人手は十分なんだ。他を当たってくれ。」

しかし、どこを行っても断られてしまう。それもそのはず、このマラキア帝国は今は自然災害も殆ど無く、経済が未だかつて無いほど潤っているのだ。

「どこも雇ってくれないね」

それも、帝王ベネディクティアヌスが行う政治によるものだと言われている。ベネディクティアヌスは二百年以上前にマラキア帝国を建国した。彼は『不死身の帝王』と呼ばれ、他国からは忌み嫌われているのだが、マラキア帝国民からの支持は厚い。何とも彼は、時を操れるだの、怪物と契約をしているだの、信憑性のない噂ばかりがされている、謎の多い者なのである。しかし、彼は政治を回すのがとんでもなく上手かった。

それはともかく、仕事を探そうにも雇ってくれるところがない。

「まずいな……せっかく稼げる年になったのに、このままじゃあ薬草を売ってた時より儲けが無くなる。」

「どうしようか……」

「確か、アーレア姉ちゃんは博打で荒稼ぎしていたよな」

「えぇー、手持ちも少ないのに、それはリスクが高すぎるよ。あんな運勢規格外の人、参考にもならない……」

「誰が規格外よ」

オーアの後ろから凛とした声が聞こえて振り返ると、そこにはちょうど今話していたアーレアがいた。

「アーレア姉ちゃん! 久しぶり!」

「うわぁ、ホントに規格外の強運……。」

「オーア? 何年越しの再開なのにその態度はないんじゃなくて?」

「はは……」

オーアは少しアーレアが少し苦手である。たった一年間しか世話になっていないが、その間アーレアはオーアが小さい時の少女のような見た目から、オーアで遊びまくっていたのである。

「なんか姉ちゃん変わったな。」

「うん。なんかケバくなった。」

「いいのよ! 都会ではこれくらいが普通なの! それより、あんた達、おっきくなったわねぇ。仕事はもう見つかったの?」

「それが、まだなんだよなぁ。」

「やっぱりね。あたしもそうだったもん。ねえ! あたしのいる曲技団に入らない? この豊かすぎるご時世、サービス業しか売れないわよ」

「曲技団?」

「そ、人に見世物をしてお金を稼ぐの。」

小さい時からオーアもヒュアも、サービス業とは無縁だったので、それを仕事にするとは思いつきもしなかった。

「あ、それとヒュア、この街ではその髪の毛隠しておいた方がいいわ。最近、青っぽい髪の女の子の行方不明事件が何件かあってね、あんまり大っぴらには噂されてないけど、一昨日うちの団員も一人この近くでいなくなっちゃったの。一人でプラプラ遊んでるのか、なにか事件に巻き込まれたのか……。マイペースでいい加減な人だから分からないんだけどね。無事だといいんだけど……。」

アーレアのその言葉を聞いて、オーアはヒュアと出会った時のことを思い出した。似たような事件が、今でも続いているのかもしれない。

「そうなのか、注意しておくよ。」

「何か隠せるものあったかな……?」

オーアはカバンの中をまさぐるが、ちょうどいいものはなかなか見つからない。

「あ、そこに売ってる異国のターバンなんてどう? 柄が可愛いじゃない!」

アーレアはそう言って、少し歩いたところにある服屋を指差した。

「そうは言っても、持ち金が少ないから食料以外ではあんまり使いたくない……」

「平気よ! あたし一人で使うには金が有り余ってんのよねー。仕方ないからお姉ちゃんが買ってやるわ!」

「その金って……」

「もちろん博打よ」

「だよねぇ……。」

この姉、いつか運の使いすぎでろくな死に方しないんじゃないかと不安になってくる。

「うーん、ヒュアのきれいな髪を隠すのは惜しいけど、うん、これ似合うんじゃない?」

アーレアはヒュアの頭を整えながら言う。

「ありがとう」

さすがは女同士と言うべきか、ターバン一つ買うのに、あれもいいこれもいいと小一時間商品の前で選び迷っていた。

アーレアは「いっそ気に入ったの全部買おうか?」なんて言っていたが、いくらそこまで高くない布一つにしても、金銭感覚が狂ってしまいそうなので遠慮した。それに、これから自立しようとすることも相まって。

日も暮れてきたので、近くの安い飯屋に入った。ヒュアとオーアは今後のことを真面目に話し合おうと思う。

「さて、さっきの話の続きだけど、曲技団に入る気は無い? あんたらの力があれば、大盛況だと思うのよねー」

「私たちの力はそんなに大した力じゃないぞ。それに、あまり人に見せるものでも無いだろう。」

その意見にはオーアも賛成だった。小さい頃コルクに「お前はその力のせいで捨てられたんだろうな」と言われ、あまり人に見せては行けないものなのだと感じていたからだ。ヒュアと出会ってからは、自分のように力を持つのに家族に受け入れられていたため、家族の前だけで使っていたのだ。

「そんなに心配しなくても大丈夫よ。一人いるのよ、そういう力を持った奴がね。」

「えっ?!」

「そうなのか!?」

「うん。その子にあんたらの話をしたら、会ってみたいって言ってたから、運が良ければ会わせてあげられるかなーって。」

「もしかして今日姉ちゃんに会ったのも姉ちゃんの強運のせいかよ……」

アーレアの強運にちょっと引いた。流石にここまでくると、運が強いというだけで済ませられるのか怖くなってくる。

「私、その人に会ってみたい!」

「僕も!」

「おっけー、決まり! あわよくば団に入って貰うけどね。じゃあ、今日はもう遅いから、明日の昼前に街の南広場に来てくれる? そこで曲技を披露するから。」

「うん!」

その夜、オーアとヒュアは近くの安い宿に一泊し、朝を迎えた。

南広場へ行けば、何人かの人だかりが出来ていた。奥には奇抜な模様の布を被せた荷馬車がある。かなり大きい。

「あ、姉ちゃんだ。」

ヒュアは荷馬車の傍にアーレアを見つけ、手を振った。するとアーレアもこちらに気づき、手を振り返す。

アーレアはオーア達に向かって口を少し大袈裟に動かした。何か伝えようとしているらしい。アーレアの意志を汲み取り、唇を頑張って読む。『みてて』と伝えたいようだ。

その時、広場の真ん中で小さな破裂音がした。それが曲技を始める合図らしい。それを中心に、疎らにいた人々が、中心に集まってきた。

注目の的となる男は体を器用に操って、バク転やら前宙やらを人々に見せていた。

オーアとヒュアが曲技に夢中になっていると、不意に横から声をかけられた。

「あなた達がアーレアの言っていた姉弟ね。私は馨花(けいか)。あなた達のように『奇気』を持つ者なの。」

体をすっぽりと覆うローブを着たその女性は、異国の人なのだろうか。オーア達より顔の堀は浅く、一重だがぱっちりとした瞳を持つその女性は類い稀に見る美女だった。真っ黒な黒髪を疎らに切り、後ろの長い髪は一つに纏めてある。あまり見ない髪型だ。あと、少し言葉のイントネーションがずれている気がする。

しかし、それよりも何よりも、彼女は足がなかった。近づいてよく観察しないと分からないが、ふよふよとローブで隠された体が浮いている。

「……う、浮いてる……?」

「うん。」

馨花のローブはひらりと風も吹いていないのに翻った。ローブの隙間から馨花の体が見えた。

「馨花さん、足が……」

「気持ち悪い?」

「いえ!そんな、ただ、驚いただけです。」

馨花は両足が無い。それに、彼女は両腕も無かった。

「私は物を浮かせたり操ったり出来る力を持っているの。だからこの体でも不自由はない。」

「それが、さっき言ってた奇気ってやつのこと?」

「そう。」

彼女の人生は一体どんなものだったのだろうか。想像するにはあまりにも難しく、しかしきっと辛い過去があったのではないかと勝手にそれは膨らんでいってしまう。

それはともかく、オーア達は馨花に会ってみたいと言ったものの、それは深い意味などなかった。ただ、同族がいるのだと感じたかっただけであるのだから。家族に奇気を受け入れて貰えても、それは共感とは違う。家族の中で、オーアとヒュアは、共感し合える唯一無二の存在となっていた。オーアとヒュアが互いに一緒にいない時、家族に囲まれていても、心ではどこか虚しさがあった。

オーアにはヒュアが、ヒュアにはオーアがいたが、馨花にはそんな人がいない。二人は、自分たちでさえ虚しさを感じていたのだから馨花はよほど辛かったのでは無いか、と押し付けがましいかもしれないが、そんな同情に似た感情が過ぎる。

「ちょっと馨花! 妹達を独り占めしてんじゃないわよ! それに、ちょっとはあたしの曲技を見てくれてもいいんじゃないの!? せっかくうちの子達も張り切ってるんだから!」

アーレアが声を上げている。どうやら曲技はアーレアの番に回っていたようだった。

「うわっ!」

「鳥か? かわいいな。」

オーアが後ろで曲技をしているアーレアの方を向くと、真後ろに人の腰ぐらいの高さの四足の鳥がいた。

「こらクーちゃん、おいで!」

アーレアがその鳥を呼ぶと、アーレアの方へすっと影を遠ざけて行った。

「な、なんだあれ」

「オーアごめんね。この子はクーちゃん、キュムロって言う動物よ。」

そのキュムロというのは、赤みがかった羽毛に覆われている、四足の鳥である。体長は一メートル前後で、長い首に軽やかな体を巧みに使ってアーレアと他のキュムロと共に曲技を見せている。

「わぁ、すごいね」

「あんな鳥、見たことないな。」

「キュムロは南の大陸に居たらしいの。でも、干ばつが酷くて、キュムロの群れがここの近くのオーヴォ平原に移動してきた。」

馨花がキュムロに着いて説明してくれた。

「へー」

「オーヴォ平原に住む遊牧民の人達はキュムロ狩りをして、今はオーヴォ平原のキュムロの数はすごく少ない。私達が去年たまたまオーヴォ平原の近くを旅していた時に、何故か二体のキュムロがアーレアに懐いたの。だから今はクーちゃんとムーちゃんは仲間。」

先程から馨花の表情はあまり変わらないが、クーちゃんとムーちゃんの話をしている馨花は少し楽しそうに見えた。

「ていうかヒュア、ずっと馨花さんと話しながら曲技見てたんでしょ!」

「バレたか」

「バレバレだってば! 目の色がちょっと薄くなってたもん!」

「どう言うこと? 君はずっと私と向き合っていたのに、」

「馨花さん、私ヒュアって言います。私の奇気? は遠くの物とかを見たり、物を透かして見ることが出来るんです。」

「凄いな。」

「僕はオーア。ちょっとだけ、見つめた物の動きを止められるんだ。」

「……大したことないな。」

「ええっ……」

やっと互いの自己紹介を済ませ、少し仲良くなれた気がした。

広場での曲技も終焉を迎え、少なかった人だかりも徐々に増え、今や大歓声が聞こえる。

「曲技団『アノロック』でした!」

「チップは弾ませてくれよ! それだけのもんを見せたつもりだからな!」

「凄かったぞねーちゃん!」

「また見たーい!」

「あのお兄さんかっこよかったね!」

「あれどうやったんだろうなー?」

団員が持っていた空箱は銅貨でいっぱいになった。中には銀貨や金貨、ファンレターのようなものも入っていた。

「やったー! また儲かっちゃったー!」

アーレアは溢れそうな箱を嬉しそうに見つめ、子供のように喜んでいる。

「凄い量だね……。一体いくらになるんだ……?」

「アノロックって、結構人気があったんだな。昨日まではそこそこの曲技団かと思っていた。」

「ふふっ、凄いでしょ! あたし、この団でクーちゃんやムーちゃんと働けて、すっごく幸せなのよ! ね、やっぱりヒュアとオーアも入らない? あたしがいる限り、破綻なんてさせないわよ!」

「はははっ!! そりゃあ頼もしいな!」

「だっ、団長!!! そんな、頼もしいなんて……!」

厳つい筋肉を持った男がアーレアに笑いかける。三十代辺りにみえるその男を前にしたアーレアは顔を真っ赤にして、言葉をまごつかせている。アーレアの反応から察するに、彼はアノロックの団長らしく、アーレアは団長を好いているようだった。

「よう、アーレアから話は聞いてるぜ! オーアにヒュアだろ? 俺はドラコだ。ようこそ、『アノロック』へ!」

「やぁ! 君たちが新しい団員かい? よろしく。」

「まだ若いじゃない? 旅に着いてこれる?」

「二人とも綺麗な顔してるな。前で踊らせるか」

何故かオーアとヒュアはアノロックに入る方向に勝手に話が進められて行った。入るつもりはないと言うには今更感がある。唯一の頼みの綱として匿ってくれそうなアーレアは、ドラコ団長に頼もしいと言われた事が嬉しすぎるのか頭がショートしているようだ。馨花はクーちゃんとムーちゃんに餌をあげていて、こっちの騒ぎは素知らぬ顔である。

アノロックの団員達が囃し立て、オーアとヒュアは流れに流され、アノロック曲技団の一員になってしまっていた。



3


オーアとヒュアはアノロック曲技団に入団し、一夜を団の天幕で過ごした。

まだ空が白み始めたばかりが、キュムロの朝は早い。アーレアはクーちゃんとムーちゃんの世話のために、人より早く起きるのだ。

「おはよう、アーレア姉ちゃん。」

「ヒュア、おはよう。起こしちゃった?」

「いいや、初日だからか、あまり眠れなくて……。クーちゃん、ムーちゃん、おはよう。」

ヒュアがクーちゃんとムーちゃんの頭を撫でると、目を気持ちよさそうに細めて手に擦り寄ってきた。

「アーレア姉ちゃん。前話していた、行方不明の女の子ってどんな子だ?」

「え? どうしたの急に? 」

「私の奇気でその子を探せるんじゃないかと思って」

「ああ! そっか! ヒュアってば頭いい! えっとその子はね、青というか、薄く青みがかった緑の髪の子で、名前はディーバ。歌が上手いのよ。」

「どっちに向かったのか検討は付いているのか?」

「えと、数日くらい前、この街からすぐ近くの港で行方不明になったわ。」

「東か……」

ヒュアは一言呟いて東を見ると、目を閉じ、息を整え、また目を開いた。先程より色が薄くなった瞳が前を見ていない。もっと遠くを見ている。眼球が右へ左へと動いて、遥か遠くの物を探す。

その雰囲気はさながら常人ではなく、アーレアは得体の知れなさに背筋を冷やした。キュムロ達はアーレアの後ろで固まってしまっている。周りの音がヒュアを中心に静かになっていく。

迷子になった兄妹を探す時や、狩りで獲物を探す時、アーレアはヒュアの力を間近で見ていたが、ここまで寒気のするものではなかった。遠いものを探しているからだろうか。ヒュアの力が強くなっているのだろうか。遠ければ遠いほど力を使うからだろうか。

いくら理由を考えても、アーレアの寒気は治まるものではなかったが、ヒュアが人間離れして行っているようで、心の端に小さな恐れを刻み込んでしまった。

(ヒュアのお姉ちゃんなのに……)

恐れてしまった。ヒュアを愛しているはずなのに、今どこか一線で隔てられてしまった。

「……あれか?」

ヒュアが言葉を発した時、緊張で動かなかった体に、意識が地に落ちたように戻った。

「……み、見つかったの?」

先の緊張などなかったように、ヒュアは奇気を解いて平然としている。アーレアはヒュアが遠くに行ってしまった気がしたが、ヒュアの普通の様子から、心の端に出来た恐れを、罪悪感で埋めた。

(ヒュアは何も変わらない。あんたはあたしの大事な妹。……ごめんね。)

小さく、しかし深く刻まれた恐れは、罪悪感というセメントで埋めても、最奥にある、罪悪感が届かない所にまだ残っていが、それに気づかないフリをした。

「東の港を出た商船の中に、十三歳前後の短い青緑の髪のくせ毛の子がいる。白いトップスに紺や緑のスカートを着ていて、花柄の木彫りのリングを首から下げている。」

「そう! きっとその子がディーバで間違いないわ! 無事?」

「外傷は無いようだし、綺麗な布団に寝かせてある。どうやら丁重に扱われているみたいだな?」

「無事なのね! 良かったぁ……!」

アーレアは平然を取り戻し、ディーバの無事に胸を下ろした。

「凄いじゃない! さすがヒュアね!」

アーレアの方がヒュアより身長が小さいが、ターバンを巻いたヒュアの頭を優しく撫でた。さっきの恐怖など、全くなかった。

「ドラコ団長に言って、進路を変えて貰いましょ!」

「……団長が好きなのか?」

ドラコの話が出た時、ヒュアはふと、昨日の出来事を思い出した。別に恨んでいる訳では無いが、アーレアがドラコに振り回されてさえいなければ、ヒュアとオーアはアノロック曲技団には入っていなかっただろうに。

「うぇっ!? なんで!? そんな、ただ、えっと……」

アーレアはあからさまに顔を真っ赤にして動揺した。この様子では答えを聞かずとも肯定しているようだ。

「……団長は、奥さんもお子さんもいるもん。亡くなってしまったらしいけどね。あたしなんて、眼中に無いわ……。」

「……そうか……」

「あ、いた。おはようヒュア、姉ちゃん。ご飯だって。」

オーアが天幕から出てきた。いつの間にか団員達が起きてきたらしい。

オーアとヒュアがアノロック曲技団に入団して数日が過ぎた。二人は今、アノロック曲技団が所有するキャラベル船で波に乗っている。

ディーバの捜索に、本来ならば団員全員で行くところなのだが、別の場所での公演を既に予告していたらしく、一応商売として今更やらない訳にも行かないということで、公演に出る者と出ない者とで二手に別れ、出ない者がディーバの捜索に当たった。

そこで出ない者が船でディーバを乗せた商船を追っているのだ。

ディーバの捜索には、ライラックをリーダーに、オーア、ヒュア、馨花、イグニスの五人が当たった。そして、なにかあった時のために、ドラコは四人の護衛と、海に詳しい二人の船乗りを雇ってくれたのだ。

イグニスとライラックは逞しく力強い剣舞が得意で、旅の間にオーアとヒュアに剣舞を習得させるようにドラコに言われたらしいのだ。剣舞に馨花の奇気が合わさることで、この世のものとは思えないような神秘的な曲技になるのだ。

叩き込まれた曲技も、少しは様になってきたようだが、人前で見せるにはまだまだ未熟である。

この数日の間、馨花には色々と奇気について教わった。アーレアはオーア達の奇気のことについては馨花にしか言っていないらしく、曲技で奇気を披露することはなかった。

しかし、捜索に当たって、ヒュアの力が必要だったので、イグニスとライラックには話した。二人は多少驚いてはいたが、馨花という前例もあったため、すんなりと受け入れて貰えた。

そして、馨花に聞いた話によると、奇気は人から人へ受け継がれていく力らしい。つまりは、オーアとヒュアの持つ奇気も、誰かから受け継がれたということだ。

「じゃあ、私達も誰かにこの力を渡せるということか?」

「そうなる。」

「馨花さんは誰から貰ったの?」

「玄王。」

「それって……?」

「マラキアから北にある、玄国の王様。」

「王様!?」

「馨花さんって何者だよ……」

「その話はいいの、二人は誰から奇気を貰った?」

「……わかんない。」

「知らないな。」

基本無表情な馨花だが、一緒にいる中で、少しは表情が読めるようになった。今は少し呆れた顔をしているような気がする。

「私は私の奇気を誰かに継ぐつもりは無いの。私の様な人は、もう見たくない……。」

馨花は顔を俯かせた。彼女はどのようにして力を受け継いだのだろうか。

「馨花さん……。」

「待って、奇気を継がないで死んだらどうなるの?」

「……分からない。死体ごと奇気も消滅するか、奇気だけが力の塊となってさまようか、違う誰かに奇気が継がれるのか……。」

馨花は顔を伏せたままだった。奇気というものは、馨花であってもやはり謎に包まれているらしい。

「馨花さん、あの船だ。」

アノロックのキャラベル船は普通の船の半分程の小ささだが速い。すぐに追いつく事が出来た。ヒュアによると、ディーバにはずっと見張りがいた。ディーバには商船とは思えないほど豪華な食事が出されたり、かなり質のいい布団で寝かされたりと、普通の少女にするような待遇ではなかった。

「まずは近づいて話をしよう。いざとなったら私の奇気で相手の船を沈める。」

馨花の策を聞きながら、オーアはライラックに小声で尋ねる。

「あんなに大きな船も操れるんだ……。ねえ、もしかして馨花さんってかなりすごい人?」

「ま、逆らわない方が利口だぜ? あいつが怒るとその辺りにいた全員がしばらく宙吊りにされるからな……。」

その体験談に、オーアは若干引いた。ライラックは遠い目をして、

「頭に血が上って大変だったなー……。いや、あの場合は頭に血が下がるって言うのか?」

なんてことを、呆れ声で呟いていた。

「呑気なこと言ってんじゃねえ! ほら、船はもうすぐそこだ!」

「あぁ?! 元はと言えばてめえがあん時なあ!」

ライラックはイグニスに反駁するが、イグニスは無視を続ける。この二人はどうにも馬が合わないらしい。ライラックが一方的に噛み付いているようにも見えるが。

それはともかく、イグニスの言う通り、商船のすぐ近くまで来ていた。

「ヒュアちゃん、ちゃんとターバン付けてろよ。あいつらが青髪を狙ってる犯人かもしれないんだからな!」

「はい、イグニスさん。大丈夫です。」

そうしているうちに、商船の横にアノロックの船を寄せた。相手はこちらの船を商船だと思ったのか、敵意は無いらしいく、板を架けてくれた。

ライラックと一人の護衛が相手方の船に乗った。

「船を繋げてくれてありがとうございます。アノロック曲技団のライラックです。」

ライラックが相手の一人に軽く頭を下げた。着いて行った護衛も連れて頭を下げた。

「構いませんよ。どうぞ頭を上げてください。」

赤髪の若々しい美丈夫がにこやかに答えた。

「して、どうされたんですか? なにかご用事でも?」

「単刀直入に言わせてもらいますけど、ディーバを返して頂けませんか? うちの大事な団員なんです。」

青年は微笑んでいるが、その目は笑っておらず、一度、じっと冷たい眼差しでライラックを見つめ、綺麗な笑みを貼り付けたまま言った。

「なぜ、そのディーバさんが私達の元へいると?」

「はぐらかしてんじゃねえよ。うちの歌姫を返して貰えにゃどうなるか知らねえぜ?」

ライラックは冷たく怒り、似合わない敬語を辞めて青年を挑発し始めた。青年は悪びれもせず泰然自若とし、ライラックを歯牙にもかけずに淡々と返す。

「確かにディーバさんを連れたのは私達ですが、こちらにも事情があるのです。」

「ちっ、あんたなぁ! 事情があるからって、人を勝手に誘拐していいと思ってんのか!? そっちの事情なんか知るか! ディーバを返せ!」

「誘拐ではありません、任意同行です。」

ライラックの怒号に周囲が凍りつき、青年の周りにいた船員達が警戒し始めた。

ライラックは元々キレやすい性格だか、これには馨花も他の団員も既にキレている。特に団長のドラコ。もし彼がこの場にいたら、船の縁でも叩き割っていそうだ。

「ライラック待って!」

ライラックの言葉で凍りついた空気を破ったのは、女の子の柔らかな声だった。

「ディーバ!!」

「ディーバさん、なぜ出てきたんです?」

「ごめんなさい枸橘(からたち)さん。でも、ライラック達には話さなきゃ。」

突然出てきたディーバは、かなり元気な様子だった。どこも怪我は無いようだし、拘束もされていない。むしろ満喫していたようにも見える。

「ライラック、黙って団を離れてごめん! 枸橘さんの上司って人に会ったらすぐ離してくれるらしいから、もうちょっとだけ待ってて!」

「んなこた知るか!! 絆されやがって!! さっさと来いクソババア!!!」

「ババアって言うなクソガキ!!」

その言葉を聞いた枸橘と呼ばれた人が、目を見開いた。オーアとヒュアも目を見開いた。ディーバはどう見ても十三歳から十五歳くらいの幼さを持っていた。身長も低く、顔も童顔である。

「……ディーバさん? 失礼ですが、年齢は?」

「おいコラァ!! んなこたどうでもいいだろうが!! さっさとババア返せや!!」

「え? 二十九歳だけど……」

ディーバの年齢を聞いた枸橘は長い溜息をついた。オーアとヒュアは自身の目と耳を疑った。

「二十九って言った?」

「言ったな。」

「あの子僕より年下じゃないの?」

「年上らしいな。」

「ええぇぇ、嘘でしょ? どう見てもオリバーと同じくらいじゃん。納得いかないんだけど……。」

「オーアも未だに十五には見られないもんな。」

「………………僕も団長さんみたいにムキムキになればいいのかな」

「やめてくれ」

アノロックの船ではオーアとヒュアが緊張感のない会話を繰り広げていた。

「……すみません。十中八九そうだろうとは予想はしていましたが、やはり人違いだったようです。私の探し人は十代後半ぐらいなので。」

「……はぁ!? 」

「しかし、まだ完全に疑いが晴れた訳では無いので、暫時ディーバさんを預からせて頂きます。」

「っざけんな!! クソカス野郎!!」

「駄目だ下がれ!」

枸橘の言葉は冷徹だった。ライラックが護衛の叫びを無視して枸橘に掴みかかろうとした瞬間、警戒した船員たちが武器を向け、動きを止めざるを得なくなった。

「くっ……! そっちが武器を向けるなら、俺たちだって黙っちゃいねえぜ?」

「落ち着いてください、何もしませんよ。そちらの、馨花さんとやらに船を沈められるのは困りますし。」

「てめぇどういうことだ! まさかさっきの会話聞いてやがったのか?」

枸橘はアノロックの船に乗っていた者しか知らない事実を知っていた。『馨花』『船を沈める』と言う言葉、それは勘だけでは当てようもないはずである。

「ええ、聞いていましたよ。」

「何で知ってやがる!?」

「まぁ、ね。」

曖昧な返事で言った枸橘のすかした表情は読めなかった。瞳に宿したその暗さに、闇が見えた。

「そちらのターバンを付けたヒュアさんという女性。私達が探していたのはあなただ。」

最後に呟いた『やっと会えた』という一言はヒュアには聞こえなかったが、ライラックには聞こえていたようだ。

「てめぇ、ヒュアとなんの関係があんだ……!」

「深い関係です。それも、運命と言えるほどの、ね。」

枸橘はライラックの側までゆっくり近づき、深みのある笑みでライラックに呟いた。

ライラックは枸橘の凄みに生唾を飲み込んだ。

一方、アノロック曲技団は予定していた公演を終え、オーア一行との合流のために荷馬車を港まで走らせた。

「団長、港の掲示板にライラックから俺たち宛の書き残しがあった。火輪の商船を追ったそうだから、行先はそこで間違いないはずだ。」

「船はあいつらに使わせてるから、俺たちは火輪行きの貿易船に乗せて貰うしかねえか。」

「ドラコ団長、四日後に火輪に行く貿易船があるわ。でも、動物は乗せられないらしいの。この子達どうしよう……。」

「……仕方ねえ、キュムロ達は置いていく。何人かこっちに残れ。」

「そんな……」

アーレアには酷な選択だった。先に国を出たオーアとヒュアが心配だが、クーちゃんとムーちゃんもアーレアにとっては大事な家族である。どちらかを選ぶにはどちらかから離れなければならない。アーレアに選択することなど出来なかった。

「アーレア」

優しい声で名前を呼んだのは、曲技団で一番仲のいい女友達のクラルスだった。

「行ってきなよ。」

クラルスの綺麗な笑みを見たアーレアは、絵の具が水に薄まるように、不安の色が薄れていった。

「クーちゃんとムーちゃんの家族は団員のみんなだけど、ヒュアちゃんとオーアくんの家族はアーレアだけでしょ?」

不安は薄れただけで、消えた訳では無い。

「大丈夫! アーレアがいつもやってるようにすればいいんでしょ? そのくらい私にだって出来るから!」

「それに、僕も残るからね。それなら心配ないでしょ?」

「えっ? じゃあ俺も残るわ。」

クラルスの横でエクリュが言った。エクリュはしっかり者で、アーレアとクラルスのいいストッパー役である。エクリュの横でヴァニラはエクリュに便乗した。よく行動を共にする三人に、アーレアは大きな信頼を寄せているからだろうか、また不安の色が薄まった。

「……あたしって本当に幸運ね、こんなにいい友達に恵まれて。ありがとう。」

「じゃあ、クラルスとエクリュとヴァニラにこっちに残ってもらう。他は四日後に船で火輪に向かうぞ。」

「はいっ!」

あとからクラルスに聞いた話によると、エクリュは船酔いが酷い性質のため船には乗りたくないと言っていたそうだ。ヴァニラはエクリュがクラルスに虐められるのを心配して残ったらしい。

「陶だ!!!襲撃に備えろォ!!」

火輪の船の見張り台に居た船員が突然叫んだ。途端に船は騒がしくなり、帆をたたみ、大砲を出し、陶の船を警戒した。

「え? えっ!? 陶ってなに!? 何が起きたの!?」

オーアはヒュアの腕を掴み、縋るように訪った。

「大丈夫だから! 落ち着け!」

イグニスは落ち着くように促したものの、オーアはパニック状態でとても誰かの言葉に耳を貸す余裕などなかった。護衛と馨花が甲板に残り、陶を睨む。

「何あれ何あれ何あれぇ!?!? 何が起きてんの?!」

その時、陶の船は海面から竜骨を引き離して宙に浮き、マストを軸にするコマのように逆さまになった。

「うあああ!!!」

陶の船員たちは汚い叫び声を上げながら海にボトボトと何人も落ちていく。そして全員が海に落ちたところで、宙に逆さまに浮かんでいた船が海に浮く船員達の上に容赦なく落ちた。大きな波が起こり、アノロックのキャラベル船も火輪の商船も大きく揺れた。

「まぁ、死んではないだろ。」

「え!? 今の馨花さんがやったの!?」

「うん。」

馨花はさも当然の様子だったが、その直後、馨花の浮いていた体が船の甲板に落ちた。

「馨花! あんなに大きなものを上げるからだ!」

「……でも……やらなきゃこっちが攻撃されてた……」

イグニスは馨花に駆け寄り、馨花を支え起こした。馨花は酷く疲れた様子で、顔を青くしていた。

「……なるほど、船を沈めるとはそういうことですか。これは敵いませんね。」

馨花の奇気を見た枸橘は冷静に述べた。

「……ここは一時的に不可侵関係を築きませんか?」

「どういうことだよ」

「私達はあなた方には手を出しませんし、存分に監視して頂いても結構です。ただ、私達はディーバさんとヒュアさんを火輪まで連れていきます。もちろん、そのあとはお二人をそちらに返しますよ。不可侵関係を築かず、無理矢理にでも二人を連れ帰るつもりなら、私達はあなた方に何をするか分かりませんけどね。どちらにせよ、馨花さんがその状態では、あなた方の選択は限られるでしょうが。」

枸橘の言い分は横暴だったが、互いに不利益がなく、無駄もない。リスクを負って早く連れ帰るより、安全に連れ帰る方が良い。こっちは護衛やらなんやらを含めて二十以下だが、あっちは少なくとも百近くいる。この戦力差で戦うことは無謀だ。火輪にはあと一日で着く。馨花が動ければすぐにでも連れ帰っただろうが、馨花は奇気を使った疲れで一日は動けない。

ライラックは決断した。

「……いいだろう。」

枸橘はにこりと笑んだ。



4


「私の順風耳。」

広々とした部屋に、一人の少女の声が響く。

「もう見つかったかしら?」

まるで誰かと話しているような独り言が彼女の口から紡がれる。

「今度こそ、期待しているわよ。」

彼女の目は冷たかった。

枸橘は閉じていた目をすっと開いた。商船の枸橘の自室で、国に残っている彼女の声を聞いていた。彼女のあどけなく、しかし凛として落ち着いた声が耳に残る。

(主上、千里眼はこの順風耳めが見つけ出しました。やっと、やっと姫の悲願が叶う。先代千里眼将軍さえ裏切らなければ、今世の主上が辛く思すことなどなかったろうに。)

枸橘の部屋の扉をノックする音がした。

「どうぞ。」

「はっ。順風耳様、航海士によると、あと半刻程度で西の港に到着するらしく、船員は下船の準備を始めました。」

「ああ、分かった。それと、誰も居なかろうと今は枸橘と呼べ。様も敬語も無しだ。」

「……了解。」

「千里眼とディーバはどうした。」

「今は食堂でお二人が話しているようだ。周りには見張りも置いてある。」

「そうか。今からそちらに向かう。」

「了解。」

枸橘は自室を出て、談話室へと向かった。足取りは決して軽くは無く、先の見えぬ火輪の未来に不安が募るばかりである。

食堂の扉を開き、席で談笑するヒュアとディーバに目を向けた。

たった一日ではあったが、二人は互いに互いを話し合うことが出来るほどには仲良くなったようだ。

猫を被った笑顔を作り、二人に声をかけた。

「ヒュアさん、お話があります。」

「枸橘さんだ。どうしたの?」

ディーバは枸橘のことを少しは信頼しているからか、余り警戒している様子はなかった。ヒュアはまだ少し枸橘に対して緊張しているようだが、待遇に疑問には思っても、不満がある訳では無いのだろう。

「ディーバさんには申し訳ないのですが、以前にも言ったように、私達が探していたのはヒュアさんで間違いないでしょう。ご迷惑をおかけしてすみません。」

「いいよいいよ! ヒュアも私達の仲間になったみたいだし、私じゃなくてヒュアが火輪に行くとしても、きっとみんなは来るもん! どっちが枸橘さんの探し人でも、私達はきっとこっちまで来たと思うよ!」

「……すみません。」

ディーバは特に怒るでも悲しむでもなく、逆に枸橘を気遣うように許した。枸橘は多少なりと罪悪感を感じてもう一度謝った。

「あ! 私アイリスに用があるからもう行くね!」

ディーバは席を立ち、今しがた枸橘が入ってきたドアを通り、アイリスの元へ行ってしまった。枸橘にはディーバがいなくて好都合となり、本題に入ることにした。

「ヒュアさん、ターバンを外していただけますか?」

「……なぜ?」

「あなたが私たちの関係者だと証明するためです。」

「……わかりました。」

ヒュアは訝しげな表情のままターバンに手をかけた。

顕になった髪は見蕩れるほど美しい青で、くせも無くするりと腰に垂れる。

枸橘は泣きそうになりながらも確りと堪えた。今まで、十年以上、辛さに耐え、気の遠くなるほど求め続けていた青い髪の片割れがそこにあることを実感した。青く光を反射する髪が目に入った時、なんとも言えない充実感が胸に膨らんだ。本能が、ふたつが共にあることを求めるように、満たされた気持ちになった。それと同時に、ここまで感動しているのは自分の一方的な思いなのだと感じ、満たされた胸は一気に虚しさに埋もれた。

表情に出さないよう堪えて、声が震えないように、冷静に言葉を紡いだ。

「あなたは、千里眼を持っているでしょう?」

「千里眼?」

「全てを見通す奇気です。その名のごとく、千里も先まで凝望し、極めた者は人の心まで見透かすと。」

「わ、私の奇気は、そんな大層なものでも……ちょっとまわりが見えるくらいで……」

ヒュアは謙遜ではなく、本気で大したことない奇気だと思っているせいで、枸橘に大袈裟なことを言われたと思い、戸惑いの表情を見せる。

「いいえ、一般人が奇気を持っているというだけで大層なことなのです。奇気は本来、人を統べる者が持つべき力として世界に点在しています。つまり、将軍や王、皇帝こそが奇気を持っているのです。」

「そんな……じゃあ、なぜ私がこの奇気を……」

「簡単な話です。あなたは人を統べる力を持ち、記憶にもないほど幼い頃に奇気を継いだ、ということですね。」

枸橘は淡々と、ヒュアの事実を突き付けた。ヒュアは枸橘が何を考えているのか分からないことが恐ろしかった。

「……あなたは、私の奇気が目当てなんでしょ? 私をどうするつもりだ?……ですか?」

「そんなに警戒しないでください。あなたはもとあるべき場所に帰る、それだけです。」

枸橘の言葉がヒュアの琴線に触れる。飄々とした薄っぺらい笑顔が癪に障り、ヒュアは少し見せた警戒の色を不満と同時にさらに強くした。

「……私の帰る場所は兄妹達がいるあの廃教会だけだ。あなたの言う帰るべき場所が火輪だったとしても、私は廃教会に帰る。」

「ヒュアさんは、私と会った時、なにも感じませんでしたか?」

「はあ?」

「いえ、なんでもありません。」

「ここまで来たからには火輪には行くし、あなたの言う"上司"とも会う。でも、会って私の帰る場所はここじゃないと言って帰るだけだ。」

「まあまあ、そう興奮しないで。そうですね、船が着くまでまだ少しありますし、少し昔話でもしましょうか。」

「はあ?」

話が噛み合わない枸橘にヒュアの苛つきは増すばかりだが、枸橘のペースに乗せられてしまう。

「昔々、千里眼と云う徹頭徹尾を見通す者と、順風耳と云う森羅万象の声を聞く者がいました。」

ヒュアの言葉を遮り、枸橘は静かに語りだした。少し悲しげな目をして言う枸橘の独特な声で語るものだから、ヒュアは耳が離せなくなった。

はるか昔、火輪国になる以前、そこは二つの国に分け隔てられていた。千里眼を持つ将軍の国と、順風耳を持つ将軍の国である。2つの国は互いに牽制し合い、国を統一しようと戦争を続けていた。戦力が互いに消耗仕切ってしまい、このままでは全国統一どころか、共倒れになってしまうと云う時、一人の少女が千里眼の将軍の前に現れた。彼女は、命を奪い合う必要などないのだと千里眼の将軍に説いた。小生意気な子どもに腹を立て、千里眼はその少女を殺した。

また、別の時、順風耳の将軍の前にもその少女は現れた。千里眼の将軍に説いた時と同じように、順風耳の将軍に説いた。順風耳の将軍は千里眼と同じように、少女を殺した。

その後、千里眼の将軍と順風耳の将軍の二人だけが戦争に生き残り、一騎打ちでカタをつけようとした。決着は遂につかず、二人は疲れで動くことさえままならない。そんな時、以前二人の前に現れた少女が現た。二人は確かにその少女を殺したが、生きていることに驚愕した。彼女は生まれ変わる力を持っていたのだ。

少女は二人が動けないのをいいことに、二人に戦争の無益さを説いた。千里眼の将軍も、順風耳の将軍も、少女の言葉に耳を傾けることしか出来なかったが、少女の考えに2人は最初こそ理解できなかったものの、戦争をしないと云う考えに感動した。

少女は二人を連れて戦争の被害に怯えていた村に訪れた。2人は自分のしていたことの残虐性を悔やみ、少女の思想を布教しようと、少女に一生使えることを決意した。

それ以来、彼女が生まれ変わると同時に、順風耳と千里眼は自分の息子に力を託し、彼女が統べる国を守り続けた。

「以前奇気とは鬼の力を意味する"鬼気"とも呼ばれてました。元々千里眼と順風耳は人に乗り移る悪鬼だったと言われています。千里眼と順風耳の奇気を継いだ者は、髪の色が変化し、千里眼は青く、順風耳は赤くなります。千里眼は青鬼で順風耳は赤鬼だったころの名残だとか、姫が代替わりしても見つけられる目印となるようにだとか、髪色が変わる理由は色々と言われてますがね。」

枸橘の昔話が一区切りしたところで、ヒュアはなんと言おうか迷っていた。枸橘と話す前まではただの少女ヒュアだったのに、その話を聞いたせいで自分が何者なのか分からなくなってしまう。

「枸橘さん。そろそろ港に着くぞ。下船の準備は終わったのか?」

「ああ、すぐに始めるよ。すみませんヒュアさん。少し話しすぎましたね。では私は戻るので、あなたも荷物を纏めておいて下さい。」

「まっ、待て! ……待って、ください。」

「ふっ、苦手なら敬語じゃなくても大丈夫ですよ。確かに私の方がいくつか年上でしょうが、いずれ対等な関係になるでしょうからね。」

「……っ! あんたは、あんたが順風耳だろ! 髪だって赤いし……、なぜハッキリ言わないんだ!」

「マラキアには色素が薄い人はよくいるでしょう? 赤みがかった髪の人だってそう珍しくはありません。まあ、千里眼ほど綺麗な青髪の人は殆ど居ないでしょうがね。」

ヒュアは確信を得ない話し方をする枸橘に腹が立った。

「私はヒュアシントゥムだ! 千里眼と呼ぶな!!」

枸橘はヒュアの荒らげた声に振り返らずに食堂を出ていった。

火輪の大きな港に着いた火輪の商船は、マラキアで仕入れた輸入品を運び出す。

ライラックは、アノロックのキャラベル船からその様子を何気なしに、タバコをふかして見ていた。

「ライラック」

「よお、馨花、体はもう平気か?」

タバコを指で弾いて海に捨てた。馨花に顔だけ向いて口角を上げると、馨花は眉尻を下げて申し訳なさそうに見つめてくる。

「うん。ごめん、私が敵船に奇気を使わなければ、すぐにディーバを連れて帰れたのに……。それに、ヒュアも……。」

「謝るこたぁねえよ。これは俺の勘だが、遅かれ早かれヒュアは火輪に攫われてた。アノロックって仲間が居なきゃ、マラキアじゃあ一人行方知れずになっただけで、ろくに捜索もせず終わっただろうな。ホント、ヒュアが今のうちにアノロックに入ってて良かったぜ。」

ライラックの黒い髪が潮風で揺れ、薄紫の瞳が瞼で隠れる。彼は人の心の機微に敏感だ。正直な彼はそれだけによく人と対立してしまうが、こういう時は不器用ながらにも慰めるのが一番上手かった。馨花

はこのディーバ奪還メンバーのリーダーがライラックで良かったと感じた。ドラコはライラックのそこを信用しているからこそ、リーダーにしたのだろう。

「……ごめん。」

「だから謝んなって! しかしあの枸橘って男、ただの商人とは思えねえ。一体なに隠してんだか……。」

目を細めたライラックの口元はタバコを吹かす手で隠れて見えなかった。

「ライラックさんライラックさん!」

「あ? どうしたオーア、ちょっと落ち着けって、」

「どうしよう! ヒュアがいない!!」

「はあ? ディーバと一緒じゃなかったのかよ!」

「ディーバさん、ヒュアと枸橘さんが込み入った話してるからって、席を外したみたいで……」

「マジかよ……」

項垂れたライラックは団長が着くまでが不安で堪らなかった。

ヒュアが目を覚ますと、知らない場所にいた。

(……ここ、何処だ?)

床に敷いた布団に寝かされていて、木造の柱に防御力の低そうな紙製の扉(襖)に囲まれた部屋。六畳ほどであまり広くはなく、人もいなかった。

服は火輪伝統の浴衣なるものをいつの間にか着せられていて、自分の身に何があったのかすぐに察することが出来なかった。

枸橘と船で話していた辺りから記憶がない。昏倒させるなり眠らせるなりして連れてこられたのだろう。 そんなことまでしてここに連れてきた癖に丁寧に寝かせてあって憎たらしい。

(……あぁクソっ、腹立つなあの男……)

理由は色々あるが、特にあの薄ら笑いが癪に障る。顔に似合わない喋り方が気持ち悪い。

記憶に残された枸橘の顔を思い出したヒュアはさらに苛立ちを募らせた。

(ここまで連れてきておいてあの男は何処に行ったんだよ! はぁー、オーアに抱きつきたい。頭なでなでしたい。)

オーアへの可愛がってあげたい欲望が出た途端、今すぐ帰ろうと決心した。

(とりあえず、あの男に会ってさっさと文句言って帰ろ。)

ヒュアはその場で立ち上がり、奇気を使って枸橘を探し始めた。

(……広いなここ。)

視界を広げても、似たような部屋が沢山あるばかりで、あの赤髪は見つからない。もう少し視界を広げても、人は何人もいるが、枸橘らしき男はいなかった。段々と視界を広げると、ヒュアのいる建物の全貌が見えてきた。

(いやいやいや、広すぎだろここ! 部屋から出なくてよかった、こんな所で迷ったら見えてても帰れなくなる)

汗が頬を伝ったその時、視線を感じた。寒気がした。千里眼で一方的に見えても、相手から見ていることが分かるわけがないのだが、確かに見られている。一番広い奥座敷からだ。反射的にそこに視線を向けると、白髪の少女と目が合った。

ヒュアは並外れた少女の感覚に酷く驚いて奇気を解いてしまった。

(なんだあれ?! 目が合った? え!? 何あの子怖っ!! ……落ち着け、やばい、心臓バクバク言ってる。)

「はぁ……はぁー、ひびったぁ」

冷や汗を、拭うことも忘れて思わず焦りを口に出してしまった。

(…………あの部屋は避けよ)

そしてまた枸橘を探し始めた。

「千里眼が目を覚ました。支度をさせてここへ連れてこい。姫がお待ちだ。」

「は。」

「乗船した商人共には緘口令を敷け。曲技団の奴らは殺せ。」

「公方様、姫がお呼びです。」

「ああ。すぐに向かう。」

枸橘はすっと立ち上がり、二人の僕を下がらせた。その様子は船にいた時とは違い、優しげに見えるように被った大きな猫を取り払ったかのようで、上に立つ者の冷たい風格がある。

(やっぱりな……、道理で取ってつけたような胡散臭い笑みだった訳ね。)

ヒュアは千里眼で俯瞰して枸橘を見ていた。

ヒュアには彼らが話している内容は分からないが、彼が下がらせた者達より立場が上なことは分かる。つまりただの商人じゃなかったということだ。

奇気を解いて枸橘の元へ向かおうとした時、足音がした。ヒュアのいる部屋に近づいてきているようだった。

ヒュアのいる部屋の前で止まる。

足音は一人分。張り詰めた神経が襖が開くのをじっと待つ。頬に冷や汗が垂れたが、気にしては居られない。千里眼でその者が誰なのか見ることも出来ただろうに、意識が目に向かないまま何も出来ず立ち竦んでいた。

スパンと、子気味のいい音がして襖が開く。

襖の奥にいたのは、十代前半辺りの子供で、どこか機嫌のいい様子でこちらを見た。肩口で揃えられた黒い髪に黒い瞳、六角の眼鏡を付けた黒い服の、男とも女とも分からない子どもだった。

ヒュアは惚けてしまい、相手の口火が切られるのを切に待った。

「あれ? ここに奇気を感じたんだけど、別人……? でもキミが奇気を持ってる?? あ! そっか、キミがお目目の子だね? 」

「お、お目目の子?? あ、いや、お前は誰だ? 子どもみたいだが、私を攫ってどうするつもりだ?」

「攫った? 違うよ! 僕はこの国の人じゃないし! あと、僕は生後二ヶ月くらいだから、子どもというより、赤ちゃんかなぁ」

「に、二ヶ月? いや、あんたのことを話している暇はない。早く帰らなきゃ。」

「ねえキミ、白い髪の女の子を知らない? 僕その子に用があるんだ」

「白い髪……?……あ、それなら、」

「知ってるの?!」

ちょうど今ほど千里眼でこの屋敷を見ていた時に、一番広い奥座敷に白髪の少女がいた。目が合ったような気がしたのが恐ろしかったのでよく覚えている。

「ねぇ、彼女はどこにいるの?」

「……さっき私を見て、お目目の子って言ったよな。私の奇気を何か知っているのか?」

この子どもは不思議な発言が多かった。『奇気を感じる』『お目目の子』『生後二ヶ月』『白い髪の女の子』……特別な何かを知っているに違いないと考えられる。ヒュアは千里眼があるせいか、人が嘘をついている時は動きや雰囲気で不思議と分かる。これらは嘘ではないと言う確信があった。枸橘がヒュアを攫った理由が千里眼というのならば、千里眼について知る必要があるだろう。

「うん。」

やけにあっさりと答えられた。当てにならないが、この子どもは奇気について何か知った風な口ぶりだ。正直今すぐ帰りたい所だが、奇気について何か聞き出せることは聞き出しておくべきだろう。

「その子の所まで案内してやる。代わりに、奇気について何か知っていることを教えてくれないか?」

「ん、いいよー。」

ヒュアは子どもとその場を立った。



5


ヒュアが連れ去られた今、どうしようもないので他の団員が来るのを待った。来るまで少なくとも四日もかかるが、相手とは何もかも差がありすぎるので判断を団長に任せるべきだとライラックは思ったからだ。

「仕方ねえ、団長を待つぞ。」

「そんな……」

「私のせいだ。私がヒュアと一緒にいたら良かった。私がホカゼさんにホイホイついて行かなければ良かった。」

ディーバは責任を感じて落ち込んでいた。父に貰ったという首から下げた木彫りの腕輪を握りしめて、泣きそうな顔をしていた。

「悪いのは全部あの赤髪の野郎だ。ババアが気負う必要はねぇよ。」

「……ライラック。…………ババア言うな」

「そうだぜ。ディーバったら面食いだし、騙されるのなんてしょっちゅうだし、いつも助けるのは俺たちだし。」

「うっ……」

「イグニス、それはひどい」

イグニスはシェンファに嗜められたが気にした風はない。

「つまり、今回だってきっとどうにかなるってことよ。」

「……イグニス。そうだよね、後悔するより、ヒュアを取り戻すことだけ考えなきゃ。」

二人の対応にディーバは少し気分が戻ったようだ。

「……ねぇ、こんな時に言うのもあれなんだけどさ、なんか臭わない?」

オーアは何か異臭がするのに気が付いた。

「……確かに。なんか、焦げ臭い?」

「……っ! みんな船から降りろ!」

ライラックは咄嗟に叫んだ。船尾のほうから出火していたのだ。恐らく隣にあった火輪の商船から松明でも投げ込まれたのだろう。木造の船は瞬く間に燃え広がっていく。

「動くな!! 聞けば公方様に危害を加えたとの報告があった!! 不敬罪で即刻この場で処す!!」

船の下の陸地から大勢に弓を向けられる。

「はあ?! 誰だ公方様って! 俺たちは何もしてねえ!!」

「黙れ! 罪人風情が!! 放て!!」

矢を放たれた。後ろに逃げようにも火柱を上げて燃え広がっている炎のせいで逃げられない。当たる、と思った瞬間、体が浮いた。シェンファだ。

矢をすんでのところで避け、近くの林の中に体が投げ込まれた。体をところどころ打ったが全員無事である。

「逃げるよ!!」

「すまねえシェンファ!!」

「追え! 逃がすなっ!!」

どうにか林の中へ逃れたが、こちらの奇襲を心配してか、その林を包囲されている。お相手さんはライラック達に勝ち目がないと決めつけて、余裕の笑みをしている気がした。





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