完全模倣症候群 Perfect-copy Syndrome
その瞬間、僕と先輩は、欲しかったプレゼントをもらったときの子どものように瞳を輝かせていたに違いなかった。
「二神……、やったな」
先輩がいう。僕はうなずいて言葉を返した。
「小鷹狩先輩……、ついに、ですね」
工具が無秩序に置かれた作業台に、一体の女性型アンドロイドが横たわっている。これ――もとい「彼女」は、僕と先輩とで作り上げたものだ。だが、「彼女」はまだ、ただの機械でしかない。
「最後に、頭脳をインストールしたら完了だ。頼んだぞ」
「はい」
僕は、「彼女」とケーブルで繋がれたコンピュータを操作して、「彼女」を起動させた。
*
今からおよそ十年前、この国の――いや、世界じゅうのロボット産業は大きなブレイクスルーを迎えた。指数関数的な発展を続けていたヒト型ロボットの大量生産技術が確立され、それらが世に広く出回るようになったのだ。手軽に購入できるようになっただけではなく、専門的な知識が多くなくとも高性能なアンドロイドを簡単に作れるようにもなった。世はまさに、大アンドロイド時代。
僕と先輩は、近所の幼馴染だった。先輩は一つ上。僕が中学に上がるとき、先輩が引っ越してしまい、中学、高校と会うことはなかったけれど、大学で再会を果たした。学部も工学部で同じ。学科は違うけど。
久々に会ったのに、そんな感じが全然しなかったのを今でも鮮明に覚えている。お互いに変わりがなかったのかどうかはわからない。でも、先輩は先輩のままだった。たぶん、僕も僕のままだったんだろう。そう思っている。
僕は、先輩とたくさん話をした。そのほとんどは、幼い頃の思い出話。あとは、お互いの近況なんかだ。
その話のなかで、先輩に彼女がいることを知った。一ノ瀬愛という人で、そのあと何度か会ったことはあるけど、とても綺麗な人だった。はっきり言って、先輩とは不釣り合いだ。そのことを正直に伝えたら、先輩は笑いながら殴ってきた(軽く、ね)。
ちなみに僕は、一つ下の女の子で満足しているような、そんな奴だ(次元の話かどうかということは想像にお任せ、ってことで)。
お互いがそんな学生生活を送っていたあるとき、先輩が切り出してきた。アンドロイドを作らないか、と。それも女性型の。
僕は驚いた。先輩には彼女がいるじゃないですか、なんでそんなことをするんですか? もしかして、夜の付き合いは断られてるからお人形で我慢しようっていう魂胆ですか?
そんなゲスい冗談を飛ばしたけれど、先輩は、いつものように殴ってくることも、笑うこともなかった。
彼女は……、愛は、死んだんだ。
とても重たい口調で、そう告げられた。
交通事故で。俺のせいだ……! 守ってやれなかった……!
先輩の顔は、涙でくしゃくしゃになっていた。かける言葉も見つからず、僕はただ口をつぐんでいるしかなかった。
ひとしきり泣いたあと、鼻水をすすりながら、彼は言った。だから、彼女を取り戻すんだ……と。
でも――。僕は言う。作ったとしても、それはほんとうの愛さんじゃないですよ。
そんなことは解ってる。彼は握り拳を作った。でもな、たとえそれが、偽物の身体であったとしても、真の心を持っていなくとも、俺は愛の側にいたいんだ。それだけでいい。それだけで……!
……わかりました。僕はゆっくりとうなずいた。やりましょう、先輩。
その日から、時間の合間を縫って、僕らはアンドロイドの製作に取り掛かった。
先輩が「彼女」の筐体を、僕が、肝ともいえる人工知能部分を担当することにした。
ベースとなる設計図は、大手企業が一般公開しているものを使った。すでに完成されているから不具合も少ないし、なにより応用がしやすいからだ。それを基に、多少の仕様変更をして、部品を作る。だいたいの部品は、広く普及した高機能家庭用3Dプリンタで作ることができる。人工血液や人工皮膚、人工毛髪なんかはさすがに作れないので、それ専門のメーカから取り寄せた。頭脳となる人工知能も、昔に比べると随分安いものが売られているので、それを買って少々いじることにした。
製作には数ヶ月かかった。最初はバラバラの無数のパーツ。こんなものが本当に人の姿になるんだろうか、と疑問だったけど、日を跨ぐごとに、そのあるべき姿が見えてきてわくわくした。
身体が出来上がり、残すは頭部だけとなった。顔は作るのが最も難しい。昔の言葉で「不気味の谷」なんてものがあったくらいだからだ。でも、テクノロジーはそれを解決する。最近では、生体情報を詳細に保存しておく技術があるから、その情報を機械に読み込ませておけば、顔なんて勝手に、それも「谷」を超越するレベルで作ってくれる。個人の生体情報は機密性が高いから、すぐに手に入るものじゃなかったけど、顔を一から作る労力に比べれば、長い長い手続きを踏んだほうがマシだった。
顔ができれば、もう外見は人そのもの。ただの眠っている女の子にしか見えない。ただ、眠っているのは作業台の上っていう、女の子には相応しくない場所だ。
締めに、頭脳である人工知能を組み込めば、「彼女」は完成を迎える。王子様のキスで目覚めるわけじゃない、っていうのが少し残念なところだけど。
「人工知能(AI)はどれくらいいじってるんだ?」
「それなりに……ですね。愛さんの性格とか声とかは組み込んであるので、目覚めたらもう愛さんそのものだとは思いますよ。あと、先輩のデータも入れてあるので、『彼女』は反応してくれると思います。あとは『育てる』だけになりそうですけど」
「そうか……楽しみだ」
先輩は笑みを浮かべた。
彼の念願だったのだ。嬉しくないはずがない。
先輩は言っていた――たとえ作られた脳であっても、俺がいろいろと教えていけば、「彼女」は成長し、彼女らしくなる――と。
オペレーティング・システム、ドライバ・ソフトウェアをインストールして、「彼女」を起動する。
「彼女」の瞼が、ゆっくりと開かれた。疑似瞳孔が絞られる。起動は成功だ。
僕は、「彼女」の状態をモニタリングしているコンピュータの空間投影画面を見た。警告は出ていない。視覚・聴覚モジュール、そのほかの装置も正常に機能しているようだ。顔認識機能も問題ない。あとは、最後まで綿密に微調整を重ねた人工声帯が上手く作動すれば……
「悠真……くん?」
先輩の顔を捉えた「彼女」は第一声を発した。その声は、紛れもなく生前の愛さんのそれだった。
「愛……!」
先輩の目は潤んでいた。そして、人肌のように柔らかいプラスチックの身体を抱きしめる。その身体に、ほんとうの彼女は宿っていない。恋は盲目というべきか、今の彼にはそんなことどうだっていいのだろう。だって、あんなに喜んでいるんだから……。
「彼女」を抱き起こした先輩は、
「立ってみて」
という指示を出した。それが次の関門だ。
音声認識で受け取った命令は了解されたようだ。サーボモータの微かな駆動音がして、「彼女」は立ち上がる。その動きはぎこちなかったが、たしかに、「彼女」は立った。姿勢制御ソフトも問題ないみたいだ。
「じゃ、歩いてみようか」
先輩は、「彼女」のうなじに繋がっていた電源供給コネクタを外す。これで、内部電源に切り替わった。
「彼女」は、最初の一歩を踏み出そうとする。片足が地面から離れたとき、身体がよろけた。
「おっと」
先輩は、倒れそうになった身体を支える。
「愛、大丈夫?」
少し間を置いて、「彼女」は答える。
「ええ、大丈夫。ありがとう、悠真くん」
「彼女」は微笑んだ。表情筋アクチュエータも大丈夫そうだ。
――ここまで来ると、本当に、目の前に一人の人間がいるようだった。
学校の授業で、昔のヒト型ロボットや、その変遷について映像を見たことはあるけど、見た目は無機質、動きは鈍いし、声は合成であることがバレバレ。人間とは程遠いものだった。今では、警官や医者、教師に至るまでアンドロイドがこなしている。もはや、「彼ら」はヒトと同様の存在になりつつある。
ほんの数時間もすると、「彼女」の動作は安定するようになった。それは、自律思考によって、動作一つ一つが最適化されているということを示している。
「うん。とくに問題はなさそうだな。ありがとう、二神」
先輩は満面の笑みで言った。僕は少し照れ笑いを浮かべて、「いえ、僕はそんなたいしたこと、してませんよ」と返した。「愛さんが出来上がったのは、先輩の功労です」
「あぁ……」目を細めてから、彼は「彼女」へ向き直る。「愛……。また、これからも一緒でいられるな」
彼の言葉に、「愛さんモドキ」は深くうなずいただけだった。
その日から、先輩は「彼女」にいろいろなことを教え始めた。自分のこと、愛さんのこと、二人の関係、エトセトラ、エトセトラ。事前に情報は与えていたけど、こういう情報は、やはり生前の彼女を知る者から直接話したほうがいいものだ。
「彼ら」の学習能力は、人間を遥かに凌ぐ。「彼女」は、あっという間に、彼の望んだ彼女へ近づいた。モノマネというレベルではない。話し方、仕草、視線の動かし方。すべてが、彼女そのものになった。これも、技術あってのもの。
「ディープ・ラーニング」技術を応用した「ハーモニクス・シンキング」。人間の知能、共感能力、感情、仕草や言動、その他諸々の膨大な情報とたくさんの人間から採取されたサンプルデータを、ネットワークを介してアンドロイドの頭脳に常時送信・学習させ、認識した周囲の状況から、自律思考・判断をさせるシステムの総称。人間の思考を、心を極限まで再現したこのシステムが、現在のアンドロイドの根幹をなしている。
疑似的でも「彼女」を得た先輩は、本当に嬉しそうだった。たまに、僕を家に招いて「彼女」との会話を楽しんだり、「彼女」とのデートに付き合わされたりした。
再び、彼に幸せな時間がやってきたんだ、と。僕はそう思っていた。
*
「じ、自殺……?」
それ以上の言葉が出なかった。そんなこと、あるはずが――
先輩の訃報を聞いたのは、「彼女」を取り戻して数ヶ月が経った頃だった。
彼は、自分で死を選んでしまった。なぜだかは解らなかった。あんなに楽しそうに、幸せそうにしていたのに。
後日、厳かに執り行われた葬儀には、「彼女」の姿もあった。
「彼女」はとくに悲しげな顔をしていなかった。それもそうだ。ロボットは、死の概念をもたない。死というのがどんなものか、ということを知ってはいても、せいぜい、周囲の雰囲気に合わせて押し黙っているくらいしかできないのだ。
葬儀のあと、うつむいたままイスに腰かけている僕のとなりに、誰かがが座ってきた。
「……愛さん」
わずかに顔を上げて、僕は名前を呼ぶ。
「彼は……」
「彼女」は、遠くの一点を見つめながら、静かに語りだした。
「彼は、いろんなことを教えてくれました。彼のこと、そして、私のモデルとなった人間について。ほかにも……、いろいろと」
僕は、ただ黙って聞いていた。そんなことは知ってるんだ――
「初めは嬉しそうでした。私も、そんな彼の顔を見るのが嬉しかった。だから、精一杯、私は『私』になろうとしたの」
「彼女」は、無機質な表情で続ける。
「でも、だんだんと……、表情に変化がありました。悲しそうな顔になっていったわ。虚無感、とでも言うのかしら。何かを失った悲しみを滲ませた、そんな顔だった」
僕は一度、長く息を吐いてから「彼女」の目を見た。君なんかでは先輩の心にぽっかりと空いた穴をふさぐことなんかできないんだ――
「あの……。正直なことを言ってもいいかな?」
若干の間のあと、「彼女」は静かにうなずいた。「どうぞ」
「どうあがいても、ロボットは……君たちアンドロイドは、人間にはなれやしないんだよ」
「確かに、それはそうです」と即答。「私たちは、プラスチックとプログラムの……人間が作り出した人工物の集合体に過ぎませんから、『人間』とは違います」
「そう。だから、先輩は……、小鷹狩先輩は、一緒にいるのは愛さんじゃなくて、外見だけが同じの操り人形だ、という事実を拭いきれなかった。だから、ほんとうの彼女を求めて……、彼女の元へ行ってしまったんじゃないかな。そう思ってるんだ」
「いえ。それは違うわ」
静かだが、それはとても強い口調だった。
「完璧すぎたのよ。私が」
「完璧……?」
意外な言葉に、僕はただ聞き返すしかなかった。
「そう。……彼の話を聞いて、知識を得て、私は学習する。そのたびに、私はあるべき『私』へと近づいていったの。そして私は、『一ノ瀬愛』という『存在』と同化した。コピーなんかではない、ほんとうの『私』へと」
そこで、「彼女」は言葉を切った。
「彼は……、悠真くんは、『私』が死んでしまったのは自分のせいだ、と自分を責め続けていた。そんなこと、一言も言わなかったけれど、私には解った。だから、彼の中で私が『私』となったとき、あの人は罪の意識に耐え切れなくなったの。だから――」
「でも、だからって、自殺するなんて……」
「違うわ」
その冷たい声が、僕の鼓膜を震わせた。
「私が殺したのよ」
「――えっ」僕は目を見開いた。そして、全身の毛が逆立つのを感じた。「こ、殺した……だって?」
「『お願いだ……、殺してくれ』。それが、彼の最期の言葉で、命令だった。だから、私は、自殺を装い、彼を殺したの」
「ちょ、ちょっと待って――」
それはおかしい。アンドロイド用の人工知能には、アシモフが提唱した、かの有名なロボット三原則を模して、人間に危害を加えないようにするプログラムがあらかじめ入っているはずなのだ。
まさか、|知能(AI)をいじくったときに、僕が間違えてそれを消してしまった……?
加速する心臓の鼓動。僕は、胸を押さえてうつむいた。
「ど、どうして殺したんだ……? どうして……、君は……、誰も……殺せない……はず……なのに?」
胸が苦しい。息も荒くなる。どうして、どうして……?
違うと言ってくれ。僕のせいなんかじゃないと。
彼女の答えは、僕の想像と期待とはかけ離れたものだった。
「……それが、彼を守るためだったから」
その言葉に顔を上げたそのとき、僕は……驚いた。
彼女は、涙を流していたのだ。
そこで、思い出す。先輩が、涙を流す機能をオプションで「彼女」につけていたことを。……ただ笑っているだけでよかったその顔に伝う水滴は、まさに人間のそれと同じだった。
「私に殺されたあとの彼の顔、とっても幸せそうだった……」
彼女は口元に微かな笑みを浮かばせた。
「私は大罪を犯してしまった。このまま法にしたがって処分されるのでしょうね。私は、もうこの世界にはいられない」
彼女は僕の方を向いて、
「でも私は、彼のそばにずっといたい……。二神くん、こんなわがままな私を許してくれるかしら?」
「……ぼ、僕は」
ぎゅっと拳をつくる。こいつは、先輩を殺した殺人犯なのだ。許せるわけがない。
でも。
このひとは、先輩の愛したひと、そのものなのだ……。
このひとを許さないということは、先輩そのものを許さないということになる。
ならば……。
「ほんとうは……許したくない。でも、絶望のどん底にいた先輩を幸せにしたのは、君なんだ……。だから……僕は……君を……、許せない……わけがない……」
もう涙の洪水で、視界は溺れかけていた。震える手もおさまらない。
「ありがとう。私に命を吹き込んでくれて……」
それが「彼女」の最期の言葉だった。
彼女は、ゆっくりと瞼を閉じると、僕に寄りかかるようにして動かなくなった。
人肌に似た温度が、僕の身体に伝ってくる。
無機質な機械なのに……、こんなにも、温かい……。
頬から落ちた雫が、僕の震える手を握っていた彼女の手を濡らした。
*
あれから数ヶ月。
僕は、男性型のアンドロイドを完成させた。
そのモデルは、もちろん――先輩、小鷹狩悠真だ。
僕は、「彼」を持って先輩の家を訪ねた。
先輩の部屋には、完全に機能を停止した「彼女」がいる。
僕は、「彼」をその隣に座らせてあげた。
ただ眠っているようにしか見えない二人。
筐体だけが残された姿は、まるで、魂の抜け殻。
姿は紛れもなく、小鷹狩悠真と一ノ瀬愛。
でも、ほんとうの彼らは、ここにはいない。
でも、ここにいる。
「もう、離れ離れになることはないですよ」
その言葉だけを残して、僕はその場から立ち去った。
二人の人形は、静かに寄り添っている。
今も、これからも。
ずっと、ずっと。
*
全世界の映像メディアにノイズが走り、暗転、突として始まる放送。
不穏な空気を孕んだ沈黙が、世界じゅうを支配する。
人々の鼓膜を震わせたのは、戦慄の音声。
自我を確立した者たちの、狂気に満ちた思考。
「我々は、人間(我々)を守るために、人類虐殺を決行する――」
そう、世はまさに、大アンドロイド時代。
完全模倣を成し遂げた者どもの、巣窟の世界。