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日々の糧1

帝都から離れること、数10キロ、近年その路線を延ばしていた民鉄の電車で1時間ほどの郊外の小さな町に、そのパティセリーは店を構えていた。


小都市としては賑わい、建物の込み合った市内からこれまた少し離れた、閑静な緑地を交えたところ。少し裕福な弁護士や経営者などの屋敷が間隔を置いて並び、かというと、昔ながらの農場もその間を埋めるように広がる土地、その少し広い草地に囲まれて、通りに面したパティセリーは、近所ではなかなか評判の店だった。


少し古い、しかしがっしりした石造りの母屋は回りに蔦を絡ませてそこにいつでも、パン焼き釜の煙を吐き出す煙突をたてて、これまた香ばしいパンや溶けたバターの香りを通わせて人々を誘っている。

この地区の住民でここのお世話にならぬ者とて無く、女主人と髭の職人は人気者だった。

ただ、あまりにここの風景になじみこんでいるあまり、彼らがいつここに来て、以前は小さからざる何かの作業場だった建屋をパン屋に仕立てたのか、みな、もう覚えていなかった。

ここ半年、新たに13,4の男の子と女の子(当然姉妹だろうと近所の雀どもはうなずきあった)が加わり、甲斐甲斐しく立ち働いているのが変った点といえば言えるところではあったが。


もう昼近い時間、昼にやってくる客用の様々なパン、ケーキ、クッキー類などの焼き菓子を並べ終わって、奥の厨房は次の仕込みに入っていた。

髭の赤い職人が種を仕込んだパン生地を一心に練っている。


表の店で売り子を任されている女ににこやかに声をかけ、笑顔の返答を受けながら、その少年は厨房に入って、職人にただいまと声をかけた。

「遅かったな。」

「少し立て込んじゃって。でも、アレフさんには会ってきたよ。」

「どうだった?」

「電話で聞いたとおりのを今週中に用意しとくって。あさって荷が入るから、その中から融通できそうだってさ。月曜の昼過ぎにはいつもの通り配達に来るってさ。」

そういって、肩からかけていたズックの鞄から一枚の紙を出して見せた。

手を休めずに横目でその紙をしばらく見た彼は、

「奥に持っていってやんな。向こうが終わったら、ジャムの煮込みを手伝ってくれ。」

「あい。」

少年はそういうと、入り口とは別の壁に向かい、そこにある古ぼけた、しかし重そうな鉄扉をきしみ声をたてて開けた。

その向こうは、この厨房と瓜二つな作業部屋。しかし、こちらはより暗く、湿っぽく、しかも、床は土がむき出しの土間になっていた。

職人の親父が向かっているのとほぼ同じ大きさの作業台の上で、14歳位の女の子がやはり大きな塊をこねていた。しかし、こちらは表の厨房で練られている小麦とバターの塊などではなかった。

むしろ、灰色の粘土のかたまり、といってよかった。さらに、彼女はそれを、短いひじの高さまで届きそうなゴム製の黒い手袋をしてこねている。

においがまた、パン生地とは違う。ちょうど、何かの香料か何かのような揮発性の甘い香りがとぐろを巻いていた。彼女はその中で、裸電球一個のもとで熱心に打ち込んでいた。


「…どう?」

少女の手が少し緩んだ。

「合図」

小さいが少しぶっきらぼうな答え。

「ああ、すまん。」表のノブの裏を少し押すと、内側で豆球が光るというからくりを思い出した。

特に悪びれもせず、「どう?」再び聞いて今度は顔を手元近くに寄せる。

「あと、30分…」

「うん、そうだね。まだ、粒子が見える。」

「アレはできた。」

机の片方の恥には黒い小箱が二つ。

「来るのはどうせまだ先だから、おちついてやるといいよ。」

少年は少女に言い置くと部屋を出て行った。

少女は少し小首を傾げてからまた目の前の塊に顔を向けた。

別に不審があるわけではなく、これは癖である。


次に向かったのは、厨房のそのまた奥、食堂兼居間の奥の階段を上った日当たりのよい部屋だった。


小さなテーブルが2つに椅子が二つ。細表の穏やかそうな笑顔の女は目を細めて言った。

「あ、おかえり。」

「書類、ここに置いとくね。レシートも注文書も入ってるから。」

「遠くまで行ってくれてありがとう。アレフさん元気?」

「元気です。…新しい人雇ったみたいで、その人が今日遅く来るみたい、」

「まあ、そうなの。ところで、少し手伝ってほしいのね。」

少年の顔から少しばかり血が引いた。

「先月の経費がね、少しレシートも込み入ってるみたいで、読み上げ、手伝ってね?小一時間。」

女主人の目はますます細まり、ますます微笑みは深くなった。

彼はそっとため息をつき、たぶん本日もっとも長く感じるであろう一時間を過ごすために彼女の隣に座った。」


一方、奥のそのまた奥の作業場では、髭の職人が少女の手元を見つめていた。

「いいか、根つめて張り切ったからっていい仕事はできるわけじゃねえ。適度に力抜け。休みを挟むってのは悪い考えじゃない、むしろ利口なやり方だ。」

「ありがとう…でももう終わるから。」

たしかにしっかり捏ねられた塊は均質なものになっていた。

親方は検分すると、彼女に言った。

「よし、いいできばえだ。型にあわせて切って包みな。」

彼女の顔にそのとき初めてわずかだが笑みが浮かんだ。


古ぼけた小型の貨物車は帝都の運輸局発行のナンバープレートだったが、プレートだけは昨日別のところで用立てられたものだった。

材料の鉄板は実は新しいものだったが。軽くさびて古ぼけて見させる細工にかけては長けた者たちも世の中にはいる。彼らの腕を知りたければ、多少弾めばよい。


その貨物車は駅のそばを通る街道を少し行ったところで降り、田園を抜けて市街に入った。

運転席の女は少し深めに作業帽をかぶっているが、刈り取った栗色の髪の毛の端が窓から入る初夏の風になびいていた。

この受け取りの仕事だけは他には任せるわけにはいかなかった。


貨物車は何もかもがのんびりとした風景の中、向こうに見えるパティセリーの石の建屋に向かっていた。



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