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手紙

近所でも評判な其の男は、毎日毎日、判で押したような生活を続けていた。

年のころはもうそろそろ老境に達し、頭はほぼ白くなっていた。

男はいつもニコニコしながら、毎朝出会った近所の衆に挨拶を交わし、軽くびっこをひきひき近くの畑に出かけていく。

そこで採れた少々の野菜は自分で喰らう分量以外はすべて近在の町の広場で開かれる市に並べて売ってしまう。

午後になると、野良着を着替えてとことことこと町の方へ出かけていく。

一度郵便局により、ときどき銀行や役場により、毎日必要品を買いに店によるのが日課。

町でなじみの食堂兼飲み屋に行き、そこでぬるいビールを片手にやってくる常連たちと他愛ない話に少し声のトーンを上げ、夜もすっかりふけてきたところで噺にも飽きたという按配で家路につく。足を少しひきずりながら。

春夏秋冬いつもいつもこのありさま。


ときおり子供たちの相手をして、凧を揚げてやったりしている姿も近所の衆には見慣れた光景。村の分教場の先生はああ、またかと肩をすくめた。

うまく作れず、上げられない子供が彼のところに赴くと、目を細めながらちょっこっと細工。やさしくアドバイスを授けながらその子に上げさせると、さっきの無様な様子がウソのよう。晴れ渡った空に高く高く上がっていった。


酒場の仲間は首を振る。

そんだけ物知りなのに、なんでこんな場末で貧乏暮らし。

都会に行けばもっとお偉くなれたろうに。

答えていった。

都会の暮らしは面倒なだけ。この年寄りにはついていけん。

あれは若い者が住むところ。


昔は一体何をした?

ずいぶん旅をしたようだ。ここらの者が知らないような遠い異国のことがぽつぽつと話題の隙間から零れ落ちた。

男の額には十字傷。いつも前髪を下げているのでわからないが、最近少し頭髪がさびしくなったか、覗けて見える。


ある日郵便局に寄った彼は、いつも空の私書箱に封筒が2つ入っているのに気がついた。

其の日は寄り道もせず、日の高いうちに家に帰り、夕餉の煮込みをパンと一緒に食べると、お茶を片手に机に向かう。


一枚目

顔がほころんだ。

あれから、もうずいぶんたつ。たった一人の一粒種。あのころ、まだ学校に通っていた娘。

ずいぶん酷い目にあわせてしまった。

あのころ毎晩のようにアルコールで思考力を減退させ、あらぬ妄想にわしづかみにされていた頃。毎晩のように妻との口論。ぶっ壊れる器物。泣き崩れる女。

そして、ある朝、気がつくと、家の中に取り残された自分がいた。


そうか。もう一人前になったのか。首都で学校を卒業し、今は立派に職を得ていると書いてあった。

あなたをけして忘れたわけではありません。

あの頃のお父さんは怖かったけど、

今は少しはわかるような気がします。

お母さんもあの後恨み言は言いませんでした。

でも、お父さんのことが出るといつも少し涙ぐみました。

そんなお母さんが亡くなりました。

いまわにきわにお父さんに会いたいと言い続けていました。

私は、今度、そちらに行きます。

丁度そちらには仕事の用事があるので、少し無理を言ってお父さんに会いに行きます。


静かにうずくまった。

娘は許すという。しかし、。


お前が俺の何を許すというのか。娘の気持ちが痛いほどわかるゆえに、彼は耐え難い心の痛みに胸をますます強くつかまれた。


それは2枚目の中身を見てしまったから。


かつて国軍の精華と謳われた男。敵国深く進攻した王太子親卒の軍団でも最精鋭と称せられる快速機動部隊の将校。それが彼だった。


ある日の夕刻、疲れた兵たちを休ませるため宿営を張った森に、奴が現われた。

まぶしすぎる夕陽を背に、汗馬を飛ばして奴の率いる騎兵の群れが野営の支度を整える味方の間に踊りこむ。

燃えいるような緋色の目に炎のような髪と頬髯。現地語で雄叫びを上げながら、奴と奴の手兵はカービンを兵の頭に擦り付けて撃ち放し、剣を振り下ろして肉体を粉砕していった。

男は最初の動転から立ち直ると、手近にあった小銃を握り、目に入ったものどもかまわず撃った。

態勢がようやくととのい、機銃が火を吐き始めた頃、しかし、焼けたテントや装備、血潮をぶちまけた夥しい死体を残して奴は去っていった。


男は銃火もかまわず、走りより迫った奴に大きな騎兵刀で腰と足をなぎ払われ、地を朱で染めて倒れていた。


負傷がようやく癒えた彼を待っていたのは、なんとも不愉快で不審な決定。

未だ完治せぬ下半身を杖で支えたまま直立した彼に、上司である師団長は除隊勧告をぽつぽつと申し渡したのだ。

味方が戦争で勝利した以上、あの森での敗北は表ざたにはしたくない。ましてや今回の停戦は王女様ご逝去というウラの事情ゆえ急遽まとまったとは、公然の秘密なれど、あからさまに新聞などに話題にされるのはよろしからずという事情もある。

ここで貴官を査問、軍法会議という形で遇すれば、口さがない新聞屋どもの詮索がうるさく、せっかくの国軍の勝利の輝きも曇ろうというもの、だから、この際自ら身を引いてくれんか。普通に予備役、恩給もつく。


歯噛みするほどの悔しさであったが、男は受け入れた。

しかし、男にとってなおのこと絶望に突き落とされる事態がやってきた。


王太子が王に即位して3年後、突然崩御された。そして、驚くことが起きる。

新たに即位した女王。亡き王の王妃だった女性が歓声に応えて国民の前に姿を現したとき、その傍に侍立する者の1人。それがかつての敵国人、奴だった。


あの森で撃ちつくした銃を振って立ち向かった男に奴は馬上蹴りを食らわし、その上で飛び降りると押さえ込み、剣を首に擬したものだった。血走り、何か小動物の皮を生剥ぎにしようかというような嗜虐に満ちた目。しかし、奴はふと力を抜いて立ち上がると、やにわに剣先を男の顔の上に走らせた。ひっくり返った彼の目の前で哄笑を残してひずめも高く走り去る奴。男の視界が頭から流れ落ちる血潮に赤く染まった。


それから、何年もたった。奴はこの国で順調に出世の階段を上り、かつての故国にはすこぶる冷淡な態度をとり続けた。そして、この地の知事職を手に入れた。


男の素行の乱れはあのときからだった。

不自由な体の退役軍人には職はない。毎晩のように浴びるほどの酒。妻との口論、そして…。


この地にやってきたのは偶然だった。挙動不審な退役軍人は首都では目を付けられる。女王自身がそういう輩を唆しただけになおさらだった。

地方ののんびりしたところを。かつての戦友が世話してくれて、残ったわずかな蓄えで小さな農家と自分が食う分の畑を手に入れた。


そう、このままだったら、悶々としたままでもひっそり暮らせただろう。

しかし、ある日の新聞がそれを砕いた。

奴がこの地の知事に任命されたという記事とともにあの燃えるような髪と頬髯の奴の写真が載っていた。


戦友に無理をいって、調べてもらった。いよいよ来週、奴はこの地に遊説にやってくるのだ。





近衛師団の参謀長は目の前に立つ部下の姿を上目で見ながら、命令書を読み上げ、そして続けた。

「承知の事と思うが、今回の警護対象にはなかなか難儀なものがある。貴様は、あの方をどう思うか。」

「任務であります。それ以外は考えません。」

「そうか。だが、もし何かがあった場合は、畏れ多くも女王陛下のみ気色に関わろう。たとえ、旧敵国の出身といえどもだ。」

「わかっております。」

「覚悟の程よろしい。」

敬礼すると部下はくるっときれいな回れ右を決め、靴音を鳴らしながら立ち去った。

傍観していた副官が聞いた。

「あの者でいいので?」

「あれはああ見えて優秀だ。それに身辺警護とは身を挺して全うするもの。そう、文字通りの意味でな。士官の1人や2人、替えはいるわ。」


男は、次の朝早く、珍しく衣装を改めて町に出かけ、そこから首都行きの列車に乗った。

中央駅のごった返す雑踏をかき分けて市街に出、繁華街から少し離れた裏町の建物に消えた。それから、遅めの昼飯のために瀟洒な食堂に入り、案内されるまま席に着くと、混んでいることとて、もう1人の男がすまなそうに相席を願い出て、承諾した。なにやら話題を見繕えたようで、しばし和やかに歓談すると、男が先に礼をして出た。

それからまっすぐ駅に向かい、夕刻到着予定の列車に乗り、家路に着いた。

その日は他に何もせずに就寝した。


1週間後、男は再び先日同様の服装で今度は町に向かった。

町の広場はもうごった返していた。ちょっとしたお祭り騒ぎの雰囲気だった。

しかし、男はそんな喧騒を尻目に、ある建物の中に入ろうとした。

警邏中の巡査が見咎めたが、ここの親戚に用だと笑顔で答える。

巡査も不自由そうに引きずる片足を見てそのまま行かせた。


空き家の多いそのアパートの2階を首都であった男たちは数週間前から借り、カーテンをこぎれいに飾り、あたかも誰かが居住しているかのように細工していた。

そこの広場に面した窓際の部屋にはすでに大きな黒皮のケースが置かれていた。


知事の一行は少し遅れて到着した。

かつて燃え上がるような緋色だった髪や髯は、かなり白いものが混じっていた。

知事は、まず、取り巻きとともに町の顔役連中ににこやかに握手を求めて回り、そのたびに二言三言はなしかけた。

旧戦争の勲章をこれ見よがしにつけて見せる老人も多少はいたが、多くは新しい権力者に対して従順なるを示していた。


まず、演台で、恰幅のいいこの町の市長が話し出し、浮ついたような寿ぎと、今後の市の発展に知事を通して国の手厚い支援が得られんようにという内容の少々くどい、しかし中身のこれまた薄味の演説をしたが、その間、知事の周囲は何人もの屈強な者たちに取り巻かれた。


男は、知事が、演台に立つのを待った。

腕にはすでに、かつて軍用だった狙撃銃が構えられている。

その多くがパージされた旧王の部下。その1人が国軍の純血派に渡りをつけ、制式から外されたその銃を弾薬とともに持ち出すことに成功した。


ようやく照星の先に奴が現われた。引き金をゆっくりと引き絞る。

と、そのとき、知事の顔が大きく揺らいだ。

あわてて望遠を動かして驚愕する彼の視線を追うと、黒いスーツに身を包んだ細身の体がもっとか弱い少女の体に覆いかぶさろうとするところ。さらに別の一団がもう1人の駆け寄った若い男を拳銃で撃ち倒した瞬間。

いかん。

急いで照準を知事に戻したときには、幾人もの頭の影に覆われて知事は急いで彼のいるアパートの隣に担がれるように運ばれるところ。


制服の警官たちがかわって少女を押さえ込み、若者の力ない体を数人がかりで取り囲んでひきずろうとしだしたのを見て、わき腹の赤いものを押さえながらその細い黒服は後を追おうとし、その瞬間顔をこちらに向け、立ち止まった。


それは若い女。かつての幼い日の面影、そして、亡き別れた妻から引き継がれた亜麻色の髪。

驚愕に目を見開いた彼女がしかし、懐から拳銃を抜こうとしたのを見た彼は、そのまま引き金に力をこめた。


爆発が起きたのはその瞬間だった。知事がようやくかつぎ込まれたその小さなホテルは警備陣の間では万一の場合の避難場所とひそかに決められていた。しかし、それは事前に漏れていた。

謀略家たちは彼を引き込み、その憤懣とコンプレックスに乗じて知事の狙撃を依頼したが、もとよりそれは知事をその建物に近づけるための陽動に過ぎなかった。

思わぬアクシデントがあったが、怪我の功名、彼の狙撃なしにうまうまと知事を爆発の巻き込む事に成功したのだった。


使用した爆薬はそれほどではないが、老朽化激しい町並みゆえに、当の建物ばかりか周囲のものもすべて倒壊した。

ほぼ本能と言っていい動きで身を伏せた彼女の上を衝撃波が抜け、おかげで、耳やら頭が鳴る中立ち上がったとき見たのは、周囲に転がる瓦礫や肉塊、夥しい粉塵と煙、炎だった。


よろめきながらも油断なく銃を構え、崩れた隣家に近づいた彼女は、人影が壊れたガラクタの中、うずくまっているのを見た。

「おとうさん」

思わずついて出た言葉に我ながら驚きながら、しかし、頭から血を流したその白髪の男の手の先にやはり埃塗れの銃が転がっているの見た。


彼女は拳銃を構え、その引き金を引いた。



数ヵ月後のこと、あの日以後空き家になった男の家に、めずらしく客人がやってきて、不在を確認すると鍵を開けた。


その妙齢の婦人は2日ほど滞在して部屋の中をきれいに掃除し、次に町の例の居酒屋に立ち寄った。

店の主人は求めに応じて彼が最後の晩に置いていったロケットを見せてくれた。それは送られた封筒に入ったまま、店の主人に預けられたもの。

おととい部屋を片付けているとき、見つけた手紙。それには、用事があるから今回は会えない、という謝罪の言葉、そして、居酒屋の主人を訪ねてほしい、そこに行ったらお前にメッセージを預けてあるよ。

万一家が捜索されてもお前に累は及ぼさない。


ロケットを開けるとそこには小さなスナップ写真。微笑むカップルと女のほうの抱いたいたいけな幼女。

しばらく握り締め、しずかに瞑目してから彼女は言った。

すみませんが、また預かってください。

実はしばらく首都で一緒に暮らしていたのが、最近急にいなくなった。

よもやと思い参りました。もし見かけましたら、これをお渡しくださいまし。

萌黄色の封筒にロケットをしまい、改めて丁寧に封をした。


あのあと父は重傷で前後不覚。目を覚ましたときは重度の記憶喪失。

口封じに後をつけ、瓦礫の影に潜んでいた陰謀家一味を銃で撃ち、壊れた狙撃銃を彼らに持たせたあとは、父に付き添い、、やがて退院したとき、一緒に官舎に引き取ることを申し出た。

それからの日々は、査問の処分の逆に殊勲のとあわただしくもささくれ立つ中で、家に帰ればそれはそれは穏やかな日々。

ところが、ある日、父は忽然と姿を消した。


帰れば、査問処分か、それとも依願除隊かの2択問題。本当に親子でそっくりだわ。


店を出て、表のコンパーチブルの車に乗り込むと、彼女はそれを首都にむかって走らせる。

うねるような丘陵を秋の少し寒い風が吹き抜ける中、蒼い空がどこまでも続いていた。

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