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私にとって、兄はいなくてはならない存在。

物心ついた頃からそうだった。

折角汲んできた井戸の水を、途中で躓いて全部こぼしてしまったとき、

物成りがあまりに悪い年、山になる木の実さえもこれっぽっちも手に入らないとき、

病弱な母がとうとう亡くなったとき、

近所の女たちや親戚の大人たちが、父なし子と影でささやき合っていたとき、

母の残した借金のカタと称して怖そうな男たちが私を無理やり連れて行こうと腕を痛いほど引いたとき、

やっと通えた学校で上級生の女の子たちに口にするのも汚らわしい悪罵を浴びせられたとき、

働きに出て、わずかな稼ぎでは靴を新調できず、くたびれ破れた靴底から冷たい冬の雨水が足底を痛むほど冷やしたとき、

私の稼業を聞きつけて、只でさえ冷たい近所の女たちが益々穢れのように私を遠ざけだしたとき、

いつでも、しかし、兄はいつでもそばに来てくれた。そして肩を抱いて、なんとかその場を切り抜ける道を探してくれた。


彼は代償なんて求めなかった。いつでも小さく微笑んでくれた。

そして、手の中にいろいろなものを押し付け、握らせてくれた。

お金だった事もある。

小さな可愛い装身具だったこともある。

すこしだけれど、舌が蕩けそうなお菓子だった事もある。

もちろん、涙の雫を手のひらに落としたことも。


私は兄が大好き。

兄のためなら何でもしようと思う。

たとえ、神様が眉をひそめるようなことでも、兄のためならやれる。

もし兄に何か良からぬ事があるなら、真っ先に助けてあげる。

もしも害そうとする者がいれば、私がその者の止めを刺そう。奴らが最期に見るのは憎悪に赤黒く燃えた私の虹彩。


お兄様、どうかお命じになってください。

今、私の右手に握られた光り。刃渡り30cmの意志。

これの辿り着き、収まるべき場所を教えてください。

今。

そう今、目の前に立つ黒々とした人影。

私の足が地を蹴った。


これなのですね、形容しがたい表情を作り、驚きと悲しみと憤怒に満ちた人物。

これこそが、お兄様、貴方が捜し求めていた、私たちに災いを齎した張本人とは。

私たちを畜生の道に落とし、生の穢れを齎した者は。


そう、私は闘う。私のすべてを曲げた者を倒すために。未来を汚泥に沈めんとした者を奈落に落すために。

そして、すべてが終わったとき、本当の私の生を太陽のもとに晒すのだ。


****************************

私は妹が実は嫌いだった。

あまりに鈍く、動作のおっとりした、しかも何がうれしいのか、顔を地べたに打ち付けて泥と血に塗れても、いつも笑っている顔が気に食わなかった。

あまりに毎度腹が立つものだから、妹がなにかトラブるたびに、思わず心の中で思い切り舌打ちしながら、手をいつもさし伸べていた。


せっかくの井戸水がこぼれてさすがにべそをかいたときは、一緒にまた汲んでやった。


よせばいいのに、土地も枯れ果てた裏の禿山に木の実拾いになんか行って。案の定何もとれないと途方に暮れたときは、わずかな蓄えを持ち出して野菜や肉を購った。


世間の連中が言いたい放題噂しているのは良く知っていた。特に面白おかしく触れ回る近所の仕立て屋夫婦は裏通りでその良く回る舌のついた口から歯が全部なくなるまで殴り、詰まらんゴシップばかり聞きかじる耳は耳たぶごと削ぎ落としてやった。2度とそいつらは俺たちの事を触れ回らなくなった。


学校に行っても、いつもおめでたいためにいじめの対象者だった妹には心底頭にきたものだ。ある日、いじめの筆頭、影に陽に糸を引いていた優等生、生徒会の役員も勤める人望篤い最上級生の女を誘惑すると見せかけて衆人環視のもと、思い切り恥ずかしい姿に剥いて晒してやった。


借金取りが妹を拉致しようとしたときには、奪還し、多少の頓智を利かせてへこましてやった。わざと誰かが密告したのか、捕吏が駆けつけて問答無用で彼らを押さえ込み、さんざん棒で殴りつけながら連行して行った。


母が死んだとき、私は内心ほっとしたものだ。なんのかの言っても係累がいるということは、これから私がやろうとしていることにとっては、足手まといにしかならないからだ。


物を考えるのが苦手な妹は、ほんの少し帆の向きを向けてやれば、風が続くまま、まっすぐ行ってくれる。


私たちが不幸なのは、何も神様のせいではない。そんな神なら、私が何も気まぐれに付き合ってやる義理なんかないのだ。なにかというと神の名を口にして涙ぐむ妹を私はひそかに嘲笑していた。


私たち兄妹が不幸せなのは、あの男のせいだ。やはり少し世知に疎い母に私たちを産ませ、自分は富と名声の道を駆け上がったあいつ。

それが目と鼻の先にいる。

探したのだ。あらゆる手段、あらゆる伝手、あらゆる不道徳をもって。そう、妹に手を汚させる事も手段のうちだった。


妹は道具だ。言われたままに歩く彼女は私の指示にも忠実に、ついにあの男の目の前に立つところまで辿り着いたのだ。

私の目論見がすべて当たったのだ。見ろ、妹よ。私の言葉のみに従えば間違いはない。


しかし、どうしたことだ。妹の顔は蒼く光り、赤黒いものが瞳に煌いた。そして、白く光るスティレット。

金属をはためかせて、妹はあの男、自分の真の父親に突進していく。


私は思わず地を蹴った。


すべての筋書きは私の中にある。ところが初めて自分の意志をもって、しかもあろうことか今まで忠実であった兄である私を裏切った妹がすべてを台無しにしようとしている。

奴を葬るのは私だ。私のやり方こそが、長い間考えに考えた策こそが、相手に耐え難い苦痛を与え、途方に暮れるような痛手を負わせられるのだ。だから妹よ、やめるのだ。これは私とお前の2人のための戦いなんだぞ。


そう、私は闘う。私のすべてを曲げた者を倒すために。未来を汚泥に沈めんとした者を奈落に落すために。

そして、すべてが終わったとき、本当の私の生を太陽のもとに晒すのだ。


一瞬動転したかに見えた屈強な警護の者たちは訓練の賜物、すばやく動き出した。

いくつもの射線が2人を捉えた。



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