救済
王子は決意した。
苦しむ者は救わねばならない。
悲しむ者は慰めねばならない。
怒りに打ち震える者は、その憤りを溶かさねばならない。
王家の実権はすでに王太子である自分に移っていた。
長々と君臨し続けた王は、すでに老いてほとんど病床にあり、それゆえほとんどの政務や軍務、さらに夥しいことども、王室にまつわる実は取るに足らない、しかし手を抜けないこと共も最近ほとんど彼の肩にかかってきていた。
しかし、彼はそれを受け入れ、むしろ、過重にすぎるその毎日を楽しんでいるかのようだった。
おかげで、国政は近年にわかに治まり、国民の炊付きの道も、かなりの改善を見せていた。すでに国内の新聞の中には名君と持ち上げる者まで現われた。
そのためか、最初、心配顔の宰相以下の大臣どもがしつこく勧めた摂政の選任など、このところほとんど耳にしなくなっていたのだった。
意気軒高な王子はさらに思った。
苦しむ者は救わねばならない。
悲しむ者は慰めねばならない。
怒りに打ち震える者は、その憤りを溶かさねばならない。
どんなに平和で豊かな社会でも、日のあたらぬ者たちはいるものだ。
王子は国民によびかけ、貧しい寡婦、みなし子、身体に障害がある者たちを救済しようとした。
国中の役場にある日人々が集まった。
皆それぞれ興奮した面持ちで、新しく開始された弱者救済の国民運動の歌を放吟し、鳴り物を先頭に、シンボルの緑とオレンジのリボンやスカーフを振り、蒔きながら町中を練り歩いた。
そして、貧者の家庭の入り口には、その2色のリボンの付いた救援のためのパンや野菜が、菓子が、玩具が積み上げられた。
運動にかかわる膨大な出費は、その年に大儲けした商人や工場や鉱山の持ち主から喜捨という形で受け付けた。
すべての人が常にいつまでも豊かで金持なわけではない。いずれ貧窮する日も来よう。そのときのために、と王室から派遣されたそろいの制服に身を包んだ者たちが謳い上げた。もちろん、異を唱える者もいた。だが、その者たちは派遣された者共にいずこかへと連れ去られた。
実際、派遣されてきた者たちは一様に若く、快活で頭がよく、しかも美しい容貌をしていた。
女たちの多くが、彼らが集まって集会を開くと聞くと争って会場を取り巻いたほどだった。
自分の統治に大いに自信を深めた王子はさらに思った。
苦しむ者は救わねばならない。
悲しむ者は慰めねばならない。
怒りに打ち震える者は、その憤りを溶かさねばならない。
隣国とも、そのさらに隣国とも当然外交の誼を結んでいた。
ところが、隣国はそのさらに隣国に対してはよく思ってはいなかったようだ。
ある日、隣国のそのまた隣国の鉱山会社が、隣国の領土の地下にまで坑道を掘り進んだことがわかった、と隣国がテーブルを大きな拳で殴った。
どうしてわかったかは今でも歴史家は謎だという。ただ、それを理由に隣国は隣国のそのまた隣国に軍を侵攻させた。
王子はさっそく、隣国に使いして、戦闘行為を停止するよう求めたが、にべもなく拒絶された。そこで、王子は自ら最強と目される軍団を率い、隣国に攻め込んだ。
錐のように鋭く敵領内を進撃した王子の軍は、ついに隣国の首都を陥落させた。
その間、王子の軍の将兵は悪鬼のごとく戦い、敵将兵を屠り続けたのみならず、通過する町や村で凄惨な破壊と死を齎した。
男は殺され、あるいは奴隷として使役され、女は陵辱された。6歳から80歳のすべての女性が襲われたという。
しかし、王子は、隣国のそのまた隣国の民を救い、その報復を代わりをしてやっているのだと言った。もう隣国の民は隣国のそのまた隣国の残忍でしつこい報復を恐れる必要はないとも。
しかし、丁度そのとき、実に小さなつまづきが襲った。
王子の末の妹。一番小さな王女が病を得て死んだのだ。
だれよりも彼女を可愛がった王子は悲嘆にくれた。
あまりの愁嘆を見かねた臣下が、ついに別の友好国の皇女を彼と見合わせることにした。
一目見て彼女の聡明さと美しさに惚れ込んだ王子は早速婚礼の儀を執り行うことにした。
国中がお祭り気分に浮かれる中、宮殿のバルコニーに幸せな2人が立った。
翌年、王が崩御すると王子は正式の即位の儀の日を迎えた。
そして、さらに3年後、新しい王は死んだ。
王妃の手引きにより、国軍の不満分子と恨みを抱く隣国の遺臣、そして、彼が救ったはずの隣国のそのまた隣国の者まで加わって、ある夜、警護厳しきはずの王宮に、得物を手に手に侵入したのだ。
翌日王の死が公表され、代わりに健気に振舞う王妃が新女王となって即位することも公表された。
女王は薨去された前王に取り入り、彼を盲目にして国の舵取りを誤らせた者どもがいたと口を極めて糾弾した。
さっそく先王に近い者、賛同する者や忠義者たちが槍玉に上がり、獄中に、あるいは処刑台に消えていった。
先王の遺臣のうち、若く美形だった国民行動隊の多くがなんらかの因縁をつけられて、捕縛され多くが処刑されたが、目端の利くものの中には、実はいくらか淫蕩の気があったとされる新女王に取りいり、親衛隊に居座る者もいたといわれるが定かではない