壁の目2
「壁の目2」
そこからはるかに離れた空の下。大洋を隔てた人民連合の首都では耳目をそばだてる出来事が起きようとしていた。
大理石で作られた帝政時代の巨大な王宮。何事にも大振りなことを好む、この地に住む人々の趣味を反映して、世界一というのが誉れであるその白亜の宮殿の中、最大の広場、帝政末期、湧き上がる民主化要求の声の中、最初の欽定議会が召集され、やがて革命の舞台になった人民大会議場にみなぎっていたのは、実は人数にもかかわらず、押し殺したような沈黙。
その中で、壮年の神経質そうな男が眼鏡をゆすりながら登壇した。
もぞもぞ、低い声で話し始めた男の話は大略このようなもの。
わが輝かしき革命以来、人民連合が帝国主義諸国の圧迫干渉、卑劣な謀略にもかかわらず、今日人類を指導し、輝かしき正統なる社会主義の道を進み続けてきたのも、ひとえに、党の立派な指導の下、各自治州人民が常に警戒を怠らず、より多く高く目標を求めてまい進したがゆえである。そして、それは偉大な教師にして国父、プロレタリア社会主義革命の正しき継承者、前書記長の英邁な指導なるがゆえである。
しかし、まことに残念至極なことに巨星は落ちた。彼は長い間病を患い、ついに先日その革命的生涯を閉じた。その訃報に接したとき、われわれの胸に去来した虚しさはいかばかりだったか…
会場のあちこちですすり泣きの声が上がった。しわだらけの顔をゆがめ、否、否、と泣き喚く中年女も見える。
だがしかし、と男は少しころあいを見計らって続けた。
我が人民連合が歴史的必然として歩みを続けていく限り、われわれには当然のこととして、ここで立ち止まることは許されない。幸いなこととして、われわれには、より若い、力に満ちた、そして一閃する白刃のごとき英知と鋭い戦略勘を兼ね備えた才能がすでに幕間に用意されている。同志よ、われわれは誇るべきである。時期書記長として、現民族問題担当書記、アーニャ・パブロフカ・リェンがいることを!
男は彼にしては芝居がかったポーズで上体をふるって、ひな壇の端を指し示した。そこに立っていたのは10代前半といっても不思議ではない少女が、独特な詰襟で長めの民族服姿で立っていた。丸い顔、細い切れ長の目、そして、銀色といってよいつややかな長い白髪が頭部でみづらに編まれている。
小さい影はコツコツと靴音を鳴らしながら、ひな壇の中央に行く。男が場所を替わったところに立つと、彼女はここで初めて少しはにかんだようなしぐさを見せた。
観衆はやはり静かにしていた。あっけに取られた者もいたにはいたが、そのほかのものは何事かでも感情を内面に押し込めたまま無表情だ。
少女はやっと意を決したのか、顔を上げ、マイクに向けて話し始めた。それは少し、か細い話始だった。
ここに集まったすべての各州、各民族代議員の皆さん。我々の偉大な先達、革命第一世代の指導者が死にました。
死とは必ず人類が迎えねばならない運命です。しかし、我々はそれをも乗り越えて進まねばなりません…
娘の声色はたしかに熱を徐々にこめて言ったが、しかし、ゆっくりとかんで含めるような物言いは一貫していた。そして、この部分に差し掛かったところで、声色は一気に高鳴った。
私たちがこの大陸に逼塞していることが人類社会のためになるという帝國や王国のものどものさげすみの言葉に忍従の思い出すごした党員の皆さん!国民の諸君!我々はかれら驕った君主や議会政治屋どもの影で常に戦争と侵略、そして搾取を企む資本主義者どもの悪辣な謀略をいつまで辛抱しなければならないのか!100年?10年?いや1年?
否!否!吼えるような異議の声が会場をしばし圧した。
少しトーンを下げて彼女は続ける。
私たちは、そして、我が人民連合以外で圧迫と隷従に耐えるすべての被支配人民はすでに待つことに飽き飽きしているのです。かの王国の女王のごとき、恣意で国富を蕩尽し、かの帝國の支配者どものように、権威に名を借りて搾取に励むものども、この唾棄すべき連中に正義の鉄槌を機会あらば与え続けることこそが、わが連合の歴史的責務です。そのためには我が党はあらゆる犠牲を惜しまないでしょう。
我々が今すぐに準備に入り、彼らの思い通りにはいかないということを見せ付けてやる。そのためにすべてを費やすべきです!
ウラー!、という掛語が澎湃と巻き起こった。
彼女は初めて大降りに腕を振った。少し長めでゆったりした袖が羽衣のようにまった。
と、瞬時に会場の喧騒がやむ。
思えば、最初に死は必然と申し上げました。しかし、この世には死をも超越した人々がいます。普通の人間よりも長い経験と時間を有する人々。最初、」無知蒙昧なころ、宗教家の脅しと君主、資本家の巧妙な策略で我々は彼らを怖れました。しかし、
背の低い彼女は伸びをした。そして両手をかかげて握り締めた。
誰でもそうなりうる運命を有します。そしてそれはわが連合の科学アカデミーの手によって原理、その他が明らかになりつつあります。そう。彼ら吸血鬼もまたわが同胞、革命の戦列にともに並ぶ同志なのです!
そしてその種族の多くがいまだに王国と帝國の圧迫を受けている土地、ウィンスランドの人民から応援を求めるアピールが最高人民幹部会に届けられている。この事態を見過ごすことは正しいのでしょうか?吸血鬼のみならずすべての人民を解放することになるにもかかわらず?
つぶやくような 否、否の声がざわめいてきた。
偉大な人民革命の父たちの偉業を最終的に達成する歴史的使命を果たすことを私はここに提案いたします。同志の皆さん!今こそ隊伍を整えるときなのです。
我が人民連合に栄光を!
津波のような拍手が熱気のこもった会場にこだまし、絶える事は無かった。しかし、彼女の切れ長な目はむしろ冷ややかに見つめ続けていた。そこには最初の少しあどけない色は微塵も無かったのである。