表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
16/17

壁の目1

ウィンスラント。帝國と王国にはさまれ、暖かな海流に洗われる海岸部から北部の北黎山脈までの広がりをもつ。温暖な気候に恵まれる一方で比較的狭い平野部と、寒暖の差の激しい山がちな内陸部に分かれる。


その民族については、近隣の王国、帝國いずれのものとも異なり、風俗、文化もまったく浮き上がっている。しかも、土地柄から小単位ごとに割拠してきた時代の長さから、これまた同じ民族内でもかなりの差異が生じている。


いや、実は民俗学者を悩ませている最大の問題は、そんなことではなく、彼らがいったいいつどこから来てこの地に定住するようになったか皆目不明と言うことだ。

大まかに言って彼らは東部族と西部族と呼ばれてきた。お互い反目することも無く、ただなんとなく違いを意識しながらこの地で生きたきたわけだが、一つの国家としてまとまる頃から、イヤが上でも民族意識というものが芽生え始めた。


実は、彼らが定住した場所は現国境の外側にも広がっている、と言うよりも、帝國、王国それぞれがその国内統治を固め、国境を画定させるためにあるときには交易や交渉で、時には剣を振るったために、居住地のいくばくかが隣国に編入されたということである。帝國はその慣習にのっとり、属領とし、住人は属領民、2級市民としたが、その後の立憲君主制確立と3代前の皇帝による撫民策により属領民と帝國市民との法的地位の差別は撤廃されてきた。もっとも、人の内面まではそうそうおいそれと変えることはできず、年配者のなかには属領民と見ると違和感を隠そうとしないものもいるが、比較的融和に成功した例として各国では語られる。


王国側はそれほど単純ではなかった。直轄領としたため、行政、徴税について王室派遣の知事による強引さが怨嗟の声を巻き起こした。法的にはまったく平等だが、新しく民になったものの、王国臣民にふさわしい水準に至らない。このような上からの目線が彼らを痛く刺激したのは論を待たない。彼らはそのためにことあるごとに本国領への復帰を唱えるようになり、分離主義者として都度弾圧された。

その肝心のウィンスラント本国が、しかしながら大混乱に陥ったのが25年ほど前である。


当時、大洋を隔てた大陸の北半分を占めるある大帝国で叛乱がおき、首都で宮廷が破壊される騒乱となった。反乱者は悪逆な皇室の支配からの人民の解放を叫び、軍を味方にした政治グループ。彼らは自営業者、工業家、銀行家たちが帝室を操り、そそのかし、国民搾取の犠牲の上で繁栄を謳歌しているとして、皇室と彼ら資本家を抹殺し、政治エリートの正しい指導の下に全ての企業、耕作地を国有化し、平等な社会を作らねばならない、と叫び決起した。

この革命は衝撃を世界に与えた。助命嘆願にも関らず、皇帝一家が無残に処刑され、あらゆる民営の工場、商店、輸送機関が接収されるにしたがって、各国は次々新しい国家=人民連合と断交していった。

だが、人民連合は意に介さなかった。彼らは自国が豊かで資源に富み、自給自足が成立すると踏んでいた。さらに、彼らは友邦は自身の手で作る者だと認識していた。

人類の歴史上もっとも先進的な政権が出来たのだ。他の恵まれない民、属領、植民地は我々に続くべきである。旧来の帝室の華麗な装飾を誇る旗から、生地の大半を鮮血のような真紅に染め抜いた意匠の新国旗を掲げた人民連合の首脳たちはそのための援助は惜しむべきではないと結論を下した。


大海原を渡って人民連合に来ていたウィンスラントの主に西北部の主義者集団は、高度な思想教育の後に郷里へと帰っていった。彼らが蜂起するのはその翌年。当初はウィンスラントを治める大公政府による反撃で風前の灯だったが、その後形勢が逆転した。ウィンスラント人民の正義の闘争に連帯すると称してある日この国最大の港湾のすぐ外側に人民連合海軍の艦隊に護衛された大規模な船団が押しかけ、入港を求めたのだ。

隣国の帝國と王国両国は艦隊と陸軍の派遣を求められると応諾、直ちに派遣準備に入り、第3国経由で人民連合に抗議を行った。両者はにらみ合い、一触即発となった。


この均衡が少なからず破れたのは、王国内の分離主義者のテロのためだった。この背後に主義者集団がいると見た王国軍がただちに領内の主義者の徹底鎮圧を要求、国境をわたる態勢をとったため、すでにほぼウィンスラントのほぼ半分を支配下に置き、首都進撃をも伺った武装集団は、腹背に敵を受けて現状維持がやっととなった。


翌年、停戦協議。何度目かの決裂とそのたびの流血の後、結局ウィンスラント東北部の一部をもって独立した人民共和国政府の樹立が認められた。これはやはり人民連合の無言の威圧が効いたための他の三国の妥協の結果であったが、その代わり、人民共和国領そのものは南部にある小港を含むわずかな海岸線以外はすべて王国軍、ウィンスラント大公国軍双方に厳格に封鎖され、出入りそのものがままならなくなった。そして王国内のウィンスラント遺民は全て郷里との交通を断ち切られたのである。


それから、20年以上たったある日、王国軍が人民共和国に侵攻を開始した。鉱山開発利権をめぐる争いで、人民共和国が大公国に宣戦を布告したためである。今回は人民海軍の主力艦隊が隠れも無き姿で乗り込もうとしていた。しかし、王国軍は軍事的天才をもってなる新国王のもと、電撃的に侵攻作戦を実施、かつては大公領の東の中核都市である共和国首都へ気がついたときには指呼の間というところまで接近していた。

あわやというところで、王国軍の停戦命令が出なければ、首都は陥落していたはずである。


ところで、この戦争に関して、帝國のとった態度はまことに不可思議なものでった。まず、国境を厳に固めるとともに、大公に対して領内への進駐を提案、これを容れられると直ちに精鋭2個軍団を派遣し、国境地帯に急行した。ところが、この部隊は大きく共和国内に入ると、共和国首都を守備隊や突っ込む王国軍もろとも大きくはさむ態勢をとった。その一方で交戦国双方に停戦をよびかけ、休戦交渉の音頭をとり始めた。

結局、人民連合首都での帝國特使と人民連合最高幹部会議長の会見で合意のアウトラインが作られ、案を呑まされた人民連合は、今度は王国軍の安全な撤退を保障する役回りを演じさせられる羽目に陥った。


この戦争劇の最大の焦点は帝國が提案し、半ば恫喝する形で押し通した2つの条件である。一つはウィンスラント領内での鉱山採掘権の差別なき開放。もう一つは、帝國、王国、そして東西ウィンスラント両国の各住民グループ、村落の生活実態調査のための国際調査団(主体は帝國)の無条件な受け入れと彼らの制限なき活動だった。


戦火がおさまったことには歓迎しながらも、帝國臣民すら首をかしげるこの一連の出来事の真相が明らかになるにはいま少し時間が必要になる。


とまれ、そのような喧騒など無かったかのように、ウィンスラント大公国首都ヴルームントはその穏やかなたたずまいをその日も見せていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ