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灼熱連鎖1

その奇妙な建物が町から外れた針葉樹の森の中に出来上がったのは、丁度新女王が即位してから1年半後のことだった。

地方の寂れた、何の変哲も無い田舎町。とりたてて特産物が採れるでなし、ごくごく平凡な、要するに貧乏な土地に、ある日、唐突に建築景気が舞い降りた。


まず、それまでは市の外縁部を丁度、子供の下膨れの顔をなで上げるかのように走っていた鉄道が拡充された。従来の単線が複線となり、線路の脇に頑丈な鉄柱が数メートル間隔でしつらわれ、架線が曳かれ、折りたたみ式のパンタグラフを揺らせ、時折そこからスパークを発しながら電気機関車が疾駆した。

次に市の郊外の空き地が造成され、そこに子供が束ねたパスタをいたずらで散らばらせたように、線路が何本も複雑に組み合わさった操車場が出来上がった。


次にそこから一本の線路が森の中、奥へ奥へと伸びていき、最後に丁度頃合よし、と言わんばかりに、台地上の緑の海に伐採の音が響いた。

その台地は結構な面積があり、なにぶん誰も住んではいなかったのだが、森の動物や鳥を追い払うと、そこに見る見る資材が運び込まれ、倉庫、事務所、宿舎、そして、学校、やがてはちょっとした商店街まで作り上げられた。ただし、そんなことに目を回していた地元の衆も、高い、5mはあるコンクリートの塀に囲まれた、最大の面積を誇る区画になにやらコンクリートの無愛想な構造物がいくつも作られだしたのにはさらに圧倒された。

大きな丸い、見上げるように高い筒状のマグカップを逆さにしたようなものを脇に従えた、特に巨大なビルを人々はいつとはなしに「城病院」と呼び習わしていた。

それまで一番大きな市内の建物が旧市街を囲む城壁の一部を利用した県営の病院であったのだが、その建物はそれをはるかに凌駕するものだったのだ。


もちろん、これだけの大工事、しかも多大の費用を要するものだけに、地元経済への波及も、それなりにあった。建築のために集まってきた労務者、彼らが去った後、輪をかけて住み込んできた、その施設で職を得るこれまた大量の人々のおかげで、ふもとの旧市もまた活気付いた。


だが、旧市民たちを戸惑わせた一番のものは、実は、新住民たちだった。何も、打ち解けないわけでもない。旧市民とて、他の田舎より偏屈なわけではない。そして、全国津々浦々からやってきたという新住民たちはおおむね気さくだった。


しかし、ひとつとても気になることがある。

彼らは自分の職について聞かれると押しなべて張り付いたような笑みを浮かべながら押し黙る。そして、その家族も、何も知らぬかのようであった。


いや、実際知らなかったのだ。


そんな人工的なよそよそしさと、田舎の新興都市らしい猥雑さ、相変わらず昨日も今日も明日も変わるまいと言う確信の元に生きる地元民たちの繰り広げる日々の暮らしが3年たち、例の施設の高い丸い構造物の上から白い湯気が時折見えるようになってきた、ある日、地元の病院の院長はある異常に気が付いた。


台地の団地以外にも実に多くの新住民が旧市街にも住み込んでいる。それだけ住宅需要は旺盛だったのだ。だが、最近、頻繁に彼らが訴える異常があった。

体がだるい、下痢、場合によって不定期な微熱。それほど重い症状ではない。しかし、旧市民でも、仕事の都合上、上の施設に行く機会の多い者たちにも共通の症状が見え始めていた。


院長は台地の施設に付属する診療所を訪れ、所長に問いただすことにした。


付属の診療所は、しかし、院長が驚嘆するほどの大きさだった。そして、県都にある大病院以上の最新設備が完備されたものだった。

ところが院長が2重に戸惑うのは、そこの所長(年恰好はほぼ彼と同じ)がほとんど取り付くしまの無いことだった。

風土病、環境変化、気候。彼が挙げた原因はまったく院長の納得できぬものだった。

県庁に行って仔細を報告し、検査官を呼ぶ、と叫ぶ院長に、所長は静かに「そうですか」とのみ言い、丁重に彼を見送った。


翌日、院長は県都に向かう列車の車中にあった。電気式の旅客車は今までよりもなんら脈絡もなく動き出すので、少し薄気味悪かった。

車窓から、あの施設の近傍にさらに造成がなされ、何かが建てられているのが目に入った。青さがまぶしい山腹がいくつも灰色に削られ、痛々しく地肌を曝していた。

操車場を抜けると、そこでも草原を切り開いて、飛行場の倉庫や櫓のような管制塔が出来上がりつつあった。さっそく気の早いことに、王国空軍所属と思しき双発のずんぐりした機影がプロペラを回している。

疲れた院長は静かに目を閉じ、そして、県都の駅に着くまで少し眠った。

がたん、と振動とともに列車が止まり、周りの乗客が次々降り始めているのに気がついて、彼は立ち上がり、出口に向かった。まだ少し早い時間の駅のホームはしかしごった返していた。


院長の消息が確認されたのはここまでだった。

これ以後旧市で彼を見た者は一人もいない。


翌週、旧市の県営病院の院長室には、若い医師の姿があった。メガネをかけた彼は、上の施設の付属診療所から配置換えでやってきたと言う。


新しい院長は若いくせに優秀だと言う評判が立った。おまけに愛想がいい。

前の院長は多少気難しいところもあり、院内、そして市庁でも少し敬遠される傾向にあったから尚更だった。

言っていることは確かによかったんだがね、あの先生は、というのが市長を含めてもっぱらの評判だったのだ。


新院長はさっそく、市民全員の健康診断を提案、市内の病院であふれる分は、山腹に新しく出来た診療所で無条件で引き受けますよ、と確約して皆を喜ばせた。

早速大々的に検診が始まり、各医療機関の門前は列を成す市民でごった返した。学童や生徒はまず、集団で診療所にバスで運ばれ、効率よく検診を受けさせられた。

妊婦、乳幼児は特に優先されたが、実は内々にそれ以上に山腹の施設のある区画に一定距離まで近づいたと見られる者は男女の別なく最優先で検診対象とされ、さらにさりげなく定期的に来るようにと促された。


市内の病院にいるある医師は、少し考えるところがあった。市内で実施した検診についても、そのカルテは一度すべて診療所に渡されるとこちなっていた。かれのところに掛かりつけで来る患者の幾人かは、施設のほうに仕事に行くのだが、最近愁訴を訴えることが増えていた。彼としては責任をもってカルテを手元で管理したいのだが、それは県からの指示を盾に断られた。何回かかけあってようやく数人分をコピーながら返還してもらった。もちろん、データについては必要なときに迅速に知らせる体制になっているから問題ない。若い院長の笑顔を信じるしかなかった。

だが、最近気がついたことがある。血液検査の項目のいくつかが、返還コピーには記載されていないことを。

彼は、しかし、今まで億劫がってきちんとした定期的な診察に応じなかった市民たちが曲がりなりにも全員足を運んでくれるようになって、少しうれしくもあったので、心の片隅にわき始めた暗いものを意図的に見ないようにしようと努めた。


そのころ、そことはまったくの別天地で、件の医師とは別の意味でこの地方の変貌を憂慮の色を濃くしながら見ている人物がいた。


彼は医者でもなければ、およそ理系学問については専門的な教育は受けたことすらなかった。

しかし、彼には、妙にカンが鋭いところがあり、それゆえ、幾たびか、危地を乗り越えてきてすらいた。

伯爵家の長男として生を受け、長じては立憲君主制における欽定議会で生き馬の目を抜く闘争に勝ち抜いて、今、彼はこの帝國の宰相に地位にいる。

だが、まず一目見て、彼の年恰好から見ても、とてもそんな修羅場をくぐった老獪な政治家の面は見られまい。年齢は30台、いやもう少し若いと見られてもおかしくなかろう。

ウエーブのかかった黒髪を少し長めにし、長身を長めの上着でいつもきちんとくるんだ彼は、皇帝、皇太子に対しても常に忠実だった。

おちついた声、決して居丈高さを感じさせぬ語り口は下院議員時代に投票して以来、支持者たちにとっては無条件で国政を任せるに足る、と思われた。いや、女性の多くには、そんな勿体をつけた理屈以前の好感をいだ貸せるものがあったのも確かだが。


その宰相である彼の元に今朝届いた報告書一通が少し口の端を歪ませた。

デスクの前に侍立するほぼ年恰好の同じ秘書官に言う。

「王都のトリストラム機関からだ。国防省とは別ルートで派遣して探らせていたのだが、少しひっかかることが起きている。」

「トリストラム卿には、王宮の特に女王政務内庁の情報を探るように指示を出しておりますが。」

「侍従武官の1人がここ1週間ほど、北部方面に出張旅行中だ。はじめは普通に視察旅行と彼も思っていたようだが、ある場所に逗留したまま動かない。」

「どこでしょうか?北方にはあの場所以外には…。もしや、そこでしょうか?」

「まさに君の言うそこだよ。」

立ち上がると宰相は自らキャビネットに赴き、薄青いカップにポットから熱いお茶を入れ、白い塊を2つ、そして、強い蒸留酒のボトルから数滴をその中に落とした。

秘書官のほうをちらっと見る。彼のほうは少し肩をすくめる。このへんの呼吸は長い間に出来上がっている。

カップをデスクに置いた彼はスプーンでかき混ぜ始めた。

「もし、私たちの推測が正しければ、この間聴いた話もそのまま放置と言うわけにはいかないな。」

その前の週、彼は定期閣議の終了後、1人の人物を呼んで、全員の前でレクチャーを請うた。

物質とはすべからく粒子で出来ており、その粒子もさらに小さな要素が引き合いつながり、反発する振る舞いをなすことで成り立っている。もし、何らかのエネルギーでその絆を断ち切り、粒子の崩壊を招くことが出来たら、飛び出した要素によって丁度玉突きのように次々と粒子は分解していく。そのとき発生する熱と破壊力は比較するものとて無い…

概略そのような話を、しかし、大臣たちの多くは、それこそ、陸海軍大臣まで含めて半ば白河夜船で聞いていた。

「しかし、あれはまだ理論で証明されたまでの段階。実際に実験するには、と、教授も言っていましたよ。」

「君、私はね。」

かき混ぜる速度を少し緩めて、宰相は顔を上げた。

「時には超常的なことも信じなきゃならんのかとも思う。それに、あれが実現するまでのネックと言うのは、大方資金や材料と言った物理的な課題のみがハードルになっているに過ぎないのが現代の状態じゃないかと思う。これは教授の話を聴きながら気がついたことだがね。」

「つまり、今からでもすぐにできるとでも?」

「さあ、確かにいろいろ難しいところも多かろうよ。しかし、王国の一連の動きにはひょっとすると違うかもしれんが、いやな関わりみたいなものがあるように思えてね。可能性のあることについてはすべて真剣に知恵を傾ける。これが今の私の仕事なんだよ。」

「そういえば、帝都にいる王国のネズミたちにも少し。」

「ほう、何かね」

「大使館付き武官とは別ルートのようですが、王国のエージェントがいろいろ国内で調達をしていると。」

「それは、君が言っていた、小さな仲間たちからのものかね?」

「それ以外に、王国エージェントをマンツーマンでチェックしている公安本部からの報告もあります… 先日は彼らに接触しかけたようですが。」

宰相の手はすでに止まり、カップのお茶は冷め始めている。

「あの子たちには、いつも面倒ばかりをおしつけるなあ。いや、この間の女王からの内々の依頼も最初は断ることも出来たのだがね。」

「むしろ、幸いでしょう、彼らには。あくまで依頼で動くプロです。年恰好にだまされてはなりません。属領上がりの者たちです。」

宰相はまだ、しばらく無言でいた。

だが、やがて立ち上がると、秘書官に先日の教授に再度コンタクトをとり、国防省、参謀本部と面会させるようにと指示した。

「陛下と殿下には私から奏上しよう。少し込み入った話になるかな、今日は。」


官邸の玄関で専用車に乗り込んだ宰相はひとりごちた。

「もし、あの方がそれを手にしたら、あの方を含めてすべてが変わる。」

前席の秘書官が振り返った。軽く微笑み返して

「彼女が望もうと望まないとに関らずだが。」

車は皇宮への長い道に入っていった。


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