不良もどきと優等生
一話限りの短編です。アルファポリスというところでは別の物語として息抜きに投稿を始めたものです。
楽しんでいただけると嬉しいです。
月曜日の、学生が登校すんのにはちょっと遅えころ。
俺はあくびをしながら、古ぼけたチャイムの音とともにガラリと教室のドアを開けた。
すると、全員がこっちを向く。俺だとわかると、すぐにまたかって顔して、そっぽ向きやがった。
「おーおー、今日も重役出勤だな、荒谷?今日はどこのどいつをぶちのめしてきたんだ?」
「うっせえよ、クソ先公」
ニヤニヤとウゼェ顔で見てくる、黒板を消してた中年の担任教師にそういうと、俺は教壇の前を素通りしていく。
そのままどかっと自分の席に座ると、鞄を机に投げ捨てた。
そして少し痛む頬の傷をかいていると、カツカツと一つの足音が近づいてくる。
ああ、また今日もか。そう思いながら、俺はそいつに目を向けた。
「こら、大河!また遅刻したわね!」
そう怒りの口調で言ってきたのは、いかにも真面目そうな女だった。綺麗な黒髪に人形みてえな顔した、そんな女。
「んだよ、お前には関係ねえだろ」
腰に手を当て、ふんす!といかにも怒ってますという顔をする女。
それに俺が適当に答えると、ムッとした顔をした。
「大アリです!私はクラス委員長として、幼馴染としてしかるべきことをさせようと!」
「へーへー、どうもすいませんでした」
「またそうやって適当に流す!それにその顔の怪我、また喧嘩してきたのね!?今度はどこの誰とーー」
ギャーギャーと騒ぎ立てる女に、俺は指で耳栓をした。すると、何か叫んで激しく体を揺すられる。
しばらく無視を決め込んでたものの、そのうち気持ち悪くなってたので「だー!」と叫びながら女の手を振り払った。
「てめえいい加減にしろよ!気持ち悪くなんだろ!」
「それはこっちのセリフよ!毎回人の話も聞かないで!」
「聞きたくねえから仕方がねえだろうが!」
「な、なんですってぇ!?」
ギャーギャーと騒ぎ立てる俺と女。俺は放っとけと、女はしっかりしろと頑なに主張する。
ふと女の後ろを見れば、クラスメイトたちは、まるで面白いもんでも見るような顔してやがった。
普通なら、俺みたいな見た目をしてるやつにそんな態度は取らねえ。
その原因は、この女。こんなやり取りを毎日続けているうちに、最初はビビってたやつもすぐに同じ顔になる。
俺が今喧嘩してるこいつは、華園結愛。今自分で言ってた通り、このクラスの委員長をやってる。
眉目秀麗、文武両道。そんな小難しい言葉が似合うようなやつだ。
運動神経は抜群で、成績はいつも学年トップクラス。クソ真面目な性格で、自分にも他人にも…つーか俺には人一倍厳しい。
趣味は俺の世話を焼くこと。てか、こうやって躾けようとしてくること。正直言って、いらん世話だ。
そんな結愛とドンパチやってる俺は、荒谷大河。一言で言うなら、不良《《もどき》》。
逆立った茶色い髪と、お世辞にもいいとは言えねえ目つき。ブレザーを腰に巻き、ネクタイを外して袖をまくってるような野郎だ。
趣味はキックボクシング。ジムに通ってんのと、独学で学んだ他の格闘技を組み合わせて使ってる。
大体の使い方は喧嘩だ。 顔の傷だって、今朝絡んできた野郎と殴り合ってる時についたもんだ。
それじゃあなんでもどきなんて言ってるかっていうと、結愛のせいだ。こいつのせいで、俺は完全に不良じゃねえ。
成績だって普通にとってるし、運動神経は公式の大会に出て、ソコソコの結果を出すくらいは高い。
結愛が何かとうるせえから、自分から喧嘩を売りもしねえし酒もタバコもやらねえ。ピアスもしてるが、穴開けてるわけじゃねえ。
別に進んでなりたいわけじゃねえが、何も知らないやつから見れば俺なんてそんなもんだろ。
ま、それをいうと、なんでか結愛の奴が突っかかってくるけどよ。
優等生と、不良もどき。
そんな俺たちは、側から見たらとてもじゃねえけど関わりがあるとは思われないだろう。
でもこうして遠慮なくぶつかり合ってんのは、こいつと俺が幼馴染だからだ。全く正反対だけどな。
昔から何かと色々しでかす俺に、結愛が口うるさく注意する。そんな関係が続いて、もう十年以上。
幼稚園、小学校、中学、そして今。変わらないこの関係性。
そのせいで、良いのか悪いのかクラスメイトたちには、ビビるどころか夫婦扱いされる始末。
もちろんそんな扱い、腹が立つが…どこか嬉しいと思ってる自分に、余計イラついた。
「ああもうわかったよ!明日!明日からちゃんと一限目からくるっての!」
「そのセリフは何十回も聞いたわよ!もう聞き飽きたわ!」
「それじゃあどうしろってんだよ!」
「私と一緒に登校してもらうわ!そうすれば絶対に遅刻させたりするものですか!」
声を荒げる俺に、どん!という擬音が聞こえてきそうな、堂々とした姿勢で言い切る結愛。だが。
「ふざけんな!なんで朝からお前の顔見なきゃいけねえんだ!」
「毎日一緒に帰ってるくせに、今更何言ってんのよ!」
「それとこれとは話が別だろうが!」
「ほー!それじゃあどう違うのか説明してみなさいよこの馬鹿!」
「誰が馬鹿だ!」
「あんたよこの脳みそまで筋肉の馬鹿猿!」
「おーいお前ら、夫婦喧嘩もいいが、後三分で次の授業始まるからなー」
「「夫婦じゃねえ(ないです)っ!」」
慣れた様子で茶化してくる先公に、俺たちは同時に叫んだのだった。
■□■
そんな騒がしい学校の始まりから、だいたい三時間後。
再び聞こえてきたチャイムの音と、先公の挨拶に俺は目を覚ました。
むくりと机から起き上がり、そのまま足早に教室を出て行く。
居眠りしてることをまた、結愛にとやかく言われたらたまったもんじゃねえ。
それに、どっちにしろ放課後になったらウチに押しかけてきて、強制的に勉強させられる。
そして皮肉なことに、結愛の教え方は先公のつまんねえ授業よりかはわかりやすい。
「あークソ、痛え。朝っぱらから遠慮なく殴りやがって」
そんなことをぶつぶつ呟きながら、ガーゼに覆われた頬を気にする。休み時間の時、結愛に無理やりつけられた。
俺がよく喧嘩をすんのを知ってて、応急処置用の道具を常備してやがる。あいつはオカンか。
「おー荒谷、今日は花園さんと一緒じゃないのか?」
「うっせえ、失せろ!」
茶化してくる同級生をしっしっと追い払って、購買に向かう。あいにく、今日は弁当がねえ。
普段は起きたら結愛の作った弁当がリビングの机に置いてあって、今日もそれを持ってきた。
だが、あのチンピラ野郎と喧嘩してたせいで、燃費の悪い体は腹を鳴らしやがった。
つまり、早弁した。
幸い、結愛に社会勉強とか言われてバイトしてるから、飯を買う金くらいはある。
あ? 見た目以外どこが不良なんだって?…うるせえ、ほっとけ。
くだらねえことを考えてるうちに、購買についた。適当にジュースとパンを二つ取って、店員のおばちゃんに持ってく。
金を払うと購買から出て、ジュースのパックにストローをぶっ刺して飲みながら、ある場所に歩き始めた。
うん、やっぱりバナナは美味え。やっぱジュースつったらこれだよな。バナナ・◯・レ以外は認めん。
ズルズルと紙パックの中身をすすりながら階段を登り、屋上へと向かう。その間も、何かと絡まれた。
校内でも外でも、俺がよく結愛のやつに叱られてんのは見られてる。だから、学年関係なくビビらずにいじられてた。
鬱陶しいと思いながらも、卒業まで嫌われ者で過ごすよりかはマシかとも思う。それでもウゼエけど。
のらりくらりと絡んでくるバカどもをかわし、ようやく屋上の扉にたどり着いた。
パンをポケットに押し込んで、空いた手でドアノブを回して扉を開ける。するとぶわっ、と風が吹いてきた。
顔を風に撫でられながら開けると、広い屋上が見えた。そこに、先客が一人。
ところどころ欠けたタイルと、緑色のアスファルト。そんな錆臭そうな場所に背を向けて女が立ってる。
そいつはヘッドホンをしてて、俺がきたことに気付いてない。俺はニヤリとした。
ジュースとパンを横の壁に置くと、抜き足差し足忍び足で近づいていく。まだ気づかない。
あと三歩、二歩、一歩。一分くらいかけて、女のすぐ後ろまで近づいた。
そして軽いチョップをしてやろうと、その頭に手を振り下ろしてーー。
「んっ?」
頭にあたる直前、女はひょいっと頭を横に倒してチョップを交わした。
それどころか、俺の手をポケットから出した腕で弾いてバランスを崩し、鳩尾に肘を打ってくる。
鋭い肘が体に吸い込まれる直前、もう片方の手を差し込んで防御。手のひらに衝撃が走る。
自分の攻撃が防がれたことに首をかしげて、俺を見上げる女。そしてなーんだ、と呟いて身を引く。
女はヘッドホンを外して首にかけ、両手をポケットの中に戻してやれやれといった顔をした。
「誰かと思ったら、どこぞの馬鹿猿じゃん」
「っぶねえな! 俺じゃなかったら当たってたぞ!」
「いや、毎回不意打ちしようとするあんたに言われたくないけど?」
「確かにそうだけどよ!」
「認めてんならやめなさいよこの馬鹿猿」
呆れた顔で女が言う。ウキーッ!と言いながら、猿が俺の頭を蹴っていった幻覚を覚えた。
「チッ、どいつもこいつも馬鹿猿呼ばわりしやがって……」
今日も失敗したことに舌打ちしながら、扉のとこに戻って昼飯を拾う。
しゃがみこんでパンとジュースを取ると、突然ヒョコッと女の顔が横に現れた。
「どわっ、なんだよ!」
「はい、慰謝料」
「……チッ」
ニコリと笑う女に、焼きそばパンの入った方の袋を渡す。女は満足げに頷いてそれを受け取った。
乱暴に壁に背中を預けて、メロンパンの入った袋を破って頬張る。
するとストン、と女が横に座り、同じように焼きそばパンを食い始めた。
「ん〜、このジャンクフード感。おいひいな〜」
「ケッ、そうかよ」
「うん、さらに馬鹿猿のおごりだから二倍うまい」
「チッ!」
舌打ちしながら、メロンパンにかぶりつく。
すると、ほのかな甘みが口の中に広がった。うん、パンっていえばメロンパンか焼きそばパンだよな。
「てかあんた、結愛の弁当は?」
「絡んできたバカをボコしてたら腹減ったから食った」
「あんたこそ馬鹿じゃないの?」
「俺は悪くない、喧嘩を売ってきたあいつが悪い」
ふーん、と興味なさそうに返す女。いつものことなので特に思うことなく、メロンパンを頬張る。
しばらく、俺と女のパンを食う音と、ジュースを飲む音だけが屋上に響いた。
「そいやさ〜、今日もやってたらしいじゃん?」
「あん?」
突然、女がからかうような口調でそう言ってきた。
メロンパンの詰まった口の中から、胡乱げな返事をしながら振り向くと、女がニヤニヤしてる。
「もーわからないふりしちゃってー。夫婦喧嘩だよ、ふ・う・ふ・げ・ん・か♡」
「んぐっ!」
女の言葉に、俺はメロンパンを詰まらせそうになった。
■□■
喉に、メロンパンの欠片が引っかかる。慌てて咀嚼し、飲み込んだ。
「ごくんっ、だから夫婦じゃねえ!」
そうすると、女にそう叫ぶ。またまたー、という反応をする女。
「照れなくてもいいじゃない。あんたらの仲良しかげんは、みんな知ってるんだからさー」
「だー、てめえも言うか、愛梨!」
愛梨と呼んだ女は、俺の叫びを聞いても動じずにえへっ、と舌を出す。額に青筋が浮かんだ。
こいつは、瀬戸原愛梨。中学時代からのダチで、結愛の親友でもある。
明るい性格で、クラスを盛り上げるムードメーカー。 頭も良く、よく結愛と並んでトップ5に名を連ねてる。
そのくせ仲の良いやつほどいじりたくなるっつー、たいそうご立派な性格してやがる女だ。
んでもって、俺の格闘技の師匠。その実力は折り紙つきで、よく大会で優勝してるのを自慢げに語られる。
さっきの素早い反応も、そういうことだ。限界まで気配を消してたのに、達人のこいつにはまるで意味がなかった。
そんな愛梨は、ケラケラと面白そうに笑いながら俺を指差して。
「言うも何も、あんた結愛のこと好きじゃない」
そう、はっきりとした口調で言いやがった。
「んなっ、そ、それは!」
「あれれ〜?いつも恋愛相談に乗ってあげてるのは誰かな〜?」
「ぬぐぐっ……!」
すげえ上から目線で言ってくる愛梨に、拳を握るも、悔しげな声を出すに止める。
なぜなら、こいつの言ってることは事実だから。
「いやぁ、良い顔だね。恥ずかしくてそっけない態度とって、いつも怒られてるシャイボーイくん?」
愉悦に浸った顔で俺の頭をポンポンと叩く愛梨。こいつほんっといい性格してんな。
「う、うるせえ!」
「てか、もう十年以上一緒にいるんだから大人しく言うこと聞いたら?てかなんでいつまでもそんな態度とってんの?馬鹿なの?あ、馬鹿だったねこの馬鹿猿」
「てめ、このっ……!」
「きゃ〜怖〜い」
全く怖くなさそうな声を出して、手を伸ばした俺から逃げる愛梨。
追いかけようと思ったが、面倒臭くなって浮いた腰を下ろした。
それを見た愛梨は、面白そうにケラケラと笑いながら、アスファルトに寄りかかる。
「それで、なんで本当にあんなことやってるわけ?」
そして、唐突に真剣な顔をして愛梨は俺に問いかけた。
雰囲気が変わったのを感じて、ジュースと一緒にメロンパンを流し込む。そして俯いて屋上の床を見た。
「……別に。お前の言う通りだよ。恥ずかしくて、まともに話ができねえ。それだけだ」
「それだったら、拒絶すりゃいいじゃん。いくら結愛っていっても女なんだから、簡単に突き飛ばせるでしょうに。なのに中途半端に反抗してさー」
核心をついてきた愛梨に、うっと息を詰まらせる。
そして言い訳しようとして……口を噤んだ。
「……簡単なことだ。俺とあいつじゃ釣り合わねえ」
「ふーん?」
代わりに吐き出した言葉とともに、空を見上げる。澄み渡った空と、白い浮き雲が目に移った。
「だから怒らせて怒らせて、そのうち呆れて離れてくまで反抗する。それだけだ」
優等生と、不良もどき。
どう考えても、お似合いじゃない。確かに結愛のことは好きだ。愛梨の言う通りだ。
けど、きっと今の関係が許容されてんのは、俺が手のかかるやつだから。
やらかす奴と、叱るやつ。
それこそ、十年以上続いてきた関係だ。
きっとどれだけ俺があいつを好きだって、あいつからしたらそれ以上はあり得ない。
それなら。いっそのこと、そのままで。
いつかあいつが離れていって、俺が好きじゃなくなるその時まで。
それまでは今の関係のままで、いい。それがきっと一番いい道だ。
そんなことをつらつらと話してる間、俺と愛梨以外の時間が止まったような、そんな空気を感じた。
「だから、俺は大人しく言うことも聞かないし、告白もしねえ」
「馬鹿じゃないの?」
「んだとコラァッ!」
聞いてきたくせに、罵倒する愛梨に立ち上がる。
すると愛梨はやれやれ、と肩をすくめてアメリカンな反応をしてた。イラっとする。
「あのねえ、そんなこと言ってたら、そのうち優しいやつに取られちゃうよ?」
「……別に、それで愛梨が幸せなら、それで」
「ほら、ちょうどあんな風に告白されちゃったりして」
「何ぃッ!?」
先ほどまで重かった腰を持ち上げて、愛梨のいるアスファルトまで疾走する。
そしてアスファルトを乱暴に掴んで、愛梨が見下ろしていた場所を見た。
そして……そこでは、結愛が男子生徒に告られてる光景があった。あれは、三年のイケメンって噂の…。
照れた様子の男子生徒と、少し慌てながらも話を聞く結愛。その光景に、やけにイライラとした。
グシャッ
手の中で、まだジュースの残ってた紙パックが潰れる。
手に黄色い液体が伝うが、そんなことより目に映る光景の方がずっと気になった。
「はあ……なーにが別にいいよ。やっぱ好きなんじゃない」
そんな愛梨の呆れた声が、妙に耳に響いたーー。
■□■
放課後。俺は結愛と二人、帰り道を歩いていた。
「それで、矢尾さんが野菜を……」
「……………」
いつも通りたわいない話をする結愛と、黙ってそのあとをついてく俺。
いつもと違え、俺だけが居心地の悪い道。そんな俺を嘲笑うように、夕焼けがオレンジ色に道の先を照らしてる。
俺は、昼に見た光景がずっと頭から離れなかった。だから今も、黙って結愛の背中を見つめてる。
照れくさそうに何か話す男と、慌てながらも真面目に聞きやがる結愛。それが、頭ん中にこびりついてやがる。
結愛は、どう返事をしたんだろうか。
断ったのか。それとも受けたのか。そんなことばっかが、頭の中をぐるぐる回る。
元から、結愛がいなきゃポンコツもいいところの頭だ。どんだけ考えても、いい答えは出てこねえ。
結局無い頭で考え込んでるうちに、放課後になっちまった。
なんとか話そうとするけど、そうするといつもよりきつい返し方をしちまう気がして、黙るしかなかった。
告白を食い入るように見てた俺に、愛梨は「手遅れになる前に自分の気持ち、言ったら?」と言った。
確かに、それができたら楽かもしれねえ。けどやっぱり、どうしても怖気付いちまう。
俺は結愛にふさわしくねえんじゃねえか。そもそも相手にされないんじゃねえか。
不安だけが募って、結局心の底に投げ捨てる。それの繰り返しで、きりがない。
俺は、一体どうすればいいんだよ。
「ーーと、ちょっと大河!聞いてるの?」
「おおっ!?」
そんな風に悩んでると、突然結愛の顔がどアップで映った。それに思わず、体をそらす。
「何よその反応は。いきなり立ち止まったから、心配してあげたのに」
身を引いて、不満げな顔で言う結愛。それにようやく、自分が立ち止まって、結愛に顔を覗き込まれていたことに気づいた。
「……うるせえ、ちょっと考えごとしてただけだ」
「ふーん……何か悩みがあるなら、聞くけど?」
お前だよ、とは言えなかった。当たり前だ、そんな簡単に言えたら苦労はしない。
また黙りこくる俺を見て、結愛は不思議そうな顔をした。そしてふと、何かを見つけたような顔をする。
「ちょっと待ってて」
「あ?」
それだけ言って、結愛は小走りで離れていった。その背中を目で追いかける。いきなりなんだ、あいつ?
言われた通りぼけーっと待ってると、道の向こうから結愛の姿が見えた。その手には、何かを持っている。
俺の目の前まで戻ってきた結愛は、手に持っていたものの片方を差し出してきた。
「はいこれ」
「……アイスクリーム?」
結愛が持ってきたのは、カップに入ったアイスクリームだった。なんで、いきなりアイスクリームなんだ?
首をかしげる俺に、結愛は無理やりアイスクリームを押し付けると、そのまま俺の手を引いていった。
なされるがままに付いていくと、見覚えのある公園が見えてくる。結愛は、まっすぐそこに入っていった。
「ここって……」
公園の中を見て、俺は思わず声を漏らす。ここは、昔結愛とよく二人できた公園だ。
全部、昔のままだ。少し縁の歪んだ滑り台も、塗装が剥げたジャングルジムも、全部。
それらを見渡したあと、結愛を見る。すると結愛は、にこりと笑った。
「ほら、座って食べましょう?」
「…ああ」
結愛と二人、二つ並んだブランコに座るとカップの蓋を開けた。すると、冷気が漂う。
ビニールからプラスチックのスプーンをだして、硬いアイスクリームを一口ぶん取って食べる。
すると、爽やかなミントの味と甘いチョコレートの味が染み込んでいった。それに、昔の記憶が思い出される。
「ん〜、やっぱり美味しい」
「……そうだな」
「…ねえ、大河。覚えてる? 昔も、一緒にアイスクリーム食べたの」
「…ああ、覚えてる」
あれは、小学四年生だったか、五年生だったか。とにかく、ガキの頃の話だ。
結愛は真面目で、優秀だ。それは普段から見てたら俺と同じバカでもわかる。
ガキの頃は、それをよく思わねえ奴もいて、嫌なことを言う奴もいたもんだ。
その日も、結愛はクラスのガキ大将に嫌味を言われてた。
俺はそのガキ大将を殴り倒して、結愛の手を引いてこの公園に来たんだ。
それで……
「大河は、落ち込む私にアイスクリームを買ってくれた」
「……少ねえ小遣いで買ったから、二人で一個だったけどな」
「そうだったわね。でも、その時食べたアイスクリームはどんなものより美味しかったのを、よく覚えてるわ」
「……そっか」
ええ、そうよと言う結愛。俺は、自分の手の中のアイスクリームを見下ろす。
そう言えば、あの日。泣いちまった結愛に、俺は……。
ーーー
『だー、もう泣くなよ!どんだけバカにされても、絶対に俺が守るから!』
『……本当?』
『ああ、マジだ!どんな奴が相手でも、俺がぶん殴ってやる!』
『……うん、わかった。それじゃあ、私を守ってね。殴るのはダメだけど』
ーーー
そう言って笑う結愛は、可愛かった。きっと俺が結愛を好きになったのは、あん時だ。
……そうだ。俺はあの時、結愛を守るって約束したじゃねえか。それなのに、釣り合わねえっていじけてた。
挙げ句の果ては、こうやって結愛に慰められてる。これじゃあ、あの時と逆もいいとこだ。
ーーー取られちゃうよ?
脳裏に、愛梨の言葉がよぎる。
結愛が他の誰かのものになる。それはつまり、こいつを守るのが俺じゃない、他の誰かになるってことだ。
……許さねえ。そんなの、絶対に許さねえ。
こいつを守るのは、俺だ。他の誰にも渡さねえ。あの時約束したんだ、絶対に守るって。
屋上で見た光景が、頭に思い浮かぶ。照れくさそうに何か話す男と、慌てながらも真面目に聞く結愛。
その光景を、俺は思い切り頭の中でぶち壊した。あんなもん、認めない。
もう、悩むのは終わりだ。もともと俺は馬鹿猿、考えるのなんて二の次の、馬鹿野郎なんだから。
だから、俺は。
「……なあ、結愛」
「何よ、大河」
「お前、今日告白されてたろ」
「えっ、見てたの!?」
「まあな」
ちょっと、恥ずかしいじゃない!と叫ぶ結愛。俺はすまん、と軽く頭を下げた。
「もう……それで、それがどうかしたの?」
「なんて答えたんだ?」
「え?」
予想だにしなかった、って顔してこっちを振り向く結愛に、俺は真面目な顔でもう一度言った。
「そいつに、なんて答えたんだ?断ったのか?それとも……受け入れたのか?」
俺の真剣な態度に、結愛はうろたえた。まあ、俺がこんなクソ真面目な顔してんのなんか、試合中くらいだからな。
結愛は、しばらく俺のことを懐疑的な目で見てたが、本気で聞きたいことが伝わったのか、ため息を吐いた。
「……断ったわよ。そもそも、そんなに知らない人だったし」
「そっか」
そこで俺は一つ、安心のため息をこぼした。これで、確率は格段に上がった。
もし付き合ってたらそこでくじけてたが、これならまだ、思いを伝える余地はある。
「……他に好きなやつとか、いんのか?」
「何よ、今日はやけに質問してくるわね。何か悪いものでも食べた?」
「……………」
変なものを見る目で見てくる結愛に、真っ向から見つめ返す。すると、今度は結愛が息を詰まらせた。
しばらく逡巡していた結愛だったが、やがてそっぽを向きながら、ぽそりと呟いた。
「……………いる」
「っ……」
結愛に好きな奴がいる。それを知った瞬間、ズキッと胸が痛んだ。
肋骨が折れる時の痛みじゃねえ。それよりもっと酷く、深い……心の痛み。
せっかく固めた決意が、揺れかける。
たとえあの野郎を振ったって、他に好きな奴がいたら、意味がねえ。
はたして俺は、その結愛の思いに割り込めるのか。せっかくぶち壊した不安が、また生まれた。
ーー手遅れになる前に自分の気持ち、言ったら?
そんな時……また、愛梨の言葉が浮かんできた。
……そうだ。まだ、手遅れじゃねえ。諦める時じゃねえ。
結愛の思いに、割り込めるかじゃない。何が何でも、割り込んでやる。
たとえ誰のことを好きだって……俺は、俺が結愛を好きなんだ。それなら、顔も知らねえそいつのことなんか、どうでもいい。
拒絶されるかもしれねえ。もしかしたら、今の関係すら壊れるかもしれねえ。
それでも、それでも俺はーー
「……結愛、聞いてくれ」
「何よ、もうこれ以上の質問はーー」
「ーー好きだ。俺と、ずっと一緒にいてくれ」
それでも俺はーー自分の胸の中にある思いを、精一杯言葉に乗せて伝えた。
■□■
「……え?」
何かを言おうとしてた結愛は、俺の言葉を聞いて目を見開いた。同時に、ポロリとその手からアイスクリームがこぼれ落ちる。
地面に落ちる直前で、立ち上がった俺はそのアイスクリームを受け止めた。そして、結愛の前に立つ。
「昔さ、最初にここでアイスクリームを食べた時、言ったよな。絶対にお前を守るって」
「……え? あ…うん」
呆気にとられていた結愛は、ようやく正気に戻ったかと思うと、俯きながらコクリと頷いた。
「あん時のお前の顔、すげえ可愛くてさ。思わず見惚れちまって、それを誤魔化すために、アイスをかっこんで頭がキーンってなった」
「……うん」
トントンって頭を指で叩いて、笑ってそういう。結愛は、またこくりと頷いた。
「それからだ。俺は、お前とずっと一緒にいたいって、そう思うようになった。そのためにキックボクシングも始めて……まあ、今はお前に迷惑ばっかかけてんだけどさ」
「……うん」
そうだ。俺が格闘技をやり始めたのは、結愛を守るため。
頭の悪い俺は、とりあえずそれくらいしか強くなる方法がわからなかった。だから、がむしゃらに頑張った。
それくらい、こいつを守りたかったんだ。
でもでかくなるにつれて、本心を出すのが恥ずかしくなっちまった。
そのうち、顔を見るのも恥ずかしくなって、つっけんどんな態度取るようになって。結局、不良もどきになった。
けど、それじゃダメなんだ。いつまでたっても言い訳して閉じこもってたら、離れていっちまう。
ーーきっとどれだけ俺があいつを好きだって、あいつからしたらそれ以上はあり得ない。
嘘だ。ただ、振られるのが怖かっただけだ。
ーーそれならいっそのこと、そのままで。いつかあいつが離れていって、俺が好きじゃなくなるその時まで。
嘘だ。ただ、怯えてただけなんだ。
ーーーそれまでは今の関係のままで、いい。それがきっと一番いい道だ。
嘘だ。そんなつまらねえ道、クソ喰らえだ。
言い訳も恥ずかしさも、なにもかも、全部かなぐり捨てて。
いじけて俯いた自分を、殴り飛ばして。
「もう、遅いのかもしれねえ。愛想を尽かしてるかもしれねえ。でも、それでも」
どんなにカッコ悪くたって、惨めだって、俺は。
「「お前が好き(だ)」」
……え?
驚いて、結愛を見下ろす。
すると、彼女は赤く染まった顔で、濡れた瞳で、俺を見上げていた。その顔に、胸が高鳴る。
って、そうじゃねえ!それよりも!
「今、なんて……」
「……私も、あなたが好き。私の好きな人は、あなたなの」
嘘、だろ?
「……あの日。もう一つ、私たちは約束をした。覚えてる?」
「もう一つ?」
結愛の言葉に、俺は必死に思い出そうとする。けど、いくら記憶を探したって出てこない。
「……その顔は忘れてるのね。まったく、本当に馬鹿猿なんだから」
「な、なんだと!」
いきなり罵倒してきたことに声を荒げる俺に、結愛はクスリと笑って。
「『もし大きくなっても私を守ってくれてたら、結婚しよう』。そう約束したじゃない」
「……あ」
そうだ。ようやく思い出した。あの時、そんなことも言ったっけ。
「そしてあなたは、その約束を守ってくれた。私に嫌がらせしようとしてた女子とか脅してたでしょ?」
「うっ……」
図星だった。他にも、注意されて逆恨みした本物の不良どもをボコってたりもした。
「それがね、とっても嬉しかった。でもいつも喧嘩ばかりで、ありがとうの一言も言えなかった」
「…別にいらねえよ。当たり前だからな」
「それでもよ。いつも、私を守ってくれて、ありがとう」
そう言って笑った結愛は、あの時と同じくらいに、綺麗だった。思わず、見惚れてしまうほどに。
「だから……これからもずっと、よろしくお願いします」
「………え」
そ、それって、つまり……
「つ、付き合って、くれるのか……?」
「……うん」
「は、本当か?本当に、本当なのか?」
「だからそうだっていってるでしょ!」
そっぽを向いて叫ぶ結愛。それにアワアワと慌てるダサい俺。
望んでた答えのはずなのに、実際聞くと妙に落ち着かねえな……。
「……それに、あんたみたいな馬鹿猿、好きでもなきゃ毎日一緒にいるわけないでしょ」
「え、あ、お、おう?」
恥ずかしそうにブツブツ呟く結愛に、俺はどもりながら答える。ああ、本当にダセェ。
「……それで、どうなのよ。付き合うの、付き合わないの?」
「も、もちろん付き合うっ!」
「きゃっ!」
思わず、結愛の手を握って詰め寄ってしまった。悲鳴をあげる結愛に、慌てて手を離そうとする。
ギュッ
けど、それはできなかった。なぜなら、結愛から握られたから。
「お、おい?」
声をかけるが、結愛は黙ったまま、ただ俺の手を見つめてた。
恥ずかしくなってきて、強引に手を引こうとした瞬間。ぐっ、と結愛が引っ張る。
バランスが崩れて、前のめりになる俺に結愛は目を閉じて……
「んっ……」
「!?」
結愛の顔が、すぐ目の前にあった。唇に、柔らかい感触も。
突然のことに硬直してると、ゆっくりと結愛の顔が離れてく。そして唇から感触も消えた。
そうしてようやく、俺は自分がキスされたことを自覚する。でも、まだ体は動かなかった。
そんな俺に、結愛はクスリと笑う。そして俺の胸に顔を埋めた。
「……大切にしなさいよ。初めてだったんだから」
か細い、それこそ蚊の鳴くような声に、俺はハッとする。
そして、気づけば勝手に手が動いて、結愛を抱きしめてた。
「…ちょっと」
「……必ず、大切にする。ずっと、俺がお前を守るから」
「うん……守ってね。私の、乱暴な王子様」
そういってくれる結愛が、俺はただただ愛しくて。
夕焼けのテラス公園で、気の済むまで彼女の温もりを感じていた。
そして……そんな俺の唇には、アイスクリームの味が、かすかに残ってた。
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