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「脳?」
僕とユーコはほぼ同時に声を出した。
そして無粋にも顔を見合わせていた。
だって、それだと…
「ああ、そうだ。俺の頭を見たならわかるだろう」
男はそうした僕らの態度を察しているように言葉を牽制し、ならば僕らに浮かぶ思念を考慮済みということか。
「じゃあ、あなたには”魂”がないっていうの?」
それでもユーコは我慢しきれぬ様子で先走って訊ね、
「どう思う?」
と男はあくまで強固な姿勢を崩さない。
それからユーコは「うーん」と唸るようにして熟考しだして、さっき僕が「魂!」といって大笑いしたときとは大違いの様相を見せるので、「魂なんて言葉で悩んでるよ!」なんて大笑いしてやりたかったけれど、そうしたところであるのは虚無的な空しさと流石にすぐ理解したので実行はしない。
「でも、やっぱり脳なんじゃないかしら」
ユーコはそう言い、「ねえ?」と横を向いて僕に同意を求めてくる。
二人の視線が急遽向けられ、僕は咳き込むように汗ばんだ。
それでも冷静を装い、数秒の間は沈黙を貫いた。
何か考えをまとめる。
「…まあ、確かに一般的に考えればそうだ。脳内における電気信号によって、その反応を紡ぐことで意識は生まれるんだからね」
「本当にそうかな?」
男の挑戦的な眼差しはその光を失わず、薄ら笑いすら醸している様に見えた。
「そうじゃないっていうなら、他に何があるのよ?」
いつの間にか挑戦的な口調になっているユーコの度胸に感心しながらも、「その言葉も尤もだな」と思えば、すぐにユーコ側に立場を移して相手の返答を待った。
といっても返事はすぐさま返され、
「では、脳が自己を示す”何か”であるとしよう。するとこの”身体”とは?」
「それはさっき、あなたが言ったことでしょ?いれもの、”ぬいぐるみ”みたいなもので、取替え可能なただの物よ」
「なるほど。だが俺はロボットではない」
「ほんとうに?」
「ああ」
「それじゃあ、その”身体”は特別ってこと?」
「そうであるし、違うかもしれない」
「もう!どっちよ!」
まったく、優柔不断はひとりだけにしてほしいわ!なんてこぼしながら僕のほうをチラッと見てくる。
おい、それって誰のことだよ?と声をかける隙なく、
「ここで俺が言うのは、その”何か”が、”身体”でもなく”脳”でもなければ、それは何を指すか?ということだ」
「だから、それは知らないって言ってるでしょ!」
ユーコは息を荒くして言う。カッとなりやすいのはこいつの昔からの悪い癖。
「こうは考えないのか?つまり、その”何か”は、それら肉体と脳を包括し、傍観する事象、概念であるとは」
「…えっと、それって…」
「要するに、”われ思う、故にわれあり”ってやつだろ?」
二人だけの会話劇になっていたことにいい加減、もどかしさの限界となって僕は口を挟み、言葉を切り込ませた。