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ニワトリがとことこ歩いている。
そのニワトリは行儀が悪く、テーブルの上を歩いている。
ニワトリはテーブルの端まで行くと体を翻し、力むように体を微かに震わせた。
次の瞬間、卵を産んだ。
しかし卵が着地したのは、テーブルの上でなくテーブルの下。
体の後部がテーブルからはみ出していたのに、ニワトリは気づかずに居たからだ。
生まれたばかりの命は、床に目玉焼きの痕跡を作った。
どっと沸く笑声。
しかし僕は笑わない。
はたして喜劇と悲劇の違いとはなんだろうか?
僕は時々、それを本気で考える。
だけどそこに明確な答えが浮かぶことはなく、定義的な見方の変化によってコロコロと変わり、要は僕の気分次第というわけだ。
だからこそ、こうして一応にも暇と呼べる思考の隙間が生まれると、僕はそうした難問に取りかかる。少なくともそれは、化学や数学に対するテスト勉強よりは僕にやる気を与えるのだから。
「あっ!またサボってるじゃない!もう!」
なんて声が後方から聞こえて、僕は涅槃像のスタイルからゆっくり後ろを振り返る。
そこには朝顔の花のような青紫色の髪をした女子が立っており、
彼女はづかづかとベンチに横たわる僕のほうへと一直線で向ってくる。
「また学校休んで!卒業できなくなっても私しらないよ!」
ユーコは「もう!」と鼻息を荒くするようにして捲くし立て、僕は上半身を起き上がらせる。
「別に知らなくいていいよ。ていうか、それ、お前に何の関係があるんだよ?」
「大有りよ!」
「どうして?」
「だって、おばさんから頼まれてるんだもん!しっかりアスターのこと、見張っておいてね、って!」
「…ったく」
過保護な親だ、というのは息子側からしても自負していた。
母子家庭、であり仕事が忙しくて僕の面倒を見れないからといって、隣に住むというだけでわざわざこいつにそんなことを頼むか普通?と僕は饒舌になって言いたくなったが、そうしたところでこいつが引かないことは僕の人生十七年が立派に証拠となって証明するだろう。
なんなら証拠となるデータは、僕の海馬をほじくり出せば、そこから引っ張り出せるんじゃないか?と思うほどには感じていた。
「どうしてまたサボってるのよ!?」
「だって…」
「だって?」
「…つまらないから」
ユーコは前のめりになって、転びそうになる。
「そんな理由!?小学生かお前は!!」
「いやでも実際、つまらないじゃないか」
それでも僕は表情を緩ませることはなく、話をごまかすでもないことを示すように真剣な顔で言葉を返した。
「だって考えてみろよ?高校で勉強することなんて、数学やら物理やら生物やら…どれもみんな一緒に均一的なことを学んで何になる?」
はぁ、とユーコは分かりやすい溜息を見せた後、
「勉強してそれが将来、なんの役に立つ?なんていうんじゃないでしょうね?」
「いやそれはもちろん思ってるんだけど…」
「思ってるんかい!」
「違う、僕だって、そうした勉強が無駄だといってるんじゃないんだ。ただ、そうしてみんな一緒のことを学んで、そして理解してって、それは重要だと思うよ。でもだ、それって、そのなんて言っていいかな…うん、だからそれはその、個性って言うか、自分が、そこにないような、気がするんだ…」
ユーコは「まったく、やれやれ…」といった風に手のひらを浮遊させるような仕草をしながら
「また屁理屈?それとも、お年頃特有の、はずかしーい妄想?」
からかう声音に僕は苛立った。
「違うんだって!考えてみろよ!だって、お前が何かここで話したり考えたり、そして今、僕に見せる態度だってそうだ!学校へ行け!って言うのだって、本当にお前が思ってることなのか!?それだって結局は、学校で”そうしなさい!”って教えられた…なんていうのか…その…」
「考えはまとまってから言いなさいよ」
「うるさいな!ええと…そうだ!僕が言いたいのは、お前の魂はそこにあるかってことだ!」
「…魂?」
ユーコはポカンとしたように佇み、それから一瞬の間を空けてから「あっはははは」と笑い出した。
「ちょ、アスターったら、急になに言い出してんのよ、あはははは」
として再び僕の認めていないあだ名で僕のことを言い、大袈裟に笑い続けておなかに手を当てて息を苦しそうにさえしている。
「な、なんだよ!?そんなに笑うことかよ?」
「笑うことよ。笑うわ、笑う、もう苦しいくらい」
ひーひー笑い転げながらユーコは言い、僕は顔が熱くなるのを感じた。
「もう笑うなよ!」
「だって、だって、魂、だって!」
そういって再び大きな声で笑い出す。
僕はもうこいつの顔も見たくなくなり、背を向け再び体を横たえ眠ろうと目を閉じた。
「ごめん、ごめん。笑ったことなら謝るから」
後ろから聞こえる声に僕は起き上がらなければ、目すら開けない。
「もう、いつまで拗ねてるのよ!」
無言が返事として、僕の反応は変わらない。
「いい加減おきなさいって」
体を揺さぶられる感覚を得て、うっとおしい。
それもだんだんと激しくなっていく。
同時に僕の苛立ちも募らせる
「…もういい加減にしろよ!」
急に起き上がって後ろを振り返れば、眼前に顔。
鼻がくっつき合うぐらいに近くて、僕は思わず顔を退かせて腰が変な風に曲がりそうになった。
「ちょ、近!」
「そ、そっちこそ急に起きないでよ!」
お互い顔を逸らして雰囲気は変な感じに。
「ま、まあ、とにかく今日、僕はもう休むから」
「だからどうして?出席日数は大丈夫なの?」
「五月蝿いなあ、関係ないだろ?」
「だから関係ないわけないじゃない!私、たのまれて…」
と話が堂々巡りをしようとしていたとき、この公園における飾り付け的な役割を果たす人工林の茂み。
そこから”ガサガサ”とする物音が。
その音で僕たちの会話は中断され、二人の視線が音のほうへ自然と注がれた。
「…ねえ、今のってなに?」
「さあ?僕が知るかよ」
「でもこの公園って、もう廃墟になるじゃないの?」
「見た目どおりならね」
「誰か居るの?」
僕は首を横に振る。そしてベンチからゆっくり立ち上がる。
「犬や猫ぐらいなら居るかもね。‥行ってみる?」
「いやよ!何だが不気味だし…」
「じゃあここで待ってて。僕がちょっと見てくる」
「ひとりはもっといやよ!」
そうしてユーコは僕の後ろに続き、僕は音のしたほうへと向かい始めた。