8.5
目が覚めると、我輩は豚で、人間ではなかったのである。
だが我輩は確かに人間だったはずであり、そうでなければ人間として生きていた過去の記憶も、こうした思弁も成さえないはずであるのだから。
はてこれはいったいどういうことか?
しかし我輩、豚であるというのだけは確かで、トンそくなる表象を得た太くずんぐりとした手足は四つで地面につき、四つんばいの姿が自然であり楽な体勢。重力に従えば自然となる姿勢がこれであり、鏡像認識として映る姿は豚だった。皮肉にもその認識が己を人間であったと確信させ、鏡像認識できる豚など聞いた為しがない。鏡像として己を豚と認識できる事実が、自分を人間であると意味づけたのだ。
されどそれは寧ろ間違いである可能性。
鏡像認識できる己、それは「魂」と換言してもよかろう。
すなわち己の魂は己であり、己の魂は元には人間としての体の鞘に収まっていたのだと、思うのだ。
だからこそ、我輩はこの状況に大きく戸惑う。
豚としての肉体、豚としての魂がそこにないからである。
にもかかわらず我輩の身体は豚であり、
いざ喋ろうにも「ブヒブヒ」といった言語未満、言葉の幼虫しか出ず、もどかしい。
ぶひぶひ。
ぶひぶひ。
ぶひぶひぶひ。
ぶひぶひぶひぶひぶひ。
いくら喋ろうとも徒労に終わるのみ。
意思の疎通は難しい。
困ったものだ。
我輩の魂は「人間」で、しかし我輩は「人間」ではない。
「魂」は「人間」ではない。
さすれば「魂」が「人間」でないなら、「豚」でどうして困るのか。
困るのだから仕方ない。
ぶひぶひ。
ぶひぶひ。
ぶひぶひぶひぶひ。
ぶひぶひぶひぶひぶひぶひぶひ。
もどかしい。
臭い。
はて。
どうしたものか。
どうしたものか。