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つまりその影は、「死」なのさ。
だからこそ僕はここでもう一度訊くよ。
「死」が何かとわかったときに、
きみは果たして「時間」を感じるだろうか?
ということさ。
「死」は「時間」と対をなす存在であると同時に、それはメトニミー的でありまたシネクドキ的でもあるんだ。どっちもお互いを包括しつつ、お互いを見下しているようなね。
切っても切り離せないような関係性、とでも言ったほうが…ううん、それじゃあまるでコインの裏表だ。
こいつらにとってつまり…そうわかりやすく言えばこうだ。
これらは、”コインの裏表の間にある隙間”だってことさ。
引き続き言うようだけれど、僕は名前のない猫だ。
注意してもらいたいのは「名前のない猫」が僕の名前、なんてことはなくて、本当に存在しないのだ。
僕の名前は。
それは便宜上的でも思弁的でもなく、意図的とでも言わせてもらおうかな。
ああそうそう。
時間旅行に対する不手際について、だ。
存在し得る対象としては、真に孤立し存在している限り、それは存在を得ない。
というかむしろ、存在を得られない。
とでも言おうか。
何も干渉した瞬間に影響を受けて消えてしまう、
なんていってない。
そんな引きこもりみたいな粒子を言ってるんじゃないよ。
時間はそれとして直接的に、知覚得ないものだからこそ、それにつける名前を必要としたのだし、個の名前によって自己を虚位的にも確立させるように、それは人間性の潔癖とでも呼べるだろうね。
まさに性癖だ。
人は、時間と言った存在を、無視するわけにいかなかったのさ。
なぜならそれも本能で、何に対しても因果を求める井出たちだから。
だからこそ、きみたちにとってはこの僕の存在すらも、それは何かを意味し、そして意味する意味すら求めるだろう。まるで金太郎飴みたいにね。
時間もそれと一緒さ。
君たちが結果と原因を仮定する、そのお供え物が「時間」というわけ。
え?
なに当たり前のことを言ってる?って?
そうあせんなさんな。
それこそこれの特性であり特徴じゃないか。
え?
時間旅行なんてでたらめだろって?
もう気が早いなあ、じゃあいいよ。
こういえば、すぐわかるかな?
きみたちはすでに、時間に寄り添いすぎた。
これみたいにね。
だからこそ、こう意識してみればいい。
「時間が存在しない世界とは?」とね。
すべてが止まっている世界。なんて阿呆なことは言わないでくれよ!
それこそ、「時間的な発想」なんだから!
時間がないと言うことは、どのような状態か?
そのままさ!
「時間」が「ない」。
ただそれだけ。
するときみたちは、その瞬間、好きな未来や過去へジャンプ!
なんてこともないから安心したまえ。
それもまた、「時間的な発想」だからだ。
じゃあどんな状態なんだ?
時間がないって言う状態は?
って、そう怒ったように言いなさんな。
きみは「死」がどのようなものか、知っているかい?
あら、そんなことも知らない。
なるほど、じゃあ仕方ない。
重複するようだけれど「時間」は「死」に関係しているけどそれもまた同様に「時間的な発想」でありまた「死的な発想」でもある。まるで詩的だね。
なんてうそ。
冗談ジョーク。
ただ「時間」がないというのは、ただひたすらに「時間」がない。
ただそれだけのこと。
「説明できないこと」が「説明」と言えば、詭弁じゃないか!ときみは怒るだろうね。
でも仕方がないね。もしそれが「理解」できないのだとすれば、それは別に頭が悪いわけじゃない。
赤子は一人で、「歩く」ことはできない。
それと同じことさ。
あっ、そろそろ時間か?
もうちょっとある…か。じゃああと少しだけ。