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象られた思考は嗜好に偏る。
これは必然で、人間ならばそれが自明と成って久しい人類史。
そんなことを痛感し、実感せざるを得ない場面に遭遇したのだとすれば、
それはまさに、象られたはずのない思考に出会ったときに限る。
彼らは、象られるはずのない思考に象られ、彼らの思考は嗜好によって偏りを見せる。
それは何も、例のパン屋でカレーパンばかりが売れるといった偏りではなく、
全体としてのフラクタル性でも言えば多少わかりやすい。
もしくは、雪の結晶を拡大化していき結果として星状を示し、末端の枝葉のようなひとつがさらに拡大すればそこにも星状結晶の姿を見せるように。
そうした彼らの相似性に関して、私は疑問を抱いていた。
なぜひとつの行動プロセス内の意思において、彼らは彼らとしてのコミュニティを作り、共通の意思と思われる行動をするのか?彼らはどこにその普遍性を求め、安定性を勝ち取った生活を送れているのだろうか?と。むしろそれこそが彼らの特性とすればそれまでだが、ならばどうして自らの特性は隠蔽するのか。そこに鬱蒼と蔓延んでくる安易な終末論を私は好まず、仮に彼らの行動原理がそうであったして、ではどうして彼らはまた自己さえも偽っているのだろう。
これらを包括して端的に言えば、彼らは何を思い行動をし、何をもってその行動の原理を得ているのか?という疑問に帰結する。究極的な理由としてのその存在理由を知らずに居り、彼らに対しての理解と警戒を深める上では必要事項。むしろ、それを目的と言ってくれれば有難いけれど、そうした言葉を貰い受けることは事前にもない。だからこそ救助を求めてメッセージを送った。
”それは人間も同じじゃないのかな?”
博士のこうした返事は何の解決にも及ばず。
ええそうですねはい、とでも返信すればこの話題はおしまい。
単に向こうでも把握していなのだなと推論するのが自然であり、だからこそ私は続けて問う。
”では、私たちの行っている行為も、理解しないで行っているのですか?”
これに対する返信は辛くも、私に絶望をもたらさずにはすんだ。吉報とでも言えば聞こえは良いが、命綱がぎりぎりでつながった、としたほうが心境としては適切だった。
”少なくとも、ぼくたちの行為には意味がある。それは信じてもらっていいよ”
そうした返事に対して、”それは”とする部分に違和感と齟齬を覚えるが、訊ねたところで答えてくれるようには思えない。
”それで今後の私の役割は?”
端的に聞けば、端的な返事。
”周りをじっくり観察してくれ。”
”人探しですか?”
便りがないのがいい便り。
そのようなことをどこかで見たか聞いたか覚えていた。
返事は来ず連絡は一時的にも途切れ、ならばこれがいい便り?
などとは思えず、それはたんなる不精の言い訳であり、良いわけがない。
”こちらも忙しくてね。そのとおりだよ、きみには人探しをしてもらいたい。以上。”
一時間以上遅れて届いたメッセージ。
人探し。
誰を?とした問いは不要だった。
翌日、出勤して昼休憩の手前。
街で事件が起こったとのことで「殺人!?」と誰ともなく叫び、動揺が広がったのを目にとって認識。慌しくなって現場とする場所へと向えば、確かに倒れている。それに呼吸はなく、けれど犯人に殺人罪が適応できるの?と思えば噴出しそうになった。
「今回は複数人の目撃者が居ました。早速モンタージュを…」
そう畏まって上役に報告していったのは誰だっけ?後姿だけを眺めていたので分からずよく覚えていない。しかしそんなことなどはどうでもよく、その後に目撃者からの言葉が集められ、それら声はリアルタイムでホログラムとしての像を象っていき、その目撃されたとされる”犯人像”はすぐまさリアルな偶像となって各々のもとへデータとしての送られ、署に勤めるものならばすぐに確認することが出来た。
迅速かつ明確にその犯人像が出来上がったのは、その姿が実に容易であったため。
まるで子供の描く漫画に出てくるキャラクター。その異質な見た目は、現実的ではなく、すると現実的とは?と傾げたくなる首を持ち直し、そのホログラムとして目の前に示された偶像を、ただぼんやり見続けた。
百九十センチ未満の身長に黒のブーツ。ロングコートを着ながらも筋肉質の体格を誇示し、どっぷりとハット帽をかぶっている。顔には細くピンとしたひげがあり、それは人のものじゃない。
「間違いじゃないのかこれは?!」
そうした声が、廊下か部署内か、どちらにしろ何処かしらから聞こえた。
確かにその顔は、虎の様でもあり豹のようでもあり猛獣類としての顔つきであるのは間違いない。
”随分とまたかわいい猫ですね。それとも狼ですか?”
戯れた仕方に憐れむ嫌味で送ると、返事は変人だと再び思わせた。
”それ、いいね。”
連日事件を起こす道化が、はじめて自らを名乗ったのは、その翌日のことだった。