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地球の墓標、宇宙の海  作者: 冬野夏
episode A -3
81/111

81


出勤すると同僚aが声をかけてくる。

「おはよう」

「おはよう」

とオウムのように返事。

相手の顔は再度見ず、制服に着がえ、面倒なしがらみもなく自分のデスクに向う。

「おはよう」

と言われれば、「おはよう」

人工的ともいえる満面の笑みを返す。

当初、そうした人工的といった表現におかしさを覚えると、自然な笑みをこぼしそうになるほどの余裕を持っていた。今にしてそれは空しく、椅子が座られるためにある事に対して、座られることを意思として保った姿を笑うような事であると気づいてからは、無意識としての表情は頑なになった。


自分の席に座ると、備え付けのコンピュータを起動。

業務として行うのは単に事務記録の確認作業が主であって、表示される報告にミスがないかをまず目に通す。手違いがあるとすれば当然それは恣意的なものであり、故に、ここでの仕事はそれ自体が矛盾。

ミスを探すのをミスごす、なんていう言葉遊びを成立させるための組織にさえ思えてくる。

「ねえ雛、今日のお昼、どこに行く?」

暇を見つけては、隣の席の同僚bが声をかけてくる。

肩ほどまである金髪に、イソブチルを思わせる青りんごのような香りをうっすら漂わせて、毎度の如く訊いてくる。

「うーん、そうだなぁ、あ!あそこなんていいんじゃない!?」

そういって私は前日から検索しておいた新規の店を示し、

「いいね!そこにしよ!」

と彼女の同意を受け取る。

視線を流せば、周辺のデスクには先輩t、w、jと居り、彼らは何も話さず、じっと己のコンピュータと向き合っている。かと思いきや、先輩jは「…あーっ」といって窮屈そうな体を伸ばしたり、tは突如立ち上がって、太い足を紺色スカートの先から見せながらコーヒーを入れに行ったりしている。

時計はコンピュータにも当然表示されているが、目を移して所長席のちょうど真上、デスクと天井との間の壁にある直径三十センチほどの時計にいつも目を向けている。それは何気なく周りの様子を伺っているからでもあり、問われた際の言い訳になるからでもあった。


「ふーっ」と一息つく声。

このような迷路から脱出したような声が方々から聞こえ始めると十二時を過ぎた合図となる。

「あそこの店、行くか」

といった声から、がさがさとまさぐり、トン、とデスクに物が置かれる音。

水筒を開けるキュッとした擦れる音、ごくっごく、と喉を潤す音さえ耳に入る事もある。

「お昼になったから、雛、行こ」

同僚bに促され、自分の提案した店Qに向う事に。

異なる目的先も行動形態は同じであり、見せる仕草も同様。

彼らがボトルネック的状況に追いこまれる姿を一度も見ていないのは、それは彼らが合理的な行動をしているからというより、不本意な自体が生じないため。

そう考えるほうが正確で、咄嗟の状況にどのような判断を?それを見極めるのはたいそう難しい。もっとも”それはそうした状況を用意する事が”、としたほうが困難なのだけれど。

新規開店、として赴いたのは三十を超えるランチメニューを備えた定食屋。

入ると右手側すぐに厨房があり、先客は八人。

カウンター席に四人、手前のテーブル席に二人、ひとつ奥のテーブルに二人。

「ここメニュー多いんだね!」

壁側の席に決めると向かい合う形で同僚bが座り、メニューに目を向け「すっごーい」と独り言。

「ほんと!すごいねっ!」

私も負けず劣らず間抜けな声ひとつ出すと、相手の目を観察しながら、

「ねえ、どれにする?」

と醜態を期待する愁眉な趣を持った目を相手に寄せて問いかける。


「うーん、どうしようかな…雛はもう決めた?」

「うん」

私は頷く。どうだっていいことに対して。

「そーなの!?えっと、じゃあ、どうしようかな…」

「慌てなくてもいいよ」

私は笑顔でそう伝える。

相手はええと、とメニューに対面したままで、私はその顔をじっと眺め続ける。ここで鯨みたいにどこぞの穴から水ならぬ煙のひとつでも噴出せば、そこで満足するのかもしれない。しかしそれは欺瞞的で戯曲的発想であって、実現したところで慌てるのは私のほうだろう。

「決めたわ!わたしはこのBセットにする!」

「そう!じゃあ私はCセットにするわ」

「えーほんとにそれにするの?副菜の魚フライってカロリー高いわよ!」

同僚bは目を丸くして言う。

「えー!ほんと!?知らなかった!!」

私は上の空で声を出し、言葉に意味を属させず相手の表情を読み取ろうとする。

同僚bはただ笑い、「雛ってホント、面白いわね」

といって笑うさまを、「エー何がよ、もう」

私は駄々っ子のように答える。

それは一種の記号対抗戦であり、表情を読み取ることに長けていたという前世紀の捜査官の如く。

事態はそこまで単純化はしておらず、単純化せずいるのは、彼女が記号としての表現としてそれを、表情や仕草以外で表現しているからだろうと、私は推測する。

彼女はただ闇雲に笑って見せる笑顔は、どこか見覚えあり、それを親族と照らし合わせて符号を感じ取ると、思わずその頭を打ち抜きたくなる。

衝動を顔に出さず、廃れたムービーのワンシーンを視聴する如く、不感症に順じていれば、同僚bは「そういえばさ、pさんのことなんだけど…」と職場の人物に対する自己的な逸話を語りだし、

「えーそうなの!?うっそー?」

私は驚嘆して口元に手をあて「信じられなーい!」

等と示す。

運ばれてきた定食に彼女、同僚bは「いたたきまーす」と箸を指に挟んで喋り、終えると流動的に食べ始める。その光景に、私は運ばれてきた自分の昼食に懐疑主義となって握る箸をそっと近づけ、物の感触を確かめた。

「どうしたの?」

「あっ、ううん、なんでもないの。その魚?生くさかったら嫌だなって」

私は目を見ず、ただその物を見ながら答えた。

「え?だって、それ、刺身定食でしょ?」

「え?ああ、そうね、うん」

「やっぱり雛って面白い」

顔を上げれば、ふふふ、と同僚bは箸を持った手を翻して口に当てて笑い、

私は「もうっ、そんなことないよ」と膨れっ面で反論する。

それから箸に認識として”ある”それを掴ませ、赤眼鏡のレンズのような、五つ連なる薄い赤身の切れはしをひとつ、口に運ぶ。

ガムを簡略したような歯応え。合成たんぱく質の比重が偏見され美食家に合わせているように、薄味でそれは鉄のような味を少々舌に残して嫌悪のみを覚え、吐き出したくなるのを飲み込みすぐにデータとしてのそれを忘却するよう勤めれば、「…おいしい?」と覗き込んで見つめるような、同僚bの視線。

目を開ければ目の前に。

「…ん、まあまあ、かな」

「ほんとに?」

疑惑のまなざしに、おなかがキュ、と鳴りそうになる。

意識のみだけが眩く動き、それは幻想の中で小型銃を右手が握っていた。

銃口を相手に向けて。

「おしょうゆつけてないのに?」

「…えっ?」

そこで私は一端の誤解に気づくと頬を今度は自然にゆがめた。

「お刺身、って、おしょうゆに漬けて食べるんでしょう?」

「えーと、そうなの?」

私は驚いた素振り。

「そうだよ。知らなかった?」

小さく頷く。演技であると自分に言い聞かせながら。

「もう、おっちょこちょいだね雛はいつも」

「あはははは」

こうした自分の嘲笑は誰に向けたものか判別はしなかった。



昼食を食べ終わると職場に戻り、無色透明な業務に再び向き合う。

今日も無事故。無犯罪。

法律という概念が仮に、事故、犯罪にのみ関与して存在するのなら、このコロニーでの存在を問われる。すると当然、こうした警察としての役割として制定されている組織に対する是非も、必然的に疑問視されることになるだろう。けれど、法としての存在がたとえ、その存在自体が存在を包括し、概念としての存在価値が法律自体の概念を上回ったとき、それはここにあることの意味を得ているのだろう。

するとその存在自体もまた、一種の二面性でありその裏表を呈する子供だましに笑いそうになる。

だってそれは、鏡で見て裏が在るよう、錯覚している幼子みたいなものじゃない。


「雛、手とまってるよ」

ふと気づくと背後側の席、同僚cがまるで上司、目を光らせるように声をかけてくる。それは悪意ある声でなく、からかう色を濃く染み込ませた声で、

「そ、そう?」

振り返れば同僚cは椅子を転がし私の背中に引っ付くぐらい近距離に居た。

「仕事終わったら、飲みにでも行かない?」

同僚cは目を光らせて耳元で言う。

私はそれに対して「えっ?どうしよっかなー」と一オクターブ高いような小声を出し、「行こうよ!ね?」

同僚cの声に、横の同僚bも横から聞きつけて加わり「わたしも行く!」と発言をする。

「ね?行こ」

二人に小声で迫られ、私は椅子にもたれかかるように身体を引き、寒気をまといながらも汗が噴出すような、相反する事態を与えられ、鋭い瞬きを何度か繰り返す。

そのあと唾を飲み込んだのが分かり、それが自分の決意と信じて頷いた。

「うん、いいわ。行きましょう」

私は小声で、唇を自然な風にU字型に曲げて答え、頷く同僚bとc。

そのときの右手は、右膝の下に挟み、膝の上に置いていた左手のほうはデスクの下へともっていき、震えは見せないようした。



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