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地球の墓標、宇宙の海  作者: 冬野夏
episode A -3
79/111

79


たとえば、翌日、目が覚めるとあなたは犬になっていた。

すると最初は当然、戸惑い動揺する。

けれど、そこから死ぬまで犬で残りの寿命を全うすることになれば、どの時点で覚悟を決める?

おそらくそれは、自分が勝手に決めること。

そして、もし早い段階において何かのきっかけで、残りの寿命は犬の生命としてあると知ったなら。

そう気づいたとして、ではその人は、犬に成りきる?

きっと成るだろう。

だって犬なんだから。

同じように、私も当初、このいびつな髪型と妙な言葉の呈し方に戸惑い、指示された挙動と言動は自分でも気持ち悪く思えていたほど。

だけれど、それが自分。

行為を繰り返していれば、そこに不自然さを感じることは収まり、微かにも新しい自分の萌芽を感じ始めたのは行動を一律して一週間も経ったころ。

尤も、それはあくまで気づいたときであり、実際はより早い段階で意識の変革は起こりつつあったのかもしれない。

それでも、ここにおいてはそうしろという指示に背くよりは、従ったほうが効率的であると疑わなかった。



着いた当日のこと。

少しどんな様子かと、あたりを歩くことに。

するとターミナルを抜けて少し進めば、一軒のこじんまりとしたパン屋が目に入った。ちょうど空腹を意識し始めていた最中、妙に惹かれて足を止め、前世紀的な作りの外観、扉も自動ではなく取っ手をつかんで引くと鈴の音。香ばしい匂いと共に音が響き、入店をすると店内は外観どおりに狭い。

まずショーケースを眼前に見せ、すぐそばに一人の背中。

すぐ振り返る。

「あら」

その女性は声を出した。

聞き覚えのある声。顔。


「久しぶり」

姉は、何の高揚もつけず、ただ一昨日に会い再会したように、平然とした顔と声で私を見ると、こう挨拶をした。









もし人は見慣れたものがすべて、実は嘘・幻・虚構・でたらめと気づいたとき、どういう反応を指し示すのか?周りにあるすべてがそうだったのなら、そのとき、むしろ疑うべきは周りではなくて自分。

ああそうかこれは夢なんだわ。

そう思うのが一番に手っ取り早い。

それですべて説明がついてしまうから!

しかし、それを夢であるかどうか、現実?どう分別をつけて判断をすればいい?

傷を負ってその感覚でなどというのは無意味で、その痛覚さえも夢のうちにあるのだとすれば、それは結局夢に過ぎず、痛みを感じている夢、包括されているだけに他ならない。


だから端的に言って、これが「夢」であるか「現実」であるか、明確に判断する方法は存在しないことになる。

じゃあどうすればいいか?

私は分別の見分け方ぐらいは、身に着けているつもりだった。

どうせならば、好むほうを「現実」と思い、嫌悪するほうを「夢」と思えばいい。


なんだ、それは単なる現実逃避じゃないか。


そうした厭味ぶった名もない猫の声が聞こえてくる気がした。


けれど私にとってそれは一種の逃げ道で、

幻覚と現実を見分けるすべとして、

それを持ち合わせるべくして私は持っていた。

人が二足歩行するよう進化したように、私は思考の逃げ場を必用としていたからだ。


仮にすべてが夢であったとしても、私、自体は夢じゃない。

私自体は存在している。

だって、夢を見る主体としての私は確かに存在しているのであって、

だからこそすべてがたとえ幻覚、幻であっても、唯一私というものは、存在をしていると実感できる。

実感!

すると私はまた袋小路に迷い込み、照らす日光に蒸し焼きにされるようなべたつく汗を全身にまとい、気だるさに喘ぐ。


私という意識を認識する私は、果たして私なのだろうか?

私自身を知覚している私が、私と自己を包括する第三者としての私が、果たして実際に居るのだろうか?

それは単に、認識として”私”が編み出した、「私」に過ぎないのではないか?

私がもしも、そこに「」となってしまうと、私は存在しない?

私の存在はそれほどまでにもろく、

そして私の声を聞くものが居なければ、果たして私は声というものを派生させることはできるのか?


変な夢だった。


ここには自分ひとりだけが、幹線道路の中央にひとりだけ居り、すべての時間が停止したように車の影も形もなく、まったくの無音。音は一切せず安静としたあたりに閑散とする言葉を生まぬほどに、辺りは静寂に包まれており、それは確かに、「閑散」といった言葉を除外する環境だった。

何もなく、ただ建屋が道路沿いに並び、ほかの生物は居ない。

私は呆然と立ち尽くして、ただ動かず、じっとしている。

そこでは私を私が見ており、私の内部をほかの私が覗いているような、妙なこそばゆしさを味わった。

それはちょうど、過去の思い出に浸り、懐古に没入して頭の中が過去への意識で占められ、ほかに何も感じず考えず味わずに、ただその情景を脳裏に浮かべてそこに立つ自分を俯瞰する自分を見る自分を知覚する気分。

自分の手を見た。

確かにそれは肌色で、見慣れた細さを保つ五本指を備える左手は、ほっそりとした長い指で愛着のある指。裏返させれば爪は短く切り込んであり、ピーナッツ形の指の爪の先は程よく明るんでいる。


けれど私はそのとき、言葉を発しようとしても声は出ず、水の中で口を開いたときのような嫌悪感だけがただあり、次第に声が出せないことに気づくとあきらめた。何も居えず、何も言い表せない。

私は絶望した。

自分の無力を感じた。

するともはや、歩くことも、食べることも、触ることもできない。

何もできなかった。私は無力でちっぽけな存在で、ただ依存するように声を出そうと足掻いた。

けれどそれは結局無駄で、どこか遠のいていこうとする私を捕まえておこうと、私は必死に腕を伸ばし、私をつかもうとした。けれど私はどこにも行かず動けず、それを捕まえることもできず、絶望する私を私は眺めているだけだった。

見上げると、カーテン越しに太陽を見るような曇った視界が広がり、目が覚めた。


ああそうか。

私は今、ここに居るんだった。

見慣れぬ住居をようやく受容できるようになる頃に見たこの夢は、

私に何かの暗示をもたらしているようにも、違うようにさえ感じた。

ちょうど越して1ヶ月目。

ベッドの隅、猫から渡された箱を開ける。

その日の朝、私はようやく、そして初めて、受け取ったコンタクトを着けて出勤をした。

このコロニー2145にて。




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