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コロニーに行くには、当然、それなりの準備が要る。
言葉使い、身だしなみ。
そんな基本的なことから矯正されるとは思いもよらず、
日本人形のような髪型に、子供じみた言葉使い。
それがどうして必要?問えば答える仏頂面。
「相手を油断させるためだよ」
相手は機械のなのに?
「機械だからこそだ」
相手は答える。
「どうして?」
「もし、相手が自分を機械と気づいていない、としたら」
「そんなことがあるんですか?」
「あり得る」
「どうしてそれを?」
「それは行けばわかる。」
「でも危険では?」
「大丈夫。といってもきみは出張、まあ出向とも呼ぶらしいけれど。
とにかく、そういう形で、きみは職場を移すことになる。」
「コロニー2145にですか。そんなに都合よく?」
「ぼくが何のために情報調査していたと思う?もっともここでは多少の情報操作でもあるんだけどね。いいかい?ここからすでに計画は始まっている、いいや、始まっていたんだよ」
「じゃあもし私が拒否をしていたら?」
「その場合また別の方法をとるだけ」
「冷淡ですね」
「残念だった?」
「…いえ、別に。」
「いいんだよ。誰だって、自分が特別な存在でありたい、そして、自分が他に変えようのない、特別な存在。自分が生まれたからには、自分にしかできないことがあるはず。自分がなすべき、自分だけのことがある。誰だって、自分という物語の主役に成りたがるのは自明のことさ」
「それにしたって…」
都合がよすぎる。
そう思いながらも、
「理由なんて、行けばすぐにわかるよ。嫌でもね。」
と博士は言い、私はその言葉をただ飲み込む以外になかった。
実際、着いた初日にはその要因を理解することになったのだから正しかったと言えば正しいことになる。まるで全体を俯瞰して手駒を操り、こちらは踊らされているようであって悔しい。けれどそうした情緒さえ持ち得ていた。
「ああ、例の物も持ったね」
「例の?」
彼は自分の目に指を向けて示す。
「…はい」
「よろしい。でもね、それをつけるかつけないか、それはきみに任せるよ」
「どうしてですか?」
「見たくないものも、見えてしまうだろうから」
「それなら…」
もうすでに十分、見てきました!とでも言おうか。あの当日に。
実際に言おうとしたところ、博士は顔をそらした。
それは他の相手を見たからであり、視線を追うと猫が居た。
「じゃあ頑張ってね」
猫は言ってくる。
「何かあったら連絡を。といっても、ぼくたちも遅れてそっちに行くつもりだから、まあ過度になく安心していいよ」
「弱気ですね」
「慎重、と言ってもらいたいな」
「あの、奥に座ってた…」
「ああホウイチ?あいつにもすでに、別のことで動いてもらってる。まあ人不足なのは否定しないけど、少数精鋭と思ってもらって違いはない。一応、こいつだっているからね」
「雑な扱いだな!」
猫はふん、と鼻息を出す。
博士から逸らした顔を今度、私に向ける。
「じゃあ餞別として一言、いっておくよ」
猫はそこから微動だにせず、じっと目を合わせてくる
「これから向こうでいろいろなことを体験も経験もするだろう。見て、聞いて、触って、驚き、喜び、嘆き、叫び…まあとにかく、大切なのは、いついかなるときにおいても、冷静で居ること。いいかい、冷静だよ!それを守りさえすれば…まあきっと最悪にならないと思うね多分」
「随分長い一言ね」
「ありがたく思いなよ。忠告してやっているんだから。いいかい、人間というのは結局、感情抜きの理屈は己の真理にできない。それはもう性みたいなもので、外灯に向う虫のそれと同類のものだ。どう足掻いたって無理。そういう生き物だからさ。だからこそ言うんだよ冷静でありなよと」
猫の声音はいつもどおりで皮肉めいた態度こそないけれど、その平常さこそが妙な安心感を与えてくれた。
「…わかった。忠告ありがとね」
「感情は抑えようっても、抑えられないことも同じだよ。だってそれはトランポリンみたいなもんで押し込んでも、それは結局は裏側に出ているだけに過ぎない。だから気をつけなよ」
舌をとられる事など、なさそうなほどこの日の猫は饒舌だった。
「今日は随分とやさしいのね?」
「まあ不安だから。それほど信用してないと思っているとして同意語だよ」
「それはどうも」
ようやく飛び出した猫の厭味をやんわりやり過ごすと、猫は似合わず私へウインクを一度。次に博士から小型の端末と連絡先を教わり、あとはもう何もない。
「じゃあ元気で」
博士は最後、まるで友人と別れる際の挨拶のように暢気な表情で私に言い、
猫はそれに追随するようにただ頷いて見せた。
私は翻して、ここを出た。
すでにここの住所もおおよそ理解し帰路に迷うことはない。
けれど自宅に戻ることはなければそのままバス停のほうに向かい、
自分の足で2145行きの光速バスに乗ったのだから。