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「もちろんぼくらが起動させた装置が要因であるとのことは疑えない。けれどね、どうしてそれが、そういった結果を見せたかは分からなかった」
博士は両手を天秤みたいに示しながら言う。
「ごく短かったからな」
ホウイチと呼ばれる彼が続けた。
博士は微かに振り向いて頷き、こちらに顔を戻しながら口を開く。
「そう。確かに周りに居る人たちは倒れていったんだけど、そのときぼくらは唖然としていてね。そのままでいれば、そのあとに彼らは立ち上がり始めたんだ。まるで何もなかったように」
「…でも、それでは、彼らが皆、アンドロイドだとは正確に分からないのでは?」
ようやく私が口を挟むと、博士はテーブルへ視線を移して小さく首を横に振る。
「そのうちの倒れて起き上がった個体の中から、一人だけ、抽出したんだ」
「じゃあその人が」
「ああ。そう。そのとおり。アンドロイドだったんだ。人間と瓜二つ。質疑応答においてもね」
「実際、見分けるのは無理だったろうな。あの装置によっての偶然がなければ」
「まあ、とにかく」
猫が割って入るように喋りだす。
「持ち込んだ装置の発した電波がたまたま、ごく偶然にも一致したんだろうね。それがエラーを引き起こした。わずかの時間ながら。そこで気づいたのが、やつらの正体ってわけさ。そしてコロニー2145の実態も。まるで蟻塚!人間にとっては蟻地獄!だね!まさに」
博士は猫の言葉には顔を少々しかめながらも頷いた。
「ぼくたちはやつらの本拠地こそ、あのコロニーだと睨んでいる。そして随分と既に、やつらの派生はほかのコロニーに流れ込んでいると予測しているんだ」
「…ここにも、ですか?」
「ああ。おそらくは。いや、それは嘘だ。ごめん」
そう言って博士は白衣のポケットに手を居れ、何かを取り出すと差し出してきた。
「それは?」
一見してそれはコンタクトレンズのように見受けられた。
「目に装着して、明日一日を過ごしてみるといい」
「視力は悪くありませんけど?」
「そうじゃない。いいや、もっとも、視力が悪いのではなく、視力が正しくない、ということがわかるだろから」
「視力が正しくない?ですか?」
「そうだ。まあ騙されたと思ってつけてみるといい。すれば言わんとする意味は分かるよ。けれどね、覚悟がないならやめておいたほうがいいとも言っておこう。それこそ、誰に騙されいるのか?知るのが怖いならね」
「…馬鹿にしてます?」
「いいや。むしろきみを思っての言葉さ」
「…わかりました」
「おい」
猫が腕を上げ、壁にかかった時計を指す。
テーブルの上にいるため、掲げた手の肉球はぎりぎりで見えない。
実に惜しい。
「もうこんな時間か」
博士は眉を上げて見せ、
「まあ、概要は大体こんなところ。けどね、重要なのは、きみはぼくたちに協力する気があるか?といった基本的なことなんだよ。もっとも、それこそきみのお父さんのことも…」
「考えさせてください!」
「…そう答えるとは思っていたよ。だからここでいったん、話を区切ったんだ。けれどそこに微かにも迷いが生じているようなら、それを試してからもう一度思惟するのをおすすめする」
「…はい」
それからは部屋を出ると、以前のように自宅付近まで送ってもらい、同様に後は歩いて帰宅した。その夜は考えることが多過ぎたのだけれど、同時に、考えるべきでないことも多かった。疲労は思考を妨げ、無為な思惟は混乱を呼び込む。
だからこそ、私は受け取ったそのコンタクトを気にしながらも、それをどうしようとはまだ思わず、ただ横になり目を瞑った。
翌朝はいつもどおりの目覚め。
まるで何事もなかったように。
しかし昨日の会話が夢でないのは、卓上に置かれている物が示していた。
変わらぬ朝食を済ませ、シャワーを浴び、身支度を済ませて出勤する手前。
チラリと受け取ったものが目に入る。
実際、手にとってみてもそれはやはり前時代的なコンタクトレンズであり、これがいったいなんであるというのか?
それでも博士の言葉が頭に残り、それを日中、気にし続けるほうが仕事に障る。
時間は待つことを知らず迷う時間さえもどかしい。すると選択肢は既に一つであった。
それらを両目に装着。意外なほどすんなりと出来、目をぱちくりさせてから焦点が定まり、辺りを見ても特に変わった様子も、変化なども見られない。
視力自体にも変わりはなく、差異のなさに少々の拍子抜けをしている最中。
目に映る時計は次の行動を急かし、自然と私の脚を動かせ玄関戸に手を伸ばさせた。
外に半身ほど出た、ちょうどその瞬間。
肩に衝撃。
鈍痛があり、肩同士の接触。
誰かが素早く駆けて行った、らしい。
それはすぐに”らしい”の部分を取り除き、振り返ると、走り去る背中ばかりが目に付いた。
その人物は謝りもせず、距離は瞬く間に遠ざかり、謝罪も無しに走り去って行く。
当然として憤りを感じながらも解消する術は身近になく、もう!と憤慨の意を独り言で吐いても、それは何の効果も示さなかった。
すると次には若干の違和感。
どうやら片方の目から、さきほどつけたコンタクトのひとつが落ちてしまったように思え、それは一瞬、右目に付けたレンズがまさに目の前、そこでレンズの側面を疎らに見せたからであり、それは欠伸において流す涙の感覚に似ていた。
けれどそれとして視力が悪くなることもなければ、ぼやけるわけでもない。
なんら効果を示さぬコンタクトを探す時間。
それに割り当てる時間などなく、そのまま出勤をすることにした。
いつもどおりに。




