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「そう、つまりさっき話したような学者たちにおける、究明は失敗に終わった」
「…じゃあ、どうすればいいんですか?」
「うん」
博士は立ち上がり、思考を脚の動きと連動させるように、歩き出しながら語り始めた。
「「1+1=2」ではなくなってしまった世界。
そこで学者は「なぜ1+1=2でなくなってしまったのか?」
を考え、そこに原因究明を求める。
しかし実際には逆だったんだよ」
「どういうことですか?」
「そこに解決の糸口はあらず。実際には、
「なぜ1+1=2でなくなってしまったのか?」
ではなく、
「なぜ今までは1+1=2だったのか?」
を探る必要があったんだ」
私が博士と出会ったのは、ふとした偶然だった。
ある日の帰宅途中。雨日和。
私は暴走車のように速度を出していた車に轢かれそうになった。
寸でのところで何とか回避し、すると別の、一台の車がのろのろと近づいてきた。
「きみ、大丈夫かい?」
博士は眠たそうな顔を下げた窓から覗かせ、声をかけてきた。
「はあ、なんとか…」
先ほどの危機に対しての温度差と緩急。つまりただぼぅとしたように返事をしていた。
「いやあ、実に危なかったね。それにしても、よく避けられたものだ」
「ぎりぎりだったですけど。それにしてもあの車…」
「気になるのかい?」
「それは一応。あの調子だと、おそらく事故を…」
「起こすだろうね。ただひとつ訊かせてくれ。悪意のない行為は、悪かい?」
「はい?…それは当然、だと思います」
「じゃあさらに訊こう。もし向こう方が、全く気づいていなかったとしても、それは悪であり、裁かれるべきものかい?」
「それも当然です。不注意は、運転側の責任ですから」
「ほう」
博士は興味深そうに目を少し見開き、
「では、きみはどうして、そこに立っていたのかな?」
「それは帰宅途中ですから、それもまた当然…」
「まったく、きみという人間は何かというとすぐにそれだな。当然、当然、当然。まるで…そう、機械みたいだ」
「えっ?」
思いがけない言葉に、すぐに言葉を返せなかった。
「はは、冗談だよ。でも本当に危なかったね。傘も折れているじゃないか。よかったら送ろう。さあ乗りなさい。説明してあげよう」
「…説明?」
「さあ早く!」
「でも…」
「もちろん強制はしないよ。でもきみがもし、知りたいと願うのならば、ついてきなさい。説明してあげよう。きみが今、ふと疑問に思ったであろうこともね。尤も、それが分かるとも限らないが」
挑発とする芳香を嗅ぎ取り、それは湯気のように憤りを喚起させた。
「…分かりました」
既にそれが私の行動を決定付けていた。
そう。
つまり先ほどの場面。私は轢かれそうになり、そこで助けられた訳ではないのだ。
話が終ると、送ってくれるとのことは嘘でなく、再び車へ。
しかし降ろされた場所もまた同じだった。
「自宅まで送ってくれるのでは?」
「ここでも自宅まではそう距離はないだろう?それに、もう雨も止んでいる。それでも、家の前まで送ったほうがいいかな?」
「…いいえ、ここで結構です」
そう言い車を降りると、窓がゆっくり下がるのが横目に入った。
「あ、そうだひとつ言い忘れていたよ。もしまた面白い話を聞きたくなったら、ここに来なさい。運がよければ、また通り過ぎる際に拾って行ってあげよう」
「…そうですか」
「ではおやすみ」
車は走り去って行き、私は自宅までの数分の間に、開いた手をじっと見つめては、指を折り、開き、折り…と反復するように、確認するようにそうした動作を繰り返した。