58
次に私は何処か小さな部屋に居て、
真っ白な壁に囲まれ広くない部屋。
ルービックキューブの一つのブロックの中に閉じ込められたような、正六面体の部屋の中。
私は椅子に座らされている。
足は動かせない。
体の前にはひとつの机だけがある。
机越しの眼前には同じ顔。
自分?わたし?いや違う。
私は私。ここに居る。だから前にいるのは姉。
姉が居た。
二人だけの空間。
妙な気分。頭の中が揺らいでる。
「何を覚えている?」
姉が詰問をする。
片手を腰に当て、もう一方の手は机に突きつけている。
「…転がった死体を片付けるアンドロイドの姿」
私は繰り返す。
「話によると、「思ってもいないことを、口に出す癖がある」と言われたそうだけど、自分でもそう思う?」
「…わからない」
正直に答えると、相手も椅子に座って、ふんぞり返るように腕組みをして足を机の上へ。行儀の悪さに背筋は伸びて姿勢は良い。
妙な背徳感を覚えるのは、そこにあるのが私の顔だからだろうか。
いいや私じゃない。瓜二つなだけ。
「そうでしょうね。じゃあこう訊くわ。あなたは思ってない状態は存在すると思う?」
「…さあ」
「端的に言えば存在はしないわ。だってそうでしょう。人間である以上、考えた時点で、そこには思考があるのだから。ゆえに、思考しない状態こそ、思考することは不可能。そうよね?」
詰問に睨まれ、私は机に視線を落としながら頷いた。
若干、気持ち悪く成りはじめていた。
「でもこれは限られた条件下での話。そうよね?」
疑問をあてつけられ、顔を上げる。
相手は私の目をじっと見据えている。
「この理論は簡単な原理よ。もちろん当てはまるのは人間。人間ならね」
私は声の出し方を忘れてしまったかのように、口を少し開け、呆けたようにただ頷いた。
意思混濁として曖昧になり、眠気以外の情動が私の瞼を下ろしていった。
夢のような蜃気楼。
蜃気楼のような夢。
暗示といえば、直示とも呼べる。比喩と言うなら、なんだって比喩に成る。
それこそ、猫が居る、ということでさえ。
ポンティが居た。
暗闇の中、スポットライトを浴びせられたサーカスの住人のように、彼だけが存在を誇示している。
「いいかい雛、幻覚もまた真実だよ。誤りなのは、幻覚を元に判断を下すことさ。だから、幻想自体は決して虚無じゃない」
だけどさ、と猫は一度、顔を右腕で拭った後、言葉を続ける。
「じゃあどこまでが幻覚で、そうじゃないんだろう?雛にはそれがしっかりと線引きできているかい?」
「わたしは…」
思わず口篭る。歯を折ったときのような表情をして居たと思う。
「もし真実と思う全てが幻覚であったとして、じゃあ誰がそれを幻覚と知覚できる?するとそこではもう、誤りが認知できなければ誤りは存在しない。全てのパンがあんぱんだったら、あんぱんという言葉が消滅するようにね」
「…なにをいっているの?何が言いたいの?ねえ!ポンティ!」
日和の良い早朝の霧のようにすぅっと薄く成り行く様子として視覚野は彼を映し、消えていく。
「いいかい?縛られるものに、縛られてはいけないよ。でもね、幻覚であろうと、それが現実なら、現実に過ぎない。それは存在はしているんだ。確かに。でもね、いいかい雛!きみだけは、自分だけは、幻覚であってはならないよ!…それだけは忘れないでね」
そう言って表情を伏せ、ポンティは私の前から姿を消した。




