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母は客観的に見ても美しい容姿を持ちながら、あまり明晰と評せる人ではなかった。
何より私にとって耐え難く、そしてあまりにも失望を感じさせたのは、激情の果ての都度に見せる涙であり、感情の終着点がそこであることに何ら違和感を得ないように、母は当然のようにそこへと感情を漂着させていた。
母は人間にとって感情をあらわにするのが普通のように思われる人間であって、朗らかに笑うのと同等に、人前で涙を見せることを厭わず、自身の狡猾さを活用することに厭味を覚えない。
私が最も忌避して嫌う種類の人間が、こうも身近に居るというのは皮肉という他になく、まるでユダがブルータスを激しく糾弾している様を再現しているように感じては、私は無味乾燥な笑いを自分に向けるのだった。
だからといって私が母を忌み嫌い、祖母ばかりに懐いていたと言われればそのような事実はなく、一般的な家庭の如く常々母に懐いており、それこそ普通の親子としての関係を十分に結んでいたと自負してはいる。
母はまた神へ従順な態度をシャボン玉の如く示しては、毎週決まって私たちを協会に連れて行き、そこで何を行っているかさえ理解もせずに手を組み合わせて目を閉じ、項垂れるように頭を垂れては口数少なく何かを呟いていた。その様子はどこか、死に対する分別を示さず居る幼児に見えては、その都度、言い表せぬ絶望感が体を毛布のように包み込み、寒さを与えて、魂が凍え始めて私は目をつぶり、もう二度と開けたくないという思いに駆られていた。
「どうしたの?」
母は祈り終えると日向に当たる猫に声をかけるような、そうした暢気な声音を私に投げかけ、すると恐怖心は今にも飛び立とうとする蚕の如く徐々に遠のき、何事もなかったように、目にごみが入っただけだよ、などといって目を開ける。両膝を床につけ、頭を少々横にもたげて視線を下げては私の目線をまっすぐに捉え、母は濁りのない笑顔を浮かべて私の顔を見た後、頭をさすり、そして「善い子、善い子」と呟くように言うのだ。そのとき、母の後ろに立つ姉の姿は私の鏡像意識を刺激しながらも、そこにある魍魎な目玉は私のほうへ向けながらさらに奥を見据えており、彼女は私に目を向けながら私を見ていなかった。
それから母は私たち二人に腕を伸ばして手繰り寄せ、「さあ、あなたたちも祈りましょう…」と言い、再び目を閉じる。その間の数秒は絶えず無言で静寂とした時間があり、時間の流れをなくして思わせるほどに音を立てず、しかし音の存在が私の時間として概念を包括していたのだと思うと、妙に悔しくなって、今度は口を窄めるように閉じると、もう二度と、口は開くものか!と抗い見えぬ敵に勝利しようと集中する。そこには反復に嬉々するような幼子の自分が居て、けれど再度の祈りを終えた母から「さあ帰りましょう」と言われて無言で頷き、次に「帰りに何か食べたいものはある?」と問われれば、先ほどの確固たる意思など所詮、折り紙で装った兜のように脆弱なものであってすぐに瓦解し、気づけば「アイス!プリン!ケーキ!」などと無邪気に叫ぶ自分の姿が、片隅の意識から呆気にとられながらも自覚できては居た。すると目玉は独立した器官のように焦点を虚ろに移し、未だ口を噤んだ姉の姿を一寸先から目に入れる。
姉は笑いもせず口を開かず、私のほうへ笑顔を見せて「そう、じゃあケーキを買っていきましょうか!」とする母の横顔を、観覧する如く、無機質に眺めているのだ。




