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地球の墓標、宇宙の海  作者: 冬野夏
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わたしとしては、狙撃されたと推測するばかりで焦りは当然のように沸き立ち、しかし他人事のように冷静さを不思議と保っており、それは「死に対する恐怖を忘れた」と言うよりは絵空事に思えてならないからだろう。

されど自分の意識に反するように、体は引き攣った笑顔のように全身を強張らせ、俊敏に動くのは額の汗ばかり。刻々と過ぎている時間に唾を飲むようにして瞬間を刻めば、つい唇を噛んだ。

すると歯が柔らかな下唇に喰い込んでいき、僅かな痛覚はそれのみではまったく意味を成さず、鼻で微かに深呼吸し、吸い込んだ息を吐き終える頃にはミントガムを噛んだような爽快感を伴いようやく思考が鮮明になって感じ始める。

けだし憮然としたまま恍惚とした情緒が未だ感情の隅に居り、生命の危機によって生ずる著しい興奮による錯覚では?と思うが、ならば当分は消えそうに無い。

頭上へと、相手が居るならばと気づかれぬよう、目玉のみを俊敏に動かし、動く物の影を探す。

尤も、辺りに背の高い建物など見当たらず、安易に狙撃手が見つかるわけもない。見上げたところで目に入るのは人工的な装飾を施した”空”と呼ばれる、夕暮れのような色合いを呈する上っ面があるのみだ。


「な、なにやってるの!は、早く身を隠して!」

後ろからアイリスに怒鳴り声をかけられ、反射的に振り返る。

そこには腹這いになって両手を頭に乗せ、体を微々として震わせ続ける姿が目に入った。

「そ、そんなところに突っ立っていたら、標的になるわよ!」

アイリスの箴言をありがたく聞きながらも視線は動かし続け、パトカーの方へと向ければ、雛尖の姿がそこにある。彼女はパトカーへ乗り込んでおり、運転席でなにやら機器をいじっているように見えた。


「は、早く伏せなさいってば!」

アイリスの言葉に従順となってようやく身を伏せ、這って近づき「こうした経験があるの!?」

と上擦り気味の声で訊ねる。

「あ、あるわけないでしょ!」

これまでの憤りをぶちまけるように叫び、

「ど、どうしてこんな目に!」

鬱憤を吐き捨てるように言っては己の瞳を潤わせ、宥めようにも適切な言葉が浮かばない。


「雛尖がパトカーで何かやっているみたいだけど?」

「ひ、雛尖?あ、ああ、あの子のこと。無事みたいなら何だっていいわよ。それより、今から…」

どうすれば?

それにはわたしも同意見であり、発言するであろう言葉に頷こうとしたとき、


「二人とも、早く乗って!」

パトカーの運転席が開き、そこに座る雛尖が、今までに聞いたことのないような、凛とした低い声音でこちら側に叫ぶ。

驚きながらもアイリスを一瞥すると、彼女も表情を固まらせていたが、「行きましょう!」その顔に声をかけ、すばやく立ち上がってアイリスに手を貸した。体を食い込ませるように力を入れ、立ち上がらせると、彼女を引きずるにしながらパトカーのもとへ。

アイリスは怯えた小動物のように体を強張らせており、後部座席へ投げ入れるようになんとか乗り込ませると、わたしは助手席に座った。横では雛尖がハンドルを握っている。


「マニュアル運転するの!?」

「こっちのほうが早い!」

彼女の聞き慣れない沈んだような低い声は事態の深刻さを知らしめ、童顔のまま一瞬で数歳も年老いたような貫禄さを声から感じさせた。

パトカーは急発進し、途端シートベルトに身を気圧され、一応にとシートベルトを締めていた自己の判断に感謝する。

幸いにも道路は空いており、他の車は見えてこない。

けれど雛尖はやはり実際の運転などには不慣れなようで、幾度も蛇行運転を見せては荒ぶるスピードに従いスピンしそうになる。その都度、わたしたちの体は激しく揺さぶられ、

「運転したことあるの!?」

と思わず口を挟めば、

「ええ!何度か!!」

五月蝿いから黙っていて!と言わんばかりに素っ気ない返事を呈する。


それからは真っ直ぐな道で運転が多少安定すると、彼女は「チッ」と舌打ちを鳴らして醜態に身を焦がし、右手ひとつでハンドルを握ると左手は少々ずれ落ちた左脚のストッキングを捲し上げる。

並行して「…クソッたれ」と奥歯を嚙み締めるような表情をして小さく呟き、わたしは彼女の仮面がずれ始めていることに少々興奮する。

後部座席では、アイリスが恰幅のよさに似合わず縮こまり、未だ震えていた。



「着いたわよ!」

雛尖が叫び、署の前へと乱暴にパトカーを止めると、すぐさま運転席から居り、わたしも追随するように降りるも、振り返れば後部座席は開いていない。

「さあ早く行きましょう!」

後部座席を開け、顔を伏せ怯え震えるアイリスにそう言い、彼女は顔を上げると頬に乾き跡を見せる一筋を示しながら、ゆっくり頷いた。

「気丈になって!」

思いがけず飛び出した簡易な叱咤激励の言葉は効果を奏し、わたしの声に一瞬、驚いた素振りを見せると「…ええ、そうね」として表情を変え、折り畳んでいた体を起こすと、わたしの手に捕まりパトカーをさっと降りた。




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