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前方に目を凝らせば、なにやらみずぼらしい格好で浮浪者染みた姿の男二人が、取っ組み合いを始めていた。
「はあ、まったく…」
そう言って渋々運転席から降りていくアイリスの後ろにわたしも続き、
身近にして見ると、ひとりは赤のキャップ帽をかぶりながらもボサボサに伸びた白髪交じりの髪の毛を大きくはみ出させ、もうひとりのほうは丸坊主で帽子をかぶらず、歯が何本も欠けて見えた。
二人は互いに襟をつかみ合って腕を弓のように後ろへ引き、今にも互いの顔へと拳を振り落とそうとしている。
「はいはい、そこでもうやめ!あんたたち、いったいどうしたの?」
その間にアイリスが腕を割り込ませて互いを離すと、二人はなにやら悪口らしき言葉を大声で上げ、互いを罵り合っている。しかし訛りが酷くて、なんと言っているかよく分からない。
けれど表情が互いに向けた言葉の意味を物語っていた。
「あんた警察?ちょうどよかった。こいつ強盗なんだ。捕まえてくれよ!」
罵詈雑言のラリーが止み、互いにハアハア息切れし始めると、赤帽子のほうがようやくアイリスの姿に気づいたように、彼女へ声をかけた。
「強盗?とんでもない!俺は金を払った!こいつがものをよこさないんだ」
丸坊主の小太り男、もっともこちらも格好としてはボロきれのようなものをまとい、劇場で浮浪者の役を探しているのなら即採用されるような風体。丸坊主は、帽子男の言葉に興奮し息を荒げ、捲くし立てると蛸のように丸々とした目をより充血させ、「こいつが悪い!俺は払った!」と同様の趣旨を、怒鳴るように繰り返した。
すると「なにおう!?」と言い合い、睨み合い、掴み合う。
そうして再び殴り合おうとするので、今度こそアイリスは呆れて一歩うしろへ退き、わたしの隣へ来た。
「ねえどっちが悪いと思う?」
と訊いてくる。
俯瞰するようにやり取りを眺めていたわたしは、背丈も年頃も同等に思えるこの男たちの取っ組み合いは、ある種の痴話喧嘩のようなものでは?と思え、似た者同士の争いには、解決策こそ既に知っているのではないか、と思えて成らない。むしろ仲の良さを見せ付けている、とさえ思わせる風情めいたものがあった。
よって、この争いの原因、解決策はおそらく既に、当人同士が知っている。
「…で、その結論として、私は何をすれば良い?」
アイリスはやる気を見せずにわたしへ再度、問う。
「それは…」
わたしは返答に臆して口篭る。
どのようにそのことを彼らに伝えれば良いのだろうか?
その妙案が浮かばないのだ。
生活水準がまるで違えど、同じ人間。
しかし、彼らにとっての言葉は、わたしにとっての言葉だろうか?
悩んでいると、
「ええい!もう頭に来た!」
と赤キャップの男は何処からか折り畳み式のナイフを取り出し、右手に握るとワンタッチで刃を立たせ、その刃先を相手の男へ向けて威嚇し始めた。
それを目にして丸坊主の男は後ろに数歩後ずさり、その場で止まるとにやつかせた顔を見せながら「へ、へっ!やれるもんなら、や、やってみろってんだ!」
と、すきっ歯を如何なく見せつけるように言う。
「なんだと!」
「そんな度胸もねえくせによお!」
「てめえ!なめてんのか!!」
怒鳴り声に添うナイフを握る手は震えながらも、刃を真っ直ぐ相手に向け腕を目いっぱいに伸ばす。その時の、膝の震えは栄養不良によるもか、今の情緒ゆえの状態なのか。その判断は正確でないが、ナイフの男が今にも相手へ飛び付こうしているのは確かだった。
「あんたら!ほんとうにもうやめなさい!!」
刃物の出現に、さすがのアイリスも顔を青くし大声で制止を呼びかけるも、二人は聞かずこちらをまったく見ようとしない。視線を逸らした瞬間、相手にやられる!そう言わんばかりに双方、視線を互いに引っ付けさせながら腰を低く構え、息を殺すようにして、相手の次の出方を伺うように円を描くよう摺り足で動く。
睨み合いは続き、二人が描く円周は徐々に狭まり…
「もういいかげんにして!」
いきなり打って変わって甲高い声が響き、誰もが驚いて視線が吸い込まれるようにそちらへ向くと、そこにはいつの間にか雛尖が居り仁王立ちのように立っている。
そして、ほっぺたを膨らませてじいと二人の浮浪者を睨み付けていた。
すると呆気に取られたように、今にも殺し合おうとしていた浮浪者二人は動きを止め、屈めていた体をピンと伸ばして雛尖のほうへと体を向けた。そこから二人とも微動だにせず。見蕩れるようにじいと雛尖の姿を眺めていた。
「べっぴんな姉ちゃんだな」
「ああほんと」
二人は口だけ動かし、開けた口をそのままにしてポカンと呆けたような表情。
その光景は、はたから見ても雛尖の外見に落城させられたのは明らかで、そうした俗さにこちらがポカンとした表情を呈しそうになる。
しかしだがらといって二人の男は頬を弛緩させる表情もせず、ただ崇拝の偶像を眺めるように、見入っては内心において恍惚としている風情を思わせた。
二人の状態はまるで、「美しい彼女に見つめられたら、石でも踊り出すぜ!」等と、今にも言わんばかりであった。
「ねっ?おじいちゃんたち、もうケンカはやめよ?」
雛尖の言葉に、二人の浮浪者は視線を釘付けにしたままゆっくり顎を上下に動かした。
「えへへ、よかった!」
お面のような笑顔を作った雛尖に、二人は「もうしねえよ」「おい、悪かったな」「あ?ああ、おれのほうこそ…」と、懐柔されたよう急に態度を改める。
「…お手柄ね」
肩を軽く叩きながら皮肉めいた口調でアイリスが言い、
「どうもです!」
雛尖が笑顔で答える。
それら光景をわたしは複雑な心境で眺め、その形容しがたい己の情緒不安定さに、微かに慄いた。同時に流し目を彼女へ向け、考察を試みる。
…確かに彼女、雛尖の容姿は童顔ながらも何処か西洋絵画を思わせる顔立ちをしており、端整と呼べるにふさわしい形をしているかもしれない。しかしそこまで、
人の人格に影響を与えるほどの美人なのだろうか?
「あれ?メディは?」
いつもは雛尖が抱いている、メディの姿が見当たらない。
それに気付いてわたしが訊ねると
「ああ、車内ですよ」
と彼女は言って、浮き足立った足取りでパトカーのほうへ。
「あれ?」
窓から覗き込む首をかしげながら声を添え、次にドアを開けて車内へ。
すぐ出てくると、駆け足となってこちらへ。
「居なくなっちゃった!」
雛尖は両手を顔の前で合わせて、取り見繕って叫ぶように言う。




