32
カヌレさんの家は黄色の外壁、赤屋根であり、他の家に比べ一回り大きい外観。
ドアをノックするとすぐに扉が開き、「はい?」と隙間から覗かせる顔は、皺が目立ち白銀の短髪に丸眼鏡のほっそりとした顔で、一目した限りでは六十代ほどに思えた。華奢で長身、と言った体格で、砂漠の民が身に付けるような緩いローブのようなもの着ていた。
「こんにちわ!」
ウソレが横で笑顔を持ってお辞儀をすると「ああ、きみは確か…」と頭に手を当て、うーんと唸る。
「この前はありがとうございました」
「あっ!そうそう!そうだったね。それでどうしたの?」
「いえ、またこの付近を通ることに成ったので、挨拶にと」
「ほうそうかい。ところで彼は?」
そう言って小皺の目立つ目はこちらに向き、それは警戒の色を示していた。
「この人は…」
ウソレは一瞬、なんと言い表すか迷うように言葉を詰まらせ、うーん、と小さく悩む声はひっそりと聞こえた。それから再びぼくの腕を取って身を寄せ、「パートナーです!」と笑顔で言う。
彼の怪訝な表情がさらに強まったように感じながらも、その強固な視線を一身に浴びながら「…そうか。まあ中に入りなさい」とつまらなそうな口調。こっちは二種の動揺で汗だくになりそうだった。
通された部屋は廊下のまっすぐ先で簡素な内観。コンビニほどの広さに、中央には丸い若木色のテーブル。
さあどうぞと促されて同色の椅子に並んで座ると「いま、お茶でも入れてこよう」と言い部屋から出て行った。
「独身なのかな?」
横に座るウソレに訊く。
「多分」
「にしても、あんまり生活感がないなあ」
辺りへ視線を流すと、丸い窓の付近に本棚がある程度。そことて棚は埋っておらず、中途半端な数の本。衣装箪笥のような物さえ見当たらず、目につくものと言えばこのテーブルと椅子、本棚ぐらい。
「待たせたね」
ぼくらが入ってきたドアからカヌレさんがお盆を手に持ち入ってくると、双方の前に胴長のコップを置く。コップはステンレス製のように銀色。中には薄茶色の液体が並々と入っており、ありがとうございます、と言って受け取り手に取り喉に向かわせ口に含むと妙な刺激を舌に感じて吐き出しそうになったがすぐに思いとどまり何とか無理にでも飲み込んだ。必死で。苦い味しか感じない。
「それで、いったいどうしたのかね?」
カヌレさんはウソレのほうだけを見ながらいい、ぼくの存在が見えていないかのように視線を一向よこさない。
「町の塔、あの中って」
彼女の言葉に途中で掌を見せ遮り「それは前にも言ったとおり、何も知らんのだよ」と愛想笑いのような顔をして言う。
「本当に何も知らないんですか?」
ぼくから次に口を挟むと、ようやくこちらをチラリと見据え、「何も知らん」突き放すような返事。
「ほんとうに?なにも?」
立ち上がってテーブルに手をつき身を乗り出してウソレが訊ねる。その姿は、あえて胸元を相手に見せ付けるような体勢に見えた。
「…ああ、ほんとうだとも」
一瞬、遅れた声は、刹那的にも彼に享楽をもたらしたことを示し、窮屈そうな表情は意図的に思えた。
そして喉仏が波打った瞬間を、ぼくは見逃さない。
「お願いです、何でも知っていることがあれば、教えてほしいのですが…」
彼女は今度、席から立ち上がってカヌレさんの席横へ移動し、寄り添うように身を寄せ、猫撫で声を出す。
どうしてそこまでする?といったことが脳裏をよぎるが、カヌレさんは表情をいよいよ緩ませ、次に手を握られると「そういえば…」と口を滑らせた。
「そういえば?」
期待に飢える声をウソレが出すと、「そうそう、あの塔にはね」とカヌレさんは大きく頷き、「鍵があるんだよ」
「鍵!?」
するとムッとした表情でぼくを見て、「そう、鍵だよ」と機嫌悪そうに邪険な風体で言い、「鍵を持っているの!?」と彼女が腕をとって身を引っ付けようとすると立ち上がり、「ああ、持っているよ。代々、我が家が管理をしているんだ」
「本当っ!?」
「ああ本当だとも!」
「じゃあ中に?」
「入ったことはない。これは本当だ」
「私、入ってみたいなあ」
「そ、それはいかんよ。中には…」
「中には?」
彼女の視線から逃れるように彼は口を噤んで目を逸らす。
その一部始終を眺めていたぼくは、ようやく口を開き、「魔王については、何かご存じないですか?」
訊くとキョトンとした顔を向け、「魔王?」と阿呆な表情を示す。
「そうです!何か知っていることがあれば…」
「いいや、初めて聞いたな」
その表情に悪意はなく、本当に初めて聞いた、という事を眉を寄せる動きが物語る。
「ただ…塔の中に入ってはいかん、なぜなら、そこには魔物が居るからだ!…と言うことは聞いたことがある。ずっと以前になるけれど」
「私なら大丈夫ですから、どうかその鍵を貸していただけませんか?」
提案するウソレへ初めて怪訝な視線を向け「どうしてそこまでしてあの塔に行きたがる?」
「それは…」
彼女はそこで首を逸らしていき、ぼくの方を向いてくると視線が合った。
そして頷いた。
「実はあの塔の中に、ぼくの両親の遺品があるんです」
もちろんでまかせだ。
「その塔の中に?」
カヌレさんは皺くちゃな目を見開き、驚愕した様子で言う。
「そうなんです!遺言状にそう書いてあって、だからどうかあの塔に!」
ウソにうそを重ねて吐けば、もう躊躇はなくなり最初、同様に驚いた表情を見せたウソレも、今では頬を若干に膨らませた。続けざまに肩が揺れそうになるので、それは駄目だと目をむけ首を小さく横に振る。
それからカヌレさんのほうへ向き直して、立ち上がり一歩前に出て、目いっぱいに体を折る。
「どうか!おねがいします!その鍵を貸してください!」
下げた頭の上からすぐには返事は聞こえず、様子を伺うようにゆっくり顔を上げていく。
「…よかろう」
カヌレさんは酸っぱさに口を窄めるみたいに唇を動かし、しぶしぶ頷いた。
「ありがとうございます!」
ぼくと彼女の声が重なった。
「待ってなさい、今もってくるから」
そう言ってカヌレさんが部屋から出て行くとすぐに横へウソレが来て、ぼくの頬に人差し指を当ててくる。
「驚いた。あんなでまかせ急に言うなんて!」
声音ははしゃいでおり、ふふ、と声を漏らした。
「良い判断だったろ?」
「そうね」
「でもあの塔って、なにか手がかりがあるのかな?」
ぼくが呟くと彼女は目を丸くして「呆れた。そう思いながら、あんな発言したの?」
「それはきみが、あれほど必死に鍵を得ようとしてるから…」
きっと何か確信あって、そうだろ?
訊こうとする前には、彼女は伏せ目がちに床へ視線を投げかけ、「…覚えてないのね」と小声で言う。
「いったいなんのこと?」
返事を聞く前、「これだよ」と言いながらカヌレさんが入ってくると、その右手の人差し指と親指は、金色の鍵をつまんでいた。