20
ベッドから出て立ち上がっても痛みは感じず、薄暗闇の中では明確でないが、目立つような傷はない様子。二人には扉の外へ出てもらい、着がえ終わると扉をノックする。
「着がえた?!」
扉が開くとエリスが好奇心旺盛に言い、返事する前にはこちらの格好を見て「似合ってる!」
褒められ慣れていないゆえに芽生える若干の照れも、悪くないように思えた。
その余韻に浸る最中に「さあこちらへどうぞ」とエマリスに先へ誘われ、扉の先はリビングのように開けたひとつの空間。雰囲気を重視したリゾートの山間にそびえるペンションのように、内装は木柄を貴重にしており、輪切りテーブルにしても、丸太を切ってそのまま垂直に置いたような椅子といい、各所に視線を向ければ年輪が目に入りそうであった。
「さあどうぞ!」
案内された椅子に腰掛け、少し待っていると二人が料理が盛られた皿を両手に持ちやってきて、歪めた楕円のようなテーブルへと並べて置いていき、エマリスが向いに座る。ぼくと彼女の間に挟まるような、斜の位置に座るエリス。
皿からは微かに湯気が上がり、肉のような香ばしい匂いが食欲を刺激してくる。味噌汁のような色合いのスープは飲むと濃厚なポタージュの味。ステーキのような見た目の固まりは、歯応えありそして野性味あふれる肉の味。ハーブのようなものが微々としてかかっていたが、生臭さが少々勝り、それでも食欲を満たす上ではそれすら良いスパイスとして機能していた。
「美味い!」
「良かった」
「私が作ったんだから当然よ!」
小さな胸を張ってエリスが言い、意気揚揚として「どんどん食べてね!」と促し、遠慮することなく箸を進めた。
「すごい食欲!」
なんて向かいでエマリスが呟き、衝動的な食欲はなかなか収まらず、まるで抜けきった血を補充するように食物を欲し、もしくは生まれ変わったから?とさえ思えたほどの食欲は自分さえも驚かせたほど。そんな未曾有な食欲も、山盛りとあった料理を費やすとようやくおとなしくなって、ふうと一息。
すると待ち構えていたようにエリスが身をこちらに乗り出し、
「ねえねえ何処から来たの?」
と訊ねてくる。
「日本という国だよ」
「ニホン?」
エリスは目を丸くしてじっと見つめてくる
「それって何処にあるの?」
「何処って言われても…というか、ここは何処なんだい?」
「ここ?オルクベキだよ」
そんなことも知らないの?といった瞳を呈してエリスが言う。
「オルクベキ!?」
「この国の名前です。この辺りでは有名だとは思うんですか…随分と遠い国から来たんですね」
エマリスが興味深そうに言う。
それからは質問攻めのようにこちらからいろいろと質問。
といっても理解できたことは少なく、文化の違いによって生活の基本が違うのは当然のこと。ただしゃべる言語が同一である事と、食物の味付けに対する好みの一致はどこか運命的なものさえ感じた。
「そろそろ寝ましょう。詳しいことは明日、村長様から聞けばいいですから」
そう言いエマリスは立ち上がって食器を片付け始め、エリスもその行動に付随。
何もせずではさすがに悪いと思って立ち上がり「手伝いますよ」と声をかける。
「いいえ、いいですよ。お客さんなんですから」
向けられる笑顔に嫌味感はなく、言葉そのまま譜面どおりに扱って問題ないように思えた。上司の言葉とはまるで正反対だ。
「じ、じゃあお言葉に甘えて…」
言葉に従い、寝かされていた部屋に戻ろうと体を向ける。
「ええ、おやすみなさい」
透き通った声音はそれだけでも、安らぎをもたらしてくれた。
ベッドに潜りすぐに眠れないだろうと考えながらも、実際には気付くと瞬く間に寝入っており、自分が思っている以上に体は治癒を求めているようだった。
翌朝。
カーテン越しにも薄っすらと日光の光が差してベッドを微かに照らし、トントン、という穏やかなノック音で自分でも意外なほどすんなりと目が覚める。これほど目覚めが良いことは稀有なことだった。
体を起こして「はい」と返事するとぎこちなくゆっくりと扉は開いていき「起きてる?」と好奇心を寄り付かせたように体を前のめりにするエリスの姿。
「今、起きたところ」
ふぁーと欠伸をしながら返事をすると、「ごはんっ!」と一言。
それで下がって行き、扉は半開きのまま。起き上がると部屋を出て、昨日と同じ位置について朝食。メニューは目玉焼きのようなものやら、パンのようなもの。実際、味も見た目と変わらず想像通りの味。だた普通に美味しく、ここが異世界であることを忘れてしまいそうなほどであった。
「じゃあ行きましょう」
食事を終えて簡素に身支度を済ませるとテーブルの前で待ち合わせし、三人で家を出た。
ここでようやく、異世界における外の世界を眺める機会に恵まれ、しかし実際には驚きは少なく、それはおおよそ想像通りの世界が広がっていたから。辺りは青々とした若葉が颯爽と茂り、小道の部分は土の姿を覗かせ、あとは道の先に建屋が軒並みあって、イメージそのままと呼べる小さくのどかで人口の少ない村模様。まるで懐古的なRPGゲームに登場する村そのもののようであった。
「さあ、こっちです」
先頭にエマリスが立って案内し、しんがりにエリス。
「さあさあ早く!」と後ろから急き立てる。
そうして案内された先には一軒の家。
一見してその他の民家と変わらず、村長といえど裕福さを別段感じさせない。
レンガ小屋のような外壁で、玄関扉は上部が円を描くように湾曲しており、大きさとしてみても元の世界の人と基本的な身長が同じであることを思わせた。
トントン、とエマリスがノックする。
「村長様、居られますか?」
すると直ぐに扉は開き、猫の如く鋭い眼光が隙間から覗き、睨み付けてくる。
「誰じゃ、その男は?」
「あの、怪しい人じゃないんです!旅のお方で…」
「なに?旅の?」
眉を動かし表情が和らぐと、威勢を懐柔したように扉を広く開いて姿を見せ、対峙するように向き合うとこちらの顔をじっと凝視してくる。「うーむ」と小さくうなった後、「まあ、とりあえず入りなさい」
玄関の先はひらけており、中央にはテーブルと椅子。他にこれと言ってめぼしいものはなく、質素な生活を思わせ本棚や箪笥の様な物がある程度。
「そこに座りなさい」
促がされてテーブル席に三人並んで座り、ぼくと対面するように真ん中の向かい側に村長は座る。
面と向かって改めて顔を見ると、禿げ上がった頭に白髪が後頭部にしがみつく様に生えており、目は力んでいるのか皺に伴い細めており、特徴的な鷲鼻は威厳を持たせて白ひげ蓄えた口はへの字を描く。
どう見たって友好的ではないような表情に気圧されそうになっていると、次には目じりを緩やかに。
口元が緩み、「さぞお疲れのようですな」と労いの言葉は突出的で面食らい、威嚇を思わせぬ穏やかさ。
「どうぞ」
次には奥さんらしき女性が奥から不意にやってくると、それぞれの前に湯飲み型のコップを置く。
中には緑茶色の液体が入っており、口に含むと味もほぼ同様にお茶。ただ少し渋めに感じた。
「それで…」
村長も一口、ズズッと茶らしき物をすすり終えるとコップをテーブルに置き、切り出してくる。
「あなたはいったい何処からこの村へ?」
「それは…」
別の世界です!といって通じるとは思えず口篭ると「ニホンだよ!」と横からエリスの割り込む活発な声。
「ニホン?」
村長は思慮深く首をかしげ腕を組んで熟考する姿勢を見せ、暫し口を開かず。
「…聞いたことがない」
幾分もの間を空けた後、呟いた。
「村長様も、ご存じないのですか?」
エマリスが訊ね、村長は慎重に頷く。
「ああ。聞いたことがない。旅の方、それはいったい何処にある国なのですかな?」
「それは…」どう言えば伝わるのか?
思わず閉口してしまい、説明の仕方が分からない。
「…まあ良いでしょう。それより、この村にはどのぐらい滞在する予定で?」
「それもまだ…」
返事に窮していると「体を休めるために暫くです。ね?」
と横からエマリスが助け舟を。心の中で感謝しつつ頷く。
村長は態度を変えず、かといって別段、悪意のある風には見せず「そうですか」と眉一つ動かすに言う。
「だがそれでは…」
今度は村長が何か言い難いことを口出そうとするように若干視線をそらせ、横目の先、壁のところにはカレンダーらしき紙の張り物が。
「なにかあるんですか?」
紙には文字が並んで書かれており、その文字の下には微かな空欄が。そこにはどうやら予定を書くようであり、赤丸で括ってある文字の下には、何かこまごまと細かい文字が綴られていた。
「旅の方」
呼ばれて向き直し、村長と目が合うと、今度は最初の時のような鋭い眼光。畏怖する心地で「はい!?」と返事をすれば「悪いことは言わない。今日明日にでも村を出たほうが良い」
打って変わっての雰囲気に戸惑いながら、訊かずには居られない。
「…どうしてですか?」
「悪魔が来るんじゃよ」
「悪魔!?」
混乱の最中に「そうなんです…」と気落ちした声は隣から。エマリスはふさぎがちに視線をテーブルへ落としながら言い、「悪魔!悪魔!」とエリスははしゃぐように言う。
「この村には月に一度、悪魔が来るんだ」
村長は茶をじっと眺めながら重々しく口を開く。
「月に一度、生娘をさらいに」
「さらいに!?」
「それがこの村と悪魔の契約。仕方がないことなんです…」
エマリスが力なく続け、それでぼくは二人を交互に見て訊ねる。
「その、悪魔っていうのは、どういったやつなんですか?」
「…身体は男二人分の背丈で、数十頭の馬をも凌ぐ力を持っているように止めようがなく強暴、まるでこちらの言い分を聞かず、生贄を直ぐにでも差し出さねば大暴れだ。‥これまでに村の若者が何人、犠牲になったか分からん」
機械的に刻々と語る村長の手は、憤りで震えていた。
「でも生贄って…」
ただ聞いた言葉のうちの気になった箇所を口に出してしまうと、ハッとした様に村長は目配せするように、または無意識のように視線を泳がせ、その先を追ってしまう。
するとそこにはエマリスの顔があって、彼女は二人の視線に強張った笑顔で答える。
「まさか…」
ぼくはそこで驚愕して口を滑らせ、けれどエマリスはそんなぼくに気づいて顔を小さく横に振って、それから茶を飲んでいるエリスのほうを微かに盗み見た。
全てを悟ったぼくは体が震え、自分にも強張った笑みを強要しようとするが、意思に反して上手く作れない。
「ぼくが、なんとします!」
だから、だろうか。
口さえも意思に逆らうように、勢いに任せてつい、こんな言葉を気づけば声に出していた。