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「お先、失礼します」
「おう」
そんな無粋なやり取りで職場を出て貸しビル三階からエレベーターで一階、地上へ。下り立ち外へ出ると暗闇に淀んだ空気はまるで禁煙を雲が拒むようであり、そうした邪険な空気にこんばんわ。そこでようやく一日の仕事は終わりを告げ、何とか今日ここまで仕上げてしまおうと決意したところまでは仕事を済ませたものの、生憎それはあくまで今日の分。
つまり明日には明日分の仕事がちゃんと待っており、明日の仕事に対する下準備すら行う暇も余裕もなかった。
腕時計に目を向ければ21時前。
はあ、と漏らすため息は毎夜のことで、心を殺しに忍び寄る黒い影ならぬ白い息。
ウェブデザイン業としてはまだ若輩者で経験も浅い自分がこうした環境に文句など言えるはずもなく、弱音など吐こうものなら「大丈夫か?」という上司の心優しい言葉と裏腹に、その言葉に潜む「お前の変わりはいくらでもいる」
と言う意味が表情に見え隠れする。
「も、もちろん大丈夫です。任せてください!」
それのみしか返事は許されず、ここでは言葉が意味を成さない。
まるで、御面をかぶった獅子舞のように。
好きでこの業界に入ったのだから仕方がない。
「夢を掴んだ」と言えば聞こえはいいが、果たしてこれが望んだ世界なのだろうか?
この数ヶ月で体重はいくらか減り、それは体重計に乗らずともベルトの緩みと新しいスーツの必要性によって把握した。
ただ、疲れ切っては食物も多くは喉を通らず。
食べ過ぎればすぐに気持ちが悪い。
寝つきが悪くなるのは最悪だ。
ここ何日もまともに眠っていない気がしていた。
むしろ、眠っているのかそれともこれが現実なのかそれとも実際にはこれは夢の中か?
幻想的なコウケイは町の光と車のライトによる蛍光でありそれは確かに現実で飲み屋横丁を素通れば閑々とした声を聞いたような気になり、騒ぎ立てる親父どもの喚きを上の空。
正直、限界だったのかもしれない。
「ばか野郎!気をつけろ!」
ハッとし、気づくと目がくらみ、目の前にはハイビームの光に目がくらむ自分。
薄っすら目が慣れていくと、すぐさまクラクションの音が劈くように耳へ届き、目の前には寸で止まるタクシー。窓から顔を覗かせる男は上司よりも見るからに年上で、団塊の世代と言って過言でないよう風体であり眉間に深い皺。第二の職業としてタクシー業を選んだように、その微かに窓から覗かせる黒の上着は皺ひとつなく、高年者の若輩者といった妙な印象を抱かせる。
「す、すいません!」
そういってぼくは、すぐにその場から退き歩道のほうへ飛びのいた。
「まったく…死にてえのか!」
運転手はそう吐き捨て眩いスピードで走り去り、ぽつんと残されたぼくはふと足元を見る。
開眼に映る膝は微かに震えていた。
「死にたい…か」
気づけば無意識に呟いていた。
今にも消え失せ、凍え死にそうな声で。
「あっ」
ぼくは今しがた自分が居た道路を横目でチラリと見た。
そこには、子供が飛び出して来ていた。
同時に、視界の片隅、道路の前方には車。
トラック。
随分と重そうだ。荷台に巨大な荷物をびっこに引かせ、重量級。
スピードは緩めない。
子供は小学生低学年といったところ。
気づいていないのか?
ぼくの心臓が大きく波打った。
動け!
足を踏み込み、飛び込むように道路のほうへ。
思い切り飛び、子供を弾き出そうと腕を伸ばす。
まるでバレー選手がボールを拾おうとダイブするように、
ぼくは飛んだ。
腕の力で子供を出来るだけ道路の中心から外へ。
弾き飛ばした。
子どもはびっくりしたように目を見開きすぐにぎゅうと目を瞑って腕の力に逆らえず、
道路の端に飛んだ。
ぼくはその場に倒れて、ひじを道路につけ、子供の無事を確認。
それから顔を上げればライトの光が近づき…。
ここから俊敏に逃げる体力など、毛頭残っていなかった。




