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地球の墓標、宇宙の海  作者: 冬野夏
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元同僚を酒の席に誘ったのは私の方からだった。

彼は私が来る時には既に一杯のグラスを空にし、カウンター席の端に陣取り私が横に座ると二つ、酒を注文した。乾杯もせず私たちは啜るように前に置かれた酒を一口流し込む。

「それで?」

同僚は既に酔いが浸透しているように顔はほのかに赤く、なで肩を強調するようにこちらに向いた両肩は傾斜を描く。私は溜息を隠すように言葉を吐いた。

「愚痴のようなものだよ」

「ほう」

同僚はすぐさま空いた左手を自身の顎へと当てがい、私の方をじっと見据えてくる。

「君がそんなことを口にするとは珍しいね」

その指摘に私は忌憚なく笑う。自身に萌芽した鬱積は”立体文学”に対する不平不満であるのだという自覚はあった。だがそれに対しての批判こそ、すなわち”立体文学”としての機能への理不尽さを示す手がかりであると同時に一定の矛盾性を醸していた。


立体文学とは、従来の文章構造とは違い、絶対的理解の”可能”性を可能とした。

つまり文章ひとつから読み取られる意味は統合され、齟齬の起こらない表象される思想こそ、平易に懸念すれば「イデオロギー」的性質が浸透し「洗脳」効果が跋扈し蔓延る危険性を思わせる。

だが、こうした意見が表出する限りにおいて、それは「立体文学を(・・・・・)真に理解して(・・・・・・)いない(・・・)」と断言できるのだ。

何故なら、文章における意味内容としてそれに含まれる二次的思想、それが好意的であろうと否定的であろうと、そこで二次的な思想が生まれるのであれば、それは意味内容が(・・・・・)ひとつに収斂(・・・・・・)していない(・・・・・)からである。

強制力はそれ自体を感じさせない。

感じさせないからこそ成り立っているのであり、理解の齟齬を失くすシステムは精神を牢獄に追い込み盲目とする。

人類の進化としてかの時代の人間が夢見た光景が「世界平和」であるのだとすれば、なるほど現代人はまさに理想の人類。戦争をなくし、進化した人間像と呼べるのかもしれない。

だがそれは一過性のものであり便宜的かつ欺瞞の悪臭が私の鼻には蝿のように群がりこびり付こうとする。

集合的、統合的理解における思想の纏まりは、人間同士の争いを収束させはした。

しかし各々の思想発展を妨げる仕様は同時に、可能性としての多面性を狭め剥ぎ取り、一方性に整わせる体系こそ進化の系譜から外れる行為に思われた。


進化における多様性の重要さについて。

本来、それが同僚と共有しようと私が考えていた話題である。



「専門化が自身の専門を批判するとはね」

同僚は表情を変えずにいい、しかしその言いようにはユーモアの陰りを思わせた。

「今更になって、立体文学が思想強制的とでも言うのかい?」

私はグラスを傾けながら頷いた。

「文字を読む。そこに生まれる多様性、読むことで生じる情動、意識、思考は他方ある。いや、あった。だが今は―」

同僚は残った酒を一気に飲み干すとグラスを荒々しく置き私の言葉を遮り「ユートピア的だな」と。

「ユートピア?」

思いがけない言葉に反応を呈すると同僚は表情を変えず、口角を上げた。

「ああそうさ」

「それはディストピア的、とするべきではないのか?」

「いいや違う」

同僚は私のほうへ窄めた目を向けると、すぐに逸らして次には空になったグラスに視線を注いだ。

「ディストピアというものは単体では存在し得ない。だがそれはユートピアと表裏一体、という意味でもない。ディストピアとは、ユートピアに含まれているからだ。それは”ユートピアの一部がディストピア”ではなく、ユートピアの皮膚をかぶったものこそディストピアだからだ」

「気付かれる洗脳は洗脳じゃない、というのと同じだとでも?」

私の返しに「ははっ」と同僚は乾いた笑声を漏らす。

ディストピア(・・・・・・)とは(・・)ユートピアの(・・・・・・)内臓なのさ(・・・・・)。だからこそ俺たちは、ユートピアのはらわたを切り裂くことでようやく、ディストピアそれ自体と対面できるってわけだ」

私は彼の比喩に完全には同意しきれなかったが、しかし、それでも何処か共感めいた、その表現に惹かれる思いを感じていた。

「だからこそ単体でディストピアは存在しない。仮に、単独でディストピアが姿を見せたとしても―」

同僚は言葉を区切り、グラスを手に飲もうとする。グラスは空で、重力を反転させようとも彼の口に液体は落ちてこなかった。私は彼が十分に酔っているように思えた。グラスを戻すと彼はゆっくり口を開く。

「そいつは死んでる。露となった臓物が転がりそれが示すのは、ただの死骸だ」


だが私はこの時に至っても尚、どうして同僚が急にこのような話題を持ち出したのか?

理解に乏しく、それこそ理解していなかった。

「つまりだ、」

彼は、私の思惟を見透かしたように言葉を続けてきた。

「きみは、そうして自分の抱く反立体文学的思想、それをどうして手に入れた」

ふと彼の言葉に私の思考は急停止を行い、はたとして自らを省みればハッとした。

だが言葉として放出する前に同僚は先手を打ち、「その思考もまたツールの産物だとしたら?」と冗長な笑みを浮かべると私は残りのグラスに残る液体を一気に飲み干した。

「……立体文学が存在する以前の世界、それを想像することは可能だと思うかい?」

私の問いに彼は首をひねり「どうかな」と答える。

「だが、昔も今とそう変わらんさ」

「何故そう思う?」

「知っているか?昔の時分は”恋は盲目”なんて言葉があるそうだ。だが俺に言わせればそれは違う。言ってしまえば、人類はいつの時代だって恋に限らず盲目なのさ」

「何故だ」

私は憤りを隠しながら訊ねる。彼は表情を変えない。

「誰だって自らのみでは自分のつむじを見れはしない。それこそ、見た気で居ることは可能かもしれんがな」

私は彼の歪曲した表現に対し一種の同情さえ媚びるように感じ取ると、識字がもたらす人類の繁栄に目を曇らせた。

「あまり深刻に考えるのは止せ」

別れ際、彼が私に言い放ったこの一言は暗喩的だった。

しかしそれでも尚、私は人間それ自体の可能性を信じ、信用していた。

思考を用いる媒体に言語が関与しようとも、光が辿る進路が決して一つではない可能性を探るように、両面的な揺らぎと同時性を信じようとした。

類比的希望的観測はしかし、絶望も与える。

変容の元を探るのは、暗喩的にも自身の臓物を眺めることであったのだから。




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