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地球の墓標、宇宙の海  作者: 冬野夏
episode D
104/111

98

その日、僕は授業を取っており朝一番の時間なのだから朝食も未遂に家を飛び出ると、教室へと急いだ。途中で偶然にも出会った彼女はあまりのタイミングの良さに「待ち伏せでもしていたのかい?」と問う。彼女は「まさか!」と言うように目をぱちくりとして素早く瞬きを繰り返し「馬鹿なこと行ってないで急がないと遅刻するよ!」そう言って小走りする僕の二歩半先を小走り行く。


「あっ、そういえば今朝のニュース見た?」

学校を間近に、足の速度を緩めると僕らは並んで歩き、彼女は唐突に訊いてくる。

「いや、時間なかったから」

「そう」

「なんか変わったニュースでも」

「いいえ別に。いつもどおり退屈よ。窮屈なくらいにね」

「まあいいんじゃない」

適当なやり取りの最中、ランドマークとして機能する時計台の鐘の音が”ゴーン、ゴーン”と響き渡る。

「やばっ!遅刻する!」

「だね」

僕らは残りわずかの距離を今度、全力で駆け抜けた。



ちょうど授業は始まったばかりのようで、注目を浴びる羽目になった僕らへの視線は、いつもほどは鋭利な尖りを感じさせなかった。早く席に着きなさい、と教壇に居る先生が顎をくいっと上げ指図する。

僕らは定席に着き、先生は授業のリズムを正すようにこほん、と分かり易い咳を示した後に喋り始める。

「えー、きみ、違うよ!今は歴史の授業だ」

入力端末の違いから僕が社会学を入れたのだと見つかり、他の視点が集まって僕は赤面する。ふふふ、と周りからの嘲笑を耳に入れながら僕は手早く端末を取り替えた。

「よろしい。では続きだ。えー、今ではもちろん、”1+1”が”2”ではない。無論、理解しているだろうね?」

何人かの生徒が頷いた。

「よろしい。だが正確に言えば、それば場合による。ケースによると言うことだ。だが前時代としては、なぜ”1+1=2”を確固たるものであると思い込んでいたのか。分かる者は?」

おおよそ全員が反応をする。おおよそであるのは、僕はレスポンスに参加しなかったからに過ぎない。

「エネルギー保存の法則です」

そのうちの一人が口走る。

先生は全体を見渡しながら頷いた。

「そのとおりだ。いいかね?そもそもどうして”1+1”を”2”と仮定し、旧人類は思い込んでいたのか。それは現象学的とも呼べる、普遍的であると倒錯していた物理効果によるものに他ならない」

先生は立体映像としてりんごを二つ、目の前に表示する。

「ここにりんごがふたつある。だが固体として観察をすれば、ひとつとひとつ。そしてこれが、合わさるとふたつ。ではどうしてふたつであると認識をするか?つまりそれは、りんごとしてのエネルギー体が、もちろん変換可能としての意味を含めてだが、ともかくそのりんごがひとつとしてもうひとつを加えた場合、それが示すのは”ふたつのエネルギー(・・・・・・・・・)体がある(・・・・)”ということだ。ここでもしも、”1+1”、りんごひとつとりんごひとつを足した上で”1”、つまり”1+1=1”としてしまうことはりんごひとつの(・・・・・・・)エネルギーが(・・・・・)消えてしまう(・・・・・・)ことになるのだ」

「だから昔の人は1+1を2と考えたわけですね」

生徒一人が口を挟み、その発言内容に周りから失笑が漏れる。だがその矛先は彼の発言にではなく、前人類に対しての愚かさであることを、傲慢なこいつらのことを僕は嫌々にもよく知っていた。

「そのとおりだが、だからといって先人を笑うことはない。確かに1+1を2と捉えることに、エネルギー保存の法則としての窮屈な視点から眺めれば正しい。尤も、そう思い込んでいたに過ぎないのだが。そして彼らは土台を強固に構え過ぎていた。よって、その前提の違いを実際に認めるまでには思いのほか時間を要したのだ。そして……」

先生は口に手を当て、くふふふ、とした笑声を幾許か漏らした。

「失礼。だが量子力学としての存在を提言しておきながら尚、その土台を壊さず丁寧に扱っていたことには、私も疑問を挟みたくなる。皆は分かっていると思うが、ミクロの世界では彼らが”古典物理”と読んだものはその法則性を破られることを理解していた。そこでは彼らも気付いていたのだよ。1+1=2がならない状態というものを。だが人間としての感覚野が彼らに未だ強固にへばりついていた時代なのだ。無理もないと言えば無理もない。それが精一杯の擁護だ」

先生は教壇に手を置き、ふう、と嘆息を漏らす。それからネクタイを真っ直ぐに直す。まるでこれから追悼の意を表すように。

「”1+1”が”2”ではないことは対称性が成立しないことになる」

「先生!どうして昔の人は対称性が成立しないことを、それほどおかしい事と思ったんでしょうか?」

クスクスとした笑い声はクラス中に充満しつつある。それらは伝播し先生もまた笑いそうになって口元を緩ませかけた。

「妄信的な状態を歴史としての事実として語ることはできる。だが実際、何故そうであったのか?それは私にも理解は困難だと言わざるを得ない。それこそ感覚的にな」

先生の最後の言葉にクラス中がどっと笑う中、僕は一人取り残された心地で口をへの字に保ち続けた。

「対称性の法則が存在しないんじゃない。対称的とするエネルギーの転換が、観測されていないだけじゃないのか。そしておそらくその観測されていないエネルギーは……」

小声で僕がつぶやくと、横の奴がぷっと吹き出し笑った。

「何処の宇宙の話だよそれ?」

「静かに!」

先生の声が教室内に響き渡る。しんとして静まり返ると取り持ち直すようにこほん、と咳をひとつ。

「まとめるにはいい時間だろう。彼らにおける一番の過ちとは、”1+1=2”ではない状態を実際に把握しつつあった時分においても尚、”エネルギー保存の法則”を土台とした計算方法を活用し続けたことだ。つまり、”1+1=2”ではない状態に対して”1+1=2”を基準とした計算を用いていたのだから、数式が回りくどくエレガントに成りえないのは当然であって必然と言える。以上だ。時間ちょうどだな」

生徒が立ち上がり始め、「エレガントって何ですか?」との声が一方から上がる。僕はそのやり取りの顛末を見届ける間もなく教室を出た。歩いて数歩。30秒近く。近づく足音。彼女が走って僕に追いつき、横に並ぶと声をかけてきた。

「ねえさっきはどうして笑ってなかったの?」

それに対し、彼女のほうも見ずに答えた。

「僕は天邪鬼なんだよ」



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