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地球の墓標、宇宙の海  作者: 冬野夏
episode C
101/111

96



店を出ると彼女が身を寄せてきて「ねえ、良いことしない?」と言いながら片腕に絡み付いてきた。

「なにいってるんだ!」

そう言って身を翻すようにして、彼女の豊潤な胸を触った。

「あら」

彼女は小さく微笑んだ。

「良いことする気になった?」

「良いことって何のこと?」

聞き返すと彼女はぶすっとした表情を醸し、「わかっているんでしょ」

「わからないよ」

憤慨して答えると相手はうろたえたようにたじろぎ、その情緒を「えっ?」とした表情に宿したように,頬紅のような微笑を浮かべる。


「もし共有の”良いこと”があるのだとすれば、そこでは”良いこと”ではなくて、その事象をそのまま言えばいい」

「仮に」

人差し指を立てる。

「”りんご”のことを話すというならそこでは””赤い”や”丸い”とは言わず、”りんご”とそのまま言うはずだ。なぜなら”りんご”をあらわすのに、絶対的な”りんご”としての事象があるからこそ、そこでは”りんご”と言う。違うかい?」

「でもだってそれは」

「つまり言いたいのは、さっき”良いこと”と言ったけれど、もし共通概念としての”良いこと”があるなら、その事象のみを示す”良いこと”を直接言うはずだ。けれどそれをしない。つまり、その行為事態が、”良いこと”の曖昧さ主張し、同時に証明しているのさ」

「じゃあ私の”良いこと”とあなたが思う”良いこと”が違うって言いたいの?」

満足げに頷く。

「そういうこと。だからそこで”良いこと”の共通理解を求められたところで、その行為自体において”良いこと”の不確実性を主張しているんだから、ダブルバインドだよ。失調症にでもしたいていうなら、話は別だけど」

「あら、それもまた面白そうね」

「とんでもない!!」

「でも確かに、自分で問いかけるという行為をした時点においてそれは曖昧さを呈していたかも。じゃあ、”良いこと”の例でも挙げればよかった」

「なんだって!?」

自分の体は恐ろしく思えて慄き震えた。

「それこそトートロジーじゃないか!まるで”良い事とは何か”と問われて”良いこと”と答えるようなもの!ああ、またその曖昧さが”良い事”の曖昧さを主張しているというのに」

「さっきのことだけどね」

こちらが頭を抱え込んでいることなどお構いなしに横で彼女は言葉を続け、

「”りんご”ってことを指す言葉があっても、”りんご”を使わない状況もあるのよ実際」

「え?」

「じゃあ言い直すわ、私が言いたかったのはそのつまり、今日だけでも”夫婦のふりをしてみない?”ってことよ」

「ああ、なんだそういうことか」

そこで頷き、彼女は微笑んだ。

そのあと懐から鋭利な小形ナイフを取り出すと、彼女の服を切り裂き、乳房のひとつを外気にさらすと、そのあとで逆側の胸元に突き刺し、えぐるように深く押し込んだ。

「え」

彼女はそう言って表情を変え、けれどこちらは別段、表情を変えない。

そのあと中身を取り出すように包丁をさらに奥へと進ませ、彼女はそこでようやくこう言った。

「ちょっと、そっちなの?」

「ああ、ごめん逆か」

そんなやり取りをしていると「ははは」とした声が聞こえて振り返ると、そこにはパン屋の軒先で代替タバコを吹かしている職人さん。

「初々しいなお二人さん」

「それはどうも」

こちらはぺこりと頭を下げた。

「休憩ですか?」

「ああ」

「でも、それを吸うなんて珍しい」

「ちょいと苛苛してね」

「ほう」

「だって考えても見ろ、こちとら、パンと理屈を捏ねて作ってのに、奴さんときたら、パンだけしか味あわねえんだからよお」

「なるほど」

「ですね」

並んでいるこれらは慇懃に頷き、「じゃあ次からは気をつけます」

「そうしてくれると助かる」



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