未踏 11号 「共感の探究」
「共感の探究」
今、私はこの一年間考え続けてきたことを、書くことで深めてみようとしている。それは一つの結論や、作品世界を提出する試みではなく、過ぎ去った体験を、体験した私において考えてみるという形において。いづれ書くだろう小説の可能性と説明において、書き表せなかったことにおいて意味を持つ、私のテーマにおいて。
Sさんとの共感、Sさんについての私の発見を縦軸にして、共感の論理を横軸にして、オースターの「孤独の発明」のように。
「共感の探究」
今、私はこの一年間考え続けてきたことを、書くことで深めてみようとしている。それは一つの結論や、作品世界を提出する試みではなく、過ぎ去った体験を、体験した私において考えてみるという形において。いづれ書くだろう小説の可能性と説明において、書き表せなかったことにおいて意味を持つ、私のテーマにおいて。
Sさんとの共感、Sさんについての私の発見を縦軸にして、共感の論理を横軸にして、オースターの「孤独の発明」のように。
○ 私を見舞うSさん。
○ Sさんのエピソード、妾の子、労働運動、投獄、離婚、再婚、自殺未遂、出家、
○ 突然の電話、「癌だと」、奥さんより。
○ 手術しないというSさんに、告知する私。
○ 一年か、半年か、どのようにSさんと共感できるか?
○ 手術後の見舞い、「希望は?」「食べれるようになること、歩けるようになること」
○ 最後の見舞い、花、音楽、作品の朗読。
○ 死にゆく人に寄せる特別な共感。死にゆく人が持つ存在への共感。
○ Sさんの発病、Sさんの死が通奏低音のように流れていた。
○ 家族、友人への態度の変化。
○ 笠間、益子、柿田川行き。
○ 神の立場で、私対世界の覚悟で、私の特殊性にはしないで。
○ 今やらなければならないことをやること。嘗て私が転移の可能性を考えていた時の気持で、一日を書かねばならない課題において成すこと。私の共感、私の実存において
○ 何トンもの土掘りの末、米粒ほどのダイヤを取り出すような小説の書き方にはしないで、どの石にもダイヤとおなじ価値を見る私において、形式、文体、構成等、推敲の末、一つの統一世界が描けたとしても、私の実存においては同じこと。ダイヤ掘り人夫にはなりたくない。
Tさん、Kさん、O君、それにSさんの友人が二人、弟さん夫婦、先妻のEさん、養女のYさん、そしてSさんを看取った奥さんと合計十人、私を入れて十一人、いや養女のYさんが子供を連れてきていて十二人。なんだ、こんなに参列していたのだった。通夜も、告別式もない、淋しいSさんの葬式だったと思っていたが。霙まじりの三月の空、半年の闘病生活を経てSさんは逝った。
葬祭場の待合室に私が少し遅れて着いた時、人は誰も居なかった。広場を取り巻いてコの字型に配置された建物の入口には、二、三他の葬儀の立て看板が掲げられていたが、Sさんのが見あたらなかった。案内所もなく、やっと探しあてたSさんの名が書かれた待合室に人影がない。もう終わってしまったのか?。いや火葬がそんなに早く終わるわけがない。では時間を間違えたのか、心配になり、ロビーと書かれた方へ人を探しに行った。
Y子さん、Eさんが居た。Y子さんとは十年振りぐらい。
「皆は?」「奥さんは遅れるって」「あとは誰か来るんでしょうか?」「私が連絡した友人が三人ほど」
広いロビーに三人、Tさん、Kさん、O君、来て欲しい。
人はどのようにして理解し合うのだろうか?
どのような理解を人は求めているのだろうか?
何故人は理解を求めるのだろうか?
実存において、理解し合うということが何か役に立つのだろうか?
芸術、科学、人の生存全てが、理解を目標に成立してはいる。が、実存の感覚に理解は無い、私対世界の前に門を閉ざされている。書きながら考えること、考えながら書くこと、その中での構成を。そうした時間こそ、そうした実感こそ欲していたのだから。私の創作の衝動、欲求とは、何よりこの人の意味であるところの、理解への願望に外ならないのだったから。人にとって、それがたとえ殺人、自殺であっても、それは理解と、共感を求めてのことと思えるから。芸術論、文学論、人生論。いや哲学の根本問題、本質を探ることとなる。人類史の意味、人の実存を本質に於いてとらえる作業になる。
ただ単純に、存在している時が、うれしい、楽しい、時に哀しいが、そして、残る感情は、ただ不思議ということ、どうしてと?、この私の意識、物質の、空間の存在が、在るから在るのだが、何故?、どうして?、と言った少年時代の大いなる疑問があるだけ。あらゆる存在が、理解を前提にして作られているのか?。不可知なるものなのか?最後は理想の姿を、しかしそれは私の日常、現実の生活のと結び付きにおいて捉えていかなければ。
人が人を理解する、人と人が共感するとは、どのような状態を差すのか?。またどのような状況、過程を通してそれらは達成されるのか?。私の体験を探り、また想像を巡らし、考え深めてみること。人間のあらゆる営みが、どのようなポーズをとったにしても、この理解、共感を目指しているに違いないことを確信して。
○理解の定義 ○理解のプロセス ○理解の不条理 ○残る存在の不思議
理解に対するエピソード
○ 小田小で見た子供の謝る姿。「ごめんね」「ごめんね」と、相手が後ろを向けばまたその前に回り込み、うつむき、泣き続ける相手に「ごめんね」「ごめんね」と何度も言い続けていた子供の情景。単純な「ごめんね」「ごめんね」の繰り返しだったが、何十回目かに相手は許していた。
○ 義父の涙のこと。流れ流れて義父の故郷である佐賀まで行った時、全ての義父の嘘はバレ、義父が涙を流して夜の田んぼへ出て行った時、私も後を追い掛けて行き、手を取り「ごめんな」の言葉に、私は義父を許していた。
私はどれ位、人と理解し合いたいと思っているのだろうか?。私は本当に人と理解し合いたいと思っているのだろうか?。文学において、様々な理解のプロセスが有り、形が有り、しかし、それらは、はたして私においての真の理解なのだろうか?。いったい真の理解とはどのようなものなのか?。先ず、そこから始めなければならない。生きて、生活している私自身の理解の形。もし一人の理解で充分とするなら、その一人に向かっての探究をこそしなければならない。家族、知人、友人との理解、共感を求めるのだったら、まずそこから始めなければならない。
宇宙を知らなければならない。私が今ここに存在している理由は?。真に存在しているということは?。私がこの生命の何十億年の最先端において登場し、存在している意味とは?。この意味はどうしても知りたいことであり、味わいたいことであった。人間の社会的、歴史的存在意義の中の存在意味ではなく、それらをも包合した所の、存在の姿を知りたいのだった。そうした私を捉えて初めて人と生命との共感が理解出来る。この目の前の木が、歩いている人が、そうした存在だという、この理解、この感覚がなくして何の理解が?。
「その日、ふと宇宙の大きさをイメージしてみた、地球と太陽の距離を物差しにして、銀河系の大きさ、ケンタウルスまでの距離、ビッグバンの五十億光年の距離を測って。地球と太陽の距離、一億四千九百六十万キロ。太陽とケンタウルスの距離、九兆五千万キロ。宇宙の地平線、一千五百兆キロ。百五十億光年。(一光年は九兆五千億キロ)15000000000×9050000000000キロ=135750000000000000000000000メーター。即ち五十億光年とは、約13の28乗センチの距離。電子の大きさが約10の-18乗センチだから、太陽までの距離14960000000000センチ即ち、10の12乗センチだから、私を電子の大きさとイメージすれば、私から太陽までの距離ということになる。エッツ、宇宙とはこんなもの?。宇宙がこんな小さいはずはない、私がイメージできる程の大きさだなんて。」
四年前、私が手術してから、ちょくちょく見舞いに来てくれていたSさんだった。七半のバイクに乗って、七十七才とは思えない若さで。それが、亡くなる半年前の夏。
「痩せたんじゃない?」と頬の落ちた顔に驚いて私が言うと「夏痩せするんだ」と気に留める風もなかった。それから、一ケ月もしないでの入院。胃癌だと奥さんの電話。「本人には伝えていないが、知っているようで」「バイク仲間で手術した奴は半年もしないで死んでしまったからと、手術をしようとしないの」「手術をすれば幾らかでも延ばせるからと医者は言っているので」私に説得を頼む奥さん。
「癌なんだよ、手遅れなんだよ、どうしたのよ、どうしてこんなになるまで」「予感してたんでしょう、覚悟してたんでしょう、それで、よく私を見舞いに来たのでしょう」「三十三も違う私をやまちゃん、やまちゃんと呼んで」「全て理解していて、私の生半可な考えをうなづき聞いていたんでしょう」長居をするということはなく、一時間もすればさっそうとバイクの音を残し帰って行ったSさん。
私はSさんに何の理解を求めていたのだろうか?。またSさんは私に何を、どれ程の理解を求めていたのだろうか?。文学、政治、哲学、文学仲間で、私が病後だったから?訳の解らない不満、欝憤、怒り、私はなかなか見舞いに行けなかった。
創作過程が、創作そのものであっていいのだと確信出来た。何故なら、私においての創作とは、現に存在している何かを、言葉に置き換えたい訳ではないのだったから、私がしたいこととは、この一年間をどのように存在し、何を明らかにし、何を得たかを確認することだったから。すなわち、思考、創作過程そのものがこの一年間の私の存在であるのだったから。私自身を作品に於いて存在させること。何より私自身、生きるように書き、書くように生きることを願い、また譬えそれが書けなくとも、ただ、存在している私自身が喜こびと知ったのだったから。この一年、様々な出来事、出会いを体験していくだろう。共感のテーマを考え続けること。考えながら体験していくこと。読んでいく本、絵、音楽、手紙、人、街、仕事、生きた私自身を存在させていくこと。私自身の生きた時間をこそ、存在感をもった私自身の時間こそが、私の創作であるのだったから。
私自身を勇気づけるものを、私自身を感動させられるものを、もう一人の私から、私を見る書き方、客観化した私ではなく、進行形の私自身を私において捉える方法。四十四年間、多くのことを体験した、多くの本を読んだ、多くのことを考えた。そして、今選んで生きて在る。あらゆることが決断が出来る、答えが出せる。そこで私は何を書き、何を成すか?。文学に、哲学に、芸術、宗教に。何を言い、何を付け加えようと言うのか?。何もないとは思えるのだった。生きるとは、あの朝の目覚めであるし、死とは、あの夜の眠りであるだけ。伝えられた文化、生き物たちの存在。喜び、永遠、真実を見る。
ある名作がある。私はそれを読む、そして多くの人と同じような感動と印象を得たとする。が、それらは長続きしない、私のものにはならない、刻印されない、真に捉えることが出来ない。作者にエッセンスだけを提供され、ほんの触りを恵んでもらった気がするだけ、作者がそれを書くまでの、体験、苦悩、格闘、喜び、それらは消されていて、過程が何も感じられず、作者との共感が隔てられて、ただ作者が提供した世界とだけ共感しろと。そこには、生涯のうちには変更、疑問、惑い、様々あるはずなのに、それらは形式のうちに殺され、作者は何も語ってこない。私は過程をこそ、探り、書きたい。書かれたものではなく、書かれていくものを。
何かを実感する、例えばある考え、ある事柄を、その為に考えを巡らし、集中し、心を透明にして見つめ続ける。実感するまで考え続ける。たとえそれが作品として成立しなくとも、私は私に於いて実感していくのだから、私の脳において完成していくのだからと。なにより、そのプロセスは私に於いて実在感があり、大切な時間であったと、存在を感じられ、感じたいテーマにおいて、例えば神を感じたい、宇宙の大きさを感じたいとするなら、それらを毎日考え続け、イメージし続け、その過程を記録する。私が感じることと同時進行の作品を、私の感情体験において成立していく文学を。言葉への定着は追憶、確認的であってもいいのだった。
一ケ月後に死ぬ病人と、二十年後に死ぬ健康人とどれほどの違いがあるのか。生きているとは、死ぬことを意識しないこと。朝起きて目をあけて、物達が、空間が見える。人の声、鳥の声、あらゆる物の音が聞こえている。手を伸ばせば物に触れる、頭は思い出に、夢に、希望に、あらゆるものを考え、感じ、これらの総体が時々刻々に意識され、それらを処理し、記憶し、悲しみ、喜んでいく。生きているとは、これらに溢れ、埋もれているということ。死すらも、今日の眠りのように忘れ。
自殺願望者との共感、殺人者との共感、病人との共感、イエスとの共感、カフカとの共感。私は一体、誰とどのようなどのような共感を求めているのだろうか?。あの初恋のような、あの母の愛のような、あの子供の無邪気さのような、あの春の陽の鳥のような。あと87600時間、どう存在していくか。フィリップ・ソレル「公園」参照。
手術後、ほとんど出掛けることのなかった私だったが、Sさんの危機。私なんかと違って手遅れ。襲う憂欝。どうしてこんなことに、私の先例があったのに、ついこの間まで、ノストラダムスの予言や、宇宙論を、少年のように話していたのに。どうしてやったら、何をしてやったら。生きた年は関係なく、どのように生きたかも関係なく、ただ虚しい。気をまぎらわすために買ったビデオカメラ、撮っておかなくては、私はSさんを忘れない、ここに焼き付けておく、病院の在る初めて降りたつ街が、炎暑だというのに、赤茶けて冬陽のように透明、夕方に近かったのか、道が、家が、木が、セピア色。人はどのようにして、どのような共感をし合うのか。街を行く無数の人々、私と同じ自意識を持ち、私の感じるところを感じるこの人々。私は共感し合いたい、今、人が死のうとしているの、あの病院でも、この病院でも、たとえ否定さるべき人の意識であっても、死は悩ましい。、私に於いて共感が持てるなら、彼らときっと共感が、言葉を使って、人の死を通して、私の求める共感が。
かつて言葉の意味は知っていても、感じたことがなかった多くの言葉がある。邂逅、一期一会、一日というものを思索、探究を通して感じてきたもの。一日、一日の所有と存在の中で初めて知ったもの。一期一会があって初めて存在する一日というもの、共感、所属、一体、これらは一連のものであった。私は共感し合いたい。人が負っている無常感と、それゆえに感じる愛しさ、神の前に、死の前に人は平等であり、子供であり、助け合い、解り合い、希望する存在であることの共感。これらを共感しあえるなら、人は充分に生きていけるのだったから。
いまリルケがわかる。マルテの手記のあの雰囲気、文体、あれはリルケがマルテを生きたから、死を生きていたから出来たのだと思う。何ケ月をそのことで生き書いたから出来たのだと、今わかる。人は一つのある連続した意識の中から、その意識の中でだけ誕生し想像されるものなのだった。真の創造とは、そうした時を生きる中で書かれたものにおいてのみ言えるのだと。
人と一般的な共感ではなく、あの死の淵にあっての神への祈りのような、獄中で、病床で、生まれては消えていってしまう、あの共感について、私は求め描きたいと思っているのだった。エル・グレコが見、感じ、表そうとしたもののような、見えない、しかし感じたところの、どうしても表したところの、あの感情を。
共感を主人公にして、聞こえるでしょう、感じるでしょうと。ホスピスで死を迎えている老婦人が散歩で感じたものは、野の草、小さき生きものへの共感、見なれた、どこにでもある、生命あるものの逞しさ、素朴さ、何んでもないものへの信頼、希望。校庭で遊ぶ子供達には、生き生きとした若い姿に、自らの種としての連続性、死ぬことへの自明さ、自然さが。風、ぬくもり、光、色、空間、どこまでも広がり、包まれた存在、生きてきたこの時間の記憶。
死にゆくSさん、黄疸が出て、痩せて、時間の問題の生命、が彼はもう一度だけ、自分の口で食事が出来るようになって、田舎のたんぼ道を歩いてみたいと希望する。もう覚悟は出来ているが、もう一度だけ。食べれて、歩けることを、唯一の、最後の願いと。こんな希望、こんな望み。私の足元に、毎日、毎時間ころがってい日常が希望。生命が、最もけなげに、最も素直さに満ちた、末期の生命。人が生命を離れようとする時に現れる唯一さ、共感。が、もうまもなく人の手の届かないところへ、起きて、生きて、私とも共感することはない彼方へ。
言葉は無力、ただ思い出させてくれるだけ。あの雰囲気、あの気分。人の死を、病気を、どれだけ言葉を尽くして語ったとしても、それだけのこと。父の死、K氏、N氏、Mさんの死。
孤独者との共感を求めてならない、今という刹那を生きる私において。あの孤独、あの不安、眠りに墜ちようとするその時、決まって訪れたあの孤独。昼間、人々、物達のざわめきの中にあっては、隠されていた黒い、捉えようのない意識。病室の夜のベッドで、どれだけの孤独が漂っていたことか。善人なおもって往生す、いわんやなどという世界ではない、知性や、理性がはたらけない所の絶対無の世界。宗教の悟り、救いなど、昼間の、陽の下でのこと、人と人、人と他の生きものの関係において、あの孤独、人が、他の生きものがいないのだ、ただ私と闇だけ、それらベッドの上の無数の私との共感、孤独において、孤独だけが励ましだった。死んでいた彼ら、意識、視線、肉体、もう半ば死んでいた彼らへの共感だけが、私への励ましだった。
私が今、共感を求め、考えているのだから、妻や子は、真っ先に理解していて欲しいと願うのだった。何を理解してほしいのか?。こんな感じなんだ。「時」が流れているだろう、その「時」の流れの中に、僕と君等が浮かんでいて、川下りのカヌーのように流れているんだよ、この流れをまず、あの虹に輝く飛沫のようにとらえること、輝く水面に、したたる岸辺の緑に、岩をかむ水音、急流、また静かな流れ。これらの中を、僕と君らがいま進んでいるということ。あの虹に輝く飛沫のように。本当に僕らは時の流れを下っているんだ。嘉樹はカヌーに乗ったことあるだろう、オールを漕いでいる時は余り解らないけれど、止まると途端に解る流れ、「時」と人生とはそういうものなのだ。誰でも知っていることなのだけれど、感じてはいない、「時」の中を僕らは進んでいる。これは僕が癌体験の中でつかんだ実感なんだ。君にだけは、輪郭だけでも、僕がそう感じて、生きていることを解っておいて欲しいのだ。
僕が「時」よと言うとき、僕はトンネルの中に入っていくような気分になる。輝く光のパイプの中を、君たちと一緒に。もし、この「時」が、僕自身だけの所有であるというなら、孤独ということ、私対世界、一人対世界の関係なだけ。
淋しさ、悲しさではないということ、真実の、深い孤独の理解。それは体験し感じた者だけに理解されること、死の淵にあって孤独しかなかったムルソーの実感そのものではあった孤独。ムルソーの物達の無関心への喜び、あれはアイロニーではなく実感、希望であったのだ。無関心と思える物達がその無関心さ故に、輝き、糸杉の一葉一葉に水滴が、ムルソー自身が水滴となって。
希望によって妻は働き、子は育てられているのだから、子に対するこごとは妻の権利として黙って聞いていた、が、それは母としての言葉ではなく、何か一人の女が男への面当て、愚痴を言っているように聞こえ、又私が幼少より、母に言われ、社会、人から言われ続けた脅迫、脅しに聞こえ、気分を悪くする。
全て理解出来るし、そうしなければと思っていても、何を、どう、又そうする事が真の願いなのか、自分自身もわからず、悩みを悩み続けていた、私自身の青春の苦い思い出と重なって居たたまれなくなった。
今振り返ると、人間の卑屈さばかりを強要されたような気がし、もっと人間の尊大さ、人間に成るための励まし、支えこそ求めていたのだと思い。妻は私をどこかで批判的に見ており、理想主義的だ、現実的ではない、人は理想では生きてはいけない、自分はそのために苦労し、又その貴方の理想主義のために、現実面を受けもたされ、失ってきたものが一杯あるのだと、その結果が子供にまでバカ呼ばわりされるとは、と。
子供と、現実面ばかりに目を向け、自分自身の感情、意味、共感を忘れていると感じられ、僕と話が出来なくなっているのに、働くということは、人間を失うということは解るのだが。夢見た、理想した関係は、何かに向かって努力し、深め、その戦上で理解しあう関係だった。共感を求めてもいない人間に、共感を求めて話した後の徒労、虚しさ、普段の何倍もの徒労感、嫌悪、そして孤独。
音楽の、気に入ったフレーズがあって、それを幾度も繰り返しながら、自転車をこいでいる時の気分のような、この世界を、優しく、淋しく。無限大の闇から、放射性同位元素の電子の光跡のような、一瞬の存在だけを許されている、私に於いての共感を。私はどんな共感を理想しているのか、求めているのか、書き綴ること。書きなぐること。
J・リカルドゥ 「言葉と小説」 結局越えられない内容と形式の問題。そんなことは問題ではないのに、書く意志、存在の意志だけで充分なのに。存在が全てを語るだけ、小説とは、言葉とは私の存在である、私の存在、存在する私。デッサンとは、物を掴む力、テーマを確信的に掴む力。プロットはそのテーマの為の手段。罪、良心、愛、先づ作者の見たもの、掴んだものがあり、それらを表す為に最も良い方法スタイルを考え、あとは深め、彫り込んでいくだけ。表したい、深めたい衝動に従って。阿Q、春の鳥、デッサンの確かさ。精神の偉大さ、高貴さの感情は、孤独であって孤独ではない。いつの日か人を結び付けて行く。リヒターの晩年のバッハのような。言葉を通して、先人を通して学んだ精神。人間の喜びなど誰でも良く知っている、ただ欲張りなだけ。花に美しいと、健康に喜びと、家族に愛と、ただ欲張りなだけ。一人に愛されれば、一人を愛せれば充分なのに。
バタイユの青空の共感。しのびよる戦争、ちょう落していく人間、悲しむ、泣く、唯一性の中に共感を、残酷なまでの共感。時代の、人間のたまらなさからの共感。
越えられないものとは、人のもつ現実性、日常性、いくら神であっても、天才、偉人をもってしても、彼ら自身の大地でもある現実、日常性のこと。カイトウ、カイギャクを含まぬ、明快さ、透明さの一つの信念の視点の獲得なしには。人は普段、百年以上の時計で世界を測ろうとはしないし、現実において出来ない。理想や希望はできても。日常において、健康体において、人間が変革、共感を求めないのは、レールに乗っかっているから。安定の所有から。学歴、資格、生命保険、失業保険、年金、退職金、貯金、家、遺産、妻、子、親、友人、知人、etc、etc。幾重にも保護、補償されてい彼ら、これ以上何も必要ではないのだった。彼らの思想、意識を支配している
ものはこれだったのだ。が、これらを一挙に破壊してしまう人の運命というもの、レールや保護など問題にしまい。不幸も幸福も、貧しさも豊かさも、すべてを抱合する地点、完全などない、安定などない、絶対的価値などない、あるのはただ存在なだけ、今日の一日という、私という人間の意識なだけ。
人生の意味と目的は 探し求めてきた 探し続けることそのことが 私の意味と目的であったような私の過去 意味と目的 私の使命、今ここにこうして存在していることの不思議さだけが残った。一日とはどういうものか、私が所有している不思議な一日、感じ、味わい、喜ぶ、一日とは、不可逆性の、可能性の、未知の、奇蹟の時空で、存在しているだけで、たとえどんな悲惨の中であるとしても、この時空に、いまこうして、といった感覚。意味も、目的も、いまや問う必要もない私自身の地点。問うことの意味と目的とは?。
人は道具を造る、そして自然を加工はする。しかし、存在の何一つ、原子の何一つ創れはしない。宇宙は人以前に存在してしまっているのだから。宇宙論とは、鍋や釜を造って料理に供する程のこと。実に宇宙は空間という存在で満たされてしまっているのだった。私という人の意識すら、存在の一形態にすぎないのだから。始まりも終わりもなく、ただ存在があるばかりなのだった。自然、それは意味をもっていないが為に美しいのだった。
光が弾む海、人の反抗こそ、人の中の唯一の真実なものであり、あとは悲惨と迎合があるのみ。一日の一秒一秒が世界を内包しており、孤独とは、恨んだり、叫んだりするものではなく、一人対世界、一人対存在の姿、世界からの理解など必要のない世界、理解など考えられたところのもの、孤独とは、人の意識以前の、存在ということ。
「世界の理解」
私という人間は、人間によって、人間の文化によってつくられ、その作られた感情によって、私そのものを理解し味わっている存在にすぎないのだから、神、愛、意識、文学、科学、etc、etcは多くの人々の力、遺産あってのことではあり、そして人はやはり人に何程かの遺産を残すことが努めなのだろうか、またそれが、人の生きる意味なのだろうか。
岩の上に雨が降り、風が吹き、陽が照り、菌類が生え、一粒の種子が降りたち、一つが二つ、二つが三つにと生き、死に、その屍の上に育つ子孫、コロニー、いつの日か岩の表面を覆い、今その中の一つの私。私の意味は、今や本来の意味を失っている、人全てが、そう、種としての本来の意味を。地球号は今や人で溢れている。そう、今や私は意味を免除されている存在なのだから、私において、私個人においての意味付けだけを考えれば良いのだった。生も、死も、善も、悪も、根本において免除されている。ただ私においてのみ意味を求めれば良いのだった。私、私、私はここに居ます、君や、貴女や、あの人と関係なく、あの木、あの虫、あの生きものと同じ私が、木のように、虫のように、生きものようにここに居ます。それだけでいい私。人の一員としての私を考えなければ、私は道端に咲いている野草、誰にも知られていない、ただそこに在るだけ、私も彼らと同じように、ここに、こうして今あるだけ。彼らが朝に葉緑素の窓を開き、酸素を澱粉を作るように、私は言葉を、考えを、ノートに書き込む。彼らにとって、酸素、澱粉は、彼らの目的ではなく、結果なだけ。私においても、言葉、考えは、ただ私においての生きた結果なだけ。この行為には、人においての意味はなく、ディキンソン、カフカがもつ意味すらなく、ただほんの、道端に咲く野草なだけなのです。世界を理解する必要もなく、人の心に生きる必要もなく、意味を求める必要もなく、道端に咲く野草なだけの私と私達なのです。現代人の考える意味など、ほんの二、三千年のヒト発達史なだけなのです。私のこの存在は三五〇万年の人の重さ、到達点、有史以前からの、私達だけの苦労ではないのです。五十億年の生命の意志、到達点。私はもう、ただ野草なだけでいいと思うのです。
それでもなお、何か書き残そうとするなら、それは世界対私の世界、メルヘン、ファンタジー、願いや、希望、メッセージなどではなく、そう、物たちの世界、木と獣、虫と草と、水と石と、空と鳥と、葛藤も、ストーリーも、テーマも、今までの、人間による人間の価値や意味を排除したところの、それはどんな形式であっても構わない、散文であっても詩であっても、視点、考え方の問題、ただ野草なだけの立場さえあれば出来る事。子規的小説かもしれない、藤の花房短かければ、畳に三尺、届かざりける。これは、古池や蛙飛び込む水の音、より優れている。人が人以外の視点でとらえている。ただの写生ではない、子規の私対世界がある。たとえ、明日ついえようとも、存在への言いようのない喜び、実感、存在しえていることの、いずれついえ去ることへの意識する喜び、野草なだけのそれであって、それであるからこその喜び。
人が到達した安逸の世界、コロニー。人が種として到達した喜びの世界。もうこれで充分という世界。ただあとは味あえばいい世界。人が人を滅ぼすとすればそれはいたしかたないといった世界。人はすでに充分五百万年の間に繁殖したのだからといった。
どうしようもない時代に生きているね、とどめようのない世界、原子力、バイオ、自然破壊、高度発達、貧困、暴力、人の魂の喪失、人口爆発、時代への犠牲に生きる、多くのマザーテレサが手を尽くしても、結果は悪くなるばかり。ただ自分対世界、この中での存在への共感を持って生きるばかり、時として襲われる、不安、時代の不幸の中、風に木に水に石に、私対世界で接するばかり。だがこの不安、この無力、この孤独、この無目的、一体どこから、何をもって私の心に発生してくるのか。ソクラテスのイデアの創造とは、じつに人類への遺産であったのに。善の存在の発見、個の発見、偉大なる個、神に似る個、永遠、自由、自分対世界の意識とは、まさに嘗て人類が認識したものを確信し、不動のものとすること、一人立つ、この世界に、狼から人間へ、神へと。
人は共感を求め、一体を求めて、しかしそれ程は求めていなくて、楽しみから悲しみへ、連帯から孤独へと帰っていく。人の大いなる哀しみとは、この断絶意識に他ならない。キリストのこの哀しみ、断絶意識はどれほどのものだったのだろう。イディアをこそ求めたソクラテスの哀しみ。私が変化すると、殆ど世界はただ在るだけになってくる。
実存とは「事物存在」に対して「人間存在」。実存主義とは、失われた進行のこだま。実存主義とは、人間が自己自身になる一つの思考過程。人間は他の何ものにも還元されえない、無限の可能性をはらむ中心であることの確認。人間に本来の自由と、人間としての独自のありかたの追求。ここに責任、不安、孤独、絶望、使命がある。人間の運命は人間の絆の中にあるのだから。実存主義との出会いは、人間本来への目覚めが感動であった。人との共感はその一部であった。シジフォスの神話とは違った宇宙の中の、実存する私への目覚め、これは私の青春の記憶であった。
矛盾の止揚の方法として。矛盾の形骸化と、自己対世界という思想形成を通して行ってきた。社会、他者への責任は、自己よって発せられ、思考された責任において満たしてきた。それは、他者や世界がどのように変化しても、自己対世界という、自己に課せられた、生涯にわたって続く闘いに於いて止揚されている。私における永続革命で貫かれた生活形態が規定していく。世界対私ではなく、私対世界の関係において。人が、日本の、世界の地球の現状を憂う時、この私対世界の視座は、私において決定的なもの、それはモラルでもなく、何ものでもない意志の論理、感情の論理。近代、前近代と、あらゆる二律背反、矛盾を私において統一する思考。矛盾は私において統一し、止揚すること。これ以外にはないのだった。人間に欠けていることは、世界や時代や状況に於いてではなく、私に於いての思考であると思えるのだった。たとえ私があの絶滅していく多くの種であっても、残された時間を、どのように、何をと、人間の絶望など、絶望している者にとってはいい気味でさえあるほどの現代の絶望。誰かが、いつの日か全体の意志となってと、世界は崩壊へと進んでいく。青春の日、可知論に立って、私に解らないことはない、たとえ時間がかかっても諦めないでやり続けることの中に意味を見た。
自分対世界の意識があって、同じ人間への共感、生きものへの義務、または犠牲において生きる意志、決意があって、その中の一つとして書くという行為があること。私がいま書きたいことは二つ、一つはこの自分対世界という意識、もう一つは、それをベースにした共感の意識。人はこの二つさえあれば何もいらないということ、一日の所有だって、自分対世界と、共感の中で初めて成立することだった。
拡がっていく一日への驚きと感謝、日々刻々と成長変化していく植物に対するような、新鮮な、ころがってい石ころの存在のような、何年も歩き続けた公園の散歩道のような、それでいて私は一人なんだという孤独と、一体感。私が私への共感を
もし生きものたちが、人間と共感を求めて生きてきたとするなら、現代の状況は最大の悲劇。共感を求めて、信じて進化、発展してきた歴史が、裏切り。
入院中、私は少しも絶望してはいなかった。転移の不安はあったが、初期なのだから、たとえ転移があったとしても三年、いや五年は大丈夫。時間はまだたっぷりと在ると。
それでも、もしや癌ではと一瞬絶望の淵に立った記憶は消えることなく、以来、死について考えないでは居られなくなったのだった。
Sさん、もう点滴で生きているだけだというのに、入院費のこと、妻の生活のことを心配するばかり、間もなく幕が下ろされるというのに。「入院費はねえ、奥さんの子供さんが」「奥さんの生活はねえ」。間歇的に戻る意識の中で、Sさんは頷きながら。私はSさんとの共感を求めていたのだった。死を前にしての、死を通しての共感を、そして、私へのメッセージを。
世界がどのように私を圧迫して来ても、わたしは常に世界と一体です。今わたしはアウシュビッツに居ます、毎日飢えと寒さに震えています、人は次々と死んでいきます、いずれ私も同じ運命でしょう。今わたしは戦争を拒否して獄中にいます。拷門、恐怖、もうろうとした意識、彼ら人間ではない、ただ世界なのです。私にとっての世界なのです。今わたしは目を失いました。春を、あのどこまでも拡がっている世界を、再び見ることは出来ません。貴女の、君の顔は頭の中だけでは焦点を結びません。ただ声だけが生き生きと響いています。私の世界です、水の中を歩いているような、幻想の私の世界です。地震です、多くの人が家や家族を失い、悲しみの中にいます。原子力発電所が災害を起こしました。何十万人もの人が避難を始めました。海は汚れ、今や自然の魚を食べることは危険なことになってしまいました。空気も、水も、浄化装置を通さない自然のものは危険です。でもこんな世界でも私達は、ボンベを携帯して生きています。記憶の中にだけある世界を思い出して。
どうしてこうした想像が、人を優しくさせないのでしょうか?。死に臨んだ病床のあの人たち、みな優しかった、許されていた、夜の街を、網膜に焼きつけるように見つめていた、言葉は消えて、意識だけがベッドの上を漂っていた。私と世界を生きていた人々。私、私、私、私をいつの時代より深く、多く、人々が考え、味わえる歴史の頂点にいる、私、私、それなのに何と、不安と虚無、恐怖の頂点にも立たされていることでしょうか。
世界対わたしなのです。生は再生されても、死は消滅なのです。再生不可能なのが死なのですから。生まれてくる子供たちは、世界を受け入れてしまいます。世界対わたしなどと、世界を分別する私とは一体何なのでしょうか?。
私が私において、私を発見していくなら、私の存在、私の世界の関係になるはず。この世の人間はいずれ全て消えていくのだから。自由からの逃避の存在ではなく、私の目的、私の使命に向かって。人をWake upなどさせられらい、私をWake upさせていくだけ、水に、雨に、生きものにと。
鳥よ木よいつの日か一緒に死ぬのだね、哀しいだけは実感、ああ無。三〇〇年前はあんなに美しかった地球よと、三〇〇年後の私が。
多くの本が、何と世界について語っていることだろうか。が、何と私について語っているものの少ないことだろうか。世界対私、社会対私ではなく、この時空、この刹那の存在の私について。泣く少女、あの赤子、あの老人、あの視線、あの人々、あの、あの、あの多くの涙と、悲しみの声、あの人々との共感とは?。作家が使命において、責任において果たさねばならない時代にあって、何しろ書かねば、生活を集中して、形式は変化していくのだから。世界に向かって書くこと、この人間の現実、人を殺す動物としての人間、私の罪、責任において、殺される彼らに向かって。
共感の定義
友情とも、愛情とも、神への愛とも特定できない、万物への共感、存在への共感、この共感の意識は人間を超越する。まさに宇宙的共感。人類が宇宙を視野に入れ、自ら破壊者として成熟した今世紀において到達した感情。初めて自殺を意識した、あの思春期のような、自立した、科学の歴史において感じられる感情。滅びゆく不安と、淋しさとにおいて、求める喜び、交感、支え合う意識。キリストは、あの時点でこれらの感情を持っていたのだろうか、人間への愛情ではない、救済ではない、共感の意識。私を理解せよ、私と共に歩めといった。いま私は理解出来る、真のキリスト者たちの心と苦悩が。あらゆる先人が、あらゆる先人のメッセージを引用しているのは、じつに自らへの共感よりも、これら先人の自らを超越してい彼らへの共感をこそ願い示していたのだった。
人間が究極的に共感したい形は、一人が全人間から発見され共感されること。そしてその一人が全人間を発見し共感すること。一人対宇宙、宇宙対一人の、あのフッフッと涙がこみあげてくる、限りなく優しくなる感情でもって、一人さえ発見出来れば、一人にさえ発見されれば、人は全人間を発見し、全人間に発見される。私を選び、決断し、行動し、自らを作って行く、どのようにも選び、作れる。で、私はどう選び、どう作って行こうとしているのか。まさに態度の自由の問題であるのだった。
アイム ヒァ ユア グラド ゼア。セントギガのメッセージ。「私はここにいます。貴方がそこにいてうれしい。」存在していることの感謝、喜び、感動を感じる私がここにいます。何の助けもなく、無条件に存在への感謝をもつ私が、それは意識の量は人と違うかも知れないが、本能と理性との違いはあるかも知れないが、春夏秋冬、全てに等しい存在への無条件性を以って、意味以前、感謝以前の有機的意識を以って、今私は存在しています。意識する、感謝する、感動する、私と寸分たがわぬ、私につながる貴方がそこにいてうれしい。この春に出会い、私は今、全てを所有していると思えるのだった。存在とはこういうことだと確信出来るのだった。神、宇宙、無限、これらの意識に対して、素直に共感、一体感を感じるのだった。目のしくみ、足の手のしくみ、身体のあらゆる器官のしくみを、もっと詳しく知り、考えたい、私の共感の喜びの源である私の身体自体を、もっと良く知りたいと。
何を成したかなど問題ではないのだった。この私の存在の神秘性において、この無限の時空に、一瞬の光となって、奇跡的に誕生しているこの私において、この私の前にも後にも存在し得ない私において、言葉を、意志を、感情をただ発すれば、それでいいとさえ思えるほどの、眩暈と、喜びとにおいて、何をどのようになど問題ではないのだった。
私は今、春の中を歩いている。この春を私は間違っていれば、歩いていなかった。今喜々として私は歩いている。歩いていなかったかも知れない私で以って、私を見てみる。
晴れあがった空、私の身体は季節に反応してきたのだった。わずか数日で、気温の上昇にあわせて体温を上げ、いつしかシャツ一枚で過ごせるようになっている。街に人々の顔、春の顔、この春に出会う為に一年を生きてきたような、良い顔、顔。
春の雨が、私の手に、頬に当たっている。それは温かく、皮膚に染み込んでいくようで、人が私のことを何も感じていなくても、私が感じていくような喜びで、春のこの温かさ、水の分子、他の原子が、盛んに空間を飛回り、私の身体を包み、撫で、擦り、私を湧きたたせ、目も、耳も、肺も、心臓も、手も、足も、この春の物質を取り入れ活発。身体の、どんな部分の動きも、全部知覚できる。枝先に、緑葉、花、虫たちの誕生。空間が密度を増したことがわかる。色、熱、音、匂い、どれもが豊か、私を共有してくる。
物質の構造が、温度の上昇によって姿を変えるように、文学も、時代が熱い時には姿を変える。膨大な虚無の文学を背景に、タゴールの詩がある。虚無が時代にあるから、共感が求められる。
花の匂いは嬉しかった。生きものを感じた。音楽は嬉しかった。不安を追いやってくれた。自分の作品。書き残していることのあれこれ。
フリージャーを一抱え買った。この花には春一番の印象があった。暖かい南風と鼻を衝く匂い、青春の日、春へ私を向かわせた記憶。ウオークマンとテープは、主よ人ののぞみの喜びよを選んだ。あの日、FMから流れて来た、涙と共に聴いた曲。作品はSさんの傑作「にゃんこの奥さん」を持った。十五年前ぐらい、Sさんが始めた同人誌の一作。どうしようもない、Sさんの自画像のような男が、酒場で知り合った女と暮らし始める話。
もはや皮が骨に張り付いているだけのSさん。口の中は干からび、瞳は半ば濁り、痰が喉に詰まった時だけ、生きかえったように手を動かし。
「どう匂う?」「いい」。「どう聞こえる?」「わかる」。「にゃんこを読むからね」。
「紀代は、唐きび畑で娘を抱き、故郷の高い空を見上げ、初秋の山々の樹木のつらなりに眸をとめる。乳房をくすぐる娘の髪の匂いに、ふっと、幼い日の記憶がよみがえる。「ビっコずらーっ」「ビっコずらーっ」悪童連に囃したてられ、哀しく、怒りにふるえた遠い日のこと。来る日も来る日も南瓜粥ばかりで家中が黄色い顔になった、ひもじい思いのつづいた日のこと。アメリカの飛行機がキラキラまばゆいばかりの銀色に光ながら、真っ青な伊豆の空を富士山の上空へ飛び去って行った、何かは知らぬ怖い思いの消えなかった日々のこと。」
最初、私が声を詰まらせたのだったか、奥さんだったのか、どうしょうもない男(Sさんは自分をそのように捉えていた)に、苦しかった昔を想い、健気な紀代が連れ添って行く。酒に溺れ、先妻のEさんに、今の奥さんに迷惑を掛けて来たSさんの懺悔の小説。私はこうした、弱さ、甘えかも知れないがSさんのどうしょうもなさが書かれている所に、惹かれて来た。「ビっコずらーっ」は先妻のEさんの健気なさの活動力だったとSさんは理解して書いていた。
Sさんの呻く声、盛り上がってくる涙。「こんな良いものが書ける人だったのに、ごめんなさいね、私が至らなかったばかりに」覆い被さり、Sさんの涙をティッシュで拭く奥さん。半年間の看病、老人どうし支え合って来た二人、痩せ細った手を握り、許しを求め合っていた。
席を外した私は、外へ出ると、寒空に咲いている梅の枝を手折っていた。「Sさんを祝ってやりたい、生きたいように生きた、充分に生きた人生だったよ」と。
人類への贈り物 共感 生きものへ 存在へ 共鳴する人間 魂の自覚 ロマンチシズム 何もいらない 今 今日 一生 未来 遺伝子 存在した記憶 木 草 花 人間 彼らが今日も 存在していることの希望
私の人生とは、私の前に延びている一本の道、ボヤケてはいるが、確かに前方に延び、続いている私の道ということ。明日はあそこまで、明後日はあそこまでと、しかし、いつも数日先はボケていて、そしていつの日か死が訪れても、その死は、私のボケた数日先の手前の道であって、いつまでも、私の道は、寿命のようで、けっして最後を見通せる道ではない、どこまでも、どこまでも、数日先は霞の彼方へと延び拡がった無限の道。が、これは私の私だけの道であって、誰一人として歩いていない、不思議と孤独と、静寂と、沈黙と、そして喜びの私の存在への方法への道、未開人の中にあるのか、太古の人間の中にあるのか、一日を所有し、その中に存在しえている私は、それだけで何もいらないのだけれど、存在は更なる欲望を産む。この私とは一体何なんだ、特殊で、不思議で、このせっかく所有したものからいつも見捨てられていく。存分に味わったのだから、感謝するだけでいいのだけれど、この存在とは、何だったのか、確かめておきたい欲求にかられるのだった。これを知るための新しき人間。過去にどれだけこのことを確かめた者が居たのだろうか。この喜び、この奇蹟の意味を知っていた者が誰かいるはず。そして言葉に残しているはず。
君がベッドて寝ているだろう。君がやってきた仕事、ある者にとっては励ましであったり、ある者にとっては同伴者としての意識であったりして、間もなく死んでいく君を、悲しみ、惜しむ人がいるかも知れないが、死んでいくのは君、生き延びるのは僕ら、君の死は、君が嘆かない限り君のもの、死は君が嘆くものではないもの。
Sさんの死を、人の死を、哀悼しているのではない、死は事実なだけ、が、生は、あの生きものの世界のように多様で、複雑で、不思議で、驚きに満ちて、それは死の瞬間まで続いて行き。自己の死の客観視など出来るものではない。生涯未遂、生涯未完であり続けるばかり。
未踏11号 1998 12