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戦国乱世伊賀物語 ~はつと鵺~  作者: 高山 由宇
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第3章 波乱の予感

 10月の半ばに差しかかった頃。里は俄かに騒がしくなった。


「滝川が動き出したらしいね」

 井戸から水を汲み上げながら、浅葱(あさぎ)が言った。

「そろそろ仕度をしておかないとね」

 浅葱に絆されてついて来た菊乃が、そう言って頷いた。

「どこかに行くの」

 はつが尋ねると、

「浅葱と菊乃は近々任務で里を離れるんだよ」

とかすみが答える。

「任務って…危険なものじゃないよね?」

「なんてことないと思うよ」

 不安げなはつに、浅葱は自信に満ちたように笑った。

「魔王の馬鹿息子の目論見を叩き潰して来るだけさ」

「魔王…」

「魔王と言えば織田信長に決まってるだろう。奴が第六天魔王って言われてるの、知らないのかい?」

 はつは、遠い昔、学校の授業で習ったことをなんとなく思い出していた。

「その息子って言うと…」

信雄(のぶかつ)さ」

 話が見えずに首を傾げるはつに、浅葱は溜め息混じりに話す。

「そうだね。はつは昔のこと忘れてるんだった。順を追って説明してやるよ」

 高飛車な浅葱の物言いに苦笑を漏らしつつも、

「お願いします」

とはつは頭を下げる。

「まずは、今年の頭にまで遡るかね。魔王から書状が届いたのさ」

「どんな内容だったの?」

「なんだったかね。なんか腹立つ内容だったのは憶えてるんだけど」

「他の大名と勝手に交渉するな、勝手に仕事を請け負うな、何か交渉をする時は織田家に報告せよ…そんな感じの話だったね」

 思い出そうと頭を捻っている浅葱の横から、かすみが答えた。

「そう、それだ。ほんと腹立つね」

「まったくだね。私らはお前の配下じゃないってんだ」

 浅葱と一緒になって菊乃も悪態をつく。

「その書状の件をどうしようかってさ、十二人衆が集まって話し合われたのさ。それで、徹底抗戦ってことで落ち着いたんだよ」

「徹底抗戦って、あの織田信長と戦うの?」

「当然じゃないか」

「そんな。織田信長と戦うなんて…」

「ちょっと、あんたは信長に従えとでも言うのかい?」

 はつの態度が気に障ったらしい菊乃が、声を荒げる。それを制して浅葱が言った。

「たとえ臣従の意を示したとしても、私らに生き場なんてありはしないよ。織田に私らの力は必要ないからね。命が助かったところで、飼い殺されるだけだよ」

「どういうこと?」

「織田は響談(きょうだん)を持っているからね」

 かすみが言う。

「織田が飼っている忍びのことだよ。私たち伊賀忍は、金さえ貰えればどんな相手にもつくし、どんな依頼も引き受ける。だからね、私たちに依頼をする必要のない織田にとって、私たちは敵でしかないということなんだよ」

「きっと甲賀にも書状は届いてるだろうね」

 菊乃は不安の表情を浮かべた。

「甲賀も伊賀と同じさ。織田には必要のない存在だよ。けれど、甲賀は織田につくかね?」

 浅葱の問いかけに、菊乃とかすみは考え込んだ。

「ここいらはみんな織田についた。残るは甲賀と伊賀のみ。甲賀まで織田についたら、いよいよまずい状況になるね。でも、甲賀は織田を恨んでるんじゃないのかね」

 菊乃が言う。かすみもそれに頷いた。

「どうして?」

 はつが尋ねる。

「甲賀忍は私らと違って、代々一人の主君に仕えてきた。それが、六角。そして、六角は織田に滅ぼされたのさ」

 浅葱が答えた。

「けれど、甲賀国そのものを滅ぼされるとなった時、今は亡き主君への忠義を優先させるかな?」

 そう言ったかすみに、他のふたりも首を傾げて考え込む。

 その時、柏原城の方角から白い煙が立ち昇った。

「狼煙だ」

 菊乃が言う。

「行くよ、菊乃」

 浅葱はそう言うと、水の入った釣瓶をかすみに託し、菊乃とふたりで柏原城へと駆けて行った。

「かすみは行かなくていいの?」

「私は呼ばれてないんだよ」

 かすみは渡された釣瓶から、桶の中へと水を注ぎ入れた。

「何の合図なの?」

「平楽寺に行く者を集めたのさ」

「平楽寺…」

「伊賀者が話し合うのに使う場所さ」

 かすみは、空になった釣瓶を井戸の中に入れ、再び引き上げた。

「浅葱の話の続きをしようか」

 はつは頷く。

「3月に急報が入ってね。織田信雄が家臣の滝川って男に、丸山城の修築を命じたらしいのさ」

「それは、そんなに大変なことなの?」

「丸山城は国境(くにざかい)にあるんだ。そこに城を築くってことは、侵攻の拠点とするためだって考えるのが妥当だろうね」

「じゃあ、織田が攻めて来るってこと…?」

「考えているだろうね。だから、十二人衆は決断したんだよ」

「……」

「完成までに攻撃すべし、てね」

「もしかして、それが浅葱と菊乃の任務なの?」

 かすみは頷く。

「浅葱と菊乃だけじゃないよ。それに、この里だけでもない。伊賀中から腕利きの者が集められているんだよ」

 桶の9分目まで水が入ったところで、かすみはそれを持ち上げた。

「私はこれから仕事があるから、もう行くよ」

 そう言うと、はつに背を向ける。

 かすみが去ったあと、はつは慣れぬ動作で水を汲み、零さないよう注意しながら桶に流し込んだ。その動作を3回ほど続けると、桶は水で一杯になった。そして、その桶を持ち、よたよたとした足取りではつは(ぬえ)の家に戻ったのである。


「浅葱と菊乃って、そんなに強いのかな」

 手拭いをマスクのように使い、乾燥させた草を薬研で磨り潰している鵺に尋ねた。

「かすみよりも腕が達つのかな」

「さあな」

 鵺は素っ気なく答える。

「今日ね、浅葱や菊乃たちが里を出て行ったでしょう? かすみがね、伊賀中の腕利きを平楽寺に集めているんだって言うの。だから、選ばれなかったかすみには、浅葱や菊乃ほどの腕がないってことでしょう?」

 そこまで聞いて、鵺は吐き捨てるように笑った。

「それは見解違いだな」

「え…」

「かすみがどういうつもりで言ったかは知らんが、腕の問題だけではない」

「なら、何が問題なの?」

「出自だ」

「それは…浅葱と菊乃の生まれがいいってこと?」

「浅葱は代々頭領の側近くに仕えてきた家柄。菊乃の家は、そんな浅葱の家を補佐する任を代々請け負ってきたんだ」

「かすみはどうなの?」

「かすみの家は貧しくてな、父も兄も、死人(しびと)の始末を任されている」

「し…死人…?」

 鵺は、粉末になった枯れ草を小皿に移すと、別の枯れ草を磨り潰し始めた。

「貧しさの中を生きて行くためには、仕事を選んではいられないんだろう。伊賀忍には上忍、中忍、下忍といるが、腕の善し悪しだけでなく、それ以上に家柄によって分かたれる面も大きい。俺たちのような他所者や、かすみのように死人の処理にばかり従事するような貧しい家の者は、余程の手柄を立てぬ限りは一生下忍のまま、汚れ仕事のみに駆り出されるものだ」

「…仲のいい3人にそんな違いがあったなんてね」

 鵺は、その言葉に手を止めた。

「でも、言われてみると、話題を振ったり提案したり、何か行動を起こすのは浅葱なんだよね。菊乃とかすみはそれに従うだけって感じだった。ただ、年上に従ってるだけかと思ってたけど、そういう事情もあったのかな」

「仲がいい…か」

 鵺はそう呟くが、浅葱たちの件についてはそれ以上何も言うことはなかった。

「そういえば、何で平楽寺に向かったのかな。そこに、何かがあるの?」

「平楽寺は白鳳城の建つ丘の上にある。そして、白鳳城には伊賀守護がいるんだ」

「伊賀守護って、伊賀国のお殿様ってこと?」

「伊賀にそんなものはいない。伊賀守護である仁木(にっき)は、所詮名目上の君主に過ぎない。傀儡(かいらい)君主と呼ぶ者もいる。守護としての力はないに等しい。それに、織田の息がかかっていると専らの噂だ」

「そうなんだ」

「ああ。だが、平楽寺はかなりの大寺院、伊賀衆が集って評議をするには最良の場所ということだ」

 鵺はまたも粉末を別の小皿に移す。次に取りだしたのは草ではなく、黒く焦げた虫のようなものだった。尻尾らしきものが見てとれる。

「鵺、さっきから何をしているの?」

「見れば分かるだろう」

「まあ、何かの薬を作っているんだろうなとは思うけど」

「ああ」

「何の薬を作っているの」

「それは俺にも分からん。これらを調合すれば、できるとは思うのだがな」

「ふうん」

 傍に寄ろうとしたはつを、鵺は手で制する。

「こいつを吸えば幻覚を引き起こすぞ」

 その言葉に、はつはおずおずと引き下がった。

「そう言えば、伊賀忍には上忍、中忍、下忍がいるって言ってたね。鵺や草之助は下忍なんでしょう? なら、頭領は上忍なの?」

 鵺は薬研から手を離し、黙り込んだ。それを勘違いしたはつが、

「あ、そうか。敵かもしれない私に教えられるわけないよね」

と言い、慌てて手をひらひらと動かす。だが、鵺は落ち着いて言った。

「案ずるな。お前が先ほどから聞いてくるものはどれも広く知られている情報ばかりだ。それに、たとえお前が敵の間者だったとしても、お前を里から出さなければ良いだけのこと。妙な動きを見せれば、俺がお前を処断するだけだ」

 鵺の冷たい眼光がはつの胸に突き刺さる。俄かに背筋がひんやりとした。

「伊賀に上忍はお三方だけだ。上忍三家と呼ばれている。服部殿、百地殿、藤林殿。頭領は百地殿にお仕えする中忍だ」

 鵺は薬研に手を戻すと、磨り潰したものらを慎重に調合していく。その慎重な作業を見つめながら、戦に出た浅葱と菊乃のことを思う。ふたりとも無事であって欲しいと、はつは心から願っていた。


 その夜のこと。はつは夢を見た。

 はつは暗い道を走っていた。

 ―誰かが叫んでいる…。

 真っ赤な炎が迫っていた。

 ―草之助の声が聞こえる…。

 草之助が女の手をとった。あれは、千手姫だろうか。

 千手姫が振り向き、何かを叫んだ…。


 浅葱たちが里を発ってから10日ほど経った10月も末のこと、知らせが入った。

「丸山城の件、伊賀衆の圧勝だったらしいな」

 草之助が笑みを湛えている。

「良かった。なら、浅葱と菊乃たちももうすぐ帰ってくるね」

 はつが喜ぶ傍らで、鵺はひとり渋い顔をしている。

「だが、北畠(きたばたけ)は黙っていないだろうな」

「北畠…?」

「織田信雄(のぶかつ)のことだ」

 聞き慣れない名に首を傾げるはつに、草之助が答えた。

「信長は、伊勢国司だった北畠の養子に信雄を差し出したのだ。その後、信雄は北畠を暗殺し、自らが伊勢国司に収まったというわけだ」

「ひどい…」

「ああ。だが、よくあることだ。屋敷に賊が侵入して一族を殺されたと言っているようだが、信雄が暗殺したことは疑いの余地がない」

「北畠だけならば恐るるに足らん」

 鵺はそう言うが、その表情は憂いを帯びていた。

 鵺は軽く(かぶり)を振る。

「俺は、何が起ころうとも頭領に従うだけだ」

 それには、草之助も同意とばかりに頷いて見せる。

 はつはそんなふたりを見つめながら、信長の脅威が及ばないことを願った。そして、鵺や草之助、滝野の里の人々が皆無事で過ごせるようにと、誰にともなく祈ったのである。

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