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戦国乱世伊賀物語 ~はつと鵺~  作者: 高山 由宇
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第1章 鵺という男

「お前、女だったか」

 30分くらいだろうか、木々が生い茂る険しい坂道を歩き回って、ようやく暗がりの外に出られたと思えば、男からのこの言葉である。振り返れば、広大な森がそこにあった。

「お前は罪人か?」

 男が頭を撫ぜ回す。その手を初音は払った。

「はつというから、初太郎とか、そんな名かと思ったぞ」

 男は何とも思っていない様子で、さらにそんなことを言った。先ほど、初音は「はつね」と名乗ったつもりだったが、男の耳には「はつ」としか届いていなかったらしい。だが、今さら改めるのも面倒なので、初音は「はつ」のまま通すことに決めた。

 明るくなると、男の風体がありありと見えてきた。歳の頃は、はつよりもいくつか上であろうか。男のくせに、ポニーテールを結っている。腰には刀を差していた。

 そして、男とはどこかで会ったような、妙な懐かしさが胸に込み上げてきた。

 知り合いに似た人でもいただろうかと考えていると、

「お前は何者だ」

と、先ほどと同じ問いかけが降ってくる。

「どこから来た。妙な姿だ。この辺りの里の者ではあるまい」

「…分かりません。ここは、どこですか」

「言いたくないのか、それとも本当に知らぬのか…。まあよい。お前を里に連れて行く」

 男の言葉の端々から、やはりそうなのだろうかとの思いがはつの脳内を占めていく。そんなはずはないとずっと打ち消そうと努めてきたが、認めざるを得ないのかもしれない。はつは男に尋ねた。

「今は2014年ですよね?」

 男は眉間に皺を寄せる。

「平成26年でしょう?」

 男は実に面倒そうに答えた。

「お前の言っていることは分からん。だが、今が何年かを知りたいというならば、今は天正6年だ」

「てん…しょう…」

 はつの頭の中は真っ白になってしまった。

 天正という年号は聞いたことがある。確か、織田信長や豊臣秀吉の時代。そう、戦国時代であったはずだ。

「何を言っているの? 今日は平成26年11月1日でしょう?」

「お前こそ何を言っている。今日は天正6年9月22日だぞ」

 何を馬鹿な…そう思ったが、この30分ほどの間に馬鹿なという出来事を数々体験させられている。最早、処理能力が追いつけない状態であった。

「里に連れて行くって…」

「この伊賀の里のひとつだ」

「伊賀…」

「それも分からぬか。ここは伊賀国だ」

 伊賀という名くらいは、はつにも聞き覚えはあった。戦国時代に忍者がたくさん住んでいた場所である。

「あと1里ほども行けば里に着く」

「1里…」

 1里とは、約3.9キロメートルのことだと記憶していた。森の中を30分も歩いた膝は、すでにがくがくと震えている。その上、この山道をさらに4キロほども歩かなければならないのかと肩を落とした。足元に目をやれば、真っ白だったスニーカーが茶色に染まっていた。男ははつに目もくれず、すたすたと軽快な足取りで先を行く。はつはそれに従うより他にはなかった。


「見えたぞ」

 男の声に疲労困憊の顔を上げると、目下には村が広がっていた。かやぶき屋根の家々が軒を並べている様子が伺える。

「あそこが、あなたの里…」

「ああ」

 男について、はつは慎重に坂を下った。

 村に近づくと門が見えてきた。門の脇には(やぐら)が立っており、見張りの男がひとり、その上に立っている。

(ぬえ)だ」

 男が、下から見張りに声をかけた。

「任務はどうした」

「頭領に直接話す」

「大方しくじったのだろう」

 嘲笑を含んだ見張りの言葉に、

「開門」

と男が叫ぶ。だが、見張りの男はそれを許さなかった。

「待て、そいつは何だ」

 どうやら、はつのことを言っているらしい。

「こいつに任務を邪魔されたのよ」

 男の言い分にかちんときたはつだったが、ここで自分が入ればややこしいことになると思い、ぐっと堪える。

「なぜ里に連れてきた」

「言っただろう。こいつに任務を邪魔されたのだと。戻るにしても土産が必要だろう」

 言い争っていると、門が開いた。

「草之助、なぜ開く」

 見張りの男が叫ぶ。開かれた門の向こうからは、長身の男が姿を現した。

「頭領からのお言葉だ。門前で騒ぐな。それと、ふたりをさっさと通せ、とな」

 見張りの男は苦い顔をしたものの、頭領の言葉とあっては従う他はないとばかりにふたりを里の中へと入れた。

「ふたり、とは…私が来ていることを、なぜ知っているのでしょう?」

 はつの問いかけに、

「頭領が、近隣で起こっていることを知らぬはずがない」

 男はこともなげに答える。

「無事か」

 草之助と呼ばれた男の問いに、

「ああ。だが、見失ってしまった」

 そう答える男だが、「そうではない」と草之助は言う。

 草之助は、はつの横に来てその身体を支えてくれた。

「お前が頑丈なのは知っている。俺が案じているのはこの娘のことだ」

 草之助は頭領のもとに着くまで肩を貸してくれ、歩幅まではつに合わせてくれている。

 優しい人だ、というのが、草之助に対するはつの最初の印象だった。


 里の中央の広場には人が集まっていた。

「鵺、任務はどうした」

「鵺、その娘はなんだ」

と、里の人々は口々に尋ねる。鵺というのが、男の名であるらしい。

 はつが呆気にとられていると、美しく清んだ声が響いた。

「皆々様、どうかお静かに」

 その声に、騒々しかった里の人々がぴたりと静まった。そして、皆が一斉に跪く。

 はつも、草之助が跪くのに合わせて膝をついた。

 見ればそこには、美しい女を従えた老人が立っていた。

「鵺よ、報告せい」

 老人の言葉に、鵺は先ほどまでの態度とはうって変わり、仰々しく答える。

「はっ。結果を申し上げれば…成敗はなりませんでした」

「なぜじゃ」

「私は密林の中で奴を追いつめました。いま一歩で捕らえられる、そう思った矢先に、この者が空より降って参り、私の行く先を阻んだのです。それでも追おうとしましたが、時すでに遅く…一瞬の隙に逃げられてしまいました次第でございます」

「嘘です」

 話に割って入り、異を唱える者がいた。

「大方怖気づいて逃げ出したのでしょう」

 それに乗るように他の者も声を上げた。

「鵺、どこで娘を手に入れた。その娘を使えばそんなでたらめを通せるとでも思ったのか」

「頭領、鵺は人ひとり殺せぬ腑抜け者です。今までの行いを見ていれば、それはお分かりのはずでしょう」

 里人らの話をひとしきり聞いていた頭領は、ひと息つくと、

「静まれ」

と制する。里人らは皆それに従った。

「頭領」

「ただいま戻りました」

 いつの間に現れたのか、ふたりの男女が頭領の前に膝をついた。

「弥助、浅葱(あさぎ)、ご苦労であった。皆の者、このふたりには、里を出てからの鵺の行動を監視させておった。また、鵺がしくじった際には、鵺の代わりに任務を果たすようにも言い含めておる。ふたりの話を聞こうではないか」

 頭領の言葉に、里人らは弥助と浅葱に目を向けた。

「鵺の言うことに偽りはございません。その娘は、突如空から降って参り、奴を追う鵺の目の前に落ちたのです。その娘が一体どこから現れたのか、まったく気配を感じませんでした。鵺は確かに追い続けようとしました。しかし、見失ってしまったというのも、嘘ではないでしょう」

 弥助が言い終えると、浅葱がそれに自らの見解を加えた。

「ですが、鵺が奴を本当に討つ気でいたのかには疑問があります。奴との間に一定の間隔を保って追っていたようにも見受けられました」

「そんなことができるとは、それが(まこと)ならば鵺は天才でしょうな」

 そう言い放った草之助を浅葱は睨む。

「して、始末はついたのか」

 頭領に問われ、弥助と浅葱は深々と(こうべ)を垂れた。

「申し訳ござりませぬ」

「いま一歩のところで、甲賀領へ逃げ込まれてしまいました」

「そうか」

 頭領は何やら考えを巡らせ、

「まあよい。甲賀ならば、なんとかなるじゃろう」

と結論づけた。

「頭領、この娘はどうしますか」

 弥助の問いに、一同の視線がはつへと降り注ぐ。

「始末しましょう」

 浅葱が言う。

「鵺のせいとは言え、里の所在を知られたのです」

 それには弥助も、他の里人らも同意とばかりに頷いた。

「遠目にも鵺の行く手を阻んでいたように見えたしな」

 はつは鵺に助けを求めて視線を送る。事情も分からぬままに里へ連れて来たのは鵺なのだ。だが、鵺は何を言うでもなく、はつから顔を背けた。この時はつは、鵺の言った「土産が必要だろう」という言葉の意味を理解した。任務を遂行できなかった責任の全てを、はつに擦りつけるつもりで連れて来たのである。

「どこぞかの間者ではないか」

 誰かがそう言った。はつを始末しろという空気の中、

「こんな目立つ格好の間者などおるわけがない」

と、真っ向からそれを否定した者がいた。草之助である。

「大道芸人でも装っていたのではないか」

「たったひとりでか。大道芸人ならば集団で行動するだろうし、芸の道具だって必要だろう」

「たとえ間者でなくとも、この娘は里を知ってしまった。生きて帰すわけにはいかない」

「ならば、帰さなければよいではないか」

「なんだと?」

「この娘は足腰がまるでなっていない。山道にまったく慣れていないのだ。監視しておけば、この娘が里を出ることは不可能であろうよ」

 草之助の言葉に、皆は押し黙ってしまった。

「おい、娘。お前もなんとか言ったらどうなんだい」

 なかば八つ当たりのようにはつに飛び火する。言葉が出ないでいると、鵺がはつの後頭部を撫でた。鈍い痛みが走る。

「覚えていないのかもしれんな。瘤をこさえておるわ。ここを強かに打つと、物を忘れることもあるそうではないか」

「そんな話が信じられるかい」

 浅葱の言葉に被せるように、草之助は大仰に頷いた。

「なるほどな。それで、先ほどから言うことが要領を得なかったわけか。得心がいったぞ」

 はつを巡る里人らのやり取りを見ていた頭領は、傍らの女に何やら言伝てると、歩き去ってしまった。残された女は、声を張って言う。

「草之助、鵺、そこな娘を連れて来て下さい。頭領が話をしたいそうです」

 鵺と草之助はその言葉に従った。


「父上、お連れ致しました」

 連れてこられたのは、里の中でも最も大きいのではないかと思われる平屋の家だった。その家から500メートルほど南に位置する丘の上には、立派な城が里全体を見下ろすように建っていた。

 はつらが通された間には、先ほど「頭領」と呼ばれた老人がおり、部屋の奥に座している。

「うむ。ご苦労であったな、千手(せんじゅ)よ」

 女は一礼すると、はつらを部屋に残して退室した。

「草之助、鵺…そして、娘。近う寄れ」

 その言葉に鵺も草之助も素直に従う。はつは、鵺に引きずられるようにして頭領の前に連れ出された。

「娘、名は何と言う」

 最初の問いかけが自分に降って来たことに動揺したものの、背筋を伸ばして答える。

「はつ、です」

「はつ、そなたは何者じゃ」

 この時代に来て何度目かの同様の質問だったが、はつには答えようがなかった。

「どうやってこの国へ参った?」

 答えられるはずがない。

「そなたは罪人か?」

 はつは答えない。記憶喪失なのだ、何も分からないのだと、ひたすら自分自身に言い聞かせていた。

「そなたが大道芸人に扮した間者だろうと言う者もおるが?」

 何を答えてもきっとぼろが出る。はつは出来るだけ表情を変えないよう、頭領をまっすぐ見据えたまま口を閉ざしていた。

「何も答えられぬか」

 頭領が溜め息混じりに言う。

「では、最後としよう」

 ふと、そう言った頭領の眼の色が変わった気がした。

「記憶がないというのは、(まこと)か?」

 その声が、鼓膜を通じて、はつの深いところまで落ちてきた気がした。

 射抜かれる…それはこういう感じなのだと、はつは初めて知った。

「はい…」

 普通に発したと思った声が、震え、掠れて自分の耳に届いた。その額には薄く汗も浮かんでいる。はつは、これはばれたろうと覚悟した。だが、頭領は「そうか」と頷くと、鵺と草之助に向かって命じる。

「鵺よ、お前にはつの目付役を申しつける。草之助はそれを助けよ」

「この者を里に住まわせるということですか」

 鵺の言葉に、草之助も同意を示す。

「はつを敵の忍びであると思っている里人もいます。危険ではありませんか」

「何を言うか。初めにこの娘を里から出さぬよう申したはお前ではないか、草之助」

 草之助は言葉を噤んだ。

「案ずるな。だからこそ、お前たちを目付役に就けるのだ」

 頭領は言う。

「はつをただ監視するだけではない。はつの身に危害が降りかからぬよう、守ってやるのだ。はつを連れてきたは鵺、お前じゃ。お前にその責をとらせ、目付役の任につける。して、草之助。お前は昔から鵺の目付役を買って出ていたな。鵺の失態は目付役であるお前の失態でもある。ゆえに、鵺を助けてはつを守ってやるのだ」

 頭領にそう言われれば、鵺も草之助も了承しないわけにはいかなかった。

「はつよ」

 頭領は続ける。

「今後は、この者らがそなたに危害のないよう取り計ろうてくれるじゃろう。不自由やも知れぬが、辛抱してくれるな」

「はい」

「だが、忘れるな。それは、同時にそなたを監視しているということでもある。そなたが不審な行動をとれば、即座に処断できるということを肝に命じておくのじゃ。よいな」

「…はい」

 返事とともに目線を下げる。膝に添えた掌は、水桶に浸けたかのようにぐっしょりと汗で濡れていた。


 つい先ほど、頭領より目付役として片時も目を放さぬよう言いつけられた鵺だったが、頭領の屋敷を出てすぐに姿が見えなくなってしまった。また、草之助は他の用件があるとかで、頭領の屋敷に留まっていた。

 見知らぬ土地でひとりになってしまったはつは、どうしたものかと途方に暮れる。そこへ、女がやってきた。浅葱である。

「はつ。今から川へ行くんだが、あんたも行かないかい」

 見れば、浅葱は桶を抱えており、その中には着物がこんもりと盛られていた。

「今日はいい具合に日が出てるからね。洗濯日和さね」

「どうして、私のことを知っているんですか。それに、なんで私を誘うの?」

「あんた、しばらく里にいることになったんだろう。それが頭領の決断なら、私はそれに従うだけさね」

「どこでそのことを…。たった今、決まったところですよ」

「私の任務は諜報がおもでね。情報をいち早く里にもたらすのが役目なのさ」

 おそらく、頭領との会話を聞いていたのだろう。

「さあ、ついておいでな」

 最初の印象とは打って変わり、浅葱は人のよさそうな笑みをはつに向ける。そうして、はつを促して川辺へと向かった。

 川辺へ着くと、ふたりの女が並んで洗濯をしている姿が見えた。

「かすみ、菊乃」

 浅葱の声に反応して振り向いたふたりだが、はつを見ると表情を濁した。

「浅葱、その人は…」

 口を開いたのはかすみと呼ばれた女である。

「その女は敵かもしれないんだよ。なぜ一緒にいるんだい」

 菊乃もかすみのあとに続けた。だが、そんなふたりの言葉と疑念を、浅葱は一蹴する。

「この娘の名ははつ。これからしばらくはこの里で暮らすんだ」

「どういうことだい」

「そう、頭領が決めたのさ」

「頭領が…」

 頭領の決断ということが、この里では大きな意味を持つらしい。

「私だってはつを信じてるわけじゃないよ。実際、敵かもしれない。けれどね、頭領がはつを里に置くとご決断されたんだ。私は、頭領を信じるだけだよ」

 かすみが浅葱の言葉に頷く。しかし、菊乃は得心がいかない様子だった。

「頭領の命には従うさ。けれどね、私はその女と慣れ親しむつもりはないよ」

 そう言い捨てると、菊乃は洗濯物をまとめて川辺を離れようとする。

「菊乃、まだ途中でしょう?」

「場所を変えるわ」

 かすみの制止の声も振り切って、菊乃は足早に行ってしまった。

「気にすることはないよ」

 浅葱はそう言い、洗濯に取りかかる。

 浅葱が洗濯をする姿を見て、はつはふと思い出した。実家の洗濯機が壊れた時のことである。買い換えるまでの間、洗濯板を買って洗濯をした経験があった。しかし、板は重く、腰も痛んで、ひどく扱いづらかったことを覚えている。

「浅葱、さん」

 はつの呼びかけに、

「浅葱でいいよ。なんだい?」

 浅葱は軽快に答えた。

「私にもやらせてもらえませんか?」

「手伝ってくれるのかい? そいつは助かるね」

 浅葱ははつに、小袖を2枚と洗濯板を貸し与えた。はつは、浅葱やかすみを真似て懸命に洗濯をする。

「かすみ、その後、例の話はどうなったんだい」

 洗濯を始めて間もなくのことである。話を振られたかすみは、心なしか顔が赤い気がした。

「弥助には言ったのかい」

「言えないよ、そんなこと」

 何の話だろうかと考えあぐねていると、浅葱が耳打ちで教えてくれた。

「かすみはさ、弥助に惚れてるんだってさ」

 はつの脳裏に、浅葱と一緒に任務から戻ってきた男の姿が浮かんできた。落ち着いた風格で体のがっしりとした男だ。かすみとは、随分と歳が離れている気がした。

「随分と歳が離れているんじゃないかな」

 はつは感じたことをそのままに伝える。

「10くらい違うかな。でも、それくらいの差、そんなに珍しくもないさ。それに好きなものは仕方がない。そうだろう、かすみ?」

 かすみはこくりと頷いた。

「あんたはどうなんだい」

 浅葱ははつに詰め寄る。

「いい男、いないのかい」

「私は、よく覚えてないですよ」

「この里ではどうなんだい」

「この里で…」

「あんた、鵺に連れられて来たんだろう。まさか、鵺ってことはないだろうね?」

「鵺、さん…」

「あんな奴に、さんなんてつけることはないよ。あいつ、初めはあんたを陥れようとしてたじゃないか」

 言われてみれば、確かにそうだった。鵺ははつを、なかば騙して里まで連れてきたようなものであった。

「草之助ならいいと思うけどね」

「駄目だよ」

 浅葱の言葉をかすみが制する。

「草之助には、姫がいるもの」

 それには浅葱も頷いた。はつが首を傾げていると、意を汲んだ浅葱が答える。

千手(せんじゅ)姫さ」

「千手って…あの、綺麗な人のこと?」

「そうさ。頭領のご息女で草之助とは恋仲なんだよ」

 洗い終えた洗濯物を桶へ入れると、3人は縮まった腰を伸ばした。

「鵺って、どんな人なの?」

 はつの問いかけに、浅葱は顔をしかめる。

「あんた、鵺に気でもあるのかい?」

「そうじゃなくて、知っておかなければならないと思うの」

「なんでさ」

「鵺が私の目付役だから。鵺とは、どういう人なの?」

「どうもこうも…あんただって多少は知ってるんじゃないのかい?」

 浅葱は吐き捨てるように言った。

「鵺があんたの目付役だって? なら、なんで鵺はあんたの傍にいないんだい。あいつはそういう奴なんだよ。奴にとっては、仲間も任務もどうだっていいのさ。奴はいつだって口だけさ。いざと言うと尻込みしやがる。鵺って奴はね、里一番の腰抜け者さ」

 その物言いに呆気にとられていると、浅葱はばつが悪そうに桶を抱え上げた。

「悪いね。かすみ、はつ。私はこのあと用があるから、この辺りで失礼するよ」

 浅葱が去って行くと、かすみが浅葱の言葉を補足するように話し出した。

「前にね、浅葱の兄さんが任務の途中で死んだんだ。その時、共に任務にあたっていたのが鵺だったんだよ」

「それって…」

「浅葱は、鵺が兄さんを見殺しにしたって思ってるみたいなんだ」

「そんな…。実際は、どうなの?」

「さあね。鵺もそれについては何も言わないから分からないよ。里のみんなは浅葱の言うことを信じているみたいだけどね」

「かすみは違うの」

「私には判断がつかないね。鵺の気性のこともあるけど、もともと鵺はこの里でよく思われていないんだよ。それは、鵺の出自にも理由があってね」

「出自…?」

「鵺はこの里で生まれたわけじゃない」

「他所者ってこと?」

「そう。鵺は、23年前の嵐の夜、山中で頭領に拾われたらしいんだ。落雷があった場所を調べに行ったら、焦げた木の峰で赤子が泣いていたそうだよ。それが鵺だったって」

「え、23年前って、鵺の歳は…」

「24歳だね」

 衝撃だった。はつは、鵺を年上と信じて疑っていなかったのだ。しかし、人生50年と言われる戦国時代において、時の進み方が現代と同じではないのかもしれない。それにしても7つも年下であったということは、はつには重くのしかかってくる現実であった。

「あの、かすみはいくつなの?」

「16」

 聞けば、浅葱は19、菊乃は18だと言う。とてもそうは見えない。現代的に言えば、風貌も仕草も20代半ばくらいに見える。

「それだからね、里の人たちは鵺を受け入れようとしないのじゃないかと思うよ。伊賀忍は他所者には厳しいから」

「そうなんだね」

「でも、それを言うなら、草之助もそうだよ」

「草之助さんも?」

「草之助は流れ者で、10年くらい前にこの里にやって来たんだ。それまでどこにいたか、何をしていたか、一切言いたがらないのだけど、頭領にも姫にも気に入られているからみんなは目をつぶるしかないんだろうね」

 かすみの話は、浅葱と違って無駄な感情がなく、客観的に解析されているのですんなりと受け取ることができた。

「それに、草之助は人あたりがいいからね。今では、草之助のことはみんな信頼していると思うよ」

「へえ」

「浅葱とか里の皆が言うように、鵺が本当に腰抜けなのか、私にはよく分からない。でも、鵺はね、どんな状況でも必ず生きて帰って来たんだ。ただの腰抜けには、そんなこと無理だと思うね。あとは、そうだねえ…それ以上に鵺について知りたければ、草之助に聞いてごらんよ。草之助は、鵺の無二の友人のようだからね」

 かすみが桶を抱え上げる。

「さて、私もそろそろ行くよ。これを干したら畑の手入れをしないといけないからね。はつはどうするの? 行くあてがないなら来るかい?」

 見知らぬ地にただひとり取り残されるのは確かに心細いと、はつはかすみについて行こうとした。だが、そこへ声が降ってくる。

「それには及ばん」

 それと共に姿を現したのは、鵺だった。

「こいつの面倒は俺がみろとの、頭領からのお達しだ」

「なら、ひとりにしてはいけないんじゃないのかい? いくら木の上から見ていたとしてもね」

 かすみはそう言い残すと、はつに手を振って帰って行った。

「来い」

 かすみの姿が見えなくなると、鵺ははつを促してまたすたすたと足早に歩いて行く。

「待って、鵺」

 言ってから、はつはしまったと思った。浅葱やかすみの話の中で呼び捨てにしていたものだから、つい口をついて出てしまったのだ。だが、鵺は立ち止まると、さして気にしたふうもなく、

「これからお前が寝泊まりする場所を作る。だから、ついて来い。…はつ」

それだけ言うと、またすたすたと歩を進める。鵺はこの時、初めてはつの名を呼んだ。名を呼ばれたことで、鵺との関係が少し前進したうようにはつには感じられた。

 本当に不可思議なことではあるけれども、この時代に飛ばされたことには何か意味があるのかもしれない。また、いつ戻れるのかも知れないが焦ったところできっと意味はないのだろう。そう考えることができるほど、はつは天性の楽天家であった。だが、この時ばかりはその性格に心から感謝した。もしも楽天家でなかったならば、とてもではないがこんな状況に耐えられはしなかっただろう。

 はつは思う。どんなふうに生きても人生は人生である。同じ人生ならば、戻れる日が来るまで、この時代を懸命に生き抜いてやろうではないか。そう決意を新たにし、ひとり先を行く鵺を追いかけたのだった。

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