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戦国乱世伊賀物語 ~はつと鵺~  作者: 高山 由宇
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序章 出会い

 風が吹いていた。

 甘い香りを乗せた清々しい風が鼻孔をくすぐる。

 香りを辿ると、隣の家に咲き誇った鮮やかな橙色の花が目に入った。

 金木犀である。

 四季の中で秋は最も短命だ。呆けていると見逃してしまいそうなその季節を、毎年欠かさずに芳しい香りで知らせてくれる。それが金木犀であった。


 鹿島初音は、宮城県某市に住んでいる。涼しげな短髪で、飾り気がなく、ボーイッシュな風貌の女だった。31歳の独身である。

 初音の居住する地は、全国的に知名度は高くないがそれほど小さな都市ではない。近隣の市町村からは交通の要所として知られている。だが、すぐ傍に全国的に有名な100万人都市である仙台市があった。そのため、県外に旅行をした際には、その土地の人に「どこから来たの?」などと聞かれると、「仙台市です」と答えるのが通例であった。それは、他の市民、または近隣の市町村にとっても同じことだろうと思う。

 しかし、それはあながち間違いでもなく、初音は毎日電車で25分かけて仙台市に通っていた。彼女は、仙台市の眼鏡店に勤務しているのである。

 初音の勤める店では、仕事が終わる時間は決まって午後7時である。たまに残業が入ることもあるが、ほとんどない。

「お疲れ様でした」

 同僚に挨拶をしてロッカールームに入り、眼鏡を外した。特に視力が悪くはないのだが、会社の規定で営業中は眼鏡をかけなければならないのだ。ふと、スマートフォンが鳴った。

 見慣れた名前と顔写真が映し出されている。

「もしもし」

 初音は、幾分か弾んだ声で応答する。内容は、出ずとも分かっていた。食事への誘いである。

「もちろん、いいよ。じゃあ、8時頃にいつもの店でね」

 そう言って電話を切ると、急いで着替え、店を後にした。

 電話の相手は斉藤美雪という。

 現在勤務する会社へ初音が入社して、ようやく1年が過ぎた。以前は家電量販店に勤めていたのだが、3年前に退職。2年間、アルバイトをしたりハローワークに通ったりして過ごし、貯金が底を尽きかけた時にようやく見つけたのが今の会社であった。

 斉藤美雪は、前職の同期である。

 美雪は今も家電量販店の仕事を続けている。退職してからも、週1回は会って夕食をともにするし、休日には喫茶店に行ったりカラオケをしたりと、何かと交流のある親友なのだ。

「お待たせ」

 いつも2人が夕食のために利用するファミリーレストランに着くと、美雪はすでに席に着いていて、オーダーも済ませているようだった。

 このレストランの魅力は、何より低価格なことである。それであるから、毎週のように通えるのだ。

「ドリンクバー、頼んだ?」

 初音が尋ねれば、「頼んだ」との美雪の返答である。

 初音は席に着き、オーダーを終えると、ドリンクバーを取りに向かった。そして、再び席に着くと早速話し出す。

「この間頼んだもの、手続きしてくれた?」

 尋ねると、

「うん。初音さんが指定した、明日には届くはずだよ」

との美雪の返答に、

「ありがとう。必ず、近いうちにお支払いします」

と、初音は申し訳なさそうに礼を言った。

 最近、実家暮らしの初音の家では、マッサージチェアを購入しようという話になっていた。そこで、美雪に頼んで安くしてもらったのだが、社員販売での購入だったために代金を一旦美雪に立て替えてもらっていたのだ。

「本当にありがとう」

 初音はまたも礼を言う。

「別にいいよ」

 美雪はそう言ってはにかんだ。

 美雪は笑顔を作るのがあまり得意ではないし、口数も多くはない。だが、優しく、思いやりがあり、思慮深い人間だということを、初音はよく理解していた。

「明日は休みなの?」

 尋ねられ、

「うん、休みだよ」

 初音は答えた。

「いいね。明日は何をするの?」

「とりあえず、マッサージチェアを受け取るかな」

「一日座っているの?」

「そうしたいね。けど、親にとられるんだろうな」

「またゲームでもするの?」

「はは。やるかもね」

 初音は、31歳にしてオンラインゲームにのめり込んでいた。出退勤の電車の中や待ち合わせの待ち時間などで、暇があればスマートフォンを開きオンライゲームに没頭する。初音がオンラインゲームに出会ったのは半年ほど前のことだ。新しい仕事を始めたのが1年ほど前であり、半年ほど前には異動もあった。そのストレスから逃れる方法を探していた初音は、インターネットで話題のオンラインゲームに出会ったのだ。

「31にもなってオンラインゲームにはまってるようじゃ廃人手前だよね」

 自虐的に話す初音に、美雪は苦笑を零す。

「初音さんの場合、しっかり仕事してるんだから廃人ではないよ」

「マッサージチェアとか買って、なんか老後みたいだよね」

「まあ、でも、家族で使うわけだしね」

「親からはそろそろ結婚を考えなさいってことを遠回しに言われるんだよね」

 初音の言葉に、美雪は背筋を伸ばし、少し改まって話し出した。

「実はね、この間、婚活パーティに行ってきたんだ」

「へえ。1人で行ったの?」

「うん」

「どうだった?」

「どうだろうね」

 渋い顔の美雪に、あまり良い印象を抱かなかったのだなと初音は思った。

「行くなら友達と一緒よりも1人の方がいいって聞いたから、1人で行ってみたんだけどね」

「友達と一緒だと、同じ人に惹かれたりするからかな?」

「うん、そうみたい。婚活パーティって初めて行ってみたけど、なんか、違うって思った」

「ハズレ、だったんだね?」

 またも渋い顔で美雪は頷いた。

「私も婚活パーティ行ってみようかな」

 初音がつぶやくと、美雪はとても意外そうにこちらを見た。

「初音さん、結婚願望なんてあるの?」

 そう尋ねる美雪に、初音はしばし返答を躊躇う。

 実は、初音は31年生きてきて、一度たりとも恋愛感情を抱いたことがなかったのだ。その話をすれば、周囲からは「嘘だよ」とか「そんなはずない」などと言われて信じてもらえないのだが、それは厳然とした事実である。初音は、人が当然持ち得る感情をなぜ自分は持てないのかと悩んだ時期もあった。生まれてくる前に置いてきてしまったのではないかと思ったりもしたが、よく分からないままにこれまで生きてきた。

「願望っていうのは、ないと思うよ。けれど、しなければならないっていう義務感はあるかもね」

 初音はそう答えた。

 実際、したいしたくないに関わらず、結婚して子を産むことによって人類は連綿と続いてきたのである。よって、初音にとって結婚とは、女に生まれたからにはしなくてはならない義務であった。だが、美雪はそれを真っ向から否定する。

「なんで義務なの?」

「だって、世の中少子化とか騒いでるじゃない」

「そんなの関係ないよ」

「それに、社会貢献とかしなきゃって思うしさ」

「子供を産むだけが社会貢献じゃないでしょう。初音さんはちゃんと仕事して、年金も税金も払ってるんだから、社会貢献しているよ。結婚は完全に自由だよ」

 美雪に否定され、初音は気持ちが楽になるのを感じた。

 初音の母の家は旧家であり、幼い頃から結婚は義務であるように言い聞かされて育ったのだ。だから、美雪に力強く否定されて驚いた。それと同時に、義務でなく自由だと言う美雪の言葉に、肩の荷が下りたような気もした。

 そうして、それぞれの職場での1週間の出来事を語り合っていたら、店の時計が10時を回っていた。

「そろそろ帰ろうか」

 どちらからともなく促し、店を出る。

 地下鉄で通勤している美雪と、地下鉄の階段の前で手を振って別れた。


 翌朝、初音は7時頃に目を覚ました。

 顔を洗い、朝風呂に浸かり、着替えて食卓についた頃には8時を回っていた。

 ゆっくりと朝食を摂る。ぼんやりと窓の外を眺めながら、昨夜の美雪との会話を思い出していた。

 美雪はハズレだと言っていたが、自分も婚活に行くべきだろうか。毎日、朝早くから仕事に出かけて、夕食は大抵外食、休日はゲーム三昧、家には寝に帰るだけという生活にもいい加減に飽き飽きしている。しかし、変えなければならないと思いながらも、なかなか変えることができないのが現状であった。

「今日から11月か。秋ももうじき終わりかしらね」

 母の声が初音を現実に引き戻した。母の視線を辿って窓の外を見る。隣の家の金木犀は、花が散ってだいぶ小さくなっていた。

「最近はなんだか寒いくらいだものね」

と母が言う。

「そうかな。私には涼しくてちょうどいい気温だけどね」

 母はトータルネックのセーターを着ていたが、初音は7分丈の藍色のカットソーに黒のジーパンという涼しげな服装だった。

 しかし、あの金木犀はもうじき枯れ木になるだろうと初音は思った。そうしたら、寒くて長い冬がやってくるのだ。ふと思いついた。そうと決まればと、初音は済んだ食器を片づけ、身ひとつで玄関に向かった。

「寒くなる前に、久し振りに散歩にでも出かけてくるよ」

「どこに?」

「子供の頃によく行ったところ」

 そう言うと、初音は家を出て東に向かって歩き出した。

 初音の家から、東に向かって30分ほども車で走ると海に出る。初音の家周辺は公共機関が多く、必要なものはたいてい揃うが、海に近づくにつれて病院も店も乏しくなり、田圃や畑だけが広がる寂しい景観を醸し出している。

 初音は、子供の頃からそういう風景が好きだった。

 1時間も歩くと、自宅周辺の風景とはだいぶ違ってくる。道路は細く、小さなトラック1台がようやく通れる程度の幅しかない。その道路の両脇には畑が広がっていた。また、道路のあちらこちらに、点々とこびりついているのは牛糞である。近くに、牛や馬を飼育している農家があるのだが、それらの糞を肥やしとするために、糞を一杯に積んだトラックがこの道を走っていくのだ。トラックが揺れる度に、糞が点々と道に落ちる。それが乾いて干からびたものであった。黒くて湿り気のある糞は強烈な臭いだが、乾ききった糞は臭いもなく、色もただの土くれのようである。

 そんな牛糞がこびりついたような細い道を行くと、右手に高い木々に覆われた民家が見えてきた。その家の前には、ちょうど初音が歩いて来た道に沿って小さな畑があった。初音は、休憩がてらぼんやりと畑を眺める。畑の奥にも木々が生い茂っていた。その中に、ふと、木々が絡まり合ってできた小さなトンネルがあるのを見つけた。

「あんなところに、あんなトンネルあったかな」

 独り言とともにトンネルに向かって歩き出す。他人の土地ということもあって抵抗はあったが、どうにも気にかかって仕方がなかったのだ。

 トンネルの前に立つ。

 中は薄暗く、奥行きが分からない。

 中から、どこか懐かしい風が吹いてきているのを感じた。

「よし」

 初音は、意を決してトンネルの中へと一歩踏み出す。

 その時である。

 突風が、初音の背を押すようにトンネルの中へと導いたのだった。


 前のめりに転んだはずだが、なぜか後頭部に鋭い痛みを覚えた。また、気がつくと、仰向けに転がっていた。

 初音は、苦痛に顔を歪めながら立ち上がり、身体についた泥を払う。そこで、このトンネルはこんなに広かったのだろうかと考えを巡らせた。また、転んだ際に妙な浮遊感があったことも不思議に思っていると、背後から首筋に何かが当てられるのを感じた。それと同時に、聞き覚えのない男の声が投げかけられる。

「何者だ」

 初音は、振り向くことができなかった。

 初音の首筋に当てられているもの、それは刀である。

 模擬刀などではない。真剣だ。

 そんなはずがないと何度頭の中で打ち消しても、初音にはそれ以外に考えられなかった。

 初音は、以前京都へ旅行した際、日本刀の専門店に入ったことがあった。その時に見た青白い輝き…それと同じものを、今首筋に当てられているものも放っていたからである。

「答えろ」

 再び男の声が降ってくる。それと同時に、首筋に当てられる刀に力が込められたようだった。

「口が利けぬか」

 初音は微動だにできない。

「こいつが恐ろしいのか」

 そこで、男は刀を引いた。

 ようやく人心地つけた初音は、ゆっくりと振り返る。

 そこには、暗がりのため歳の頃は定かではないが、初音よりも頭ひとつ分背の高い男が立っていた。その手には、抜き身の刀が握られている。

「お前は何者だ」

「…はつ…」

 初音は、「はつね」と言ったつもりだったが、後の方は音にならずに消えた。

「お前はどこから来た。なぜ降って来たのだ」

 男の言葉に、先ほど感じた浮遊感は落ちる時のものだったのかと頭の隅で理解した。

「答えろ。答えねば斬るぞ」

 男はまたも刀を初音の前にちらつかせる。

 一種の現実逃避なのだろうか、初音は、突きつけられている刀のことよりも男の服装に目が向かってしまっていた。

 男は、時代劇や日光江戸村、京都の映画村などで見るような服装をしていた。鳶職人のようでもあるけれど、それよりももっとぴたりと張り付くようなズボンを履いている。それは、日光江戸村で見た忍者の衣装とそっくりだと、初音は思った。

「ここは、どこ?」

 初音は、やっとの思いで今の心境を声にする。今、最も知りたいのはそれだった。初音の様子に、男はしばし思案を巡らせたあと、刀を下ろした。そして、鞘に収める。

「来い」

 男は初音を促して歩き出す。初音が動けずにいると、

「いつまでもここにいたいか。ついて来い」

と苛立った男の声が鼓膜に響いた。

 初音は辺りを見回したが、通って来たはずのトンネルはなく、周囲一帯を暗がりが覆っていた。その暗がりを、まるで平地でも歩くかのように男が進んで行く。そんな男から逃れられるはずもないし、ここにひとり残されてもこの暗がりを抜け出せる手立てがあるとは思えなかった。そこで、初音は意を決し、男の背を追って歩き出したのである。

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