温めますか?
昨日は課長のおごりでラーメンだった。
うん。このままだと絶対太る、わかってる。けれど晩ご飯、なしはちょっと辛い。
時間はまもなく10時。わかってる、もう女子は食べちゃいけない時間だ。
だけど。
――結局私の軽自動車はアパートの近所、いつのもコンビニの駐車場、いつもの場所に止まる。
「雑誌は要らない、来週まで読む暇無い! お菓子も要らない、ウチには寝に帰るだけ。ビールは、冷蔵庫に第三類があと三本、給料日まで我慢我慢。あ、お水がもう無かったっけ。明日の朝は、……はぁ、もうサンドウィッチでいいや、あと豆乳?」
お弁当のコーナーで足が止まる。
「……パスタ、うーむ。自分で作れよ、って言う話なんだけど」
食事の準備をして、ご飯を食べて、片付けもの。
洗濯機のタイマーをセットしてからお風呂。しかも明日はゴミの日じゃないか!
やっぱりご飯作ってる場合じゃないよ。それでも寝るのは12時過ぎる。
うら若き乙女がなんと言う生活か。
私が考えていた仕事はこうじゃなかったはずだ。
なんで毎日仕事場出るのが9時過ぎるのよ。
今月は土日だってほぼ休み無しだし。
「お願いしまーす」
深夜でもないのに誰も居ないレジ、田舎はこんなもんだ。
ならば出てくるのは店長の名札をぶら下げたいつのもおじさんだな。
「お待たせしましたぁ! カードをお預かりします!」
だがしかし、レジに入ったのはちょっと可愛い感じの男の子。
最近この時間によく見かける新しいバイトクン。大学生なんだろうか。
うーむ。年下が好みだったのか、わたし。
自分で自分の好みを把握していないとか。
道理で合コン、上手くいかないわけだ。
「お釣りとレシートのお返しです。温めますか?」
「あ、お願いします」
こんな男の子と、買い物以外で毎日二言三言話せるならば毎晩コンビニパスタでも構わないんだけどなぁ。
とは言え、コンビニの店員と仲良くなる方法なんかそうそう思いつくわけもなく。
ビニール袋を持ってクルマへと向かう。
近所のジジィ共が、バイトの女の子と仲良く喋って順番待ちをいらいらさせてるのは、アレはどうやってるんだろう。今度町内会長にでも聞いてみようかしら。
「はぁ」
ため息を一つ。とにかく、今日はかえってご飯食べてお風呂入って寝よう。
来月は休みまくってやる。
エンジンをかけたところで、コンコン。窓を叩く音。
「すみません、お客さん! ……良かった間に合って。スパゲティ。お忘れですよ」
「え? あ、……ありがとう。あのわざわざ、ゴメンね」
見る間に顔が赤くなるのがわかる、耳が暑く感じるって事は耳まで真っ赤なんだろう。
車の中が暗いから多分彼にはバレてない、と思えるのが救い。
「いえ、大丈夫ですよ。他にお客さんも居ないし、店長も出かけてるし」
「店長は関係なくない? ――この時間、よく見かけるけどキミいつも一人なの?」
「普段は奥に店長か奥さんが居るんですけど、今日は今んとこ俺一人すね」
「他のコンビニだと今の時間って、結構お客さん来るんじゃないの」
「東公園通り店なんかは今の時間、凄く混むらしいですね。ウチはこの時間は誰も来ないです」
――年寄りばっかだからな、ウチの町内。
「確かに。ウチの店だけ朝5時過ぎから7時ちょっと前にピークがあるんですよね」
「何それ? 年寄りは早起きして散歩しなきゃいけない掟でもあるのか、ウチの町内は。……んじゃ、また明日ね」
「ありがとうございました!」
こんなに簡単に顔見知りになれるとは。
しかもドジっ子お姉さんのキャラクター属性での強力アピール付き。
――人生万事塞翁が馬、はちょっと違うか。
うむ、いずれ今夜は眠れないな……。
パスタを忘れる以前から「アルバイト 鈴木」と名札が付いていたから彼の名前だけは知っていた。
私より4つ下の彼は大学三年生。実家住みで家までは自転車で五分と聞いた。
会計の時にほんの数言、それを交わすのが楽しくて。
毎晩コンビニに寄るようになったので若干お小遣いが不足気味。
ホストクラブに通う人達の気持ちが少しわかった気がする。
多分わたしとは使ってる金額の桁が二つか三つ、違うだろうけど。
「お釣りとカード、お返しです。……温めますか?」
「……何を? 冷製パスタとポテチとまんが、あっためられちゃ、かなわないわよ」
新商品冷製パスタと期間限定ポテトチップスにあっさり釣られるわたし。
きっとわたしみたいな人が日本の経済を廻しているのだろうな。
「あはは……。偶にね、素で間違って“はぁ?”みたいな顔されちゃうんすよ。もう結構慣れてきたのになぁ」
「ま、鈴木クンらしいと言えばそうなんだけど。コンビニのレジは店員も客もスピード勝負だからね」
と、会話が盛り上がる兆しを見せたがドアが開いてチャイムが鳴る。
今日の時間とお金の無駄使い、お終い。
「……あ、いらっしゃいませ!」
「んじゃね、また明日」
「ありがとうございました!」
わたしは町内のジジィ共とは違う。他の人の迷惑になっちゃいけない。
すれ違った新しいお客さんは女子大生だろうか、鈴木クンと同じくらい?
この店のこの時間としては珍しい客相だな。
化粧っ気のない顔がつやつやして、着て居るものもいかに普段着という感じだが、それもよく似合って凄く好感が持てる。ま、なんつーか。単純に可愛い。
むぅ、わたしも昔はあれくらい可愛かったと思うんだが。
いったい何処で道を踏み外した……。
車の前まで戻ると、わたしのコンビニ通いのもう一つの原因が、車止めの前で顔を洗っていた。
わたしはバンパーの前にしゃがみ込む。
「おい、ニャー。――こんばんわ」
「……にゃう」
小柄な灰色の猫。
コンビニ周辺をうろついているのだが野良なのか飼い猫なのかよくわからない。
本当は追っ払うべきなのだろうけど、ゴミも漁らないし店にも入ってこないから放置しているのだ。
とは、鈴木クンと仲良くなることで芋づる式に知り合いになった店長の話。
「お客さんが餌をあげなきゃ良いんだけど。ウチ、一応食べ物扱ってるからねぇ」
「一応って何? むしろ一生懸命売ってくれないと、今おでん買ったわたしの立場がないンですけど」
「言葉の綾ってヤツだよ。もちろん見ての通り、がんばって売ってるじゃないですか」
わたしはこの猫を勝手にニャーと呼んでいる。
あまり触らせてくれないし、気分によってはボンネットの上に乗ってわたしが帰るのを邪魔するこの子だが、意外と賢いようで会話に答えてくれるのだ。
……って。どれだけコミュニケーションに飢えてるんだ、わたし。
「ねぇ、ニャー。おまえは晩ご飯、なんか食べた?」
「みー」
「あっそ、良かったね。わたし、これからだよ。……ん? さっきの女の子が乗ってきたのかな、アレ」
ニャーは面倒くさそうに後ろを振り向く。
値段だけで即決した実用一点張りのわたしの白い軽自動車の一台となり。
真っ赤な背の高い軽自動車が止まっている。
「……なぅ」
「ま、おまえに聞くまでも無かったね。他にお客居ないし」
そのお客が出てこないな、と店の中を覗くとレジを挟んで鈴木クンと談笑中。
「あの子はもしかすると鈴木クンの友達なのかなぁ。……ね、知ってる?」
「なぉ」
「もしかして、彼女。……だったりして」
「……にゃあ」
一瞬ニャーはわたしから目をそらす。猫に気を使われるわたし……。
「マジでか!」
「みゃう」
いくら賢いとは言え、ニャーの話|(?)の全てを信じるわけにも行かないが。
けれど残念な事ながら傍目に見てもお似合い、と言う他無い。
と、首をかしげてこちらの顔を見つめていたニャーがおもむろに立ち上がると、わたしの足に体をすりつける。
「みゃあう、にー」
「アンタに慰められるようになったらわたしもお終いだわ……」
珍しく自発的に寄ってきたニャーの体をさすってやること数分。
そのうちニャーが飽きてどこへともなく姿を消しても。それでも彼女は店から出てこないのであった。
……今日は三類じゃないビール、開けるか。
それからしばらく。
鈴木クンは勉強が忙しくなるのでバイトをやめた。当然と言えば当然の事ではある。
新しいバイトの子ともそれなりに仲良くなったが鈴木クンと話す時ほど、楽しさを感じ無い。
……やはりときめいて居たのか。
久しぶりに恋する乙女だったのか、わたし。
その鈴木クンは家も近所だし、偶にお客さん同士としてすれ違う。
でもお互い軽く会釈をするだけで、特に何かを話したりはしない。
だって。
彼と棚の前でお互い体を避けてすれ違うときには必ず駐車場にはあの赤い軽自動車があったし、当然のごとくその持ち主だって彼の隣に居たから。
「カードとレシートのお返しです。……あ、くじを2枚どうぞ」
「よ。……あー。また応募券かぁ。アイドルグッズって言われても興味ないんだよなぁ。他はやたらに当選率が低いし。――店長、レギュラーコーヒーも貰って良い?」
「はい、ポイントで良いの? ではもう一度カードお預かりします。――でも前回のヤツでフライパン当たったって言ってた人が居たよ? 応募しなきゃ当たんない理屈だね。宝くじだってそもそも買わなきゃ当たんないんだし」
話ながらもこちらにカップをわたし、品物を袋に入れる手は止めない。
バイトクン達とは明らかに違うのがこの辺。
「……そう言えば店長さんはお馬さんも大好きでしたね」
「100ポイントお預かりしました。カードとレシートお返しです。――先週は鼻の差で三連単取り逃したんだよね、3800万だよ?」
「わたしの10年分のお給料かぁ……」
――ところで。
「最近ニャーを見かけませんけどあの子、誰かに拾われたのかな? 店長さん、なんか知ってる?」
「あぁ、例の猫の事?」
店長が怪訝な顔をする。
「うん、最近見かけないなぁって思って」
「だいぶ前に轢かれちゃったんだよ、駐車場の大型の下で寝てたらしくって。かたづけるときに流石に可哀想でねぇ。ウチのマスコットみたいなもんだったし、ゴミ袋に入れるのが忍びなくてさ。結局、段ボールにタオル敷いてね、ペット斎場まで連れて行ったんだよ」
「え……。いつの話? それ」
「鈴木クンが入ってまもなく、くらいじゃなかったかなぁ。冷製パスタシリーズの発売前だったはずだから」
助手席にコンビニ袋を放り込んで、でもなんとなくそのまま乗り込む気になれなくて。
車の鼻先とゴミ箱の間を見つめる。
死んでいるはずがない。
あの赤い軽自動車がの持ち主が鈴木クンの彼女だと教えてくれたのはニャーだったんだから。
だから店長とわたしは良く似た別の猫の話をしていた、そうに違いない。
いかにも貴族のように背筋を伸ばして尻尾を揺らして。
買い物客を無視して我関せずで顔を洗って。
いつだって気まぐれで、泥の足で洗車したばかりのボンネットにアニメみたいに足跡マークをぺたぺた付けて屋根に座って空を見つめて。
わたしのどうでも良い話に相づちを打ってくれたニャーが、死んでるはずはない。
「またおいでよ? ニャー。今度はわたしがあなたの愚痴を聞いてあげるからさ」
――そう言っては見たものの、果たしてわたしに猫の言葉を理解出来るだけの器量があるのかどうか。
車のエンジンをかける。ナビの画面にはニュースが写っている。
――嘘、もうこんな時間! また寝る時間が減っちゃった……。
駐車場で向きを変える車のヘッドライトが建物を舐めるように照らす。
『眩しいから方向転換なんかライト消してやりなよ』
と言いたげにこちらを睨む灰色で小柄な猫の姿は、当然わたしの目が捕らえることはなかった。