分岐点
オレは、図書館で地域を調べた。
飲み屋のおっさんの話がどうにも引っかかったからだ。
この辺りの集落については、さすが地元図書館だけあって、資料がすぐに見つかった。
波久礼
名前の由来には諸説あるそうだが、その内のひとつに、よく逸れる(逸れてしまう)場所という説がある。
『逸れる』のに、波という当て字は不釣り合いに思っていたが、そのエピソードを聞いて妙に納得した。
この辺り埼玉県北部一帯は、數釜(数釜)ノ庄と言って、釜(水が淀む場所、淵)が多い場所として知られていた。
釜は、昔から信仰の対象になったりしてて、地域の人には特別な場所だったそうだ。
古い伝承によると、釜は異世界(死者の国とするものもあるらしい)に繋がっていて、稀に釜から出てくるモノがあったらしい。
地元ではソレを『おハグレ様』って呼んだ。
いつからそうなのかは不明だが、数釜の話は鎌倉時代には既にあり、また、『庄』は奈良時代にあった集落の単位でもあるので、いずれにせよ、『おハグレ様』の話もかなり古いと思われる。
この『おハグレ様』には、絶対不可侵、関わってはいけないとされ、忌避、畏怖される祟り神として扱われていていたんだそうだ。
何故か?
祟り神として扱われた通り、『おハグレ様』には祟りがあった。
『おハグレ様』に関わると、憑代にされるんだそうだ。
憑代、つまり憑依。取り憑かれる。
これを地元の人は、『這入る』といった。
『おハグレ様』が『這入る』
這入られた人間は、正気を失い、狂気に駆られるという。
狂気に駆られ、人の道を外れる……はぐれる。
元々あった『はぐれ』の音。
これに、
水の吹き溜まり(釜)から現れる……波
昔からの……久
儀式……礼
波久礼。
何だか嘘みたいにしっくりくる。
つまりは、『おハグレ様』ゆかりの、『おハグレ様』信仰の土地だ。
『おハグレ様』が『這入っ』て、はぐれる。
よく逸れる。よく逸れた。よく『おハグレ様』が『這入っ』て、はぐれた。頻出した。
それは、土地の根本であり、禁忌だった。
また、唯一この『おハグレ様』を祀り、祈祷する……つまり、視ること、触れること、そして関わることが赦された女達がいた。
彼女らはハグレ巫女と呼ばた。
ハグレ巫女は、女系、つまり母子相伝で代々伝えられ、『おハグレ様』が出たときは、その対応をしてきたという。
対応といっても、神道や仏教の祈祷と違って、原始宗教の呪術めいたものだったらしい。
鏡を使うのが特徴で、鏡を釜……つまり、異世界の入口に見立てた儀式が多かったんだそうだ。
鏡。
そう、『ハグレの家』のアレだ。
『ハグレの家』の現象は、この儀式に起因していた。繋がっていた。
いや、……逆だ。
ハグレ巫女の儀式は、『ハグレの家』に持ち込まれたんだ。
何故なら、『ハグレの家』に越してきた一家、そして惨殺された家族は、
……ハグレ巫女の血統だったからだ。
『おハグレ様』の歴史が古いように、ハグレ巫女も、大昔から受け継がれてきたという。
祟り神『おハグレ様』を祈祷し、祀る女達。
しかし、その厳粛なイメージに反して、彼女達は比較的自由な生活を送っていたようだ。
ハグレ巫女は大きな役割を持っていた。
が、母子相伝ということは、嫁がなくてはならない。
男尊女卑、家長絶対の時代ではあったが、大きな役割を持つ女達は、その庇護もあった。
女が自ら嫁ぎ先を選び、必要が生じれば自ら役目を果たしに行く。
故に、優遇されたそうだ。
一子相伝という訳でもなく、血を継ぎ、意志を示せば巫女になれたという。
だが、それはイコール気楽な世界ということではない。
ハグレ巫女は絶対数が必要だったのだ。
それほど、『おハグレ様』の対応は苛酷で、多くの巫女が、正気を失い、あるいは命を失った。
そんな巫女の血筋を受け継いだ、とある一家は宅地開発の建売住宅を購入した。
子供が生まれ、手狭になったからという理由だったそうだ。
巫女とはいえ、日常の生活もある。
比較的蓄えのあった一家は、住宅地の一番乗りだった。
そして、最後の住人でもあった。
越して間もなく、事件が起きたからだ。
当時の小さな新聞記事には、『一家団欒の悲劇』とあった。
記事によると、一家は父母、娘2人。
現場には4つの死体があったそうだ。
「ん?」
そこでオレは引っかかった。
おっさんは確か、一家皆殺しといっていた。
数は合っている。
……いや、足りない!
犯人はどうした?
犯人は、自ら命を絶ったと言っていた。
皆殺しなら、死体がひとつ足りない。
オレは、慌てて新聞記事をめくる。
前後の記事、社会面、総合面、地域面。見出しを追う。
……あった!
事故の記事。
だが、その内容は更なる違和感を持たせるものだった。
死亡、父……母……娘……犯人。
もうひとりの娘は…………行方不明!?
改めて新聞をめくる。
しかしその後、その事件に関する記事はなかった。
思い出す。
あの家。
遠足の帰りに見た、あの家。
今となっては質素ともいえる、目に入った……見えてしまったあの家。
平屋、一階建て。
ガラスのない窓枠、窓の数から考えても、そう部屋数があるようには見えなかった。
違和感。
犯人は自殺した。あの家で。
他の殺された遺体と同じように、同じ場所で発見された。
違和感……違和感……違和感。
犯人は、一家を殺害した後、その場で死んだ。
一人だけ見逃した?
否。
事件は夜だったはずだ。
新聞の見出しには『一家団欒の悲劇』とあった。
では、ひとりだけ隠れてた?
何処に!?一家団欒の最中に、突然殺戮者が襲いかかってきたのに?
そして、あの間取りのどこに隠れる場所がある?
では、逃げた?
ならばどうして名乗り出ない?
あれから何年、いや、何十年経った?
オレは何故か直感していた。
娘は一緒に殺されてる。
だが、遺体は見つからない。見つけられない。
そのとき、ふいにB子の話が頭をよぎった。
『よくないモノ』
『長い髪』
そして、資料で調べた単語
『釜』『異世界』
……『幽霊』『お化け』
どっと冷たい汗が噴き出す。
オレは、後戻りできないところに来てしまったような感覚に、恐怖を感じた。